カットサロン◇タムラ

内藤 亮

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「おはよう!」
 久しぶりに茜里の声を聞いたような気がする。
「おはよう。元気にしてる?」
「うん。昨日ね、幸雄君のお寺に遊びに行ったの」
「幸雄さん、でしょ。目上の方よ」
「君でいい、って本人が言ったんだもの。お寺ってすっごく広いの。びっくりよ」  
「訓話でも聞いたの?」
「訓話ってなに?」
「教訓とかためになる話のことよ」
「面白くなさそう。そんなんじゃなくてね、お寺の保育園のお手伝いをしたの。ちびちゃんと一緒に遊んであげたり、お着替えを手伝ったり。おむつも替えたのよ」
「へえ、すごいわね。上手にできた?」
「うん! それからね、幸雄君のお姉さんに同い年の子がいて。まあちゃんっていう女の子なんだけど。その子と一緒に水族館に連れて行ってもらったの。幸雄君、魚のこと何でも知ってるの。びっくりしたわ。まあちゃんはね、算数が苦手なんだって。それで、私が教えてあげたの。一緒に勉強するのって、楽しいわね。まあちゃんは国語が得意なんだって」
「毎日、大忙しね」
「うん。あのね、お母さん」
「うん?」
「もう少しこっちにいていい?」
「いいけれど。宿題はすんだの?」
「もう、ばっちりよ。ね、いいでしょ?」
「おばあちゃんはなんて?」
「いいわよね?」
 電話の声が急に遠くなった。希恵がそばにいるらしい。
「もちろん、いいって」
「おばあちゃんにちょっとかわってくれる?」
「うん」
「千怜さん、そういうわけなの。茜里がいると賑やかでいいわ。今日はね、二人でケーキを焼くのよ。まあちゃんをご招待するんですって」
 希恵の弾んだ声がかえってきた。
 希恵の家への里帰りは、千怜も楽しみにしている。困るのは帰る日だった。希恵はバス停まで見送りに来て、いつまでも手を振っている。一人でも平気よ、と気丈に言うのだが、後ろ髪を引かれる思いだった。帰りの道中は、茜里の口数も急に少なくなるのだ。
「よろしくお願いします。学校が始まる前にはちゃんと帰ってくるように伝えてください」
 そういうと、希恵が笑った。
「はいはい。任せてちょうだい」
 賑やかな雰囲気を伝えたまま、電話が切れた。二人が立て板に水で話すものだから、田村のことを言いそびれた、というか、言わないですんだ。
「茜里ちゃんなんて?」 
「希恵さんの所にもう少し居たいんですって」
「そう。しばらく二人きりで過ごせるね」
  田村はそういうと、額にキスをした。
 駅前の通りは仕事へ向かう人の流れが出来ていた。お盆休みはとっくに終わり、世間は動き始めているのだ。手をつないで歩いていると、行き交う人々が視線をはしらせる。
「あのう、田村さん」
「なに?」
「皆が見てます」
 一児の母は、恋人同士のおててつないで、が、どうにも落ち着かない。
「別にいいじゃない。あのね、見せたい所があるんだ」
 田村は手を引いて歩きだした。
 駅の反対側に抜けると人通りが急に少なくなった。そのまま住宅街を抜け、坂をのぼって行くと、小高い丘が見えてきた。こんもりと雑木林が茂った丘は遊歩道が整備されていて、公園になっている。遊歩道をのぼっていくとぽっかりと開けた広場に出た。
「この時間が一番の眺めだと思うんだ」
 眼下には大きな川がゆったりと流れていて、朝日で川面が輝いていた。朝霧で遠く霞んでいる先は海だ。裕太が還りたいと言った海だ。
 裕太の時間はもう止まっているのに、自分は新しい一歩を踏み出そうとしている。此岸にいる者は同じ所にとどまることはできない。分かっているはずなのに。いつのまにか眼前の景色が滲んでいた。
「使って」
 田村がポケットからハンカチを取り出した。
「ええと、これはその……」
 千怜が慌てて涙を拭うと、田村が静かに肩を抱いた。
「ゆっくりいこう」
 自分に言い聞かせるかのようだった。ゆっくりいってその先には何があるのだろう。
 
 駅へと戻り、サロンと反対の方向に向かった先にあったのは、品ぞろえの充実したスーパーマーケットだった。
「素敵!」
 吟味された野菜や果物が綺麗に並んでいる。値段もそれなりだが、金を払っても惜しくはない、と思わせる品揃えだった。
「こんなに立派なスーパーマーケットがあるなんて、全然気が付かなかったわ」
「最近、出来たんだよ。まず、ここを見せたいなと思って」 
「ワクワクしますね」
「やっと笑ってくれた」 
「さっきはすみません……」
「急ぎすぎていた。ごめん、千怜さん」
「田村さんは悪くないです」
 いつのまにか、サロンに居る時と同じ呼び方になっている。
「そのうち田村さん、じゃなくなるけどね」
 田村が苦笑いをした。
 冷蔵庫はからっぽだったから、思う存分買い物ができる。六枚も扉のついているあの大きな冷蔵庫を好きな食材で満たすのだ、と思うと気持ちが高揚する。料理の材料ばかりカゴに入れていたら、田村が言った。
「ここのデリカッテッセンもいけるよ」
 日頃は、出来合いのものをほとんど買わないから、惣菜コーナーに目がいかなかったのだ。
「じゃあ、それも買いましょう」
 陳列棚にはトレイに美しくならべられたオードブルから、サバの煮つけまで、和洋中の総菜がずらりと並んでいる。根菜類とこんにゃくを煮たごく普通の煮物に、田舎風とうたってご立派な値段がつけられているのには、笑ってしまった。
 買い物の代金はもちろん折半にした。
「やっぱり割り勘なんだ」  
「けじめ、です」
「千怜さんって面白いなあ」
 何が食べたいか田村に訊いたら、要領を得ない返事しか返ってこなかったから、夕飯は自分が食べたいものを作ることにした。
「いつもこんな感じの食事?」
「ええ。でも、鯛はめった出てこないですよ」
 鯛のあら(といってもたっぷりと身がついていた)は塩を振って塩焼きにした。好みでレモンを絞ったり、醤油をかける。あらは骨からいい出汁が出るから、ただ焼くだけで美味しいのだ。トマトとナスとズッキーニはオリーブオイルで炒めてからさっと煮てラタトゥイユにした。スーパーマーケットではありえないような漬け物の値段に少々ビビってしまったが、歯ざわり、香り、味と申し分ない。流石にプロの味だ。漬け物以外は、いつもの手料理だが、田村は大喜びだった。
「千怜さんと一緒なら、毎日こんな美味しいものが食べられるんだね!」
 田村はご機嫌だ。ご機嫌すぎるくらいだった。
 
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