上 下
48 / 67
第七章

⑤一生に一度の、本気のキス

しおりを挟む
「心配するな、ルディ。ムートは必ず私が探し出してやる」

 涙を舐めとると、公爵はぼくの耳元で、そっと囁いた。

 違う。ぼくが泣いているのは、ムートに会えないせいじゃない。

 もちろん、ムートのことも心配だけど、それ以上に、公爵に会えなくなってしまうことが辛いのだ。

 ゲームをプレイすれば、公爵の姿を眺めることはできるけれど。

 触れ合って、言葉を交わしあうことは、二度とできなくなってしまう。

「公爵さま」

「なんだ」

 やさしい瞳で見つめられ、ぎゅーっと胸が痛くなった。

 さよならくらい、最後に言えたらよかった。

 ぼく、本当はルディじゃないんです。

 春翔(はると)っていう名前の、あなたのファンで。ずっと、ずっとあなたに会いたかったんですって、告げられたらよかった。

 だけど、なにひとつ、本当のことなんて伝えられなくて。

 ぼくはただ、嗚咽をかみ殺して、じっと公爵の瞳を見つめることしかできなかった。

「ルディ……」

 公爵が、ぼくの身体を抱きしめる。

 そのまま抱き上げてくれようとしたけれど、ぼくの背中にぎゅっとしがみついたルーカス王子が、ぼくを離そうとしない。

 眠っているのに。それでも、ぎゅうぎゅうにしがみついたままだ。

 公爵と二人きりになりたい気持ちと、ルーカスの心細さを、かわいそうに思う気持ち。

 両方がごちゃ混ぜになって、たまらない気持ちになった。

 公爵も、同じ気持ちなのだと思う。

 ルーカスを無理に引き剥がしたりはしなかった。少し困ったような顔をして、公爵はルーカス王子の丸出しになった背中に、タオルケットをかけてやる。

 ゲーム内での冷酷そうな印象と違い、本物の公爵は、とてもやさしい。

 ぼくは、そのやさしさが大好きなんだって、改めて再確認したような気持ちになった。

「公爵さま……」

 もう一度、公爵を呼ぶ。ちいさく深呼吸して、ぼくは告げた。

「公爵さまは、ルディのこと、好きですか……?」

 翡翠色の瞳が、すっと細められる。

 公爵はちいさく笑って、ぼくの額に、ちゅ、とくちづけた。

「好きに決まっているだろう。――ルディ。私にとって、お前はたった一人の、大切な子だ」

『好きに決まってる』

 その言葉が心底嬉しくて、だけど同じくらい悲しい。

 公爵の『好き』は、ぼくではなく本物のルディに向けられるべきものだから。

 そして、明日からは、実際にその本物のルディが、公爵の隣にいることになるのだ。

「明日になったら……ぼくは、ものすごくかわいげのない、悪い子に……なると思います」

 えぐっとしゃくりあげながら、ぼくは掠れた声で告げる。

 公爵はちいさく微笑むと、ぼくの髪を撫でてくれた。

「『かわいげのない悪い子』で結構。ルディは私の子になるのだから。好きなだけ、わがままを言えばいい」

 ゲームのなかの悪役令息ルディは、本当に救いようのない、最低最悪なキャラだった。

 かわいげがない、なんて生やさしい言葉では、絶対に語れないような、自分勝手極まりない酷いキャラだ。

「わがままとか、そんなかわいい次元の言葉じゃ、すまない悪いことも、いっぱいするかもだけど……ぼくは公爵さまのことが、大好きだから。なにがあっても……できれば、ルディを嫌いにならないで。捨てたりしないで。ずっと……そばにいさせて……」

