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1幕 大団円目指して頑張ります!
16場 馬宿の怪③
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「何の音……?」
「宿泊客じゃない?」
「違うわ。今は誰もいないはずだもの」
二階に宿泊予定の客は、夕方に逃げた二人だけだったと女将さんから聞いた。
化け物や悪霊じゃなくとも、泥棒の可能性はある。
レイやグレイグを起こそうかと一瞬考えたが、マルクと二人でロビーにいたのを知られたくなかったのでやめた。
「私、ちょっと様子を見てくる。マルクは先に部屋に戻ってて」
「一人じゃ危ないよ。俺も行く」
階段を上るメルディのあとをマルクがついてくる。
さっきまで感じていた眩暈はすっかり消えていた。目からこぼれ落ちる涙も。目的を与えられると、人はしっかりするのかもしれない。
「……暗いわね」
ロビーで調達した魔石ランプを廊下の先に向ける。光量が少なすぎてほんの数十センチ先しか見えない。仕方ないので、周囲を警戒しつつ一歩ずつ足を進める。
メルディの足音と、マルクの足音が廊下に響く。その合間に、微かに何かを擦るような音が聞こえて身ぶるいをした。
マルクにも聞こえたか確認したいが、怖い話は苦手だと言っていたので、口に出すのをぐっとこらえる。
廊下の奥の出窓には、夕方見たときと同じく熊のぬいぐるみが座っていた。あたりを見渡してみても、特に異常はない。客室にも人気はなさそうだ。
「何もなさそうね。ごめん、マルク。私の気のせいだったかも――」
ふと、出窓に視線を戻して体が固まった。
熊のぬいぐるみがない。
「なんで……? さっきまであったのに……」
「メ、メルディ……。何か、音しない?」
さっきと同じ、何かを擦るような音が近づいてくる。背後に気配を感じて振り返ったが、何もいない。
マルクはもう声も出せないようだ。距離感のことも忘れ、二人で身を寄せ合う。
触ってもいないのに、一番奥の客室のドアがきいっと開いた。
明かりを消し忘れたのだろうか。隙間から漏れるオレンジ色の光が床に伸びる。そして、その中に大きな熊のシルエットがゆらりと浮かび上がった。
「――っ!」
声なき悲鳴を上げる。同時に、周囲が一気に明るくなった。天井の照明が点いたのだ。
「君たち、何やってんの?」
「レ、レイさん!」
「また逢引き? 使える部屋でも探してた?」
「部屋……? 違うよ、何か物音がしたから――」
また何かを擦るような音が聞こえ、体が飛び上がった。怪談話は平気だったはずなのに情けない。
レイは長い耳をぴくりと動かすと、「なるほどね」と呟いて客室の中に入っていった。
直後、何かが逃げ回る音と、家具をひっくり返すような音が聞こえてきた。レイを一人で危険に晒すわけにはいかない。勇気を振り絞って客室に飛び込む。
「私も戦う!」
「何と戦うのさ。大丈夫。捕まえたよ」
レイの手の中には、じたばたと暴れる熊のぬいぐるみがあった。
「あらまあ。まさか本当に熊のぬいぐるみが動いてたなんて。ねえ、あんた」
寝巻き姿の女将さんの隣で、同じく寝巻き姿のご亭主が黙って頷く。寡黙な性分のようで、さっきから一言も発していない。
魔石灯の明かりが揺らめくロビーのソファには、レイとマルク、メルディとグレイグ、女将さんとご亭主がそれぞれセットになって座っている。
机の上には縛り上げられた熊のぬいぐるみ。どことなくふてくされて見えるのは気のせいだろうか。
他に客の姿はない。眠りを妨げられた何人かがクレームを言いに出てきたが、この異様な空気に黙って部屋に引き返していった。
「おそらく元の持ち主が強い聖属性の魔力の持ち主だったんだろうね。魔生物になったのを知ってて渡したのかはわからないけど、モルガン戦争で魔物から店を守ってたのは、このぬいぐるみだと思うよ」
レイの説明に、グレイグが「そのまさかだったかあ」と頭を抱える。
「何を勉強してるんだって、先生に怒られちゃうよ。魔力の供給がなくても動けたのは、窓際に置かれてたから?」
「そうだね。月明かりには聖の魔素が含まれてる。この店自体も綺麗に整備されていて、聖の魔素が発生しやすい環境だからね。ぬいぐるみには居心地良かったんでしょ。ねえ、黙ってないで何か反応したらどうなの?」
