厄災の申し子と聖女の迷宮 (旧題:厄災の迷宮 ~神の虫籠~)

ひるのあかり

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第1章

第129話 引退

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 ガラスに描かれた絵画が砕け散るように、周囲に見えていた全てが粉々に爆ぜて消滅していった。

「ここは・・?」

「宇宙っ!?」

 ロシータとミリアムが声を漏らした。

「まやかしだ。気にするな」

 シュンは周囲へテンタクル・ウィップを伸ばした。

「ユア、ユナ」

「アイアイ」

「ラジャー」

 双子がホーリーレインを使用する。聖水が豪雨となって降り注ぐ中、シュンは黒い触手を頭上へ跳ね上げた。

「カラミティ・・ストライク!」

 聖水を纏わり付かせたテンタクル・ウィップが空間を切り裂いて炸裂音を轟かせた。


ウアァァァァァーーーーー


 どこからか、スコットのものらしい悲鳴が響き渡った。

「カラミティ・・ストライク!」

 シュンのテンタクル・ウィップが振り下ろされる。


イギァァァァァーーーーー


(・・そこか)

 2度目の悲鳴で、シュンは相手の位置を正確に掴んでいた。

「カラミティ・・」

 12本の黒い触手を振り上げる。

「・・ストライク!」

 斜め後方へ向けて鋭く振り下ろした。


ギャァァァァァーーーー


 3度目の悲鳴は、身を振り絞るような大絶叫だった。

 同時に、宇宙のように見えていた周囲の光景が一変して、薄暗い洞窟へと戻っている。

「・・スコット」

 シュンはテンタクル・ウィップを伸ばして、蹲っている人影に巻き付かせると引きずり起こした。
 肌が灰色になり、赤い筋の浮いた顔面には、両眼が赤光を放っているが、スコットの面影を残した顔だ。


カァァァァァーー


 スコットが牙を剥いて威嚇の声をあげて口から赤い閃光を放つ。その口腔を狙って、シュンはVSSを撃った。
 喉を詰まらせるように身を折り、顔を背けようとするスコットの腹部をシュンが殴りつける。

「電撃衝」

 低い呟きがスコットに聞こえたかどうか、身を仰け反らせて眼と口から電流光を放ちながら全身を灼かれて痙攣するスコットの口に、シュンの薬瓶が突き込まれた。

「そろそろ出て来い」

 シュンはスコットの口を抑えて薬液を流し入れると、水霊糸で頭から顎にかけてを幾重にも巻いて固定した。

 直後、スコットが暴れ始めた。
 手足をテンタクル・ウィップで捉えられたまま、身を捩り跳ね上がろうと足掻く。10秒ほどだっただろうか、唐突に、スコットが脱力して動かなくなった。糸が切れた人形のように黒い触手に吊られたままぶら下がる。

『ボス、描いた』

『ボス、いつでもオッケー』

 "護耳の神珠"で双子の囁き声が聞こえた時、動かなくなったスコットの鼻から、ドロリとした鈍色の液体が流れ出て地面へ澱みを作った。

「起動」

 シュンは"護耳の神珠"を指で押さえて指示をした。

『アイアイ』

『ラジャー』

 双子の返事が返る。
 
 その時、地面に澱んだ鈍色の液体が、いきなり躍り上がってシュンを呑み込まんばかりに拡がった。

 一拍にも満たない一瞬の動きだったが、白炎の壁が出現して液体の接近を阻んでいた。

『遅いのです』

 白翼の美少年がシュンの傍らに浮いて液体を睨んでいる。

 鈍色の液体が意思あるものの動きをして、炎壁を前に躊躇い、後退って距離を取る。

「良いのか? そこは死地だぞ?」

 シュンが呟いた時、足下に黄金色の魔法陣が出現して光る文字を浮かび上がらせる。鈍色の液体が何かを感じ取って魔法陣の外へ逃れ出ようとするが、見えない壁に衝突して飛び散ってしまった。

「聖光檻・・闇獄を参考に創作した魔法の檻だ」

 シュンの言葉と共に、聖光檻の内側は光に包まれた真っ白な空間になる。残るは、サヤリの報告にあった翼のある女だが・・。

(・・現れたか)

 光の檻を見つめるシュンの双眸が、右方へと向けられた。そこで微かに気配が動いたようだった。

『人の子が、神の真似事をしおるか』

 不意に女の声が響いてきた。声と共に気配が移ろう。

「これの飼い主か?」

 シュンは声の主を捜して、周囲へ視線を巡らせた。

『お前と無茶な争いをするつもりは無い』

 再び声が響いて、シュンの前に大柄な女が姿を現した。夜会用の長衣を思わせる黒い薄物の背から、黒々とした大きな翼が生えている。真白い肌身を大胆にさらした美しい女だった。角や牙といったものは見当たらないが、金色の瞳だけは蛇のように縦に瞳孔が裂けて見える。

