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1巻
1-3
彼のお父様が取締役を務める水嶋グループは、金融、自動車製造、製薬、建設、観光などを幅広く展開している大企業だ。私の父が経営する倉木コーポレーションとは比べものにならない規模である。
政略結婚なんて、互いにメリットがあるからこそ成り立つわけだけど、水嶋の家と、私の実家とでは、企業としての力に差がありすぎる。
この結婚で利になることは、どう考えても倉木のほうが多いのだ。水嶋家にとっては、私たちの結婚が破綻したとしても、大した痛手ではないはず。
「燈哉さんには、私のことを構わなきゃいけない理由なんてないんだよね。お互いが派手に遊んだりしなければ、結婚って事実があるだけで世間体は保てるわけだし」
「うーん……」
「頑張らなきゃいけないのは、私のほうなんだよ。余計なことを言っちゃいけないし、燈哉さんの嫌がることもしちゃいけないって思って我慢してたんだけど……」
「半年、ね。随分長いこと我慢したわねぇ」
「うん……もう鬼のように長かった……。禿るかと思った……」
「禿てもおかしくないと思うわ。ストレスは頭皮にいきやすいもの」
「とにかく会話が成立しないのがストレスでね。家事をやっちゃだめならだめで理由を教えてほしいのに、黙っちゃうし」
私が熱弁を振るうと、カナはなにやら難しい顔をして黙り込んでしまった。
「カナ、聞いてる!? 無口は燈哉さんだけで十分なんだけどっ」
「聞いてるわよ。人として、いろいろ問題ありって感じはするのよね……。桜の存在を気にかけてるの自体はいいことなんだけど、やり方がなんっか強引で気に入らないし。無口な割に顔色は忙しいってのも、ちょっと引っかかる」
「あぁ、顔色は確かに忙しいね……。赤くなったり青くなったり……。だからその思いを口にしていただきたいのよ私はっ」
「家の都合で結婚したわけだし、嫌われてなさそうなら放っておけばいいって思うけど。なにもしなくても文句言われないんだから、楽でしょう。でも、桜はそうじゃないわけだ」
「うん、楽じゃない……。全然楽じゃない……」
「つまり、あれでしょ? ただでさえ桜にとっては贅沢な空間に、自分のことを気にかけてる旦那がいて、なにもしないで過ごすのは嫌なんでしょう?」
「そうっ、そうなんだよ!」
「楽してりゃいいのに。桜らしいわ」
カナのハイペースに釣られるようにして呑んでいたら、あっという間にワインボトルが空になってしまった。
ボトルを抱えたままソファに転がって考えてみても、やっぱりわからない。でも、わからないからっていじけていたら、なにも解決しない。そんなの絶対に嫌だ。
傅かれる生活も、なにもしないでただ暇な時間を過ごす生活も、真っ平御免。
政略でもなんでも結婚は結婚で、私は彼の奥さんになったんだから。
「うん、やっぱり頑張ってコミュニケーションを取るしかないね。あの口をこじ開けて、いつか爆笑を……!」
「え、爆笑必要?」
「うん。そのほうが楽しいじゃない。一発ギャグでもするべきかな?」
「頑張る方向違うって」
じゃあどうすれば……、と頭を抱えると、カナはなぜか目をキラキラと輝かせて言った。
「ねぇ、桜は旦那とヤる覚悟はあるのよね?」
「えぇ!?」
話の方向をガラッと変え私を驚かせた彼女は、涼しい顔をしてクラッカーをかじっている。
「夫婦なんでしょ? 当然のことじゃない」
「や、私もそれなりの覚悟はしてたよ。してたけど、燈哉さんとそういう雰囲気になったことないし」
「桜、処女だもんね。いい雰囲気になったとしても、気付けると思えない。旦那も男なんだから、溜まる生き物なのよ?」
「ど、どっかで発散してるんだよ、きっとっ」
「ほぼ毎日、仕事終わりにまっすぐ家に帰ってきて? 休日も桜にべったりなのに?」
「なにその言い方! べったりしたことなんかないわ!」
「精神的にってことよ。よしわかった、桜と旦那が仲睦まじい夫婦になるために、私も協力するわ。作戦は任せて」
「だから言い方……っ、別に仲睦まじくしたいんじゃなくて、私は普通の生活を送りたいってだけで……」
「まずはそうね、夜は寝室で寝てもらうようにお願いしてみなさいよ」
あまりの急展開ぶりに、全く付いていけない。
お掃除ロボットのモーター音が、無駄に広いリビングに静かに響き渡る。
すかさずカナから視線を逸らしてそちらを注視すると、お掃除ロボットは充電のために基地へと戻るところだった。
