骨壺屋 

内藤 亮

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「お待ちしていました」
「やあ! 今日はお店、休みなのかい」
 閉店の札がかかったままの入り口を見て、島崎が不思議そうな顔をした。
「来週から入院することになりまして。午前中は手続きで出かけていたんです」
 島崎は目を見開いたまま、固まってしまった。
「ニ週間ほど入院することになりました。その間、猫の世話をお願いしたいのですが」
「猫のことは任せて。ほかに僕に出来ることはないの?」
「ありがとうございます。お店は休みにするので心配はいりません。ペットシッターの代金はニ週間分ですから……」
 頭の中で計算していると、島崎が言った。
「お金はいらない。僕に出来ることは猫の世話だけ?」
 声に怒りがこもっている。こんなに感情を顕にした島崎は初めてだった。
「あ、はい、すみません」
 どぎまぎしながら慌てて謝った。気詰まりな沈黙が続いた後、島崎がポツリ、と言った。
「何も話してくれないんだね」
「ええと、その、そんなこと、ないです」
 店舗には居酒屋時代の水回りがそのまま残してある。島崎は黙ったまま茶を淹れ、手に持っていた紙袋をがさがさとカウンターに広げた。芋版の押してあるアンティックな和紙の袋から、びっくりするほどたくさんの煎餅が出てきた。
「ここの煎餅、僕のお気に入りなんだ」
「おいしそうですね! いただきます」
 煎餅のおかげで気詰まりな空気が和らいだようだ。さすがの島崎セレクトだった。美味しい煎餅をボリボリと噛りながら、病状を話した。
「ごく初期の癌だそうです。がん治療では最先端の医療機関ですし。だから気が楽なんです」 
 ウソはついていない、と自分に言い訳をして、再発のことは伏せた。島崎の強張っていた顔にやっと笑顔が戻った。
「尚子さんは落ち着いているなぁ。僕なんて、腹を切られたときは、死ぬかと思ったよ」
 そういうと、島崎はおもむろにセーターをまくり上げた。ぺたんこのお腹に傷跡がついている。
「お仲間でしたか」
 だから島崎はほっそりしているのだ、と納得した。
「病気じゃあないよ」
「えっ?」
「痴話喧嘩」
 島崎は声をひそめ、口の形だけでそういった。
「ワオ! 詳しく聞かせてください」
 闘病話よりも、そっちのほうが断然面白そうだ。
「退院したら教えてあげる。帰りを待っているからね」
 喉元に熱い固まりがこみ上げて、ありがとう、と言ういうのが精一杯だった。
「尚子さんが留守の間、こっちに居てもいいかな」
 思いがけない提案だった。語尾が少し上がっている。こちらに選択権を渡すのが、島崎の優しさ&シャイなところなのだ。
「クロ親子が喜びます」
 もちろん、私だって嬉しい。
「ついでに店番をしようか?」
「いいんですか」
「昼間の仕事もやってみたいなって思っていたんだ」
「菊水庵復活ですね!」
「来週入院なのに、準備とかしなくていいの?」
「支度は済んでます。今日は器の値段を決める約束でしょう?」
「そうだった。すっかり忘れていたよ」
「後でレジスターの使い方、お教えしますね」
「う、うん」
「菊水庵の取り分は二割、後は島崎さんの取り分です」
「そんなにいいの?」
「ええ。ほかの作家さんも皆そうなんです」
 ぐい呑み、茶碗、取り皿、湯飲み。どれもシンプルで使いやすい。日常に寄り添い、それでいてさりげなく洒落ている。島崎はこちらが驚くような値段で、無頓着に値段を決めていった。
「これで全部だね」
「こんな値段設定じゃダメですよ」
「どうして?」
「安すぎる値段だと、購入したお客さんが大切に扱わないからです」
「でもなあ。元々、ただでもらった器だし」
「タダ! 銘入りの器を? だからって、この値段じゃあ、あんまりです。有名な作家の作品もあるし。そういう器はちゃんと鑑定書を付けて、それなりの店で売ったほうがいいですよ」
 そう言うと、島崎は困ったような顔をした。
 菊水庵の器は、全て作家の銘が入っている。いい器だなと思って、小鉢をひっくり返してみたら、手彫りの銘が刻んであった。同じ器でも、よく見ると微妙に歪み具合や大きさが違う。もしやと思って、眼の前の湯呑や飯茶碗をひっくり返してみたら、全て銘が入っていて、中には大御所の作品も混じっていた。町の居酒屋が使うには贅沢すぎる器だった。店主に器の由来を聞いてみよう、と思っているうちに菊水庵は閉店してしまったのだ。
「この器は知り合いの女将から譲ってもらったんだ。だから元手はタダ、なんだよ」
「それだけですか? もしかして、お腹の傷と関係がある、とか?」
「む、昔の話しだよ」
 あてずっぽうで言ってみただけなのに、島崎はひどく動揺している。
「なんてことは、どうでもいいんだ。尚子さんの入院はいつ?」
 どうでもよくはない。退院したら色々詳しく聞いてみよう。退院後の楽しみが一つ増えた。
「来週の月曜日です」
「入院の日は一緒に病院に行くね」
「でも」
「病院の場所も知りたいし。僕はそのまま菊水庵に帰ってくるよ。お見舞いにいくから、落ち着いたら連絡して。欲しいものがあったら言いなさい。持っていくから」
 ぐいぐいと島崎がこっちの領域に入ってくる。
「ええと、」
 島崎に早く会いたいのは山々だが、弱った姿を見せるのもイヤだった。弱音をはきそうな自分がこわい。
「僕がいいって言ってるんだから。そういう時は、人に頼りなさい。友達でしょう」
「う、はい。ありがとうございます。よろしくお願いします」
 口調は柔らかだが、有無を言わせない迫力がある。友達、と言われると私も弱い。
「うん。たいへん宜しい」
 島崎が満足そうに頷いた。
「じゃあ、月曜日に。ここで会おう」
「はい。ありがとうございます」
 万一の場合の手続きはとうに済ませてある。貯金はほとんどないが、負債もない。マンションを売れば幾ばくかの現金が残るだろう。わずかばかりの財産は、従妹とその子供たちが分けることになる。 
 あとは。この店はやはり島崎に任せよう。法的に効力のある遺言書は作ってあるが、島崎の名前はない。退院したらその旨も追加することに決めた。借りていた本を図書館の返却ポストに入れ、部屋を片付けた。これで準備完了だ。
 目の前の雑務を片付けていくうちに、生存率4割という数字が少しずつ遠のいていった。島崎やクロ親子が待っていると思うと、俄然やる気が出てくる。孤立無援(自分でそういう状況を作ったのだが)で闘病した前回とは大違いだ。
 粘って戦っているうちに、治療方法だって進歩するかもしれない。現に、数年前よりも、患者の平均寿命は伸びているのだ。ポジティブ思考でいこう、と自分に言い聞かせた。
 やるべき事はやった。あとは寝るだけだ。大あくびをしていたら、寅吉の声がした。
「思ったより元気そうで安心したぜ」

 
 

 



 
    
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