男主人公たちの様子がおかしいのですが、前世を思い出した悪役令嬢は命の危機にさらされているのでそれどころではありません

あいえい

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廃妃の呪いと死の婚姻2-2

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廃妃の呪いと死の婚姻2-2

 帰宅したジェネヴィエーヴとアリアを迎えたナイトリー侯爵家一同は、彼女たちの変わりように唖然とした。これまでジェネヴィエーヴの気まぐれに時々アリアが駆り出されるという時以外は、彼女たちの交流などは無きに等しかった。
それがどうしたことだろう、戻ってきたジェネヴィエーヴとアリアはどこに行くにも一緒で、食事から勉強の時間、休憩時間、入浴までべったりとくっついて離れなかった。果ては寝室まで一緒にすると言い出すに及んでは、侍女頭に流石にとめられたが、ジェネヴィエーヴがどうしてもと言って譲らなかった。最後の砦であるナイトリー侯爵が娘の懇願におれると、彼女たちを静止できる者はいなかった。
 中でも一番驚愕したのはアリアの弟であるノクターンだった。ジェネヴィエーヴがすっかり変わってしまっていることに驚きはしたものの、彼とジェネヴィエーヴはほとんど接点はなかったから、関心もなかったし、たいして気にも留めなかった。しかし、ジェネヴィエーヴの要請に唯々諾々と従う双子の姉に対しては、到底黙っていることなどできなかった。アリアのジェネヴィエーヴに対する傾倒ぶりに眉を顰めた彼は、アリアにいい加減にするように忠告したが彼女は一顧だにしなかった。それどころか日を重ねるにつれて、二人の親密度はいよいよ増していったから、それに比例してノクターンの苛立ちもまた日ごとに増していったのだった。
ジェネヴィエーヴが変わったのは誰の目にも明らかだった。前よりも神経質ではなくなり、無気力な無関心さもすっかり影を潜めていた。感情の起伏も穏やかになり、激することもなくなったから、むしろこの変化を好ましいと思う者達の方が多かった。特にジェネヴィエーヴの側仕えの者たちは彼女の変化を歓迎した。
ノクターンに声を掛けたことなど片手で数えるほどだったジェネヴィエーヴだが、今ではアリアについて毎日音楽室に顔を出し、ノクターンにも親し気に話しかけた。アリア程お人好しでもなく信じやすくもなかったノクターンは、ジェネヴィエーヴの急な変化を大いに警戒し、そう簡単に心を許してしまってもよいものだろうか、あれ程自分たちに無関心だったものがこんなにも級に好意的になるものだろうか、何か裏があるのではないかと、アリアにもたびたび警告したが、その度にアリアは柳眉を逆立ててノクターンの懸念は杞憂に過ぎないと一蹴した。。
「まあ、ノクターンったらなんて薄情なことをいうの。ジェネヴィエーヴは心のお優しい、とても素敵な方よ。それに恩人であるナイトリー侯爵閣下のご令嬢でもあるのに、そんな風に言うなんて、私以外の人が聞いたらきっと恩知らずだと思われてしまうわよ」
 言葉に気を付けてと言ってぷりぷり怒るアリアに、これでは何を言っても無駄だと理解したノクターンは、仕方なくアリアの分もジェネヴィエーヴを注意深く観察していきことに決めた。どれほどジェネヴィエーヴが親切に穏やかな笑みを浮かべながら話しかけても、いつだって彼は心の警戒を怠らなかった。しかし、結局のところ彼は感じやすい少年の一人だったから、花のような微笑みを浮かべたジェネヴィエーヴから、心底感激した様子で
「ノクターンのヴァイオリンの音色は本当に素晴らしいわ」