私は君が充電しにいくところを見るのがすっかり日課になっているよ……、かわいくて好きだ……
「はい、作戦会議から逃げない」
「逃げたくもなる!」
カナはタイトスカートから覗く足をやたら上品に組み替えて、呆れたようにまたため息を吐いた。ため息恐怖症の私には辛いリアクションだ。
「あんたたち夫婦の問題なんて、他人から見たらすっごい簡単よ。桜の考えは間違ってないと思うわ。コミュニケーションを取ればいいだけ。そうすれば、爆笑を拝める日もすぐかもね。とりあえず寝室で寝るように、話してみなさいよ。ヤるかヤらないかは旦那次第だし、元々覚悟してたならいいじゃない」
「ねぇ、なんでヤるとかヤらないとかいう話になるわけ……! 意味わかんない。これ以上謎を増やさないでくれる!?」
話は終わった、とばかりに立ち上がる彼女のあとを追う。
「謎でもなんでもないわよ。一緒の寝室で寝ることになったら、すぐに訪れる展開でしょ。とにかく、ソファで寝るのが体によくないのは事実なんだし、ちゃんと提案してみなさいよ。そういう方向から攻めれば、うまくいくから」
「あれ、待って、そういう話だったっけ!?」
「まぁ、またなんかあったらいつでも聞くから。じゃ、頑張って」
「適当! 酷い!」
私がしつこくくい下がってみても、カナはどこ吹く風で玄関へ向かう。そしてすでに、ピンヒールのパンプスに足を入れている。彼女が、諦めの悪い私の頬をぐいっと引っ張ったところで、玄関のドアが開いた。
冷たい空気が一気に流れ込んで来て、カナに引っ張られて伸びきっている頬に当たる。
「と、燈哉、さん……」
夫の不在時に友人を家に上げ、昼間から酒盛りしていたこの状況がうしろめたくて、ぱっと視線を逸らしてしまった。
一瞬見た彼は、どうしてか、お酒を呑んでいる私と同じくらい頬を上気させていた。その上、肩で息をしていて、コートが必要なこの季節に汗まで光らせていた。
「こんにちは。ご主人がお留守の間にお邪魔して申し訳ありません。桜の友人の、上原カナと申します」
ようやく私の頬から手を離したカナが口を開いた。その姿は完全によそ行きに武装していて、声色まで違う。
一方(書類上の)旦那様は、玄関に人がいたことに驚いたのだろう。珍しく驚いた表情を露わにしたまま、小さな声で「どうも」と呟いた。
「あら、桜にお土産ですか?」
カナの声を聞き、なんの話だ、と疑問に思い彼の手に視線を飛ばす。するとそこには両手サイズの白い箱が握られていた。
「ええ、まあ」
気まずそうに顔を歪めた彼が、白い箱を大きな体のうしろに隠す。そしてそのまま、そっぽを向いた。
そんな彼を見たカナは、大きな瞳を三日月みたいに細めて、それはそれは楽しそうに笑った。こういう顔をする時、彼女は大抵余計な一言を放つのだ。
「愛妻家ですね。安心しました。そうそう、桜が、ご主人にお話があるそうですよ。聞いてやって下さい。お邪魔しました。桜、またね」
腕を引いて止めに入っても、カナは私の手を蚊でも叩くようにぱちんと弾く。そうして、するりと家から出て行ってしまった。
予想通り、とんでもない爆弾を落とした彼女の背を見送ってから、天を仰ぐ。真横から送られてくる彼の視線が、矢のように突き刺さる。「カナってば余計なこと言いやがってもう困っちゃいますー」なんて、フランクに言葉を発せたらどんなに楽だろう。
残念ながら、私と彼の間に、そんな気安い関係性は築かれていない。
「お、おかえりなさい……」
視線に耐えられなくなり、なんとかにっこり笑ってそう言ってみた。
「……ただいま」
やっと返してくれるようになった帰宅時の挨拶。彼の目がなんとなく怖く見えるのは、気のせいだと思いたい。
私は戦々恐々としながら、彼と並んでリビングへと向かった。
4 旦那さん、絶望する。
リビングのローテーブルを片づけている妻を、俺――水嶋燈哉は凝視してしまう。
彼女の姿はどこか落ち着きがなく、視線も泳いでいるように見える。
これから妻にされるであろう話は俺にとってもっとも聞きたくない話題で、絶望的なまでに気分が落ち込んだ。
やはり、数日前に彼女を怒らせてしまったことが原因だろう。
彼女との結婚生活が始まってからというもの、かなり浮かれていたのは自覚している。
それでも、自分としては常に最善を尽くしていたつもりだった。
入籍してから彼女を怒らせてしまうまでの半年間は、ただ幸福の中にいた。休日はその最たるものだ。彼女と長い時間同じ空間で過ごせる。彼女の買い物へ付いて行ける。なんと言っても、休日だけは三食彼女の手料理を食べることができる。
