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失意と真意
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「私、なんで早く気がつかなかったんだろ!」
圭がニューヨークへ帰ってきたと聞いた史江は、そう言うが速いか電話持ったまま立ち上がり、ダダダっと二階へ駆けて行った。事情がわからない高梨家に集合した面々も、何事かと慌てて後をついて階段を駆け上がった。
史江はそのまま圭の部屋に入ると、圭が貴重品を置いている引き出しを開け、「やっぱり——」とパスポートを手にしてじっと見つめている。
「西川先生、パスポートが何か……」
恵が何が起こっているのかわからないという顔で、史江が手にしているパスポートをみた。史江は、ふぅっとため息をついて、腰から砕け落ちるようにその場に座り込んで、そのパスポート開いてみんなに見えるように掲げた。
「これは、日本のパスポートなのよ。あー、気がついてたら、もっと早くわかったのにい」
史江はそう言って天を仰いだ。だが、まだ誰も史江の言葉を理解していないらしい。お互いに顔を見合わせたとき、
「あっ、そうか。圭ちゃんはパスポートは日本とアメリカの二つを持ってた。契約のときに私も見せてもらったはずだったのに! 私もすっかり忘れてた」
と恵が素っ頓狂な声を上げた。
確かにそうだった。未成年の圭は、まだ二重国籍だ。二十歳になったら国籍選択の義務があるが、今はまだ選択する必要がない。
圭にはアメリカ人と日本人の二つの顔があったことに、このときになってやっと理解したとき、
——フーミン、聞いてる?
と、史江が手にした携帯電話の向こうから圭司の怒鳴る声が聞こえて、史江はまだ通話中だったことを思い出したようで、慌てて「聞いてるよー」と返事をしたのだった。
圭司の電話に代わって出た圭は、史江に、「ちょっと帰りたくなって、つい飛行機に乗っちゃった。ごめんなさい」と笑っていたという。
だけど——
そんなつもりで飛行機に乗ったはずがないじゃないか。誰に告げるでもなく突然姿をくらましても、これだけみんなに心配をかけても、彼女を誰も怒ろうと思わないのは、彼女が立ち上がれないほど傷ついていたことを知っていたからだ。そして、その深く傷ついた圭の心を癒せるのは、おそらくあの子にとっては世界中で圭司さんとステラさんだけなんだろうな。俺たちじゃなく、もちろん俺じゃなく——
そんなことを思いながら、圭太は史江が置いたパスポートを手にして、じっと見つめていた。
「おい、圭太」
そのとき突然ムーさんから声をかけられた。
「あのさ、俺たちはOJが活動できなくなっても、みんなそれぞれの楽器で食ってく自信があるんだよ。だから俺たちのことは気にすんな」
「えっ? なんすか、突然」
「あの子はお前が見つけた原石なんだろ? デビューさせた以上、最後までちゃんと磨いてやる義務がお前にはあるんだぜ。だからその先がどうなるか知らないが、とりあえず行ってこいよ、ニューヨーク」
⌘
改めて史江からことの次第を詳しく聞いた圭司は、去年の暮れだったか、今年の初めだったか、ロック・イン・ジャパンに訪れた「慇懃無礼な男」のことを思い出していた。
きっとあいつの仕掛けたことだろう。絶対間違いない。それくらいのことを平気でやりそうな奴だった。顔も今でも覚えてる。今度会ったら、絶対許さねえぞと怒りが溢れてきた。
だが、不思議なことに目の前にいる圭は、そんな暗い影が全く見えなかった。むしろとても明るい様子で、よく笑い、チャキチャキと店の手伝いをしている。
何かいろんなことが吹っ切れたような、そんなふうにも見える。ステラも不思議そうな顔で圭の動きを追っていた。
ところで、圭の背負ってきたリュックには、私服が入っていないらしい。忘れちゃったと照れ笑いを浮かべている。なぜ制服のままニューヨーク行きの飛行機に乗ったのかはわからなかった。
ニューヨークの部屋に残っている圭の服は、子供の頃に着ていた服ばかりだ。着られる服は全て日本に送ってある。当面はステラの服を着ることになったが、小柄な圭には少し大きいのは仕方ないだろう。
気になるのは、彼女はこれからどうするつもりなのか、まだ何も言わなかった。日本でそんな事件があったことを聞いてしまった圭司とステラも、日本へはもう帰らないのかとか、どうも聞きにくい。とにかく圭が自分で言い出すまで、今は静かに見守ろうとそう決めた。
⌘
土曜日、圭がニューヨークへ帰ってきてから四日経った。相変わらず日本でのことを何も話そうとしないし、これからどうしたいかも言わないが、聖華学園へはしばらく休むことを史江に頼んで届けてもらっていた。
その夕方、ロック・イン・ジャパンの開店前のことだ。
カウンター席に座って雑誌を読んでいた圭が、突然驚いたように立ち上がって店の入り口の方を振り返り、そして駆け出した。
「どうした、圭」いったい何事だ。
「圭太がいる——」
圭は圭司の方を一回振り返ってそういうと、今度は店の扉に手をかけて大きく開放した。すると、アコースティックギターをチューニングする音が店内に流れ込んできた。
圭司とステラもバタバタと圭の後を追いかけて店の外に出る。
そこにはギターを抱えた髭面の若い男——圭太が立っていた。
圭がニューヨークへ帰ってきたと聞いた史江は、そう言うが速いか電話持ったまま立ち上がり、ダダダっと二階へ駆けて行った。事情がわからない高梨家に集合した面々も、何事かと慌てて後をついて階段を駆け上がった。
史江はそのまま圭の部屋に入ると、圭が貴重品を置いている引き出しを開け、「やっぱり——」とパスポートを手にしてじっと見つめている。
「西川先生、パスポートが何か……」
恵が何が起こっているのかわからないという顔で、史江が手にしているパスポートをみた。史江は、ふぅっとため息をついて、腰から砕け落ちるようにその場に座り込んで、そのパスポート開いてみんなに見えるように掲げた。
「これは、日本のパスポートなのよ。あー、気がついてたら、もっと早くわかったのにい」
史江はそう言って天を仰いだ。だが、まだ誰も史江の言葉を理解していないらしい。お互いに顔を見合わせたとき、
「あっ、そうか。圭ちゃんはパスポートは日本とアメリカの二つを持ってた。契約のときに私も見せてもらったはずだったのに! 私もすっかり忘れてた」
と恵が素っ頓狂な声を上げた。
確かにそうだった。未成年の圭は、まだ二重国籍だ。二十歳になったら国籍選択の義務があるが、今はまだ選択する必要がない。
圭にはアメリカ人と日本人の二つの顔があったことに、このときになってやっと理解したとき、
——フーミン、聞いてる?