といって手放しで称賛されると、ジェネヴィエーヴを容易く信じはしないという決意も、ぐらついてしまうのだった。ノクターンの頬はうっすらと赤く染まり、高鳴る鼓動をすぐには鎮めることはできなかった。

 自然とノクターンはジェネヴィエーヴの姿を目で追うようになった。人はそう簡単に変わることはない、特にこれまで性格に難のあった人間が一朝一夕に代わるなど不可能である。今みせている好意や親切だって、きっと貴族特有の気まぐれであって、そのうちぼろを出すに違いない。我ながら狭量な人間だと嫌気がさしたが、人間の良い面しか見ないアリアを守るためならば、自分が嫌な人間になるのも仕方ないと、ノクターンはずっと前に割り切っていた。そうしなければ、幼くして保護者を亡くした彼らなど、親戚の家を転々とする中で早々に離れ離れになり、不幸な生活を送らざるをなかったことだろう。
 注意深くジェネヴィエーヴを観察していたノクターンだったが、その内に、自分の認識は間違っているのではないかと思うようになった。彼の目を通して見たジェネヴィエーヴはひ弱で病弱な少女で、邪なたくらみを以て誰かを害するどころか、誰かの手を借りなければ到底生きてゆくことなどできない脆弱な存在に映ったのだった。
 ジェネヴィエーヴは乗馬をすれば数分で息が上がり、舟遊びをしようとしたものならば桟橋で船酔いに襲われて船に腰かけることすら困難な有様だった。彼女が出来ることといえば庭園の極々短い距離の散歩だけだった。それも途中で何回もベンチで休まなければならなかった。それならばじっと座っているのならば問題はないのかというと、そうも問屋が卸さなかった。心地よいそよ風の吹き抜ける穏やかな昼下がりのことだった。アリアが楽しそうに薔薇を摘んでいるところを、木陰で腰かけながら見守っていたジェネヴィエーヴは、30分と経たずに目を回して動けなくなり、慌てた執事に抱えられながら屋敷に戻らざるを得なくなった。
「ジェネヴィエーヴ様はあんなに体が弱くてこれから生きて行けるのか?」
 思わずそうこぼしたノクターンをアリアはきっと睨みつけた。
「ジェネヴィエーヴ様は毎日必死に闘っておられるのよ!」
 ぷんぷんと怒るアリアに首をかしげたノクターンが、それでは一体何と闘っているのかと訊ねると、途端にアリアは言葉を濁して、はかばかしい返事を返すことはできなくなった。
 ジェネヴィエーヴの部屋では真夏でも暖炉に火を入れる日が度々あった。その日もアリアやノクターンにとっては、吹き抜ける風が気持ちよく感じるような陽気だったが、散歩に出かけたジェネヴィエーヴは厚手のショールを肩に巻き付けていた。散歩の終盤に差し掛かると、アリアの頬は運動で赤く上気していったが、ジェネヴィエーヴの頬は反対に青白くなり、爽やかな風が吹き抜ければ、ブルりとその肩を震わせた。
「気持ちの良い風ね。こんな日に外に出ないなんて勿体ないわ」
 強がって微笑みを浮かべるジェネヴィエーヴの様子に、ノクターンは少し逡巡した後、上着を脱ぐとそっとジェネヴィエーヴの肩にそれを着せかけた。
「無理をなさらないでください。もしもあなたがこの後熱を出せば皆が心配します」
 思いがけず優しいノクターンの台詞に、ジェネヴィエーヴは驚いた表情を浮かべたが、直ぐに頷いた。
「ありがとうノクターン。とても暖かいわ。これならお散歩ももっと楽しめそうよ」
 ノクターンの上着の襟に頬を寄せた彼女の少し恥ずかし気な微笑みを目にして、彼はとうとう降参することにした。
「彼女は良い方だ」
 散歩の後でこっそりと告げたノクターンに、アリアは満面の笑みを浮かべた。ノクターンの耳は赤く色づいていた。
 
