シング 神さまの指先

笑里

文字の大きさ
5 / 97

沈黙

しおりを挟む
 予想に反してケイはニコリと笑った。そして、顔はまだスカートの裾を見ながら「大丈夫」と明るく答えたのだ。
 あっさりとそう言われると、むしろそれ以上は聞きにくくなる。だがそのまま聞かないわけにはいかない。体につけられた傷について尋ねる切り口は——
「じゃあ、どんな事情があってここまで来たのかわからないけど、ケイがそうして欲しいなら明日アミティに連れて帰ろうか?」
 試しにそう聞いてみると、ケイはチラッと視線を上げて「本当? うれしい! アミティまで遠いし寒いから、歩いて帰るのって嫌だなって思ってたの。」と言った。
 ——これは本音だろうか。
 そういえば、彼女は「街から逃げてきた」と言っていた。「ハウスから」とは言わなかった。街で何かがあったのは確かだ。ただ、そのストロベリーハウスに帰れば彼女が落ち着ける環境があるのならそうすべきだろう。
 ただどうしても圭司が気になるのは、小さな体についた無数の痣だ。街でのトラブルが原因でついたものなら、ハウスに連れて帰れれば手当も受けられるだろうか。だが、この傷は間違いなく長期間にわたってつけられたものだ。
 ——ハウスが知らないはずがない。
 そのことをどう聞き出せばいいのだろうか。

 圭司がそんなことを考えている間に、ストーブの前でケイがウトウトと眠り始めた。圭司はまだ知り合ったばかりの女の子を、彼女にとって見知らぬ男である自分の家に連れて帰るのもためらわれた。
「今日はここのソファで寝かせて、とりあえず明日アミティへ行ってみようと思うんだが」とステラにそう言うと、彼女も小さく頷いた。
「ステラ、今日はもう帰っていいよ。俺はここに残るから」
「一人で大丈夫?」
「ああ。それよりケイの服のこと、頼めるかな」
「まかせて。小さめの服も何とか手に入れてくる。明日何時ごろから行く?」
「バイパスで1時間だから午前中に着くように行くとすると10時ごろでいいんじゃないかな」
「わかった。それまでには届けるようにする」と言って、小さくバイバイと手を振ってステラは帰っていった。

 ストーブの前に座っているケイは、今にも崩れ落ちそうになっていて、圭司は慌てて彼女を毛布ごと抱き抱え、長椅子のソファに寝かせ、すぐ脇の小さな椅子に座り、小さな灯りだけをつけて、そのあどけない寝顔を見ながら、この子が言った「12月1日」のことを考えた。
 確か、誕生日は12月1日だけど生まれた日じゃないと言ったはずだ。ただ、大きく違うことは考えにくい。だとすると、もう11歳になっているかもしれない。日本だと小学5年生か。
 ——彼女はなぜ誕生日を知らないのだろう。
 ——なぜストロベリーハウスという施設にいるのだろう。
 ——アメリカ人と言いながら、なぜ日本人の名前なんだろう。
 なぜ。なぜ。なぜ。そんな単純な疑問が次々に圭司の頭に浮かんでくる。
 そして、ジョシー夫妻は優しいかと聞いたとき、確かに笑ってはいたが彼女は「大丈夫」と答えた。「優しいよ」とは答えなかったはずだ。
 ——その違いは何だ。

 1人掛けのソファに座っていた圭司もいつの間にか眠っていたらしい。時間はわからないが、真夜中に物音がした気がして目が覚めた。

 目の前に毛布を肩から掛けたケイが立って圭司を見つめていた。
「どうした。眠れないのか」と小声で声をかけた。
 彼女は薄灯の中、何も言わない。ごくりと唾を飲み込む音。息を吐く音。
「うん? どうしたんだい」
 もう一度、できるだけ優しく言う。少し沈黙の間が空いてケイが口を開いた。
「私、明日帰らなきゃいけない?」
 ——消え入りそうな、泣き出しそうな小さな声。
「どうした。帰りたくないのか」
「もし帰らないでいいなら……」
「帰らないでいいなら?」

 圭司が聞き返したそのときだ。ケイは肩から掛けていた毛布をそのままストンと落とした。痩せ細った体にもう何も身につけていなかった。

「女の子はこうすれば1人で生きていけるんだって。怖くてあの街から逃げてきたけど、もし明日アミティに帰らないでいいなら、私は、あなたなら。私は初めてだけど、あなたなら……」
 徐々に声は小さくなり、そしてケイは涙を流さずに、だが間違いなくたった11歳の心が泣いていた。

 全ての疑問が解けた。圭司はそう思った。なぜ「街から逃げた」のか。なぜ体の痣は何回もつけられたのか。たった11年の間に彼女に何があったのか、全てわかってしまった、そう思った。

 アメリカに来て、圭司は初めて泣いた。大粒の涙が次々に溢れてくる。
「……もういいんだ。もうそんなこと考えなくていいんだよ、ケイ」
 ケイが足元に落とした毛布を拾い上げ、彼女の体に巻きつけてやり、その上からそっと、そのやせ細った体を抱きしめて、圭司は泣き続けた。体から全ての水分がなくなってしまうほどに——
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

処理中です...