シング 神さまの指先

笑里

文字の大きさ
26 / 97

パンドラの箱

しおりを挟む
 日本から持ってきている圭司の音楽カセットテープを、一緒に暮らすようになってから圭が凄い勢いで聴いている。どうやら圭司コレクションをひとつ残らず制覇するつもりらしい。そんなある日のことだった。

「圭司、これは誰の曲?」
 いつものようにヘッドホンで音楽を聴いていた圭が、また片耳の方を外して圭司に聴いた。圭はお気に入りの音楽が見つかると、こうやって圭司に曲名や歌っている歌手の名前を聞くのだ。だから、圭司もいつものことと思い、何も気にせずに圭が外したヘッドホンの片側から漏れる音に耳を近づけた。
 ——俺の、曲だ。
 音楽を諦めてガラクタと一緒に箱の中にしまっていたはずのカセットテープから、圭司が作った曲が流れている。
「これ、どこにあった?」
「この箱に入ってたの」
 そう言って圭はカセットテープがたくさん入った箱を差し出してきた。どうやら引越しの時に慌てていたので圭司が何も考えずに、全部まとめてその箱に突っ込んだみたいだ。テープには圭司が作曲したがどこにも採用されなかった曲が10曲ほど入っていたはずだ。
「あー、俺が作った曲かな……」
 少し照れながら圭司が言う。
「えーっ! 圭司って曲が作れるの? すっごーい!」
 すると本気で驚いている圭の反応に、むしろびっくりする。
 ——いや、全く売り物になりませんでしたがね。
 作った時は名曲ができたと思い込んでいたのが今更ながらに恥ずかしいが、そういう自分の中の黒歴史を圭司はグッと飲み込んだ。
「コツを覚えれば、誰でも作れるようになるよ。音楽なんてそんなもんさ」
とその時は「そんなこと大したことじゃない」と平静を装いお茶を濁したつもりで言ったのだが。
「私にも教えて!」
 あれほど音に対する感性が高い彼女がそう言い出すことは今にして思えば必然だったのだ。それが圭にギターを教え出したきっかけだった。
 最初は圭司のギターで練習を始めたのだが、彼女の体にはギターが大きいせいだろうか、圭の歌に感動したあの初めてのドライブの時ような感性が感じられず、ちょっと意外だった。妙にリズム感を感じないのだ。
 音階とコードを教えるとそこはすぐに理解したみたいだが、どうにもリズム良く右手がピックを動かせない。
 ——まだ子供だからかな。
 そう思いながら、圭司は練習を止めて休憩をとり、店のお昼の開店時間に間に合うように、2人の早めのお昼ご飯を用意した。その間にも圭はギターの練習に余念がなかった。
「圭、ご飯食べようよ」
 圭司が声を掛けると名残惜しそうに圭は練習をやめて食卓についたのだが、その時になって圭司は初めて気がついたのだ。
 ——俺は、バカなのか! 圭は左利きじゃないか!
 そうなのだ。圭のギターのリズムが狂っているのは、利き手が違うのだ。毎日一緒にご飯を食べているくせに、そこに全く思い至らなかった。圭司は間抜けな自分に大いに反省するのだった。

 そこで店のランチタイムが終わるといったん店を閉め、圭司はステラと圭を連れて近くにある楽器店へ向かうことになった。もちろん左利きの女の子用のギターを買ってあげるためだった。
「私が自分のギターを持つ日がくるなんて! ああ、神様はなんて罪作りなことをするの! お勉強する時間がなくなっちゃうじゃないの! きっともうこのギターで私も3曲は作れるようになったに違いないわ!」
 いちいち大袈裟な表現で喜ぶ圭が、新しいギターで作れると思う曲がなぜ3曲だったのかは未だにもって圭司はわからないが、買ってもらった新しいギターを愛おしそうに抱えながら、空まで飛んでいってしまうほど舞い上がりながら神様と圭司に感謝の言葉を並べたのは言うまでもあるまい。
 ところで、圭司がふと気がつくと、ステラはキーボードの前に立っている。鍵盤に指置いてCの和音を鳴らす。
「あれ? ステラってピアノかなんかやってたの?」
 圭司が話しかけると、
「施設にはピアノはなかったけど、小さなキーボードならあったのよ。これでも少しは弾けるのよ」
と言いながら、ビートルズの「レット・イット・ビー」のイントロ部分をゆっくりと弾き出した。するとすぐ近くに圭が来て、ステラの弾くキーボードに合わせて歌い出したのだ。そのうち店内にいた人たちが、いつの間にか少しずつ2人の周りを取り囲むように集まり2人の演奏と歌を楽しんでくれていた。
 そんなことがあって、結局48鍵のリーズナブルな日本製のキーボードも「ロックオブジャパン」に置かれることになった。
 ちなみに、圭のレット・イット・ビーは赤盤を聴いて覚えたみたいだ。青盤が入ったテープも聴いたらしいが、彼女はどちらかというとビートルズは初期のシンプルな曲たちが好きだと言っていた。

 圭司が圭にギターを教え始めてしばらく経った頃、どこかで聴いたことがあるような曲を圭が歌い始めた。歌詞は英語になっており、曲もかなり大胆にアレンジされていたが、間違いなく例のカセットテープに吹き込んでいた圭司が作ったアメリカへの憧れを歌った曲「遥かなる大地」だ。アレンジだけでこんなにも良い歌に生まれ変わっている。
 ——そうか。こんなアレンジにしたら、もっといい曲になってたんだな。
 圭の歌を聴きながら、しみじみとそんなことを思う圭司だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

処理中です...