 ところで、ジェネヴィエーヴの変化にもっとも戸惑ったのは、ジェネヴィエーヴの婚約者であるクラレンスだった。彼はジェネヴィエーヴが帰宅して二日後にナイトリー侯爵邸を訪問したのだが、そこで彼女の変貌ぶりを目の当たりにすることになった。
「ごきげんよう殿下。先日はお見苦しい所をお見せして誠に申し訳ございませんでした」
 いつもであれば、挨拶もそこそこに彼の横に座って、腕を取り、べったりと身を寄せてくるはずの彼女が、その日は辛うじてよそよそしくは見えない程度の距離を取り、上品に静かに笑みを浮かべるだけだった。今や甘ったるい台詞もなければ、熱っぽい眼差しも影を潜めていた。 今の何の衒いもない落ち着いた彼女の様子を見れば、彼女がクラレンスに恋しているなどと思う人間は誰一人としていないだろう。
クラレンスはジェネヴィエーヴのことを、有益ではあるが面倒な婚約者だと思っていた。彼女の向けてくる愛情は煩わしかったし、度を越した執着には時に苛立ちを覚えた。それでも、名門ナイトリー侯爵家の令嬢という彼女の地位と財力、彼女の父親の持つ権力と影響力は、母親を失った側室腹の第三王子という不安定な立場の彼にとって、なくてはならないものであったし、彼自身そう固く信じていたからこそ、この婚約を受け入れた。貴族同士の婚姻など所生大なり小なり、打算と政治的思惑の産物であり、愛情のない夫婦などごまんといた。多くの人ができて、どうして自分ができないことがあるだろうか。立場の弱い王子に産まれた彼にとって、この婚姻は自分の基盤を固めて地位を向上させるための千載一遇の機会だった。だから、彼にとってジェネヴィエーヴは自身の地位を盤石なものにするための手段以外の何ものでもなかった。
 それでもクラレンスは冷血漢ではなかったから、怪我を負った婚約者を無視することなど到底できなかった。どちらかというと善良で、周りからも心優しい人格者だという評判を得ていたクラレンスとしては、自分の不手際で負傷させてしまった体の弱い婚約者に深い責任を感じていた。
 それが数日ぶりに顔を合わせてみたジェネヴィエーヴときたら、どうしたことだろう。今まで見せたことのないような穏やかで、晴れ晴れとした表情を浮かべて、婚約者の自分よりも隣に座った遠縁の娘だという令嬢の方を気にかけ、自分にするよりもずっと楽し気に話していた。クラレンスは面白くなかった。
「随分と仲がよろしいのですね」
 クラレンスの問いかけに、二人は顔を見合わせると、それはそれは嬉しそうに微笑んでみせた。
「殿下からもそうみえますか。アリアさんは私の初めてのお友達なのですわ。こんなに気の置けないお友達に出会えたことは、私の人生の中でもお父様の娘に産まれたことを除いて、最も得難い素晴らしい贈り物だと思っていますの」
 アリアの手に自らの左手を載せて、ジェネヴィエーヴは頬を染めた。微笑み合う二人はとても親密そうだった。
「ラトクリフ嬢は光の魔力をお持ちだとか。お体の強くないジェネヴィエーヴ嬢にとっては心強い味方でしょう」
 クラレンスはもやもやとした気持ちをぐっとこらえながら、完璧な微笑みを浮かべて、アリアを称賛してみせた。
「もったいないお言葉です」
 恐縮するアリアに対して、ジェネヴィエーヴはうんうんと嬉しそうに頷いている。
「ラトクリフ嬢は謙虚でいらっしゃいますね。ジェネヴィエーブ嬢もすっかりと打ち解けられているようで、婚約者の私としても喜ばしいことですが、少々面食らってしまいました」
 クラレンス殿下の言葉に、顔を見合わせたアリアから促されて、ジェネヴィエーヴは心を決めたように、真剣な表情を浮かべた。
「クラレンス殿下。そのことなのですが」
「はい、何でしょうか」
 ジェネヴィエーヴは一度、視線を自分の膝に伏せてから、眦を決してクラレンスを真正面から見据えて言った。
