フランチェスカ異聞ー紫の騎士と赤き公爵令嬢ー

遠野さつき

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第1部 フランチェスカの日々

5話

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 ミゲルの後について執務室に向かう。静まり返った廊下に響くのはミゲルとサミュエルの足音だけだ。テオは自室でマッテオとマリアンナと共に待機している。人質ということだろう。

「エミリオ様、お連れいたしました」

 執務室の中は薄暗かった。唯一の明かりはエミリオが手にしているカンテラと、ミゲルが手にしている小ぶりの燭台だけだ。

 入浴後だからか、エミリオはいつもより軽装だった。シャツのボタンも鎖骨まで開いている。常に喉元まで留めていたのは、喉仏が出ていないのを隠すためだったのだ。サラシも外しているのか、ベストに隠されていない胸は微かに膨らんでいた。

「よし。ミゲル、始めてくれ」

 燭台を机の上に置き、黙礼したミゲルが一番奥の本棚に手をかけた。重そうな見た目に反して滑らかに横に動く。その奥には、まるで奈落の底まで続いていそうな暗闇がぽっかりと口を空けていた。カンテラの明かりに照らされて、地下へと続く階段がかろうじて見える。

 隠し扉だ。もしもの時に備えてサミュエルの家にもあるらしいが、実際に見たことはない。

「足元が暗いのでお気をつけください」

 口調は穏やかだが目は笑っていない。主人の秘密を暴いたサミュエルを許せないのだろう。手渡された燭台を受け取り、エミリオに続いて階段を下りる。よく利用しているのか、エミリオの足運びに迷いはなかった。

 下に行くに従って徐々に体が冷えてきた。地下だからなのだろうか。そんなに深くなさそうなのに、凍えそうなほど寒い。一番下に辿り着いたときには、吐き出す息が白くなっていた。

 行き止まりには重厚な扉があった。作られて相当経過しているらしく、取っ手を引くとぎいっと耳障りな音を立てた。

 中は思ったよりも広く、古いが質の良い家具やソファが備え付けられていた。淡い桃色の壁紙といい、さりげなく置かれた羊のぬいぐるみといい、そこかしこに少女が暮らしていた形跡がある。

「この毛布を羽織れ。多少はマシになるはずだ」

 ソファにかかっていた毛布を手渡される。年季が入っていそうだったが、不潔さは感じなかった。意地を張っていても仕方がないので、大人しく肩から羽織る。寒いのは寒いが、エミリオの言う通り、幾分かは震えも落ち着いた。

「こっちだ」

 エミリオの声に従って部屋の奥に向かう。そこにはベッドと小さな鏡台が置かれていた。シーツがかかったベッドは不自然に盛り上がっていて、ちょうど人が横たわっているように見える。

「これから見せるものは他言無用だ。もし漏らすようなら、こちらにも考えがある」

 ――脅しのつもりか?

 内心、鼻で笑いながら黙って頷く。サミュエルに拒絶の意思がないことを確認したエミリオが、シーツに手をかけ、一気に取り払った。

「っ!」

 そこに現れたのはエミリオと瓜二つの死体だった。体に目立った傷はなく、まるで眠っているように長いまつ毛を伏せている。保存するために凍らせているのか、血の気の失せた顔のところどころに霜が降りていた。

「彼が本当のフランチェスカ公爵で、双子の兄のエミリオだ。私の名はエミリア。呪われた忌み子だよ」

 ランベルト王国では双子は血筋に災いをもたらすといわれ、強く忌避されている。双子を産んだ母親に対する差別も激しい。

 馬鹿げた迷信だが、人々の間に深く根付いた意識を変えるのは容易なことではない。そのせいで可愛い我が子が生まれた瞬間から、両親はどちらを残すかという最悪の選択を迫られるわけだ。

 運良く捨て子として生き延びられる場合もあるが、大抵の場合は生まれてきたことを無かったことにされてしまう。今までどれぐらいの赤子が人知れず生を終えたのか、考えるだけで嫌な気持ちになる。

「男と女の双子だ。継承権のない私は間引かれるはずだった。でも、父上は殺さなかったんだ。出産に立ち会っていたものたちに口止めをして、私をこの地下に隠した。それからエミリオが病死するまで、私はずっとここにいた」
「病死?」
「そう、エミリオは生まれつき体が弱かった。父上が死んで家督を継いだ後、無理が祟って肺炎にかかったんだ。なのに、エミリオは黙ってた。私を心配させまいとして……。気づいたときにはもう手遅れだった」

