歳の差100歳ですが、諦めません!

遠野さつき

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1幕 大団円目指して頑張ります!

15場 馬宿の怪②

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「何もいないですけど……」
 
 階段を登った先、夕日がよく差す廊下の真ん中でメルディは困惑の声を上げた。

 背後には怯える大の男二人。そして一緒についてきた女将さんと仲間たち。

 ここにいないのはレイだけだ。化け物騒ぎに興味がないのか、ロビーで新聞片手にコーヒーを飲んでいる。
 
「嘘じゃないって! 何か動いてたのが見えたんだ! でっかい熊みたいな!」
「もし熊が出たら、私たち今頃食べられてると思いますよ……?」
「じゃあ、きっと悪霊かなんかだよ! 俺たちが部屋に入ろうとしたら、すうって音もなく現れたんだ!」
 
 詳しく聞くと、客室のドアノブに手をかけた瞬間、一番奥の客室のドアがひとりでに開き、中から巨大な熊のシルエットが伸びてきたらしい。

 慌てて逃げたので本体は見ていないが、とても幻とは思えなかったという。
 
「女将さんには悪いけど、俺たちは別の宿に行くよ。さっきから寒気もするし、気持ち悪くてとてもいられない」
「ええ……。お客さん、ちょっと!」
 
 制止する間もなく、男二人は宿を飛び出していった。その場にいる全員が呆気に取られた顔をする。
 
 念の為にもう一度チェックしたが、化け物の気配があるはずもなく、廊下の突き当たりの出窓に熊のぬいぐるみが座っているだけだった。

 大きさはメルディの顔よりも一回り小さいぐらい。窓から差し込む夕日で床に大きな影を作っているが、さすがにこれを見間違うことはないだろう。
 
 動くぬいぐるみのマーガレットに似ているものの、こちらの方がかなり古いし、ややリアルである。女将さん曰く、この宿ができたときからここにあるそうだ。
 
「かれこれ、二百年以上は前かねえ。経緯はわからないけど、誰かにもらったらしいんだよ。黒髪黒目のエキゾチックな容貌だったって聞くけど、異国の人だったのかもね。ここは旅の中継地点だから」
「二百年前っていうと……。この宿はモルガン戦争を乗り越えてきたんですか?」
 
 メルディの問いに、女将さんは「そうだよ」と頷いた。
 
「不思議と魔物に襲われなかったみたいでね。ひょっとしたらこのぬいぐるみのご利益かもしれないってんで、先祖代々大事にしてるのさ」
「へえー。ひょっとして、このぬいぐるみが動いたんだったりして。ねえ、グレイグ」
「まさか。そこら中に動くぬいぐるみがごろごろ転がってるわけないよ」
「もし、そうなら私は嬉しいけどねえ。お客さまを驚かせるのは、女将としていただけないけど」
 
 和やかに話すメルディたちから少し離れたところで、マルクがうめき声をあげる。彼はついてきたものの、こちらには近寄れない様子だった。
 
「マルク、大丈夫? 顔がすごく青いけど」
「ごめん。俺、こういう話苦手で……。師匠にもよくからかわれてたんだ」
 
 情けないよね、と笑顔を浮かべようとするが、口元が引き攣っているし、声も震えている。本当に怖いのだろう。見ているだけで気の毒になってきた。
 
「何もなさそうだし、そろそろ下に戻ろっか。明日に備えてゆっくり休まないとね」
「ごめんねえ。せっかく来てくれたのにお騒がせしちゃって。お詫びに雪うさぎをデザートに出すよ」
「えー! やった! 嬉しい!」
 