「これまで私の我儘で殿下には大変なご迷惑とご心労をおかけいたしましたこと、誠に申し訳なく思っております。ことが王家との約束という大事ですので、容易くはいかないかもしれませんが、私はこの不幸なばかりの婚約を解消させていただきたいと考えております。父にも近々存念を申し上げるつもりです。勿論、婚約を解消するに当たって生じる不利益につきましては、全てこちら側で埋め合わせをさせていただきます。ですので、ご不快だとは存じますが、もうしばらくの間は、婚約者でいることをおご容赦いただけませんでしょうか」
 そういってジェネヴィエーヴは深々と首を垂れた。寝耳に水の出来事に驚愕したのはクラレンスである。
「それは、一体どういう意味でしょうか」
「言葉の通りでございますわ。殿下に置かれてはこの婚約を、いいえ、私自身のことを婚約の当初からご不快にお思いであったことは存じております。それにもかかわらず、無理を通したのは全て私の過ちでございました。いまさらとお思いではございましょうが、どうか寛大なお心でご容赦いただけませんでしょうか。心からの反省と謝罪の意を表させていただきます。誠に申し訳ございませんでした。そして、それが嘘ではないことの証左として、必要とあらば代理人を立てた上で、ジェネヴィエーヴ・ナイトリ名をかけて、クラレンス殿下との婚約を解消することを御誓い申し上げる旨、証文を書かせていただきます」
 こうべを垂れたまま言葉を続けるジェネヴィエーヴの隣では、アリアもまた深々と頭を下げていた。
 思いがけない告白にクラレンスは戸惑いを隠せなかった。彼は思わず席を立つとジェネヴィエーヴの傍に片膝をついて、肩を震わせる彼女に優しい声で語り掛けた。
「何か誤解があった様です。ジェネヴィエーヴ嬢、どうかお顔をあげてください」
 そう言いながら彼はそっとジェネヴィエーヴの頬に手を伸ばしたが、それに気づいた彼女がびくりと身を震わせると、急いで手を引いた。
「これは驚かせてしまって申し訳ありません。ですが、これだけは言わせてください。ジェネヴィエーヴ嬢はこの婚約を不幸なものだと仰いましたが、私は決してそのように考えていません」
 こうべを上げたジェネヴィエーヴは悲し気に瞳を揺らして、首を左右に振った。
「いいえ。殿下はお優しいからそうおっしゃってくださいますが、今ここで婚約を解消しなければきっと後悔なさいますわ。殿下がこの婚約を不幸なものだとお考えになる前にこれを解消しなければなりません」
 クラレンス殿下はジェネヴィエーヴの瞳に頑なな色を見て取り、動揺のあまり声を震わせた。
「お心は分りました。しかし、ジェネヴィエーヴ嬢が仰ったとおり、王家との約束をそう簡単に反故にすることはできないでしょう。それに、」
 ぐっと言葉を詰まらせたクラレンスは自嘲気味な笑みを浮かべた。ジェネヴィエーヴが初めて目にする表情だった。
「今あなたから見捨てられれば私の立場は悪くなるでしょう」
 ジェネヴィエーヴははっとした。
「ああ、これは詮無いことをいってしまいました。今の言葉はお忘れください。ですが、どうか婚約解消を思い直していただきたいというのが私の本心です。お互いに幼い頃に結ばれた約束です。あれからもう何年も経ちました。愛情とはいかずとも、私たちの間には何らかの絆があると思っていましたし、今でもそう信じています」
 そこで一旦言葉を切ると、伏せていた顔をあげてジェネヴィエーヴをじっと見つめた。
「本日は、これでお暇させていただきます。私達には考える時間が必要なようです。少なくとも私には絶対に必要です」
 傷ついた表情を浮かべるクラレンスに、ジェネヴィエーヴは胸を突かれた。
