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番外編①卒業式の夜に

⑦特別な行為

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 夕飯後、湯あみを済ませて公爵の部屋に向かう。

 ふだんからいっしょの部屋で眠っているし、特別なことなんて、なにもないはずなのに。

 それでも、レオンに言われた『初夜』という言葉が気になって、どうしても公爵のことを意識せずにはいられなかった。

 がちがちになって、ロボットみたいにぎこちなく歩くぼくを見て、公爵がおかしそうに笑う。

「どうした。そんなに固くなって」

「べ、別に、固くなってなんて……っ」

 そう答えながらも、右手と右足、左手と左足、左右の足が不自然に同時に前に出てしまう。

 公爵は鋭い切れ長の目をやさしく細め、包み込むような声で言った。

「無理しなくていい。伴侶になったからといって、急になにかを変える必要などないんだ。ルディは今までどおり、自然にしていればいいんだよ」

 そっと抱き寄せられ、濡れ髪に、ちゅ、とくちづけられる。

 髪や頬、額へのキスは、今までだって、日常的に交し合っていた。

 それでも、誓いのキスをした後だからか、髪にくちづけられただけで、ビクンと身体が跳ね、頬がかぁっと熱くなってしまった。

「ルディ、私が怖いか?」

 翡翠色の瞳にじっと見据えられ、ぼくは、ふるふると首を振る。

「怖く、ない、です」

 嘘じゃない。色々と妄想をし過ぎて緊張してしまうだけで、決して怖いわけじゃないんだ。

 むしろ――正直に言えば、すごく嬉しい。

 公爵とやっと結ばれることができるんだって思うと、嬉しくてたまらない。

 この八年間、いっしょに湯あみをしたり、同じベッドで眠りながらも、公爵は決してぼくに手を出そうとしなかった。

『年齢が離れすぎていて、恋愛の対象としては見てもらえないのかも……』って、悩んだことも何度もあった。

 だけど、そうじゃなかった。公爵は、ちゃんとそういう対象として、ぼくを見てくれていた。

 それでも、ぼくが大人になるまで、ずっと待ってくれていたんだ。

「公爵さま……」

 ドキドキしながら、公爵を見上げる。すると、「その呼び方は、やめろ」と言われた。

 爵位に敬称をつけるのは不自然だ、と以前から注意を受けていた。子どもだから見逃してもらえていたようだけれど、そろそろやめなくちゃいけないかもしれない。

「公爵、って呼ぶようにしたほうがいい?」

「ああ、ルディ、お前も成人したんだ。人前では、『公爵』と呼んでくれ」

「二人だけのときは、今までどおり、『公爵さま』でいいの?」

 ぼくの問いに、公爵はおかしそうに目を細める。

「どうしても、そのおかしな呼び方で呼びたいのだな?」

「うん。だって――」

 ずっと、ずっと大好きだった、最推しラスボス公爵。好きすぎて、『さま』をつけずにはいられないのだ。

「悪いが、二人きりのときも、その呼び方はやめてくれ」

 きっぱりと否定され、ぼくはとても寂しい気持ちになった。

 しょんぼりと肩を落としたぼくの頬に、公爵はそっとくちづける。

「私にも、ちゃんと名前がある。せっかく伴侶になったのだ。ルディには爵位ではなく、『イザーク』と、名前で呼んでほしいのだ」

「な、名前で……!?」

 公爵の愛竜フィズは、公爵のことを名前で呼ぶ。

 特別な感じがして羨ましいなぁって思っていたものの、自分が公爵を名前で呼ぶなんて、畏れ多すぎて、できそうにない。

「い、いきなり名前呼びは難易度が……っ」

 ぼくが以前いた世界でも、下の名前で呼び合うのは、とても特別な行為だった。

 緊張しきったぼくに、公爵は「嫌なのか?」と眉根を寄せた。

「ぇ、ゃ、い、嫌じゃないです……!」

 慌てて首を振って、否定する。

 公爵の特別に、なりたくないわけじゃない。

 ただ、心の準備ができていないのだ。いきなり言われても、すぐには下の名前で呼べそうにない。

 あわあわと慌てふためくぼくを見下ろし、公爵はやさしく目を細める。

「幾つになっても、ルディは愛らしいな。どれだけ眺めていても、飽きることがない」

 うぅ、なんだかぼくを見つめる公爵の目が、わんこやにゃんこを愛でるときの目みたいになっている。

 明らかにこの目は、『恋人』を見つめるときの目じゃなさそうだ。

 かわいがってもらえるのは、とても嬉しいけれど。

 今夜は初夜なのだから、ここは大人っぽくキメて、ちゃんと対等に見てもらいたい。

 恋人として、見つめてもらいたいのだ。

「い、い、イザーク……さま……」

 呼び捨てにすべきだって、頭ではわかってる。

 それでも、どうしても呼び捨てにはできなくて、敬称をつけて呼んでしまう。

 公爵はおかしそうに笑った後、真顔になって、ぼくの頬を冷たい手のひらで包み込んだ。

「ありがとう、ルディ。――ずっと、ルディに名前で呼んでもらいたかったんだ。公爵としての私ではなく、ひとりの人間としての私を、見て欲しかった」

 甘やかな声で囁かれ、ぎゅっと胸が苦しくなる。

 名前ではなく、常に爵位で呼ばれる、ということ。

 公爵や国王という、公の立場に立つひとで居続けるということ。

 もしかしたら、公爵のように心の強い人でも、それは、とても大きな重圧なのかもしれない。

「イザーク……さま」

 おずおずと、翡翠色の瞳を見上げる。

「さま、は、不要だ」

「イザーク」

 さま、と心のなかで付け足しちゃう。

 緊張しながら呼び捨てにすると、公爵は、心底嬉しそうな顔で、笑ってくれた。 
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