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メリンダの記憶
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マサチューセッツに着いた2人は、ロバートからもらったメモを頼りにサスペンダー氏がいるという老人ホームへ向かった。ボストン近郊の海辺にある白い外観が綺麗な平家の建物だった。
受付の女性にサスペンダー氏への訪問を伝えると、ロビーから外に出た海の見える芝生の広場にいると教えてくれた。近くまで案内してもらい、言われた特徴の人物を見つけた。車椅子に腰掛けて海を見ており、後ろに少し離れて介護士らしき男性が立っている。
「サスペンダーさん?」
背中から声をかけると彼は上半身を少しだけ動かして首だけ振り向き、「ああ、どなたかな」と、返事があった。
圭司と圭はそのまま歩いて車椅子に座るサスペンダー氏の前に立った。
「ニューヨークから来ました。高梨圭司と言います」
「それはまた遠いところから。さて、私らどこかで知り合いでしたかね」
サスペンダー氏は一旦はじっと圭司の顔見たが、興味なさそうにまた海に視線を戻した。
「ストロベリーハウスのサスペンダー氏に少し昔話を聞きたくて来ました。サスペンダーさん、この子がわかりますか」
サスペンダー氏は今度はちゃんと視線を合わせた。
「ストロベリーハウスか。懐かしい名前だな」そういうと、圭司の横に立つ圭の顔をじっと見た。「ああ、待て、待ってくれ。そうさ、私は全部覚えているさ。この子は……、そうだな、名前は……」
そこまで言ってサスペンダー氏は視線を落として黙ってしまう。そのとき少し離れたところにいた介護士の男性がそっと近寄ってきて、圭司に小声で「軽い認知症なんですよ」と耳打ちをした。圭司は介護士に「ありがとう」と口を動かし、片手で感謝の意を表した。
「サスペンダーさん、この子はストロベリーハウスにいた圭……、高橋圭という女の子です。実は、この子がストロベリーハウスに預けられた経緯を聞きたくて来たんですが、少しでも何か覚えていませんか」
「そうさ、覚えてるさ。この子はケイだ。うちには東洋人はケイしかいなかったよ。あれからもう2週間になるが、ママはもう迎えに来たかい」
「この子の母親を覚えてるんですか」
「そうだな。メリンダならよく覚えてるだろう。キッチンにメリンダがいるはずだから聞いてみてくれ」
どうやらかなり記憶が混乱しているようだ。メリンダというのはサスペンダー氏の亡くなった奥さんだとロバートから聞いている。
「この子の母親は2週間したら迎えに来る約束でもあったんですか」
さっき「2週間」というキーワードになりそうなことを彼が口にした。圭司は根気よく彼の記憶の引き出しに話しかけた。
「そうさ。12月だったか、とても寒い夜だった。日本から生まれてまもない子供と一緒に人を探しにきたと言ってな。子供がまだ小さいから人探しが難しい、2週間ほどしたら迎えにくるから預かってくれとメリンダに言ってたな。拙い英語だったが理解できたよ。まだ迎えに来ないのかい」
所々時系列が狂うが、まだ少し彼の記憶は生きているらしい。
「母親は子どもと一緒に日本から来たと言ったんですね。——名前とか何かちゃんと書いたものはないんですか」
「メリンダが寒そうだから、しばらくならと言ったら、彼女はとてもうれしそうだった。必ず迎えにくると言ってたから詳しくは聞かなかったよ。ああ、子供の名前だけは紙に書いてもらったな」
「その名前を書いた紙はまだありますか」
「そうだな。メリンダが子供を引き取りに来るまでしまっておくと言ってたから、どこかそこらの引き出しにでも入ってないかな。メリンダに聞けばわかるはずだ」
そう言ってサスペンダー氏はキョロキョロとあたりを見回した。どうやら過去と今に境目がないようだ。
「サスペンダーさん、もうひとつだけ……」
「なんだい、水くさい。トムと呼びなよ。友達なんだろ」
いつの間にか圭司とサスペンダー氏は友達になっていた。そのとき隣にいた圭が突然、「トム? アンクル・トム?」と何かを思い出したようにいうと、サスペンダー氏は、「やあ、ケイ。今日はダディと一緒かい」と優しそうな笑顔で答えたのだ。
「うん」
先ほどからの圭司との会話でサスペンダー氏の状況を子供ながらに察したのだろう、圭はためらいもせずにそう頷いた。
「ごめんよ、今日はケイの大好きなミルクキャンディがポケットに入ってないみたいだ」
サスペンダー氏はポケットをゴソゴソ探りながら悲しそうな顔をした。
——人がよすぎて。
ロバートの言葉を圭司は思い出す。本当に優しい人だったのだろう。すると、
「アンクル・トム、さっきもらったよ」と圭がそう言いながら左の頬を指さすと、ぷっくらと頬が膨らんでいた。
——おや、いつの間に。
圭司が訝しげに圭を見たが、確かに左頬はキャンディを転がすように動いている。圭はパチンと圭司にウインクをして少し口を開けた。
——ああ、舌か!
