男主人公たちの様子がおかしいのですが、前世を思い出した悪役令嬢は命の危機にさらされているのでそれどころではありません

あいえい

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廃妃の呪いと死の婚姻2-3

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廃妃の呪いと死の婚姻2-3

 木箱に入っていたのはクリスティーンの日記と、クリスティーンに宛てられた双子の姉であるクレメンティーンの書簡だった。一番古い日付の手紙から勘案するに、書簡はクレメンティーンが廃位される1年前後のものようだった。
 手袋をはめた手で古い方から順番に中を改めていく。流麗な筆致で綴られた文章からは、王妃の蹟になるというよりもむしろ、仲の良い妹に対する信頼と親愛の情が見て取れた。

『愛しいクリスティーンへ

 風邪をひいたと伺いました。そんなに悪くないといいのだけれど、あなたは小さい頃からこの時期には体調を崩していたから。おなかの赤ちゃんのためにもくれぐれも無理はしないでください。私の方は相変わらずです。陛下が倒れられてから、側妃の横暴はますますひどくなっています。こんな時にお父様がいらっしゃってくださればと心からそう思います。ですが、こんなことをいっても詮無いことですね。きっとお父様とお母様も天の国から見守ってくださっているはずだもの。ミシェルからの返事はありません。でも、無事に到着しているはずよ。北の砦はこれからの時期雪に閉ざされて行き来をするのは大変になるから、手紙は雪解けを待たなければなりません。でも、きっと耐えてみせるわ。神は乗り越えられる試練しかお与えになりませんから。

いつでもあなたの味方の、Cより』


『クリスへ
 
 侍女のメアリにこの手紙を託します。必ず一人の時に読んでね。私、妊娠したみたいなの。今度こそこの子を守ってみせるわ。まだこの話は私とメアリ以外、誰も知りません。時が来るまでは貴女の胸の中にしまっておいて頂戴。

Cより』


『親愛なるCへ

 お手紙ありがとう。私は大丈夫よ。気持ちは嬉しいけど王宮に来てはダメよ、マルガリータがピリピリしているの。どうやら会議で大臣たちが王子の立太子を認めなかったらしいわ。陛下がお目覚めになるまでは待つべきだというのが大方の見解よ。詳しくはナイトリー侯爵に聞いてちょうだい。早く陛下が目を覚ましてくださいますように。

いつまでも貴女の親友であるCより』

『愛しいクリスティーンへ

 側妃にあのことが露見してしまったかもしれないわ。ここ数日メアリの姿を見ていないの。荷物も何もかも残っているのに、実家にも帰っていない様子なのに、あの優しい娘はどこに消えてしまったのかしら。ああ、王宮で私の味方はもう誰もいないわ。今日もお茶の時間に銀のスプーンが反応したのよ。私はお腹の子を守り切ることができるのかしら。弱気になってはダメね。陛下のご容体が予断を許さない今、この子には私しかいないのだから。そうだわ、ウィリアムを叱らないであげてね。私を心配して宿舎から抜け出してきてくれたのだから。毎日不安ばかりが募っていくわ。ああ、でも何があったも貴女には迷惑が掛からないようにするつもりよ。

いつでもあなたのCより』


 一番最後の書簡はクリスティーンの日記の中から見つかった。それは紙質が悪く、所々ペンが引っ掛かった跡が見受けられた上に、涙だろうか、幾つもの文字がにじんでいた。

『愛する妹へ

 何もかもが終わってしまいました。ミシェルとウィリアムももうお父様とお母様の御許へ召されてしまいました。気がかりなのはエディのことです。小さなエディはどこに行ってしまったのでしょうか。私の愛する家族はもう貴女しか残っていません。ああ、愛するクリスティーン。私は神に誓って陛下を、愛する夫を手に掛けてなどいません。いつも監視されていた私にどうして陛下に毒を盛るような、非道な行いができたでしょうか。悔しい‥(一部棄損が激しく判読できない)
この子が日の目を見ることはないでしょう。私のような女の元に来たばかりに、産声を上げることすらできないこの子が哀れです。でもきっと、天国では生まれてこられなかったこの子の兄弟たちが、この子を優しく迎え入れてくれるだろうと思います。