 雪うさぎとは、白いスポンジケーキに包まれた生クリームの中に、凍った苺が入っている北方名物の激うまスイーツである。

 一気にテンションを上げるメルディに、女将さんが目を細める。
 
「お客さんの喜ぶ顔が見たくて、この宿をやってるんだ。悪霊なんているはずがないよ。安心しておくれ」




 
 草木も眠る丑三つ時。メルディはふいにお手洗いに行きたくなってしまった。寝る前に紅茶をたくさん飲んだのがいけなかったのだろうか。

 グレイグを起こそうとしたが、ぐっすりすやすや寝息をたてているのを見ると気が引けてしまう。この歳でトイレについてきてくれって言うのも恥ずかしいし。
 
 古い宿には共用のトイレしかない。つつがなく用を終えると、今度は目が冴えてきた。

 よくない傾向だ。このまま部屋に戻っても、きっと眠れない。かといって遠く離れるわけにもいかない。
 
「……ロビーで雑誌でも読もうかな」
 
 メルディたちの部屋は一階なので、うっかり階段を転げ落ちる心配はない。

 穏やかな光を放つ魔石灯を頼りに棚の中を探す。そこでふと、視界の端に黒い何かがいることに気づいた。
 
「っ!」
 
 夕方の悪霊騒ぎが脳裏をよぎり、悲鳴を上げそうになる。その気配に気づいたのか、黒い何かがゆっくりと近づいてきた。
 
「メルディ、俺だよ」
「マルク? どうしたの、こんな夜中に」
「もうすぐウィンストンだと思うと、なんか眠れなくてさ……」
 
 明かりの中にぼんやりと浮かび上がったマルクは、まるで迷子のように不安げに見えた。
 
「……ちょっと座ろっか?」
 
 昨日と同じように、ソファに並んで腰掛ける。今回も一応距離は開けたが、すぐに詰められた。それどころか肩と肩をくっつけられ、一気に体温が上昇する。
 
「あ、あの、ちょっと近くない?」
「嫌?」
「嫌っていうか……。また弟に怒られちゃうし」
「……メルディはさ。レイさんのことが好きなんでしょ?」
 
 びくっと肩が跳ねた。これでは「そうだ」と言ってるようなものである。黙ったままのメルディに、マルクが切ない吐息をこぼす。
 
「やっぱり。ずっと気にしてるもんね。最初に会ったときから、そうじゃないかって思ってた」
「……ごめんなさい。だから私、あなたの気持ちには――」
「待って。その先は言わないで。旅はまだ終わってない。最後まで足掻かせてよ」
「なんでそこまで……。私の何がそんなに好きなの……?」
 
 それは傲慢なセリフだったかもしれない。けれど、マルクは優しい声で答えてくれた。
 
「太陽みたいに明るい笑顔。得体の知れない俺を気遣ってくれる優しさ。それに、職人としての矜持と腕前。君みたいな人に出会ったのは初めてなんだ、メルディ」
 
 まっすぐに見つめられて、息が苦しくなる。なんだか眩暈もしてきた。

 とてもマルクの顔を見ていられない。両手で顔を覆い隠すメルディに、マルクは静かに言葉を続けた。
 
「これはお節介かもしれないけどさ。エルフとヒト種の恋はうまくいかないよ」
「……どうしてそんなことが言えるの」
「俺の母親はハーフエルフだった」
 
 心臓を掴まれたような衝撃が走った。

 顔を上げてマルクを見つめると、彼は悲しげに目を細めた。レイと同じ、緑色の瞳を。
 
「寿命も魔力も受け継げなかったけど、この目だけは母親の遺伝なんだ。とても綺麗な人でね。自慢の母親だった」

 何も言えずにいるメルディに、マルクがさらに言葉を続ける。

「……でも、父親にとってはそうじゃなかったんだ。母親が浮気してないか常に疑ってたし、少し帰りが遅くなっただけで暴力を振るったりした。挙句に、老いていく自分を見られたくないって、突然家を出ていっちゃったんだよ」
「そんな……」
 
 マルクの声がわんわんと頭の中に響く。まるで虫の羽音みたいだ。このままだと自分が自分でなくなりそうな気がする。
 
「ひどいこと言ってるってわかってる。でも、寿命が違う種族同士の恋愛なんて悲劇を生むだけだよ。俺は君に悲しんでもらいたくない」
「わ、私とレイさんがそうなるかなんて、わからないじゃない。先に老いていくのも覚悟の上だし、嫉妬なんて……」
「俺、スライムのダンジョンで、レイさんに『メルディに本気になっていいですか』って聞いたんだ」
 
 目を見開く。二人で連れ立ってトイレに行っていたときだろうか。そんな素振りちっとも見せやしなかったのに。

「なんて? なんて言ってたの?」
 
 体が震え、背中に汗が伝っていく。距離感を保つことも忘れて、メルディはマルクに縋りついた。

「それが……。『好きにしなよ』って言われたよ」
 
 喉をしめられたような感覚がした。声もなく涙をこぼすメルディの頬に、マルクが手を伸ばす。
 
 そのとき、二階から物音が聞こえた。
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