「ジェネヴィエーヴ嬢、どうかこれだけは約束してくださらないでしょうか。ナイトリー侯爵にはまだ婚約解消の話をしないでいただきたいのです。せめて私の心が決まるまでの間、ご令嬢もきっと待ってくださることでしょう」
 そうして短い別れの挨拶の言葉を告げると、クラレンスは部屋を後にした。

 気づまりな訪問をようやく終えたジェネヴィエーヴは、疲労のあまりどっとソファに倒れこんだ。
「本当にこれでよろしかったんですか」
 不安気なアリアの言葉に、ジェネヴィエーヴは小さく頷いた。
「遅かれ早かれ婚約は解消されることになるのよ。それが少し早まったというだけ。今はまだよいかもしれないけれど、いつクラレンス殿下に思い慕う方ができたとしてもおかしくはないもの。何年も婚約していながら少しの愛情も築けなかった私とは違ってね。だから将来のためにも今、円満に解決しておくことが重要なのよ」
 その運命の相手がアリアだとは口が裂けても言えなかった。原作通りにいけば、あと4、5年もすればアリアは多くの身分の高い優秀で魅力的な紳士たちから求婚されることになるだろう。彼女がクラレンスを選ぶかどうかはわからないものの、アリアの相手が誰であれ、呪いに蝕まれて日常生活もままならない自分が、王族であるクラレンスの伴侶として隣に立つことなど不可能である。今はアリアと聖水のおかげで一時的に呪いの影響を抑え込むことができているが、それだっていつまでもつだろうか。それに、今までの様にクラレンスに対して異常なまでの執着を感じることはなくなった。クラレンスは有能で非凡な人格者だから、将来王国の柱石を担う一人となるだろう。彼を支えるに相応しい女性に、一刻でも早く婚約者の座を譲るべきなのである。
「リリー」
「はい」
 ジェネヴィエーヴの呼びかけに、部屋の隅で控えていたリリーがすっと近づいて来る。
「お茶を頂戴」
 ソファにな折れこんだままジェネヴィエーヴが言うと、リリーは頷いた。
「かしこまりました」
「それが済んだら、衣装室に行くわ」
 ジェネヴィエーヴはクッションに顔をうずめながら言った。

 衣装室とはナイトリー侯爵夫人専用のドレスルームのことである。当代の令夫人が不在である現在、その部屋は閉ざされている。実は、その部屋の奥には更に扉が続いており、歴代の令夫人たちが身に着けた宝石類やドレスを始めとした品々のほか、遺しておくべきだと判断された貴重な遺品の数々が保管されていた。
 記憶を取り戻したジェネヴィエーヴはナイトリー侯爵夫人であったクリスティーンの線から、その姉のクレメンティーンの手掛かりを探すために、ナイトリー侯爵邸の図書室や保管庫を探し回った。しかし、はかばかしい成果を得られず頭を抱えていたところ、乳母の一言で件の部屋の存在を思い出したのだった。
「亡くなられたお母様のアマンディーヌ様の、一番上のお兄様のお子様が亡命先でお亡くなりになったそうですわ。あらまあ、ジェネヴィエーヴ様はご存知ではいらっしゃいませんでしたか。伯父様はお国を追われて爵位や領地はすっかりなくしておしまいになったのですが、代々伝わっていらした貴金属を幾つも持ち出していらっしゃったそうですから、それを売りながら身を立てていらしたのですわ。侯爵閣下もずっと援助なさった居ましたが、外国ということもあってなかなか手が回らなかったそうです。お妹君のアマンディーヌ様がお亡くなりになって数年後に伯父様もお亡くなりになって、たった一人のお嬢様が遺されていらっしゃりました。御歳はまだ40歳にはなっていらっしゃらなかったそうですが、生涯結婚はなさらなかったとか。この度そのお方も流行り病で命を落とされたと、侯爵閣下の元にお手紙が届いたそうです」