 また監視の目をかいくぐってこの手紙を書いています。洗濯婦の老婦人のご厚意で私は何とか命を繋いでいます。彼女は私に同情してくださっているようです。敵だらけの中で、こうして救いの手が差し伸べられたことに対しては感謝の念しかありません。もし、彼女がこの手紙を届けてくれた暁には、私の代わりに篤く報いてあげてください。私にはできそうもありません。とうとうマルガリータは私を殺してしまうことに決めたようです。幼い頃、一緒に過ごした幼馴染にこんな仕打ちができるなんて、彼女は悪魔に魂を売ったに違いありません。ここにいると後悔ばかりが胸に浮かびます。なぜ、あんなに私は無力だと思い込んでいたのでしょう。子どもができないからといって、自ら側妃を進めるような真似までして・・・本当に滑稽で愚かな女です。ナイトリー侯爵にも類が及ぶのではないかと危惧しています。けれど、彼はとても頭の良い人だからきっと大丈夫でしょう。マルガリータ達もナイトリー侯爵家にまで手を出すことはできないでしょうから。

 とうとう私にも神の御許に旅立つ日が近づいているようです。最近はいつもひどい頭痛とめまいに悩まされているのですが、今朝は何故かとても頭がすっきりしているの。こんなに体調が良い日はこれが最後の様な気がするので、看守が来る前に筆を執りました。これもきっと神の思し召しだと思います。愛するクリス、私の片翼、私はもうすぐこの世から去る運命ですが、どうか心を強く持って生きてください。貴女には愛する夫と子供たちがいます。

いつかきっとこの手紙が貴女の元に届くことを祈っているわ。

いつまでも貴女の幸福を祈っているCより』


 手紙を読み終えたジェネヴィエーヴとアリアは、言葉を失った。
暫くしてからようやくクリスティーンの日記を開いたのだが、彼女たちの心は千々に乱れていた。彼女の日記は彼女が亡くなる前年まで続いていた。日記によると、双子の姉に謀反の疑いがかかった折、クリスティーンは第三子を死産し、長いこと病床に伏していたようだった。一時は命の淵を彷徨っていた彼女に悲惨な事実を知らせることを、夫のナイトリー侯爵はためらったのだろう、クリスティーンが姉と弟たちに身に降りかかった悲劇を知ったのは、兄弟が処刑されクレメンティーンが幽閉先で命を落としてから数か月も経った後のことだった。
 クレメンティーンは国王毒殺の咎で廃妃、幽閉の身となり、兄弟は処刑され、実家であるオルティス公爵家は爵位を剥奪されて領地、財産共に没収された。一方で、クレメンティーンの手紙に書かれていた通り、彼女たちの敵はナイトリー侯爵家に手を出すことはできなかったようだった。クリスティーンは姉兄弟たちの死に臨んで、自分一人が安楽なベッドの上で何も知らずに過ごしていたことに、生涯苦悩し続けた。
 彼女の元にクレメンティーンの最期の手紙がもたらされたのは、オルティス公爵家の没落から数年後のことだった。ナイトリー侯爵の領地にある屋敷に見ずぼらしい身なりの男が訪ねてきて、これを都にいる奥様に渡してほしいと頼んだのだ。亡き母親の遺言で、必ずこの手紙を届けるようにと言われたのだと話した。その男の母親とは、幽閉されたクレメンティーンの世話をしていた老婆だった。
こうして、紆余曲折の末、クレメンティーンの最期の手紙は、彼女の死後数年を経てようやくクリスティーンの手元へと渡ったのである。


―月―日
 ああ、今日クリスティーンの手紙が届いた。何年も経ってからこうして私の元に届いたのは奇跡というしかない。彼女の最期の手紙!私はこれを開ける勇気がない。こんなことではいけないのに。愛する姉が最後に遺した手紙。勇気を出すのよ、クリスティーン。


―月―日
 漸くあの手紙を読むことができた。なんてかわいそうなお姉様!どれほどつらく、苦しかったことか。あんなに望んでいた子供だったのに。ああ、勿論よクレメンティーン、誰が貴女の無実を疑ったりするものですか。誰が何と言おうと貴女は無実です。あなたほど夫を愛し、敬い、尽くした女性はいなかったわ。かわいそうなクレメンティーン。善良な貴女が毒を盛るなんてできっこない。命の危機にさらされていたのは何時だってあなたの方だったじゃない。貴女は事故だって言っていたけれど、貴女の流産は絶対にあの女の仕業に違いないわ。政敵に毒を送るのはあの女のお家芸だもの。ああ、何もできない自分が悔しい。ジョージも今は動く時ではないと言っている。クレメンティーンを殺した汚らわしい女は今や国母として敬われている。この世は狂っているわ。なぜ悪がこんなにもはびこっているの。ああ、哀れで愛しいお姉様。お姉様の葬られた場所すらわからず、涙にくれるばかりのこの愚かな妹を決して許さないで。