つんつん、と頭を突かれても熊のぬいぐるみはそっぽを向いている。なんだか可哀想になってきた。横から手を伸ばしてぬいぐるみを抱き上げ、縄をとく。
「メルディ、勝手なことするんじゃないよ」
「いいじゃない。もう逃げたりしないわよ。ねえ?」
優しく声をかけると、ぬいぐるみはメルディの胸に擦り寄ってきた。可愛い。
「どうしてお客さんを脅かしちゃったの? 悪い評判がたったら、女将さんたちだって困っちゃうよ?」
首を傾げるメルディに、ぬいぐるみは両手をばたばたさせて何かを訴えてきた。でも、何を言いたいのかわからない。こういうとき、同じ聖属性だったら通じ合えるのだろうか。
「これだろうね」
レイが棚から取り出した新聞を広げて指を差した。隣町で起きた空き巣事件の記事だ。
犯行現場の写真と、犯人だと思われる二人組の顔写真が載っている。悪事を働きそうにない見た目だが、それぞれ右耳と左耳が欠損していた。
「どこかで見たような……?」
眉を寄せて顔を近づけると、ぬいぐるみがメルディの胸を叩いた。そのつぶらな瞳を見てはっと思い出す。写真に載っていたのは夕方逃げ出した二人組だった。
「悪いことをするやつは、魔の魔素を取り込みやすいからね。よからぬ気配に反応したんじゃない? とはいえ、ただのぬいぐるみに撃退する力はない。だから、ああして影を利用して脅かしたんだろうね」
「女将さんたちを守ろうとしたの?」
ぬいぐるみがこくこくと頷く。それを見て女将さんが「まあ……」と瞳を潤ませる。
「二百年もずっと……。そんなこと知らずに、あたしたちったら」
伸ばされた女将さんの手にぬいぐるみを預ける。一人と一匹は、今までの想いを分かち合うように頬を寄せ合った。ついもらい泣きしそうになったところで、ふとあることに気づく。
「え? じゃあ、私たちのことも悪者だって思ったってこと?」
「夜中に逢引きしてるからでしょ。二階にいたら様子はわからないし、泥棒だと思われたんじゃないの」
「やめてよレイさん! 逢引きじゃないって! たまたま一緒になっただけ!」
ちらりとマルクを見たが、彼はご亭主と同じく、さっきから黙ったままだ。それどころか、冷や汗をかいて動くぬいぐるみから目を逸らしている。初めて見る人間には、受け入れがたい光景なのかもしれない。
「ねえ、エルフのお兄さん。この子みたいな魔生物っていうのは、そこら辺にいるものなのかい?」
「魔属性から発生したタイプだと、古いダンジョンに潜ればいるよ。でも、聖属性はほとんど見ないね。首都に一匹いるけど、レアケースだよ」
「そうかい……」
女将さんは愛おしげにぬいぐるみの頭を撫で、改めてメルディたちに向き合った。
「あんたたち、ウィンストンで用を済ませたら首都に戻るんだろ? なら、この子も一緒に連れていってやってくれないかい?」
「えっ、どうしてですか?」
思わず声がひっくり返った。ぬいぐるみも困惑している気がする。
「もしかして、怖くなっちゃったとか……?」
「違うよ。あたしも亭主もそこそこの歳だし、後継ぎもいない。いずれは宿を畳まなきゃねって話してたんだ。こんな田舎じゃ、魔生物ってやつに偏見を持つ人も多い。それなら、仲間と一緒にいた方がいいんじゃないかって思ってね」
つぶらな瞳をじっと見つめる女将さんに何を感じたのか。ぬいぐるみは女将さんに、ひし、と抱きつくと、その手の中から飛び降り、メルディに駆け寄ってきた。
「いいの?」
ぬいぐるみがこくりと頷く。その瞳には決意の色が浮かんでいる気がした。
「そっか。じゃあ、一緒に行こう。女将さん、この子に名前はあるんですか?」
「いいや。あたしらはずっとぬいぐるみとしか呼んでなかったから」
「お姉ちゃんがつけてあげたら?」
グレイグの提案に女将さんもぬいぐるみも同意した。ペットすら飼ったことないのに、いきなりハードルが高い。
「責任重大だなあ。男の子と女の子、どっちなんだろ」
「オスだと思うよ」
レイが口を挟む。
「なんでわかるの?」
何故かレイは答えてくれなかった。ぬいぐるみに確認したところ、本当に男の子だった。エルフの勘というやつだろうか。
「じゃあ、ロビン、ってどう?」
散々悩んだ挙句、思い浮かんだのは子供の頃に読んだ冒険物語に登場する熊の獣人の名前だった。
少しでも構ってもらいたくて、よくレイに朗読をねだったものだ。きっと、もう忘れているのだろう。レイの表情はいつもと変わらなかった。