 そんな親戚がいたとは全く知らなかったジェネヴィエーヴは吃驚仰天した。ジェネヴィエーヴの母方の親戚はとうの昔に死に絶えていたと思っていたが、まだ生き残りがいたのだ。
「では、私はその方のために一年間、黒いリボンを身に着けるのね」
 鏡に映る自分を眺めながらジェネヴィエーヴはつぶやいた。
「左様でございます。それと、そのお方にはご兄弟姉妹もいらっしゃいませんので、ジェネヴィエーヴ様が最も近しい親族に当たるのですわ。ですので、ジェネヴィエーヴ様に形見分けの品がございますそうですよ。アマンディーヌ様のご実家に代々受け継がれてきた装身具の一つで、アマンディーヌ様が御輿入れの際にお持ちになったものの対になるお品物だそうです。侯爵閣下はアマンディーヌ様の物と一緒に保管されるのがよろしいだろうと仰っていました。ジェネヴィエーヴ様が社交界デビューなさった暁にはそれらの御品もご使用になられましょうからと」
 そんな品物の存在など知りもしなかったジェネヴィエーヴは、聞くともなしにその話を聞いていたが、ハタと思い当たることがあって乳母を振り仰いだ。
「ところで、お母様の遺品はどちらに保管されているの?」
「歴代の侯爵夫人の皆様の遺品と共に、女主人の衣装室の奥にある専用のお部屋に大切に保管されておりますよ」
 歴代侯爵夫人の遺品庫があったなんて。
「そのお部屋に入ることはできて?」
 乳母は歴代の侯爵夫人の遺品といった。大昔の物もあるのだろうか。どれ程古い時代の物が?もしかして、その中にクリスティーンにまつわる品々も残されているのではないだろうか。ジェネヴィエーヴの心に微かな光明がさした。
「勿論でございます。現在のナイトリー侯爵家に女主人たるお方はジェネヴィエーヴ様を置いてございません。まあ、こんなにご興味をお持ちになるとわかっていましたら、もっと早くにお話しするのでしたね。早速、侯爵閣下にお伝えいたしましょう。鍵は家令が管理しているはずですから、閣下の許可が下り次第すぐにご案内いたしますわ」
 乳母の言葉に、ジェネヴィエーヴはパッと表情を明るくした。
「ええ。お願い」
 
 ――そして後日。
 お茶の時間を終えたジェネヴィエーヴは、アリアと連れ立って侯爵夫人のドレスルームへと向かったのだった。
歴代の侯爵夫人を飾り立ててきた衣装の数々を目にして、アリアは瞳を輝かせた。目移りしてともすれば足の止まりがちなアリアを促して奥へ奥へと進んでゆくと、そこには乳母が言った通り別の部屋へ続く扉があった。侍女のリリーとは部屋の前で分かれて、アリアと二人きりになると、ジェネヴィエーヴは早速部屋の捜索に取り掛かったのだった。
衣裳部屋の奥の扉を開くと、様々なものが年代別、品物別に整理陳列されていた。ざっと見渡して分かったことには、手前には最も使用頻度の高い宝石などの装身具が、部屋の奥に行くにつれて貴重な品というよりも、当時の令夫人たちが大切にしていた思い出の品々が保管されているようだった。
「ジェネヴィエーヴ様、この一角には手紙や手帳が保管されているようです」
「あら本当ね。他のものと同じで奥に行くほど時代が古くなっているようだわ。手袋を持ってきて正解だったわね。見てちょうだい、これなんか羊皮紙でできているわよ。こちらの手紙は素材がよくないのか、開いたら破れてしまいそうだわ。ピンセットも持ってくるのだったかしら」
 ジェネヴィエーヴとアリアは手袋をはめた手で、用心深くお目当ての品を探し始めた。そうして、長いこと探し続けていたが、中々クリスティーンの遺品を見つけ出すことはできなかった。クリスティーンよりも前の時代の女主人の手紙が発見されたので、古すぎて残っていないというよりも、宝石や装身具などの貴金属はともかく、細々とした手紙の類は処分されてしまったのかもしれなかった。