―月―日
 久しぶりにクレメンティーンの夢を見た。昔のスケッチを見直していたからだろうか。


―月―日
 なんてひどい。どうしてあんなにひどいことができるの?あの人たちの様な人間を悪魔というのだわ。ジョージはなんで私に教えてくれなかったの。かわいそうな―――(以下判読不能)。



 日記を読み終えたジェネヴィエーヴとアリアは、押し黙ったまま、時間だけが過ぎていった。
「クレメンティーンに子どもがいたなんて」
 王家の系譜にも書かれることなく闇に葬り去られた子ども。
「・・・っ。ひどい」
 ヒックという声に隣に視線を移すと、アリアがぼろぼろと涙をこぼしていた。
「なん、で、こんなに、ひどいこと、ひっく、できるんでしょう」
 顔を真っ赤にして怒りながら、涙を流し、鼻水をすすり上げるアリアにジェネヴィエーヴはそっとハンカチを差し出した。ジェネヴィエーヴは泣きじゃくるアリアの背中を黙ってさすった。
「ジェ、ジェネヴィエーヴ様、わたし、クレメンティーンの濡れ衣を晴らしたい」
 暫くしてようやく顔を上げたアリアは、目を真っ赤に腫らしていた。
「そうね」
 ジェネヴィエーヴが静かな口調で同意すると、アリアの瞳に再び涙が盛り上がる。
「ジェネヴィエーヴ様を苦しめている呪いの張本人だってわかってるのに、私はひどい人間です。でも、どうしても、可哀想で」
 原作ではクレメンティーンは悪霊で、主人公たちの絆を引き立てる最後の敵でしかなかった。悲運の王妃と記されてはいたが、そこにクレメンティーンの温度を感じさせる言葉が語られることはなく、彼女を愛する家族の言葉がつづられることもなかった。
「泣かないで、アリア。いいのよ、そう思って当然だわ」
 ジェネヴィエーヴの穏やかな声にアリアの涙腺がまた決壊する。
「だって、考えて御覧なさい。クリスティーンは私たちの祖先に当たられるのお方よ。その姉であるクレメンティーンは遠い伯母様ということになるわ。伯母様に同情しておかしいことなんてないでしょう」
「伯母様・・・」
「ええ。私だってクレメンティーンの呪いで死ぬかもしれないというのに、この不可思議なめぐりあわせに、彼女を怨むべきなのか哀れむべきなのかわからなくなってしまったわ」
 今はまだどうすればクレメンティーンの呪いを解くことができるのかわからない。でも、血を吐く思いで生きていた彼女たちの人生の一端を覗いて、呪いを解く鍵は過去のクレメンティーンの中にあるのではないかという予感がした。悲劇の王妃であるクレメンティーンに寄り添い真実を追い求めること。一見迂路に思えるこの行為こそが、クレメンティーンの魂を開放し、破滅からジェネヴィエーヴを救う唯一の方法だという確信が胸に芽生えていた。