ぬいぐるみは少し逡巡する素振りを見せたあと、大きく頷き、もふ、と肉球をメルディの頬に当てた。
「宿泊客じゃない?」
「違うわ。今は誰もいないはずだもの」
二階に宿泊予定の客は、夕方に逃げた二人だけだったと女将さんから聞いた。
化け物や悪霊じゃなくとも、泥棒の可能性はある。
レイやグレイグを起こそうかと一瞬考えたが、マルクと二人でロビーにいたのを知られたくなかったのでやめた。
「私、ちょっと様子を見てくる。マルクは先に部屋に戻ってて」
「一人じゃ危ないよ。俺も行く」
階段を上るメルディのあとをマルクがついてくる。
さっきまで感じていた眩暈はすっかり消えていた。目からこぼれ落ちる涙も。目的を与えられると、人はしっかりするのかもしれない。
「……暗いわね」
ロビーで調達した魔石ランプを廊下の先に向ける。光量が少なすぎてほんの数十センチ先しか見えない。仕方ないので、周囲を警戒しつつ一歩ずつ足を進める。
メルディの足音と、マルクの足音が廊下に響く。その合間に、微かに何かを擦るような音が聞こえて身ぶるいをした。
マルクにも聞こえたか確認したいが、怖い話は苦手だと言っていたので、口に出すのをぐっとこらえる。
廊下の奥の出窓には、夕方見たときと同じく熊のぬいぐるみが座っていた。あたりを見渡してみても、特に異常はない。客室にも人気はなさそうだ。
「何もなさそうね。ごめん、マルク。私の気のせいだったかも――」
ふと、出窓に視線を戻して体が固まった。
熊のぬいぐるみがない。
「なんで……? さっきまであったのに……」
「メ、メルディ……。何か、音しない?」
さっきと同じ、何かを擦るような音が近づいてくる。背後に気配を感じて振り返ったが、何もいない。
マルクはもう声も出せないようだ。距離感のことも忘れ、二人で身を寄せ合う。
触ってもいないのに、一番奥の客室のドアがきいっと開いた。
明かりを消し忘れたのだろうか。隙間から漏れるオレンジ色の光が床に伸びる。そして、その中に大きな熊のシルエットがゆらりと浮かび上がった。
「――っ!」
声なき悲鳴を上げる。同時に、周囲が一気に明るくなった。天井の照明が点いたのだ。
「君たち、何やってんの?」
「レ、レイさん!」
「また逢引き? 使える部屋でも探してた?」
「部屋……? 違うよ、何か物音がしたから――」
また何かを擦るような音が聞こえ、体が飛び上がった。怪談話は平気だったはずなのに情けない。
レイは長い耳をぴくりと動かすと、「なるほどね」と呟いて客室の中に入っていった。
直後、何かが逃げ回る音と、家具をひっくり返すような音が聞こえてきた。レイを一人で危険に晒すわけにはいかない。勇気を振り絞って客室に飛び込む。
「私も戦う!」
「何と戦うのさ。大丈夫。捕まえたよ」
レイの手の中には、じたばたと暴れる熊のぬいぐるみがあった。
「あらまあ。まさか本当に熊のぬいぐるみが動いてたなんて。ねえ、あんた」
寝巻き姿の女将さんの隣で、同じく寝巻き姿のご亭主が黙って頷く。寡黙な性分のようで、さっきから一言も発していない。
魔石灯の明かりが揺らめくロビーのソファには、レイとマルク、メルディとグレイグ、女将さんとご亭主がそれぞれセットになって座っている。
机の上には縛り上げられた熊のぬいぐるみ。どことなくふてくされて見えるのは気のせいだろうか。
他に客の姿はない。眠りを妨げられた何人かがクレームを言いに出てきたが、この異様な空気に黙って部屋に引き返していった。
「おそらく元の持ち主が強い聖属性の魔力の持ち主だったんだろうね。魔生物になったのを知ってて渡したのかはわからないけど、モルガン戦争で魔物から店を守ってたのは、このぬいぐるみだと思うよ」
レイの説明に、グレイグが「そのまさかだったかあ」と頭を抱える。
「何を勉強してるんだって、先生に怒られちゃうよ。魔力の供給がなくても動けたのは、窓際に置かれてたから?」
「そうだね。月明かりには聖の魔素が含まれてる。この店自体も綺麗に整備されていて、聖の魔素が発生しやすい環境だからね。ぬいぐるみには居心地良かったんでしょ。ねえ、黙ってないで何か反応したらどうなの?」
つんつん、と頭を突かれても熊のぬいぐるみはそっぽを向いている。なんだか可哀想になってきた。横から手を伸ばしてぬいぐるみを抱き上げ、縄をとく。