彼女がせっかく声をかけてくれても、どう答えればいいのかわからず、押し黙ってしまう自分にため息を吐く瞬間も多々あった。それでも彼女の側にいられる幸せを噛みしめて、日々を過ごしていた。恐らく、そういう浮かれた部分が、いけなかったのだろう。
――どうして家事をさせてくれないんだ、ジェスチャーやため息ではなく、きちんと言葉で話せ。
あの日、彼女はそう言って怒った。
俺が意識的に行っていた振る舞いこそが、彼女の怒りに触れたのだ。
どうしてだろう。なぜ、怒らせてしまったのか。
怒りの原因を提示されても、情けないことになぜそうしてはいけなかったのかわからない。
「あの、きゅ、休日出勤お疲れ様です。今日は、お帰りが随分早かったんですね」
声が上擦っている様子すら愛らしい。
今この瞬間も、妻のすべてがかわいくてかわいくて仕方ない。
だからこそ、その分、焦りと不安が大きくなる。絶望も。
「……通常業務ではないからな」
妻と会話をする時は、落ち着いた話し方をするように心掛けている。最低限の言葉で済むように、ともすれば、自分としてはかなり冷たい話し方になるように。
結婚生活に焦りと不安が生まれてからも、彼女と長い時間を共に過ごせる休日が至福であることに変わりはない。
だから今朝、どうしても出社して欲しいと連絡を受けた時は、仮病でも使ってやろうかと本気で考えた。そんなことはできるはずもないから、考えるに止めたけれど。
渋々出社し、トラブルを解決した後すぐに迎えの車を呼んだ。一刻も早く帰宅したかったから。
しばらく待っていると、運転手から『渋滞にはまって到着が遅れる』という報告を受け――俺は瞬時に『電車で帰るから、迎えはいい』と伝えた。あの時の運転手の声は、ものすごく驚いていた。そして、その時、近くにいた秘書は呆れた表情を隠そうともしなかった。
しかし俺は構わず会社を出て、近くのケーキ屋に駆け込んだ。近頃、すっかり常連になった店の店員には、未知の生物でも見るかのような目を向けられてしまった。『釣りはいらないから急いでほしい』という一言が余計だったのだろうと、少し冷静になった今ならわかる。
久しぶりに切符を買った。久しぶりに電車に乗った。少しの時間も待てなかった。
一秒でも長く、彼女と共に休日を過ごしたかったから。
「あの……、すみませんでした」
控えめに俯いたその様は、玄関の外まで聞こえるような溌剌とした声で話していた彼女とはまるで別人だ。
妻が謝ることなど、なにもない。なにひとつ。なにを詫びることがあるというのだろう。
つい、眉間に皺が寄ってしまう。彼女といると感情を隠すのに酷く苦労する。表情を取り繕う努力はしているが、咄嗟のこととなると、まだボロが出てしまう。
「燈哉さんが休日出勤をなさっている間に、勝手に友達を呼んで、しかも昼間からお酒を……、呑んでしまいました。すみませんでしたっ!」
空になったワインボトルには、リビングに入ってすぐに気付いていた。なるほど、どうりで妻の柔らかそうな頬がいつもより赤みを帯びているわけだと、納得はしたが不愉快な気持ちになどなるはずがない。
友人を招いて酒を呑むくらい、なんの問題もない。ここは彼女の自宅なのだから。
それでもなお、すまなそうに顔を歪めて、上目遣いで俺を見る彼女。身長差は三十センチ以上。百五十センチと小柄な妻が俺を見る時、上目遣いになるのは必然と言える。必然だ。わかってる。
けれど……、下から見上げるような仕草の、かわいらしさといったら。どうして、妻はこんなにもかわいいのだろう。
口元が勝手にふにゃふにゃと笑みを作ろうとする。それを、必死に堪えた。
「それから、友達が変なことを……。あの、カナの言ったことは忘れて下さい。なんでもありませんから」
友人への怒りを、思い出したのだろうか。彼女の眉間にも皺が寄る。そんな表情もかわいくてたまらない。
しかし、浮かれている場合じゃない。今、彼女が持ち出した話題は、俺を絶望に突き落とすだろう。
――婚姻という事実だけがほしかったわけじゃない。
「倉木」の家の娘だから、彼女と結婚をしたわけでもない。
自分と同じような境遇なのに、眩しいくらいに強くて優しい彼女だから、こんなにも焦がれて止まないんだ。
彼女に愛されたくて、滑稽にも偽りの自分を演じてしまうほどに。
どれだけ馬鹿げたことをしているのか、自分でもわかっている。
「俺に話があるのなら、言ってくれ」
そう言った俺を見て、妻が驚いている。
彼女の話すことならばなんでも聞きたいし、願いは叶えたい。
とはいえ、聞きたくない、叶えたくない願いもある。