と、史江が手にした携帯電話の向こうから圭司の怒鳴る声が聞こえて、史江はまだ通話中だったことを思い出したようで、慌てて「聞いてるよー」と返事をしたのだった。
圭司の電話に代わって出た圭は、史江に、「ちょっと帰りたくなって、つい飛行機に乗っちゃった。ごめんなさい」と笑っていたという。
だけど——
そんなつもりで飛行機に乗ったはずがないじゃないか。誰に告げるでもなく突然姿をくらましても、これだけみんなに心配をかけても、彼女を誰も怒ろうと思わないのは、彼女が立ち上がれないほど傷ついていたことを知っていたからだ。そして、その深く傷ついた圭の心を癒せるのは、おそらくあの子にとっては世界中で圭司さんとステラさんだけなんだろうな。俺たちじゃなく、もちろん俺じゃなく——
そんなことを思いながら、圭太は史江が置いたパスポートを手にして、じっと見つめていた。
「おい、圭太」
そのとき突然ムーさんから声をかけられた。
「あのさ、俺たちはOJが活動できなくなっても、みんなそれぞれの楽器で食ってく自信があるんだよ。だから俺たちのことは気にすんな」
「えっ? なんすか、突然」
「あの子はお前が見つけた原石なんだろ? デビューさせた以上、最後までちゃんと磨いてやる義務がお前にはあるんだぜ。だからその先がどうなるか知らないが、とりあえず行ってこいよ、ニューヨーク」
⌘
改めて史江からことの次第を詳しく聞いた圭司は、去年の暮れだったか、今年の初めだったか、ロック・イン・ジャパンに訪れた「慇懃無礼な男」のことを思い出していた。
きっとあいつの仕掛けたことだろう。絶対間違いない。それくらいのことを平気でやりそうな奴だった。顔も今でも覚えてる。今度会ったら、絶対許さねえぞと怒りが溢れてきた。
だが、不思議なことに目の前にいる圭は、そんな暗い影が全く見えなかった。むしろとても明るい様子で、よく笑い、チャキチャキと店の手伝いをしている。
何かいろんなことが吹っ切れたような、そんなふうにも見える。ステラも不思議そうな顔で圭の動きを追っていた。
ところで、圭の背負ってきたリュックには、私服が入っていないらしい。忘れちゃったと照れ笑いを浮かべている。なぜ制服のままニューヨーク行きの飛行機に乗ったのかはわからなかった。
ニューヨークの部屋に残っている圭の服は、子供の頃に着ていた服ばかりだ。着られる服は全て日本に送ってある。当面はステラの服を着ることになったが、小柄な圭には少し大きいのは仕方ないだろう。
気になるのは、彼女はこれからどうするつもりなのか、まだ何も言わなかった。日本でそんな事件があったことを聞いてしまった圭司とステラも、日本へはもう帰らないのかとか、どうも聞きにくい。とにかく圭が自分で言い出すまで、今は静かに見守ろうとそう決めた。
⌘
土曜日、圭がニューヨークへ帰ってきてから四日経った。相変わらず日本でのことを何も話そうとしないし、これからどうしたいかも言わないが、聖華学園へはしばらく休むことを史江に頼んで届けてもらっていた。
その夕方、ロック・イン・ジャパンの開店前のことだ。
カウンター席に座って雑誌を読んでいた圭が、突然驚いたように立ち上がって店の入り口の方を振り返り、そして駆け出した。
「どうした、圭」いったい何事だ。
「圭太がいる——」
圭は圭司の方を一回振り返ってそういうと、今度は店の扉に手をかけて大きく開放した。すると、アコースティックギターをチューニングする音が店内に流れ込んできた。
圭司とステラもバタバタと圭の後を追いかけて店の外に出る。
そこにはギターを抱えた髭面の若い男——圭太が立っていた。
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