 クレメンティーンの名誉を回復する、そう誓った翌日、ジェネヴィエーヴは自室のベッドの中でぐったりと横になっていた。昨日、定期的に掃除されているとはいえめったに人の入らない保管庫で、古い手紙やら何やらをひっくり返していたのがいけなかったようだ。ジェネヴィエーヴはその日の夜には咳が止まらなくなり、翌朝には高熱で動けなくなっていた。
「ままならないとはこういうことをいうのね」
 ジェネヴィエーヴは咳嗽でかすれた声で自嘲気味に笑った。彼女が体調を崩したと報告を受けたナイトリー侯爵は、当面の間の外出禁止と絶対安静を彼女に言い渡した。普段は娘に甘い父親のナイトリー侯爵であるが、ことジェネヴィエーヴの健康に関わることになると頑として譲らなかった。そのため、ジェネヴィエーヴはこうして数日間もの間大人しくベッドの上の住人とならざるを得なくなっていた。
「決意に体力が全く伴わないこの身体がほとほと嫌になるわ」
 呼吸をするたびに彼女の喉からはヒューヒューという音が漏れ出ていた。
「もう、なんてことをおっしゃるんですか。ジェネヴィエーヴの身体は何時だって呪いと闘っているんですから、他の人より体力がないのが当然に決まっています」
 きっぱりと言い切ったアリアにジェネヴィエーヴが苦笑すると、激しくせき込んだ。慌てたアリアがジェネヴィエーヴの背中をさする。水差しから湯冷ましを飲ませてもらってようやく落ち着いたジェネヴィエーヴは席をしただけでぐったりと疲れ切ってしまった。
「私がもっと気を付けるべきでした。ジェネヴィエーヴはお身体がお強くないということを知っていたはずなのに」
 雨に濡れた子犬の様にしゅんとするアリアにジェネヴィエーヴが何か言葉を掛けようとした時、ノックの音がして乳母が入ってきた。リリーは1通の手紙を持参している。
「お嬢様、おやすみのところ大変申し訳ござません。クラレンス殿下からお手紙が参りました。それと、殿下が直接お見舞いにいらっしゃりたいのでご都合を伺ってくるようにと、ご伝言を承っております。今、応接間で殿下のお使いの方がお返事を待っております。どういたしましょうか」
 これまでのジェネヴィエーヴであれば一も二もなく承諾したことだろう。しかし、今の彼女にとって、クラレンスは既に執着の対象ではなくなっていた。それどころか却って呪いの進行を助長しかねない彼との接触はできる限り避けるべき命題の一つであると心に決めていた。
「お手紙についてはよくお礼を申し上げてちょうだい。でも、お見舞いについては丁重にお断りして。まだ体調が優れず直接お返事ができなくて申し訳なく思っているということも言い添えてね。お使いの方が口頭ではダメだと仰るのなら、代筆をお願い」
 ジェネヴィエーヴの返事に乳母は微妙な表情を浮かべた。大聖堂での一件以来、ジェネヴィエーヴのクラレンスに対する態度の変わりようは、ナイトリー侯爵邸でも大きな波紋をよんでいた。ナイトリー侯爵を憚って、誰も口にすることはなかったが、その実誰もがジェネヴィエーヴの心変わりを不審に思い訝しんでいた。
「本当によろしいのですか」
 いつもならば、彼女の癇癪を恐れて、聞き返すことなどない乳母が重ねて尋ねると、ジェネヴィエーヴは勿論よといって穏やかに微笑んだ。


