なんて素敵な政略結婚

ぴよこ

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番外編

憔悴の理由①

『今から帰ります。』

 燈哉さんからのメールが届いた時、時刻は午前一時を回っていた。

 返信を打つ前に、お風呂の追い炊きスイッチを押す。
 それからキッチンに向かい、IHの電源を入れてフライパンを取り出した。
 アルミホイルに野菜を敷き詰めて鮭を乗せ、料理酒を注いで塩と胡椒をふって。
 船のような形にアルミホイルを包んでから、フライパンで蒸し上げる。

 大根を摺り下ろして、煮物とお味噌汁を温めている頃に玄関のドアが開く音がした。

 小走りで玄関に向かえば憔悴しきった旦那様と、視線がぶつかる。

「おかえりなさい」
「ただいま…」

 靴を脱ぐこともせずに、彼が縋るように手を伸ばすから、私も手を伸ばして大好きな胸元に顔を埋める。 

「お疲れさま」

 背中をぽんぽんと軽く叩けば、腕の拘束が強まる。 

「ん…ありがとう」

 声色からも疲労を感じた。
 この所、燈哉さんの帰宅は連日真夜中で、休日もない。もう二ヶ月近くそんな生活が続いている。

「毎日待っていてくれてありがとう」
「ううん」

 最近はこんな風に、待っていることに対してありがとうと言ってくれるようになった。
 さすがにこうも忙しい日が続けばご飯を食べるよりも眠りたい日もあるだろうし、起きて待っていることが燈哉さんのプレッシャーになったらと悩んでいた私にとって、その感謝の言葉はとても嬉しくて。
 桜が起きて待っていてくれることが嬉しいと言ってくれた時は、本当に嬉しかった。

 結婚した頃、こんな未来は想像も出来なかった。

「先にお風呂入る?」
「んー…」
「ごはんもすぐ食べられるよ」
「んー…」
「燈哉さん、ここで寝ちゃだめだよ。寝るならベッドに行こう」

 立ったまま寝ようとしている燈哉さんの肩を、そっと揺らす。
 日ごと憔悴していく様が心配でたまらない。

「ごはん…食べる」
「大丈夫?無理しなくても…」
「桜の作ったご飯が食べたい」
「でも、」
「もう桜の作ったもの以外胃が受け付けない…」

 それは本格的にやばいんじゃないか。
 冗談を言っている様には見えないから、余計に心配になる。

「ああっ!お味噌汁!火かけっぱなしだ!」

 ちょっとごめんね!と燈哉さんの肩を押して、腕の中から抜け出す。
 キッチンに戻れば予想通り、お味噌汁がぐつぐつとお鍋の中で煮立っていた。

 今日は珍しく出汁を鰹節から取ってみたのに…!自分的に会心の出来だったのに…!!
 ぐつぐつしちゃったら風味も何も台無しな上に、お隣の煮物も行きすぎな程に煮立っている。

 今私が燈哉さんにしてあげられることと言ったら、これくらいしかないのに。
 桜の料理以外受け付けないって、もしかして珍味にはまっちゃった的な感覚だったらどうしよう…。

「ふ、ははは…っ!」

 夜中のテンションのせいか、ひとり悲劇のヒロインごっこよろしくキッチン台で落ち込んでいる私の後ろから響く笑い声。
 突然の笑い声に驚いて振り向けば、食器棚に体を預けた燈哉さんが正しく爆笑していた。

「ははっ!おっかし、…っ、かわいい…!」

 えっ、どこが!?何がどうかわいいって言うの…!?と、私はひっくり返った声で尋ねた。
 疲労のせいなのか独特の感性をお持ちなのかはとりあえず置いておいて、味噌汁と煮物を沸騰させてへこむ嫁を目睹しかわいいと言う彼がいよいよ心配だ。

「も、桜っ…、なんでそんなに動きがコミカルなの?」
「コミカル…?」

 ん?と顔をしかめて顎に手を当てた私を、彼はさらに大きな声で笑った。

「ははは!腹苦しい…!もうやめて…!」
「わっ、私何にもしてないんですけどね!」

 動きがコミカル。コミカルってどういう意味だ…と私がぐるぐると悩んでいるところすら笑いのツボを刺激するのか、腹を抱えたまま「誉め、言葉…だよ」と途切れ途切れに燈哉さんが言った。
 ぜんっぜん誉められている気がしない!