「メルディ、勝手なことするんじゃないよ」
「いいじゃない。もう逃げたりしないわよ。ねえ?」
優しく声をかけると、ぬいぐるみはメルディの胸に擦り寄ってきた。可愛い。
「どうしてお客さんを脅かしちゃったの? 悪い評判がたったら、女将さんたちだって困っちゃうよ?」
首を傾げるメルディに、ぬいぐるみは両手をばたばたさせて何かを訴えてきた。でも、何を言いたいのかわからない。こういうとき、同じ聖属性だったら通じ合えるのだろうか。
「これだろうね」
レイが棚から取り出した新聞を広げて指を差した。隣町で起きた空き巣事件の記事だ。
犯行現場の写真と、犯人だと思われる二人組の顔写真が載っている。悪事を働きそうにない見た目だが、それぞれ右耳と左耳が欠損していた。
「どこかで見たような……?」
眉を寄せて顔を近づけると、ぬいぐるみがメルディの胸を叩いた。そのつぶらな瞳を見てはっと思い出す。写真に載っていたのは夕方逃げ出した二人組だった。
「悪いことをするやつは、魔の魔素を取り込みやすいからね。よからぬ気配に反応したんじゃない? とはいえ、ただのぬいぐるみに撃退する力はない。だから、ああして影を利用して脅かしたんだろうね」
「女将さんたちを守ろうとしたの?」
ぬいぐるみがこくこくと頷く。それを見て女将さんが「まあ……」と瞳を潤ませる。
「二百年もずっと……。そんなこと知らずに、あたしたちったら」
伸ばされた女将さんの手にぬいぐるみを預ける。一人と一匹は、今までの想いを分かち合うように頬を寄せ合った。ついもらい泣きしそうになったところで、ふとあることに気づく。
「え? じゃあ、私たちのことも悪者だって思ったってこと?」
「夜中に逢引きしてるからでしょ。二階にいたら様子はわからないし、泥棒だと思われたんじゃないの」
「やめてよレイさん! 逢引きじゃないって! たまたま一緒になっただけ!」
ちらりとマルクを見たが、彼はご亭主と同じく、さっきから黙ったままだ。それどころか、冷や汗をかいて動くぬいぐるみから目を逸らしている。初めて見る人間には、受け入れがたい光景なのかもしれない。
「ねえ、エルフのお兄さん。この子みたいな魔生物っていうのは、そこら辺にいるものなのかい?」
「魔属性から発生したタイプだと、古いダンジョンに潜ればいるよ。でも、聖属性はほとんど見ないね。首都に一匹いるけど、レアケースだよ」
「そうかい……」
女将さんは愛おしげにぬいぐるみの頭を撫で、改めてメルディたちに向き合った。
「あんたたち、ウィンストンで用を済ませたら首都に戻るんだろ? なら、この子も一緒に連れていってやってくれないかい?」
「えっ、どうしてですか?」
思わず声がひっくり返った。ぬいぐるみも困惑している気がする。
「もしかして、怖くなっちゃったとか……?」
「違うよ。あたしも亭主もそこそこの歳だし、後継ぎもいない。いずれは宿を畳まなきゃねって話してたんだ。こんな田舎じゃ、魔生物ってやつに偏見を持つ人も多い。それなら、仲間と一緒にいた方がいいんじゃないかって思ってね」
つぶらな瞳をじっと見つめる女将さんに何を感じたのか。ぬいぐるみは女将さんに、ひし、と抱きつくと、その手の中から飛び降り、メルディに駆け寄ってきた。
「いいの?」
ぬいぐるみがこくりと頷く。その瞳には決意の色が浮かんでいる気がした。
「そっか。じゃあ、一緒に行こう。女将さん、この子に名前はあるんですか?」
「いいや。あたしらはずっとぬいぐるみとしか呼んでなかったから」
「お姉ちゃんがつけてあげたら?」
グレイグの提案に女将さんもぬいぐるみも同意した。ペットすら飼ったことないのに、いきなりハードルが高い。
「責任重大だなあ。男の子と女の子、どっちなんだろ」
「オスだと思うよ」
レイが口を挟む。
「なんでわかるの?」
何故かレイは答えてくれなかった。ぬいぐるみに確認したところ、本当に男の子だった。エルフの勘というやつだろうか。
「じゃあ、ロビン、ってどう?」
散々悩んだ挙句、思い浮かんだのは子供の頃に読んだ冒険物語に登場する熊の獣人の名前だった。
少しでも構ってもらいたくて、よくレイに朗読をねだったものだ。きっと、もう忘れているのだろう。レイの表情はいつもと変わらなかった。
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