「断られた?」
 侍従の持ち帰った返答にクラレンスは目を見開いた。
「わざわざ殿下にお見舞いをいただくほどのことではないと」
「本当にそのようにおっしゃっていたのか?」
 暫し沈思した後、だったら彼女の好きな花を用意してくれとクラレンスが言うと、侍従はますます申し訳なさそうに身を縮めた。
「これまで過分なご配慮を戴いてきたので、今後は一切お見舞いの贈り物も不要だと乳母が申しておりました」
「そうか分かった。手間をかけたな。もう戻って休むと良い」
 恐縮しきりの侍従が出て行くと、クラレンスはため息をついた。あの日、ジェネヴィエーヴから婚約の解消を切り出されて以降、クラレンスは彼女と一度も顔を合わせていなかった。正直、婚約解消の件は彼女の気まぐれで、直ぐにあれはなかったことにしてくれと言ってくるに違いないと思い込んでいた。大聖堂での一件でショックを受けたことによる一時の気の迷いで、あんなことを言ったのではなかったのか、あれだけクラレンスに執着していたジェネヴィエーヴが、そう簡単にクラレンスとの関係を縛る契約を破棄するとは到底考えられなかった。
 それなのに、見舞いも贈り物も不要だと?まさか本気で心変わりをしたというのか。クラレンスが眉根を寄せてじっと考え込んでいると、
「あの女がまた何かしでかしたのか」
と背後から声を掛けられた。
 その声はバルコニーから投げかけられたものだった。クラレンスが振り返ると、そこには手すりに腰かけたヒューバード・ノートンが右手を振っていた。
「ヒュー、お前というやつは。そこは出入り口ではないと何度言えば理解するんだ」
 クラレンスが顔をしかめて注意すると、扉がノックされ慌てた様子で侍従が入ってきた。
「申し訳ございません。ノートン卿がお見えになったのですが見失ってしまいまして」
 クラレンスはにやにやと笑うヒューバードを軽く睨んでから、
「問題ない。ノートン卿ならもうここにいるよ。悪いが、お茶を用意してくれるかい」
と笑みを向けると、ヒューバードが軽い調子で言った。
「あ、俺はコーヒーがいいな~」
 ヒューバードがひらひらと手を振ると、侍従は心得た様子で頷いて部屋を出て行った。
「本当に君という人は。今日は何の用だ?」
「まあ、そうつれないことを言うなよ。せっかく従兄が訪ねてきてやったんだから、もっと歓迎してくれてもいいんじゃないか?」
「王族の部屋にバルコニーから忍び込むような不審者を歓迎しろと?」
「これは手厳しい。前はもっと可愛かったのになあ。短い足をちょこちょこ動かして、ヒューいかないでーって、俺の後をついて来たのに。いつの間にかこんなに可愛げがなくなちゃって」
 クラレンスは眉間に皺を寄せて軽く睨みつける。
「一体いつの話をしているんだ。まったく。それで?今回は一体どこに行っていたんだい」
 ヒューバードはうーん、色々あちこちと?といって首をかしげた。
「伯母上が心配していたよ、10日以上帰ってこないって」
「あーもうそろそろ帰らなきゃなーとは思ってたんだよ。まあそのうち頃合いを見計らって家に顔を出すさ」
 ヒューバードの母はクラレンスの母の異母姉だった。ヒューバードの他に5人の子どもを産んだが、無事に育ったのは二人だけだった。その上、10年前に13歳だった長男と夫をいっぺんに病で亡くした。しかし彼女の不幸はそれにとどまらなかった。彼女の夫は子爵だったが、彼が死んだとき、唯一残った子どもであるヒューバードはたったの5歳だったから、爵位は彼女の息子ではなく、夫の弟の手に渡った。母親は既に鬼籍に入っており、父親とは疎遠であったため、女主人から居候の身に堕ちた彼女に帰る場所はなかった。唯一頼れるのは側室として王家に入っていた腹違いの妹だけだった。そして現在、その妹も既に亡く、その上、たった一人の息子には放浪癖があり、彼女の心は休まる暇もなかった。
 どうして伯母を心配させるような振る舞いを続けるのかと問うたクラレンスの頭をポンポンと撫でながら、
「俺たちは親子だけど根本的に合わないんだ。だから一緒にいるとどうしても息が詰まってどうしようもなくなる。親子の絆を断ち切ることはできないけど、なるべくなら離れていた方がお互いのためなんだよ」
といってヒューバードは笑った。
「ところで、またあのいけ好かないお嬢様がとんでもない戯言をいいだしたんだって?」
 その話か、とクラレンスはため息をついた。
「一体どこでそういう情報を手に入れて来るんだ」
 クラレンスの様子にヒューバードが真剣な顔つきになった。
「じゃあ、本当なんだな。クリス、お前どうするつもりなんだ。本当に婚約解消するのか」
 心配そうな表情を浮かべるヒューバードを見て、クラレンスはオヤと首をかしげた。
「いつも婚約を解消しろと僕をせっつくのは君の方じゃないか。僕は他の人間はともかく、君だけはもろ手を挙げて賛成すると思っていたけど。僕の考えを聞くなんてどういう風の吹き回しだい?」
 ヒューバードはふん、と鼻を鳴らして
「どうもこうもないさ。気まぐれでも気の迷いでも関係ない、あのお嬢様の気が変わる前に、さっさと縁を切るべきだという考えに変わりはないね。あの女と一緒じゃお前は幸せになれない。俺はお前には愛し合える人と結婚して欲しいんだ。でも、お前は違うだろう?これまでだった、どんなに俺が反対してきても、彼女との婚約は必要だと言って聞き入れなかったじゃないか」
 といった。
「勿論、その考えは今でも変わらないよ。後ろ盾のない僕が王宮で生き残るためには、どうしても有力貴族の力が必要だからね。後ろ盾としてナイトリー侯爵ほど申し分のない高位貴族はほかにいないよ。例えその娘に瑕疵があっても大抵のことは問題にならない位にはね」
「だがクリス」
 言いつのろうとするヒューバードをクラレンスは手で制して、
「でも、彼女がそれを望んでいないんだ。僕だってまたいつもの気まぐれかと思っていたさ。どうせすぐにいつもの態度に戻るだろうとね。でも、彼女は僕に会うことすら望んでいないんだ。訪問を断られたのはもう5度目だよ。今日なんか見舞いの品すらいらないと言われる始末だ」
「はあ?なんだそれ。あんまりにもクリスがつれないんで、気を惹くための新たな手口とかじゃないのか」
 さあね、といってクラリスは肩をすくめた。
「とりあえず様子を見ることにしたよ。少しの休息期間だと思うことにするよ」
正直言ってこれまでのジェネヴィエーヴの言動には辟易していたのも確かだ。
「ただ、今の僕の立場は弱い。この脆弱すぎる基盤をどうにかするまでは、ナイトリー侯爵家とのつながりを手放すわけにはいかない」
「そうか」
「うん。呆れた?」
 クラレンスが自嘲気味に笑うと、
「優しげな顔して、その実お前が考えられい位頑固だってことはよく知ってるから、こんなことで呆れたりしないさ」
 ヒューバードはニヤっと笑った。
「中々一筋縄ではいかないね、君も彼女も」
「ままならない人生だな」
「うん」
 そういって二人は笑い合った。
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