シング 神さまの指先

笑里

文字の大きさ
68 / 97

歌姫

しおりを挟む
 女将さんが訥々と話を続けた。

「いや、春にアメリカに渡るって挨拶にきてから、それっきり。ねえ、あんた、圭司の行き先って聞いてないよね」
 私が大声で呼んで厨房からあの人が出てきながら、「ああ、俺もアメリカとしか聞いてないな」ってかぶりを振ると「やっぱりそうですか——」って紗英ちゃんは少し残念そうな顔でね。
「キクちゃんには? キクちゃんなら、なんか知ってないかい?」
「菊池さんにはなんか聞きにくくって。こんなお腹みたら菊池さん、絶対大騒ぎするでしょ?」紗英ちゃんがクスッと笑ってさ。
「聞きにくいんだけどさ、もしかしてお腹の子の父親って……」
 私だって、言わなくてもだいたいはわかるんだけどさ、一応、ね。
「まあ、それは今更どうでもいいんだけど」って紗英ちゃん、本当にどうでもいいやって顔して肩をすくめるからさ。
「えっ? だって圭司を探してんでしょ?」
「うーん、もう私は無理。だってもう顔見るだけで腹たつもん。相手の嫌なとこばっかり気になるようじゃさ」って下向いちゃって。
「でも、どうすんの。これから」
「もちろん、一人で育てるつもり」
「子育てってそんな簡単なもんじゃないでしょ」
「でも、子供の前でケンカばっかりしてる親って最低でしょ。それくらいなら一人でなんとか頑張るつもりだから」
 男の出る幕じゃないなって、うちの人も諦めてさ。
「じゃあ、なんで圭司を探してたの?」
「一度だけ、会ってさ、子供見せつけて言ってやりたいの。この子が将来大きくなってあんたに会ってみたいって言ったときにさ。会ってみたらこの子が悲しむような、くっだらない生活してたら、絶対私が許さないよって。それだけは、どうしてもそれだけは言っときたいって——」
 ポロポロいっぱい涙流して。止まらなくなって。うちの人はオロオロしてるし、ほんっとこんなとき、男って役に立ちはしない。


 ——口が乾ききって喉がカラカラだ。


 さんざん泣いて、泣いて、そして泣き止んだと思ったら今度は笑ってさ。
「あー、スッキリした」って。
 それだけ言って、「じゃあ、帰ります」って席を立ってね。
 帰り際に私が、「その子、いつ生まれるの」って聞いたら、そしたらさ、すごくうれしそうな顔して振り向いてさあ。
「私の大好きなアムロちゃんと同じ誕生日になるかも」ってVサインまで作って店から出ってたよ。アムロちゃんって、歌手のあの子だろ? 歌姫とかなんとか。
 そして紗英ちゃんはそれっきり——

 うちの人も流石に心配してさあ。キクちゃんには一応あんたの行き先知らないかって聞いてみたけど、知らないって言われちゃったらしいよ。でも、本人がいいって言うのを、勝手にあんたの実家に言うわけにもいかないかって。あれからずっと、もしあんたが帰ってきたら、あんたが帰ってきたらって随分気に病んでたんだよ?
 それから二度と紗英ちゃんも顔を見せなかったから、どうなったのかね。あんた、本当に紗英ちゃんとは会ったことないかい? もしかして、アメリカまで紗英ちゃん、会いにこなかったかい?


 女将さんから別れ際、形見だと思って持ってって、蓮さんの使ってた前掛けを持たされた。綺麗に洗濯してビニールに入れてあった。

 帰りの電車に揺られながら、圭司は帰ってきたときと同じようにボーッと景色を眺め、女将さんの話をなん度も思い返した。
 こんな大事なこと、知らない、でいいわけはない。いいはずがない。

 いいか。紗英ちゃんを探せ——

 何かに掴まっていなければそのまま電車の床にへたり込みそうな気分になりながら、必死に蓮さんの最後の言葉を思い出していた。

 俺のせいだ——
 日本にいるのは後三日。俺は、いったい何をしたらいい——

  ⌘

 家に帰り着く。圭はまだ帰ってなかった。学校が終わってすぐ東京へ向かい、ラジオ番組で新しいアルバムの宣伝があったらしい。
 正直、よかったと思う。今、気持ちが動揺し過ぎていて、せめてあの子が帰ってくるまでに少し落ち着ければいいが、と思う。
 ステラは史江やまた遊びにきた圭太の姉と楽しそうに話をしている。圭司が帰ったことに気がつくと、「おかえり」と手を振って、アルバムだろうか、熱心に見ながらまた笑っていた。彼女らは圭司が今夜は恩人の葬式があったことを知っている。自分が元気がなくても何も思わないだろう。
 一人で部屋に上がり、喪服を脱いでハンガーに掛け、ささっと埃を取った。二階へ上がる前に冷蔵庫から出した缶ビールを開けたとき、路上でさあっと明かりが動いて玄関の前に車が止まるのが見えた。圭が帰ってきたらしい。
 しゃんとしなければ。圭司は自分の両頬を両手のひらでバシッと叩いた。

 ——後三日だ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

処理中です...