……どうしても考えてしまう。なにがいけなかったのか、と。すべきことは貫いたし、この瞬間にも貫いているはずだ。
「え……と、いや、でも……」
妻は戸惑いながら呟き、果てには小さな手で頭を抱えて唸りだした。
苦悩しているのは、きっと自分の実家のことだろう。いらぬ苦悩だと教えてやりたい、けれど……、悪いが絶対に言わない。
妻がこれから口にする願いは、俺にとってはもっとも叶えたくない望みだ。すぐに手放してやれるほど彼女への想いは軽くない。執着心は自覚している。
意を決したように、妻が唇を引き結んだ。それは彼女がなにかを話し出す前の癖のようで、結んだ唇は口角が上がっていて、とてもかわいらしい。
「も、もし、嫌じゃなかったらなんですけど……、ん……? 嫌じゃなかったらソファでは寝ないだろうから……あれ、やっぱり嫌なのか……!?」
……ソファ? ……寝る?
俺の顔の横、斜め上を見ながら首を傾げて、妻は自分の発言に自分で訂正を入れている。
妻の話したい内容には心当たりがあったが、それはソファにも寝ることにも、結び付かない。
俺も思わず首を傾げそうになったが、慌ててそれを止めた。
ジェスチャーはだめだ。彼女が嫌がっていたから。
「そのー、つまり……、ソッ、ソファで寝るのは体によくないんです!」
「……え?」
「だから、一緒に寝ませんか!?」
「えぇっ!?」
予想外の話に驚いたあまり、またボロが出た。
思い切りリアクションしてしまったことを悔やんでも、後の祭りだ。
先日妻を怒らせてしまったこともあり、話の内容は離婚したいという旨一択だと思っていた俺は、あまりの驚きに思わず叫んでしまった。最悪だ。一瞬、艶っぽい意味での「寝る」を想像したため動揺を隠しきれなかったのだ。
ただ俺の出したボロに、妻は気付かなかったらしい。自分の発言に驚いて、慌てふためいていた。
妻の持ち出した話題が「離婚」に関したものではなかったことに、とりあえず安堵する。
妻に対しては微塵も自信を持てない俺の情けなさが、思考へ如実に表れている。するりと入り込んでくる不安や焦りは簡単に大きくなり、制御できない。とことん不甲斐ない……
しかし安堵は束の間だった。彼女の言葉を思い出す。
寝室で、一緒に、寝る?
……申し訳ないが、それも聞けない頼みだ。
「すぐには無理だが、努力はする」
自分でも呆れるような馬鹿な返答に、妻はなにも言わなかった。
しかし「意味がわからない」と顔にはっきり書いてある。当然だ。ソファで寝るのが体に悪いことなんて、子供でも理解できる。
それでも俺には、精神衛生上聞けない提案だった。妻の前でそういう素振りを見せたことはないから、彼女には絶対、理解できない理由だろう。
とはいえ妻から一緒の寝室で寝るよう提案されてしまったことに、少なからずショックを受けている。つまり彼女は、俺が隣で眠っても平気だと考えているということだ。それは……男として致命的じゃないだろうか。
その日、俺の顔色が終始優れなかったのは言うまでもない。
――彼女の理想の男になれる日は、まだまだ遠いようだ。
5 奥さん、旦那さんの誕生日とクリスマスに思いを馳せる。
『すぐには無理だが、努力はする』
その言葉の意味がさっぱりわからないまま十二月に入った。もう二週間もすれば、クリスマスがやってくる。
夕食の片付けを終えた私は、キッチンの隅に立ち、ここ数週間のことを思い出していた。
(書類上の)旦那様の寝床は、今もリビングのふかふかソファのままだ。相変わらず家事も阻止されるし、質問に対して一言以上返ってくることは少ない。彼のほうから話をしてくれるわけでもない。
それでも、以前よりはいくらか会話は増えたし、彼の表情がわかりやすく変化することも大分多くなった。無視されたり、すべてを「ああ」で済まされていた時とはまるで違う。
カナの作戦とやらは結局失敗に終わったわけで、ヤるとかヤらないとかいう局面も迎えていない。
冗談でも誇張でもなく、ヤることについての覚悟ならある。政略結婚なら、子作りは義務だと思うから。跡取りがいないとなれば問題になるだろう。
……もしかして『すぐには無理だが、努力はする』って、私とそういうことをする気になれるよう努力するって意味なのかしら。
それはそれでちょいと失礼じゃないか、と、私は若干切なくなった。私だって別に積極的に望んでるわけじゃありませんからと毒を吐きたくもなる。
彼は私のことを、そういう目では見ていないのだろう。とはいえ、人として嫌っているレベルではない……と思う。以前より会話は増えたし、関係も進展している、はず!