「魔神か?」

『悪魔じゃ』

 白銀色をした長い髪を手で背へ流しながら、女が両腰に手を当ててシュンを睥睨する。

「この男を掠って何をしていた?」

 シュンはVSSの銃口でスコットを指した。

『掠った? 馬鹿を言うでない。そやつめが望んでわらわを招いたのじゃ』

 女が吐き捨てるように言った。

「招いた・・召喚か?」

『どこで覚えたか知らぬが、なかなかの召喚陣を描きおったな』

「悪魔召喚・・」

 シュンは眉間に皺を寄せつつ、離れた場所で見守っているミリアムを振り返った。アルマドラ・ナイトの騎士楯の影で、ミリアムが首を振って見せた。

「人の身で扱えるようなものか?」

『現に、眼の前で人の子が使っておる。お主ならもっと高度な魔法陣を描けるじゃろう?』

 長衣の女がシュンを見ながら笑みを浮かべた。

「・・この男は何を望み、何をやろうとしていた?」

 シュンは少し質問を変えた。訊いたところで、まともな答えは返らないだろうと思ったが・・。

『絶世の美女を召喚しようとしておった』

「・・・・は?」

 シュンは瞠目して声を漏らした。

『妾は大抵の望みなら叶えられるが、絶世の美女という生き物を知らぬ故、どういった女なのかと問うた』

 それに対して、スコットが想い描く理想の女像をことこまやかに説明したらしい。

『じゃが・・困惑すべきことに、聴けば聴くほど人間離れしていくのじゃ』

「・・そうか」

『老いず、汗をかかず、体臭は花の香りで・・もはや、生き物ですら無くなっての。淫魔サキュバスで妥協せよと言ってやったのじゃが、人間が良いだの、街中を連れて歩けないと意味が無いだのと・・困った奴でな』

 女悪魔が溜め息をつきつつ頭を振った。
 スコットがどうしても人間の女が良いと言って譲らず、しかし、絶世の美女でなければ駄目で、おまけに性格まで指定してくるため、とうとう女悪魔も匙を投げて、そんな生き物はこの世にいない、どうしても欲しければ人形でも作って抱いておけと言ったそうだ。

『とうとう、そやつの方が折れての。絶世の美女の人形を作ってくれと、その代わり大量に作って欲しいと・・まあ、そういう話になった』

「ふむ・・」

 シュンには答えようが無い。スコットについてよく知らないのだ。

『しかし、妾はこちらの世界の人間をよく知らぬ。故に、実物を連れてこいと言った。人間の体の造りなど知っておかねば、造りようがないからの』

「なるほど、それで女を連れ出したのか」

 シュンはスコットを見た。

『とりあえず、そやつが欲しがった美人人形を作ってやった。町や湯殿を造ったのはそやつじゃ・・望みを果たした以上、妾は対価を貰わねばならん』

「スコットの命・・魂か?」

『そんな物では到底足りぬ・・他にも何か差し出せと言うたら、そやつが妾《わらわ》に何を提示したと思う? 女に囲まれている美形の男を生け贄にしてくれと言いおったぞ?』

「馬鹿なのか?」

 シュンは首を傾げた。
 途端、女悪魔が吹き出し、身を折って笑い出した。

『あはははは、まったくじゃ! 妾も笑いをこらえるのに必死じゃったぞ!』

「だいたい、美形の男とは何だ? 誰の基準で評価する? スコットの評価か? おまえの評価か?」

『あははは・・いや、もうな・・なんというか、いや・・あははははは』

 女悪魔が身を捩って涙を流しながら笑う。
 その様子を、シュンは憮然とした表情で腕組みをして眺めていた。

『すまん・・これほど笑うたのは何百年ぶりか。笑いで腹が痛むという得難い経験ができたぞ』

 女悪魔が腹をさすりさすり、まだ震えの残る声で言う。

「・・良かったな」

 小さく吐き捨てるシュンを見て、女悪魔が乱れた銀髪を掻き上げて背へ流し、軽く身なりを整えた。

『まあ、そう尖るな。妾も少しばかり呆れてな、いずれにせよ魂を貰い受けることになると脅してやった。すると今度は青い顔をして、やっぱり召喚を中止したいだの、日を改めたいだのと言いだした。それで、少し説教をして妖魔を口からねじ込んでやったのだ。そういうわけでな・・未だ召喚の贄が定まっておらぬのじゃ』