「はー…」

 笑い疲れたのかさらに憔悴っぷりが進行した燈哉さんの背を押して、ダイニングテーブルに促す。
 人の顔見ていちいち吹き出すので、背中を何回か軽めにどつかせて頂いた。

 いつまでも笑っている旦那さんはとりあえず放置して、料理を運ぶ。
 さすがに夕飯は先に済ませているので、自分の分の紅茶を淹れてから私も自分の席に着いた。

「いただきます」
「はーい。どうぞ召し上がれ」

 料理を口に運ぶごとに「あ~…おいしい…」と、噛み締めるようにして言ってくれるのが、とても嬉しい。
 あと一週間程でトラブルが解決しそうだと聞けば、安堵感と共に喜びが湧いてくる。
 深夜にもかかわらず燈哉さんのお箸の進みは早くて、多めに盛った煮物まで全て完食してくれた。

「ありがとう。おいしかった」
「…今度は沸騰させないように気を付けるね」
「これ、初めて食べた。なんていう料理なの?」
「鮭のホイル焼きだよ。働いてた頃にね、職場の子に教えてもらったんだ」
「桜はいろいろ作れてすごいなぁ。すごくおいしかったよ」

 そう言いながら、頭をぽんと撫でてくれる。
 心地良さに嬉しくなって、でもそれと同じくらい気恥ずかしい。

 自分の料理の腕が大したことないのは自分が一番良く分かってる。
 感想に困る味、とでも言いましょうか。まずくはないと思うけど、料理の過程がいろいろ雑なので特別おいしい仕上がりになるわけじゃない。

 だからこそ、毎日こうやって何を出しても喜んでくれて誉めてもらえると、嬉しいけど恥ずかしくなってしまう。そして申し訳ない。燈哉さんの舌はとても肥えているはずなのに。

「燈哉さんさ、たまにはフランス料理食べたいとか、思わない?」
「フランス料理に挑戦するの?」
「ううん、挑戦する予定はないんだけど」
「じゃあ思わない」
「じゃあって何!?」

 たまには洋食にすることもあるけれど、基本的に私の作るものは和食なことがほとんどだ。
 燈哉さんは肉好きという以外に特にこだわりがないそうで、今みたいに忙しい時期はあっさりした物の方がいいかなと思うから、もう毎日和食にしている。

 私が料理をするようになったのは家を出てからで、それまでは自分で食材を買ったこともなかったから、最初の頃は何を作ったらいいのかすらわからなかった。
 ネットでレシピを検索してみても「一口大」の大きさが分からず。
 動画投稿サイトには、随分お世話になった。実際に作っているのを真似するだけなら、私にもなんとなく出来る気がしたから。

 レシピが解読出来るようになってからは、職場の友達に節約レシピを教えてもらったりして、本格的に自炊をするになった。
 但し今でも一番の得意料理は鍋なんですけどね。切って煮るだけ、スープは市販のやつ。 だって自分で味付けするよりもはるかにおいしいんだもの。

「燈哉さんの実家にも、調理専門の方がいたよね?」
「うん。いたよ」
「こういう料理は食卓には並ばなかったでしょう?」
「親父がイタリアン好きだったから、和食はあんまり出たことがなかったかな」
「イタリアン…それってコースで出てくる?」
「場合によっては」
「だよねぇ…」

 私は半目になりながら遠くを眺めた。確かに水嶋家の食卓に鮭のホイル焼きが並んでいるとこなんて想像出来ない。毎日高級レストランで食事しているのとそう変わらない生活を送っていた彼だから、ご存じないのは当然と言える。

「一人暮らしの時、食事はどうしてたの?」
「自分で作ったり、買ったり。肉料理ばっかりだけどね」
「あの、例えばどういう…」
「んー…、コックオーヴァンとか?」
「フランス料理…!!」
「あっ、でもインスタント食品を食べたりすることもあったよ!あと、コンビニのおにぎりとかも!」
「いいの!ありがとう気を遣ってくれて!!あのっ、今の私には、そういう料理はまだ全然作れないけど、もし燈哉さんが食べたいなら練習するからねっ!」

 旦那さんのお料理スキルと選択するレシピのお洒落加減にちょっと絶望した私は、拳を握ってそう宣言した。
 そんな私の魂の叫びに、燈哉さんは首を傾げてから微笑んだ。すごくすごく、かわいい表情で。

「帰ってくると…いや、休日もだけど。俺のために作ってくれた料理がテーブルに並んでて、さ。それを、こうやって桜と話をしながら食べるのが一番幸せなんだけどな」

 はにかみながらそんなこと言われたら、悶えながら顔を真っ赤にするという、非常に気持ち悪いことになってしまった。
 ああもう、捲り上げた袖からすらりとのびる腕の筋がたまらなくイイ……。
 滲み出る疲れも色っぽくてイイ……。
 ごはんだからネクタイとったみたいだし、ついでにボタンも開けてくんないかな。
 ワイシャツの合わせから覗く胸元から首筋のラインがいつにも増してキレイなんだけどなぁ…!

 頭の中ではしゃぎまくる煩悩と変態を止められない。
 こんなに忙しく働いている旦那さんに対して、だからこそ!と次々湧き上がる煩悩が恐ろしい。心の底から不謹慎極まりない。
 欲求不満と夜中のテンションで頭の中が爆発しそうだ。もうこんな変態嫁はいっそ爆発したらいい。

 それでもなんとか「ありがとう……」と返せば、「こちらこそ」と言葉が返ってくる。

 欲求不満って怖い。
 もしかしたら、私もちょっと疲れているのかも。頭のネジの確認を怠らないようにしよう。変態と煩悩が口と行動に出してしまう前に。
 変態にも羞恥はある。
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