 まだ十歳の幼さで、エルフォルク伯爵家を追い出されたルディ。公爵家を追い出されたら、どこにも行く場所なんてないと思う。

 こんなにもやさしくて強い、公爵のそばで育てば。

 もしかして、あの性格のねじ曲がったルディも、いい子に育つかもしれない。

 公爵が破滅エンドを回避したみたいに、悪役令息ルディも、しあわせな子になれるかもしれないのだ。

 ぽろぽろと溢れる涙。最後のほうは、涙で歪んでうまく発音できなかった。

 しゃくりあげながら、途切れ途切れに告げたぼくを、公爵はぎゅーっと抱きしめる。

「当然だ。絶対に、嫌いになどならない。捨てたりなんかしない。永遠に私のそばに置くと決めたのだ。――ルディ。お前が私を必要としてくれるかぎり、私は決してお前を離さない」

 公爵は、しっかり抱きしめて、ぼくを安心させようとしてくれた。

 ぼくの背中をぎゅうぎゅうに掴んでいたルーカス王子の手のひらが、ぼくの身体から離れる。

 そのことに気づいた公爵は、ぼくの身体を抱き上げてルーカス王子から離れた場所に寝かせ、覆い被さるようにして、ぼくの額に自分の額をくっつけた。

 互いの顔がぐっと近くなって、公爵の吐息の熱まで生々しく伝わってくる。

 ぼくはその熱に吸い寄せられるように、さらに公爵に顔を近づけた。

 ちゅ、と互いの唇が触れる。

 びくん、と公爵の身体がこわばるのがわかった。

 離れようとする公爵の唇を追って、ぼくは、さらに自分の唇を押しつける。

 元の世界で生きていたときも、キスなんて、一度もしたことがなかったから。どうやったらいいのかなんてわからない。

 がむしゃらに、唇をくっつけるだけのキス。

 公爵はぼくの身体をやんわりと引き剥がし、「挨拶のキスは、頬や額にするものだ。唇にするものじゃない」といった。

「知ってます……でも、足りない。額や頬じゃ、足りないんです。好きで、好きで、大好き過ぎて――それじゃ、足りない」

 また、涙が溢れてきた。

 これが、最初で最後のキスになるんだって思うと、止まらなかった。

 ちゅ、ちゅ、と何度も唇を重ね合わせるぼくに、公爵は呆れたようにため息を吐く。

「ルディ、これは恋人同士でするキスだ。将来、お前に好きな人ができたときに、ちゃんと取っておきなさい」

 そんなふうに言われたけど、好きな人なんて、きっともう永遠にできないと思う。

 ずっと、ツァイトガイスト公爵だけが好きだった。

 ずっと、ゲームのなかの彼だけが、ぼくのすべてだった。

 こうして彼に会って、いっしょに過ごしたせいで、その気持ちはさらに強くなって――こんな恋をしたぼくが、この先、ふつうの恋愛なんか、できるはずがない。

 元の世界に戻っても、きっと、ずっと、ぼくは公爵のことが、好きなままだ。

 公爵のことを、ずっと、ずっと好き。

「ごめん、なさい。気持ち悪いの、わかってる。きょう、だけ、だから。明日になったら、二度と、しないから。だから――許して」

 偽物悪役令息ルディの、最後のわがまま。

 公爵は少し困った顔をしながらも、それ以上、ぼくを拒絶しなかった。

 公爵にとっては、幼い従甥の、よくわからないわがまま。

 だけど、ぼくにとっては、一生に一度の、本気のキスだ。

「すき……だいすき。ずっと、公爵さまの、おそばにいたい……です」

 いたかった、です。

 心のなか。何度も、何度もさよならを告げながら、ぼくは、公爵の唇にキスをし続けた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

来世もお迎えに参ります。

BL / 完結 24h.ポイント:418pt お気に入り:18

転生したら激レアな龍人になりました

BL / 完結 24h.ポイント:726pt お気に入り:3,001

君の運命はおれじゃない

BL / 完結 24h.ポイント:134pt お気に入り:1,220

悪女と呼ばれた死に戻り令嬢、二度目の人生は婚約破棄から始まる

恋愛 / 完結 24h.ポイント:4,780pt お気に入り:2,474

貴方へ愛を伝え続けてきましたが、もう限界です。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:5,722pt お気に入り:3,810

ノンケの俺がメス堕ち肉便器になるまで

BL / 完結 24h.ポイント:511pt お気に入り:1,574

処理中です...