 期待が大きかった分、ジェネヴィエーヴの落胆は甚だしいものだった。アリアは彼女を痛ましそうに見つめながら、踏み台に乗って保管されていた通りの場所へと、遺品を収めていった。ジェネヴィエーヴも初めは手伝っていたのだが、咳が止まらなくなってしまい、今は少し離れたところで座って眺めていた。
 それが目に入ったのは偶々だった。身長の高くないアリアは踏み台の一番上に乗って慎重に棚に木箱を戻していた。最後の一つを棚に戻そうとしたところ、見えないところで何かに引っかかってしまい、奥まで箱を押しやることができないようだった。さっき持っていた木箱を隣の箱にぶつけてしまったので、その時、何かが倒れてスペースを塞いでしまったのだろう。
 アリアはいったん木箱を床に置くと、踏み台の一番上で背伸びをして棚の奥を覗いた。
「アリアどうしたの。危ないわ」
 心配そうに声を掛けるジェネヴィエーヴに、アリアは大丈夫ですよと返した。
「うーん暗くてよく見えないな。ジェネヴィエーヴ様、申し訳ありませんが、ランプを取ってもらってもよろしいですか?奥に何か引っかかているみたいなんですが、暗くて」
 アリアはジェネヴィエーヴからランプを受け取ると、棚の奥の暗がりにランプをかざした。
「やっぱり何か落ちていますね。もう、少し、で、届きそうなのに・・・」
 精一杯腕を伸ばしても届かなかったのか、アリアは一度踏み台を降りると、きょろきょろを辺りを見渡し、一回り小さな台を抱えて戻ると、踏み台の上にそれを重ねて、そこに登った。ジェネヴィエーヴははらはらしながら、踏み台に手を添えつつアリアを見上げた。
「うーん、もうちょっと。あ、届きました」
 踏み台から飛び降りたアリアが抱えていたのは、一抱え程の包みだった。厳重に封がされている。
「思ったよりもずっしりしていますね。早速中を確かめてみましょう」
 ジェネヴィエーヴとアリアは宝石の並べられたガラス棚の上に包みを置くと、そっと封印を解いていった。紙の包の下には布が何重にも巻かれていた。ぐるぐると巻きつけられた布をはがしていくと、現れたのは何の装飾もされていないシンプルな木箱だった。かぎはかかっておりらず、蓋を開くと更に布に包まれたものが入っている。
「随分厳重に封がされていますね」
 ジェネヴィエーヴが慎重に布包みを解いていくと、そこには紐でくくられた幾葉もの手紙の束と、一冊の日記帳が現れた。ジェネヴィエーヴが紐をほどこうと震える指先で触れると、紐がプツリと切れて落ちてしまった。ようやく手に取ることのできた一番上の手紙には丁寧な女性らしい筆跡で「愛しいCへ」と記されていた。差出人欄には「C」とだけ記されている。他の手紙も同じ筆跡が並んでいた。どうやら差出人はすべて同一人物のようである。続けて、ジェネヴィエーヴは焦る心を抑えつつ日記帳を取り出したが、その下、箱の一番底には四つ折りの大判の紙が収められていた。
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「やりましたね、ジェネヴィエーヴ様!」
「ああ、貴女のおかげよアリア。本当にありがとう」
 二人は手を握りあって喜んだ。 素描に記されていた年代は年鑑に記録されていた内容から鑑みて、クレメンティーンとクリスティーン姉妹が結婚する数年前だと考えられた。
ジェネヴィエーヴとアリアは大切に木箱に手紙や日記帳を納め直すと、ジェネヴィエーヴの私室へと持ち出したのだった。
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