【新編】オン・ユア・マーク

笑里

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畳の上のマーメイド

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 美織は広島にある国立大学の3年生となり、相変わらず競技かるたに全力の毎日である。かるたの時代背景に興味があるため学部は国文学科に進学したが、将来は家業である小柴呉服店を継ぐつもりだ。

 秋の深まった10月下旬、美織は小倉百人一首競技かるたクイーン位西日本予選に参加するため、かるたの聖地である滋賀県の近江神宮《おうみじんぐう》にある近江勧学館《おうみかんがくかん》にいた。
 クイーン位は競技かるたでは女子の最高位であり、70年ほどの歴史を持つ。本戦は例年1月中旬にこの近江勧学館で名人位を競う男子と同時に行われることになっており、そのための予選が10月下旬に各地区の高段位者によって東日本と西日本に分かれて行われ、さらにその東西の勝者が11月にクイーン位への挑戦権をかけて対戦する。
 美織は昨年まで2年連続でクイーン戦本戦に出場し、現在のクイーンである床田千佳に4連覇を許し、「準クイーン」の座に甘んじていた。

 今年も順当に勝ち進んだ美織は、決勝は高校の先輩である中堂秋穂との対戦となった。これも2年連続で同じ顔合わせだった。
 試合は一進一退を繰り返す白熱した戦いとなった。特に中堂秋穂にとっては2年連続で本戦への出場を逃しているため、大学4年となった今年は気合いが入っているのだ。

 はなのいろは——

 読手から札が読まれた瞬間、美織が左手で当たり札を中堂の右手の下をかいくぐるように素早く払った。美織が払ったその札は観客席まで飛んで行く。
 競技かるたでは、払った選手がその札を取りに行くのが普通で、美織もサッと立ち上がって取りに行くと、観客席の最前列にいた菊池が拾ったらしく、美織に手渡してくれた。
「何よ、あんたたち。神聖な場所でイチャイチャしないでよ」
 左手を上げて試合をストップさせ、右手で丁寧に札を並べ直しながら中堂がチクリと言った。
「だって、どうしても応援に来たいっていうから」美織がのろける。「あっ、そういえば先輩、学校はまだ決まらないんですか」
 中堂秋穂は同じ大学の教育学科を専攻し、卒業後は教師の道へ進む予定だ。
「向島の中学に行きたいんだけどね」
 札を並べ終わり、中堂が手を下げるのを見て、読手が次の札を取った。

 しの——

 再び美織が先に札を払う。

 ——ぶれど 色に出にけり 我が恋は、か。まるで今の自分みたいだ。

 美織が右手を上げて試合を止め、札を並べ直す。
「そう言えば、孝太君はどうしてるん」
 中堂がこそっと言う。
「あいつ、年明けの箱根で走るらしいですよ」
 大河内孝太は東京の大学へ進み、長距離に転向した。
「東京か。風花ちゃんちに近いじゃん」
「たまにイチャイチャした写真を送ってくるんですよね。ほんと迷惑極まりないんですよねー」
 つい声が大きくなった。
「私語は謹んでください」
 すかさず審判から注意が入った。
「はーい」お互い首をすくめて目を見合わせて笑い、すっと表情が変わる。

 次の一枚は、中堂が取り、これで2枚差に縮まった。場の残り札は3枚。
 札を撮りにいった中堂が座らずに、じっと観客席を見ている。何事かと美織も視線を送ると、最前列でこの試合を見ていたクイーンの床田千佳がスケッチブックを掲げているのだ。
 ——東日本代表決定
 床田がマジックで黒々と書いたページを捲る。
 ——大道風花

「来たね」
 中堂が小声で漏らす。
「すみません、先輩。風花はやっぱりうちが潰しに行かなきゃ」
「何言ってんの。ミオちゃんが2年も続けて負けたから、千佳さんに4連覇なんてさせてしまったの。見てよ、千佳さんのあの余裕の表情。だから今年は私の番なのよ」
 確かに床田千佳が余裕の笑みを浮かべている。

「私語は謹んでください」
 またそっと注意を受けた。

 パーンと畳を叩く音。いつもながら勧学館の畳はよく響いて気持ちいい。札を拾って美織は自分の席へ戻った。右手を上げて試合を止め、札を揃える。
「そう言えば先輩。風花の通り名、聞きました?」
「聞いた聞いた。確か、畳の上の人魚姫《マーメイド》だったっけ」
「そう。それに最近は、『水と畳の二刀流』ってのもあるらしいです」
「まっ! 私たちなんか、千佳さん入れて3人まとめて『尾道三姫《おのみちさんき》』なのに? それは許せないわ」
「ですよね。金メダル取った人にクイーン位まで渡すわけにはいかないです」
 憤まんやる方ない二人。

「だから、私語は慎みなさいって」
 さすがに審判が呆れている。

 ペロッと美織が舌を出し、中堂が首をすくめた。
 美織が手を下ろすと二人の表情が真顔に変わった。
 読手が少し笑みを浮かべながら、次の札を手に取って息を吸った。

  瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
      われても末に あはむとぞ思ふ

 (了)
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