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第七章
⑤一生に一度の、本気のキス
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「心配するな、ルディ。ムートは必ず私が探し出してやる」
涙を舐めとると、公爵はぼくの耳元で、そっと囁いた。
違う。ぼくが泣いているのは、ムートに会えないせいじゃない。
もちろん、ムートのことも心配だけど、それ以上に、公爵に会えなくなってしまうことが辛いのだ。
ゲームをプレイすれば、公爵の姿を眺めることはできるけれど。
触れ合って、言葉を交わしあうことは、二度とできなくなってしまう。
「公爵さま」
「なんだ」
やさしい瞳で見つめられ、ぎゅーっと胸が痛くなった。
さよならくらい、最後に言えたらよかった。
ぼく、本当はルディじゃないんです。
春翔(はると)っていう名前の、あなたのファンで。ずっと、ずっとあなたに会いたかったんですって、告げられたらよかった。
だけど、なにひとつ、本当のことなんて伝えられなくて。
ぼくはただ、嗚咽をかみ殺して、じっと公爵の瞳を見つめることしかできなかった。
「ルディ……」
公爵が、ぼくの身体を抱きしめる。
そのまま抱き上げてくれようとしたけれど、ぼくの背中にぎゅっとしがみついたルーカス王子が、ぼくを離そうとしない。
眠っているのに。それでも、ぎゅうぎゅうにしがみついたままだ。
公爵と二人きりになりたい気持ちと、ルーカスの心細さを、かわいそうに思う気持ち。
両方がごちゃ混ぜになって、たまらない気持ちになった。
公爵も、同じ気持ちなのだと思う。
ルーカスを無理に引き剥がしたりはしなかった。少し困ったような顔をして、公爵はルーカス王子の丸出しになった背中に、タオルケットをかけてやる。
ゲーム内での冷酷そうな印象と違い、本物の公爵は、とてもやさしい。
ぼくは、そのやさしさが大好きなんだって、改めて再確認したような気持ちになった。
「公爵さま……」
もう一度、公爵を呼ぶ。ちいさく深呼吸して、ぼくは告げた。
「公爵さまは、ルディのこと、好きですか……?」
翡翠色の瞳が、すっと細められる。
公爵はちいさく笑って、ぼくの額に、ちゅ、とくちづけた。
「好きに決まっているだろう。――ルディ。私にとって、お前はたった一人の、大切な子だ」
『好きに決まってる』
その言葉が心底嬉しくて、だけど同じくらい悲しい。
公爵の『好き』は、ぼくではなく本物のルディに向けられるべきものだから。
そして、明日からは、実際にその本物のルディが、公爵の隣にいることになるのだ。
「明日になったら……ぼくは、ものすごくかわいげのない、悪い子に……なると思います」
えぐっとしゃくりあげながら、ぼくは掠れた声で告げる。
公爵はちいさく微笑むと、ぼくの髪を撫でてくれた。
「『かわいげのない悪い子』で結構。ルディは私の子になるのだから。好きなだけ、わがままを言えばいい」
ゲームのなかの悪役令息ルディは、本当に救いようのない、最低最悪なキャラだった。
かわいげがない、なんて生やさしい言葉では、絶対に語れないような、自分勝手極まりない酷いキャラだ。
「わがままとか、そんなかわいい次元の言葉じゃ、すまない悪いことも、いっぱいするかもだけど……ぼくは公爵さまのことが、大好きだから。なにがあっても……できれば、ルディを嫌いにならないで。捨てたりしないで。ずっと……そばにいさせて……」
まだ十歳の幼さで、エルフォルク伯爵家を追い出されたルディ。公爵家を追い出されたら、どこにも行く場所なんてないと思う。
こんなにもやさしくて強い、公爵のそばで育てば。
もしかして、あの性格のねじ曲がったルディも、いい子に育つかもしれない。
公爵が破滅エンドを回避したみたいに、悪役令息ルディも、しあわせな子になれるかもしれないのだ。
ぽろぽろと溢れる涙。最後のほうは、涙で歪んでうまく発音できなかった。
しゃくりあげながら、途切れ途切れに告げたぼくを、公爵はぎゅーっと抱きしめる。
「当然だ。絶対に、嫌いになどならない。捨てたりなんかしない。永遠に私のそばに置くと決めたのだ。――ルディ。お前が私を必要としてくれるかぎり、私は決してお前を離さない」
公爵は、しっかり抱きしめて、ぼくを安心させようとしてくれた。
ぼくの背中をぎゅうぎゅうに掴んでいたルーカス王子の手のひらが、ぼくの身体から離れる。