「そんな馬鹿な話があるか」

『うむ、妾もそう思うぞ。実に驚嘆すべき馬鹿な話じゃ』

 そう言った女悪魔の眼が笑っていない。

「・・本当なのか?」

『悪魔に真贋を訊いても仕方があるまい?』

「確かに・・しかし、そうなるとどうなる? おまえが生け贄を求めて迷宮を徘徊すると言うなら、この場で討伐するが?」

 シュンはユアとユナの位置を確認した。聖光檻の魔法陣を描いた後、2人はアルマドラ・ナイトの近くへ退避していた。

『怖いのぅ・・妾はこれでも少しばかり年を経た悪魔じゃ。力もそれなりじゃぞ?』

 女悪魔が紅唇を綻ばせる。

「試すか?」

 シュンは両腕を体の左右へ下ろした。正面に女悪魔を見据えて、体の力を抜いていく。

『そうしたいという思いはあるが・・お主が相手では大怪我をしそうじゃ。妾は痛いのは好かぬ』

 女悪魔に備える気配が無い。無防備に立っているだけだった。

「・・もう1度問う。おまえは、これから何をするつもりだ? あくまでも生け贄を求めるのか?」

『贄を求めぬ悪魔などおらぬ・・が、贄が定まらぬ内に遊びに来てしもうたのは妾じゃからな。あまり欲を張っても仕方があるまい』

「ならば・・」

『お主、好いた女がおるのか?』

 唐突に、女悪魔が訊いてきた。

「いる。婚約をした」

『果報者よな。お主ほどの男を射止めた女は・・』

 女悪魔が、アルマドラ・ナイトの周りにいる少女達へ眼を向けた。ミリアムやロシータの容姿を眺め、その視線を、しゃがみ込んで顔を覆っている小柄な少女達に向けた。

『・・桁違いの神聖気じゃ。物騒なのを連れておるのぅ』

 女悪魔がわずかに眼を細めた。

「あの2人は俺の婚約者だ」

『まさか・・お主ほどの者なら、どんな美姫でも思いのままであろう? なぜ、あのような・・』

「死ぬか?」

 シュンは左手からテンタクル・ウィップを生え伸ばしながら答えた。

『やれやれ、剣呑な奴じゃ・・何度も言わせるでない。妾はお主と戦う気など無い』

「では、どうする?」

『ふむ・・そうじゃなぁ、女を捕まえて揶揄からかってやろうかと思ったが、ちと厳しいのぅ・・何か・・そうじゃ! お主、こちらの世界における妾の主人にならぬか?』

 女悪魔がシュンを見て笑みを大きくした。

「主人?」

『そこの、元召喚主はまだこの世に魂を残しておる。体の方はちと保たぬが・・まあ、死んだとは言えぬ状態じゃ。今なら、お主を召喚主としてすげ替えることも可能じゃ』

「生け贄を与える気は無い」

 シュンは女悪魔を睨みつけた。

『まあ、そう急くな。妾が求めるのは死にゆく者の絶望、悲哀、憎悪・・そうした感情じゃ』

 女悪魔がシュンを見つめたまま紅唇を舌先で舐めて見せる。

「死者の・・なるほど」

『無論、相手は人だろうと、魔物だろうと、もちろん悪魔だろうと構わぬぞ?』

 対象は何でも良いのだという。ただ、はっきりとした感情を持っている生き物ほど上質な負の感情を生むらしい。

「・・期間の定めは?」

『お主が戦いの場で死ぬまでじゃ。最後の果実は、お主になる』

 女悪魔がシュンの双眸を見つめた。

「スコットの命を繋ぐことはできるか?」

 シュンは壊れた人形のように転がっているスコットを見た。

『容易いことじゃ。ただ、そこの肉体はじきに腐り果てるぞ?』

「それでは命を保てないだろう?」

『そやつ用に体を用意してやろう。素体は・・お主に痛めつけられた哀れな妖魔を使うか』

 女悪魔が繊手を振ると、聖光檻の中で小刻みに震えていた鈍色の液体溜がみるみる形を変じて15、6歳くらいの少年の姿になる。スコットを少し小さくしたような容姿だ。

「スコットは罪人だ。それでは罰にならない。少し注文をつけよう」

『ほう? どうすれば良い? 何なりと申しつけてくれ、お主は妾の主人じゃからのぅ』

「去勢してくれ・・可能か?」

 シュンの注文を聴いて、女悪魔がぎょっと眼を見開いてから、すぐに満面の笑みを浮かべて頷いた。
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