「美味しいよ。私、トムのミルクキャンディが大好き」
圭はそう言って座っているサスペンダー氏の右手に手を添えた。サスペンダー氏はその手を取ると、軽く圭を抱き寄せた。
受付の女性にサスペンダー氏への訪問を伝えると、ロビーから外に出た海の見える芝生の広場にいると教えてくれた。近くまで案内してもらい、言われた特徴の人物を見つけた。車椅子に腰掛けて海を見ており、後ろに少し離れて介護士らしき男性が立っている。
「サスペンダーさん?」
背中から声をかけると彼は上半身を少しだけ動かして首だけ振り向き、「ああ、どなたかな」と、返事があった。
圭司と圭はそのまま歩いて車椅子に座るサスペンダー氏の前に立った。
「ニューヨークから来ました。高梨圭司と言います」
「それはまた遠いところから。さて、私らどこかで知り合いでしたかね」
サスペンダー氏は一旦はじっと圭司の顔見たが、興味なさそうにまた海に視線を戻した。
「ストロベリーハウスのサスペンダー氏に少し昔話を聞きたくて来ました。サスペンダーさん、この子がわかりますか」
サスペンダー氏は今度はちゃんと視線を合わせた。
「ストロベリーハウスか。懐かしい名前だな」そういうと、圭司の横に立つ圭の顔をじっと見た。「ああ、待て、待ってくれ。そうさ、私は全部覚えているさ。この子は……、そうだな、名前は……」
そこまで言ってサスペンダー氏は視線を落として黙ってしまう。そのとき少し離れたところにいた介護士の男性がそっと近寄ってきて、圭司に小声で「軽い認知症なんですよ」と耳打ちをした。圭司は介護士に「ありがとう」と口を動かし、片手で感謝の意を表した。
「サスペンダーさん、この子はストロベリーハウスにいた圭……、高橋圭という女の子です。実は、この子がストロベリーハウスに預けられた経緯を聞きたくて来たんですが、少しでも何か覚えていませんか」
「そうさ、覚えてるさ。この子はケイだ。うちには東洋人はケイしかいなかったよ。あれからもう2週間になるが、ママはもう迎えに来たかい」
「この子の母親を覚えてるんですか」
「そうだな。メリンダならよく覚えてるだろう。キッチンにメリンダがいるはずだから聞いてみてくれ」
どうやらかなり記憶が混乱しているようだ。メリンダというのはサスペンダー氏の亡くなった奥さんだとロバートから聞いている。
「この子の母親は2週間したら迎えに来る約束でもあったんですか」
さっき「2週間」というキーワードになりそうなことを彼が口にした。圭司は根気よく彼の記憶の引き出しに話しかけた。
「そうさ。12月だったか、とても寒い夜だった。日本から生まれてまもない子供と一緒に人を探しにきたと言ってな。子供がまだ小さいから人探しが難しい、2週間ほどしたら迎えにくるから預かってくれとメリンダに言ってたな。拙い英語だったが理解できたよ。まだ迎えに来ないのかい」
所々時系列が狂うが、まだ少し彼の記憶は生きているらしい。
「母親は子どもと一緒に日本から来たと言ったんですね。——名前とか何かちゃんと書いたものはないんですか」
「メリンダが寒そうだから、しばらくならと言ったら、彼女はとてもうれしそうだった。必ず迎えにくると言ってたから詳しくは聞かなかったよ。ああ、子供の名前だけは紙に書いてもらったな」
「その名前を書いた紙はまだありますか」
「そうだな。メリンダが子供を引き取りに来るまでしまっておくと言ってたから、どこかそこらの引き出しにでも入ってないかな。メリンダに聞けばわかるはずだ」
そう言ってサスペンダー氏はキョロキョロとあたりを見回した。どうやら過去と今に境目がないようだ。
「サスペンダーさん、もうひとつだけ……」
「なんだい、水くさい。トムと呼びなよ。友達なんだろ」
いつの間にか圭司とサスペンダー氏は友達になっていた。そのとき隣にいた圭が突然、「トム? アンクル・トム?」と何かを思い出したようにいうと、サスペンダー氏は、「やあ、ケイ。今日はダディと一緒かい」と優しそうな笑顔で答えたのだ。
「うん」
先ほどからの圭司との会話でサスペンダー氏の状況を子供ながらに察したのだろう、圭はためらいもせずにそう頷いた。
「ごめんよ、今日はケイの大好きなミルクキャンディがポケットに入ってないみたいだ」
サスペンダー氏はポケットをゴソゴソ探りながら悲しそうな顔をした。
——人がよすぎて。
ロバートの言葉を圭司は思い出す。本当に優しい人だったのだろう。すると、
「アンクル・トム、さっきもらったよ」と圭がそう言いながら左の頬を指さすと、ぷっくらと頬が膨らんでいた。
——おや、いつの間に。
圭司が訝しげに圭を見たが、確かに左頬はキャンディを転がすように動いている。圭はパチンと圭司にウインクをして少し口を開けた。
——ああ、舌か!
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