そのことに気づいた公爵は、ぼくの身体を抱き上げてルーカス王子から離れた場所に寝かせ、覆い被さるようにして、ぼくの額に自分の額をくっつけた。
互いの顔がぐっと近くなって、公爵の吐息の熱まで生々しく伝わってくる。
ぼくはその熱に吸い寄せられるように、さらに公爵に顔を近づけた。
ちゅ、と互いの唇が触れる。
びくん、と公爵の身体がこわばるのがわかった。
離れようとする公爵の唇を追って、ぼくは、さらに自分の唇を押しつける。
元の世界で生きていたときも、キスなんて、一度もしたことがなかったから。どうやったらいいのかなんてわからない。
がむしゃらに、唇をくっつけるだけのキス。
公爵はぼくの身体をやんわりと引き剥がし、「挨拶のキスは、頬や額にするものだ。唇にするものじゃない」といった。
「知ってます……でも、足りない。額や頬じゃ、足りないんです。好きで、好きで、大好き過ぎて――それじゃ、足りない」
また、涙が溢れてきた。
これが、最初で最後のキスになるんだって思うと、止まらなかった。
ちゅ、ちゅ、と何度も唇を重ね合わせるぼくに、公爵は呆れたようにため息を吐く。
「ルディ、これは恋人同士でするキスだ。将来、お前に好きな人ができたときに、ちゃんと取っておきなさい」
そんなふうに言われたけど、好きな人なんて、きっともう永遠にできないと思う。
ずっと、ツァイトガイスト公爵だけが好きだった。
ずっと、ゲームのなかの彼だけが、ぼくのすべてだった。
こうして彼に会って、いっしょに過ごしたせいで、その気持ちはさらに強くなって――こんな恋をしたぼくが、この先、ふつうの恋愛なんか、できるはずがない。
元の世界に戻っても、きっと、ずっと、ぼくは公爵のことが、好きなままだ。
公爵のことを、ずっと、ずっと好き。
「ごめん、なさい。気持ち悪いの、わかってる。きょう、だけ、だから。明日になったら、二度と、しないから。だから――許して」
偽物悪役令息ルディの、最後のわがまま。
公爵は少し困った顔をしながらも、それ以上、ぼくを拒絶しなかった。
公爵にとっては、幼い従甥の、よくわからないわがまま。
だけど、ぼくにとっては、一生に一度の、本気のキスだ。
「すき……だいすき。ずっと、公爵さまの、おそばにいたい……です」
いたかった、です。
心のなか。何度も、何度もさよならを告げながら、ぼくは、公爵の唇にキスをし続けた。
涙を舐めとると、公爵はぼくの耳元で、そっと囁いた。
違う。ぼくが泣いているのは、ムートに会えないせいじゃない。
もちろん、ムートのことも心配だけど、それ以上に、公爵に会えなくなってしまうことが辛いのだ。
ゲームをプレイすれば、公爵の姿を眺めることはできるけれど。
触れ合って、言葉を交わしあうことは、二度とできなくなってしまう。
「公爵さま」
「なんだ」
やさしい瞳で見つめられ、ぎゅーっと胸が痛くなった。
さよならくらい、最後に言えたらよかった。
ぼく、本当はルディじゃないんです。
春翔(はると)っていう名前の、あなたのファンで。ずっと、ずっとあなたに会いたかったんですって、告げられたらよかった。
だけど、なにひとつ、本当のことなんて伝えられなくて。
ぼくはただ、嗚咽をかみ殺して、じっと公爵の瞳を見つめることしかできなかった。
「ルディ……」
公爵が、ぼくの身体を抱きしめる。
そのまま抱き上げてくれようとしたけれど、ぼくの背中にぎゅっとしがみついたルーカス王子が、ぼくを離そうとしない。
眠っているのに。それでも、ぎゅうぎゅうにしがみついたままだ。
公爵と二人きりになりたい気持ちと、ルーカスの心細さを、かわいそうに思う気持ち。
両方がごちゃ混ぜになって、たまらない気持ちになった。
公爵も、同じ気持ちなのだと思う。
ルーカスを無理に引き剥がしたりはしなかった。少し困ったような顔をして、公爵はルーカス王子の丸出しになった背中に、タオルケットをかけてやる。
ゲーム内での冷酷そうな印象と違い、本物の公爵は、とてもやさしい。
ぼくは、そのやさしさが大好きなんだって、改めて再確認したような気持ちになった。
「公爵さま……」
もう一度、公爵を呼ぶ。ちいさく深呼吸して、ぼくは告げた。
「公爵さまは、ルディのこと、好きですか……?」
翡翠色の瞳が、すっと細められる。
公爵はちいさく笑って、ぼくの額に、ちゅ、とくちづけた。
「好きに決まっているだろう。――ルディ。私にとって、お前はたった一人の、大切な子だ」
『好きに決まってる』
その言葉が心底嬉しくて、だけど同じくらい悲しい。