というわけで、ここらで私は、また新たなコミュニケーションを試みようと思う。
彼とは政略結婚という関係上、知り合ってから結婚までの期間が三ヶ月。その間、ふたりきりで会ったのは三度だけだ。それもすべて式の打ち合わせのためだった。つまり、一緒にどこかへ出かけたことがないのだ。
結婚してから何度か日用品の買い物には行ったけど、どこにも寄らず目的の物を買って帰って来ただけ。「お出かけ」とは到底言えない。
外へ出て、いつもと違う環境に私たち夫婦をおいてみたら――
ひょっとしたら、なにか変わるかもしれない。家の中にいるよりも話題だって増えるかもしれない。
折しも、約二週間後の十二月二十三日は彼のお誕生日。「お出かけ」に誘うには持ってこいのイベントだ。
クリスマスも近いけれど、私はクリスマスにそこまでワクワクを感じられない残念な女の子日本代表なので、そっちのイベントは毎年割とスルーしている。クリスマスツリーやキラキラなイルミネーションを見るのは好きでも、特別なにかしようとは思えないのだ。
実家にいた頃は、全体的にアホな父の企画したアホなクリスマスパーティーに強制参加させられていたから、余計にそう思うのかもしれない。クリスマスが近付くと「ああ……また親父のいかれる季節がやってきた……」とげんなりしてしまう。
今年は彼と過ごすことになるわけだから、それについてのお伺いは、すでに立ててある。燈哉さんが、全体的にアホな父のように、クリスマスに命をかけている可能性が全くないとは言い切れなかったから。
返答は「なんでもいい」とのことだったので、特別なことはしなくていいだろうと思っている。
二十三日は、彼の生まれた日だから、少しでも喜んでもらえるような一日にできたらいいなと思う。喜んでもらえるプレゼントも送りたい。正直、喜ぶ顔なんて全く想像できないけど、そのためになにかを考えるのは私の勝手だろう。
無理に誘うような真似だけはしないと心に決めて、大きく息を吐く。お断りの返事がきたらさっさと引き下がるぞ。余計に距離ができちゃうといけないから。
(書類上の)旦那様は、お風呂から出ていつものようにソファに座ってコーヒーを飲み、まったりしている。もう少しするとパソコンとの睨めっこが始まってしまうから、その前に、突撃だ。
「燈哉さんっ!」
張り切りすぎて、思ったよりも大声が出てしまった。そんな私を、彼は不思議そうに見上げている。結婚当初の彼ならば、ここで首を傾げるだけだった。でも、今は違う。
「どうした?」
そうして、ちゃんと言葉にしてくれる。返ってくる言葉がどれだけ短くても、その意味をクイズのように考えることになっても、私の訴えを行動に反映してくれているのはわかっている。私は嬉しくなって、彼ににっこりと微笑んだ。
「あの、二十三日って、お休みですか?」
「二十三日は……祝日だから休む予定だ」
タブレットを操作してスケジュールの確認をしてくれた彼は、パーカーと、スエット素材のズボンを身につけている。
パーカーが妙に似合うのは、私と同類の童顔さんだからかな、と思ってすぐに、こんなにもお顔が綺麗な人と自分を一括りにしたことが、死ぬほど恥ずかしくなった。
「なにか予定はありますか? ご両親や、お友達とかと……」
「いや、なにも」
「じゃあ、もっ、もしよかったら、なんですけど」
多分赤くなっているであろう自分の頬を、掌でちょっと隠してみる。
やっぱりちょっと……いや、だいぶ恥ずかしい。なんせ男性をお出かけに誘うなんて初めてのこと。でも今止めたら、きっともう誘えない気がする。気合いを総動員して必死に口を開いた。
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