公爵の『好き』は、ぼくではなく本物のルディに向けられるべきものだから。
そして、明日からは、実際にその本物のルディが、公爵の隣にいることになるのだ。
「明日になったら……ぼくは、ものすごくかわいげのない、悪い子に……なると思います」
えぐっとしゃくりあげながら、ぼくは掠れた声で告げる。
公爵はちいさく微笑むと、ぼくの髪を撫でてくれた。
「『かわいげのない悪い子』で結構。ルディは私の子になるのだから。好きなだけ、わがままを言えばいい」
ゲームのなかの悪役令息ルディは、本当に救いようのない、最低最悪なキャラだった。
かわいげがない、なんて生やさしい言葉では、絶対に語れないような、自分勝手極まりない酷いキャラだ。
「わがままとか、そんなかわいい次元の言葉じゃ、すまない悪いことも、いっぱいするかもだけど……ぼくは公爵さまのことが、大好きだから。なにがあっても……できれば、ルディを嫌いにならないで。捨てたりしないで。ずっと……そばにいさせて……」
まだ十歳の幼さで、エルフォルク伯爵家を追い出されたルディ。公爵家を追い出されたら、どこにも行く場所なんてないと思う。
こんなにもやさしくて強い、公爵のそばで育てば。
もしかして、あの性格のねじ曲がったルディも、いい子に育つかもしれない。
公爵が破滅エンドを回避したみたいに、悪役令息ルディも、しあわせな子になれるかもしれないのだ。
ぽろぽろと溢れる涙。最後のほうは、涙で歪んでうまく発音できなかった。
しゃくりあげながら、途切れ途切れに告げたぼくを、公爵はぎゅーっと抱きしめる。
「当然だ。絶対に、嫌いになどならない。捨てたりなんかしない。永遠に私のそばに置くと決めたのだ。――ルディ。お前が私を必要としてくれるかぎり、私は決してお前を離さない」
公爵は、しっかり抱きしめて、ぼくを安心させようとしてくれた。
ぼくの背中をぎゅうぎゅうに掴んでいたルーカス王子の手のひらが、ぼくの身体から離れる。
そのことに気づいた公爵は、ぼくの身体を抱き上げてルーカス王子から離れた場所に寝かせ、覆い被さるようにして、ぼくの額に自分の額をくっつけた。
互いの顔がぐっと近くなって、公爵の吐息の熱まで生々しく伝わってくる。
ぼくはその熱に吸い寄せられるように、さらに公爵に顔を近づけた。
ちゅ、と互いの唇が触れる。
びくん、と公爵の身体がこわばるのがわかった。
離れようとする公爵の唇を追って、ぼくは、さらに自分の唇を押しつける。
元の世界で生きていたときも、キスなんて、一度もしたことがなかったから。どうやったらいいのかなんてわからない。
がむしゃらに、唇をくっつけるだけのキス。
公爵はぼくの身体をやんわりと引き剥がし、「挨拶のキスは、頬や額にするものだ。唇にするものじゃない」といった。
「知ってます……でも、足りない。額や頬じゃ、足りないんです。好きで、好きで、大好き過ぎて――それじゃ、足りない」
また、涙が溢れてきた。
これが、最初で最後のキスになるんだって思うと、止まらなかった。
ちゅ、ちゅ、と何度も唇を重ね合わせるぼくに、公爵は呆れたようにため息を吐く。
「ルディ、これは恋人同士でするキスだ。将来、お前に好きな人ができたときに、ちゃんと取っておきなさい」
そんなふうに言われたけど、好きな人なんて、きっともう永遠にできないと思う。
ずっと、ツァイトガイスト公爵だけが好きだった。
ずっと、ゲームのなかの彼だけが、ぼくのすべてだった。
こうして彼に会って、いっしょに過ごしたせいで、その気持ちはさらに強くなって――こんな恋をしたぼくが、この先、ふつうの恋愛なんか、できるはずがない。
元の世界に戻っても、きっと、ずっと、ぼくは公爵のことが、好きなままだ。
公爵のことを、ずっと、ずっと好き。
「ごめん、なさい。気持ち悪いの、わかってる。きょう、だけ、だから。明日になったら、二度と、しないから。だから――許して」
偽物悪役令息ルディの、最後のわがまま。
公爵は少し困った顔をしながらも、それ以上、ぼくを拒絶しなかった。
公爵にとっては、幼い従甥の、よくわからないわがまま。
だけど、ぼくにとっては、一生に一度の、本気のキスだ。
「すき……だいすき。ずっと、公爵さまの、おそばにいたい……です」
いたかった、です。
心のなか。何度も、何度もさよならを告げながら、ぼくは、公爵の唇にキスをし続けた。
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