 エミリオ改め、エミリアの顔が悲しみに歪んだ。泣くのをこらえているのか、唇が小さく震えている。

 ――まさか仇の息子まで死んでいたなんて。

 喪失感と共に、新たな怒りが胸に湧く。

「あなたは世間から消された身だ。結婚して婿を取ることもできない。だからエミリオ様に成り代わったんですか? フランチェスカを守るために?」

 エミリアがこくりと頷く。

 ――ふざけるなよ。南部を荒らしておいて、自分たちだけは助かりたいのか。

 サミュエルの怒りを察したエミリアが、縋るように言葉を続けた。

「騙していて悪かった。でも、お願いだ。黙っていてくれ。いつまでも隠し通せるとは思っていない。少しの間でいいんだ。私の仕事が終わるまで……」

 他にフランチェスカを守る方法を探すまでということだろうか。

 テオを人質に取り、口外するなと脅した割に、エミリアは懇願の姿勢を崩さなかった。右手を包み込むように握られ、嫌悪感が先に立つ。

「嫌だと言ったら?」

 手を振り払って吐き捨てると、エミリアは頬を打たれたような顔をして肩をすくめた。その怯えた姿に少しだけ溜飲が下がる。

「俺たちを殺しますか? 口止めをしたものたちのように」

 挑むように睨むと、エミリアは「こ、殺してない」と苦しげにうめいた。

「黙っていてくれと頼んだだけだ。彼らは私たちのために口を噤むと約束してくれた」
「そんな都合のいい話を信じろと?」
「本当だ! ミゲル、マッテオ、マリアンナの三人に聞いてくれ! 彼らは父上の側近だった。双子のことも、入れ替わりのことも、知っているのは彼らだけだ!」

 冷えた部屋の中に、エミリアの悲痛な声が響いて消えた。その直後に頭上からコツコツと踵が床を鳴らす音が耳に届いた。不安になったミゲルが部屋の中を歩き回ってるのだろう。三週間そばで見てきたが、彼らの忠誠心は本当のようだった。

 少々過保護が行き過ぎると思うきらいもあったが、エミリアの秘密を守るためなのだと思えば腑に落ちた。エンリコの遺志はしっかりと彼らに引き継がれている。幾多の人間を殺した悪人も身内には弱いのだろうか。

 ――なんで、その慈悲を外にも向けてくれなかったんだ。

 問い質したくとも、相手はもうこの世にはいない。

 胸に湧いた怒りは消え、代わりにやるせない悲しみが押し寄せてきた。仇の人間らしい一面も、仇の娘の悲しい過去も、知りたくなどなかった。

「考えがあると言ったのはどういう意味ですか? 殺すわけじゃないのなら、監禁でもするつもりですか?」
「それは……」

 エミリアは言葉をつまらせると、助けを求めるようにエミリオを見た。だが、死者は何も語らない。彼女はしばらく黙っていたが、やがて小さく肩を落とし、「記憶を消す」と呟いた。

 馬鹿げた冗談だ。一体どうやって人の記憶を消すというのか。

「ケルティーナ人は精霊の血を引いているというお伽話を知っているか?」
「それは知っていますが……」

 唐突な話題に戸惑いつつも正直に答える。航海技術が発達するまで、ケルティーナは外界との接触を絶っていた。

 初めて訪れた人間は、その燃えるような髪の色に神秘的なものを感じたのだろう。この国に昔から伝わる精霊信仰を土台に、ケルティーナ人は精霊の血を引いているのだとまことしやかに囁かれるようになった。

 だが、所詮は子供に聞かせる寝物語に過ぎない。それを今、なぜ持ち出したのか理解できなかった。

「あれは本当なんだ。私の母上はケルティーナの中でも精霊の力が強い一族の末裔だった。エミリオを凍らせたのも、記憶を消すことができるのも、全て魔法の力があるからなんだ」
「……俺をからかっているのですか?」

 自分でもわかるほど低い声が出た。こんな状況でなければとっくに剣を振るっていただろう。エミリアはサミュエルの反応を予想していたようで、冷静に「私の手を見てくれ」と言った。

 素直に目を向けると、エミリアは水を掬うような手つきをしてそっと目を閉じた。すると、その手のひらの中に吸い寄せられるように、周囲の光が集まって玉になった。ちょうどカンテラの明かりだけを浮かべたような形である。

 まさか夢を見ているのではないかと思ったが、何度目を擦っても光は彼女の手のひらの中にあった。

「他にも火を出したり、傷を治したりもできる。エミリオは使えなかったから、女にだけしか受け継がれないのかもしれないな……。後、毒は効かない。飲んだ瞬間に分解されるみたいで、何度試しても同じだった」

 毒、という単語に内心どきりとした。どうやら紛いものを掴まされたわけではなく、エミリアの能力のせいだったようだ。信じたくはなかったが、目の前で見てしまったからには飲み込むしかない。

「私としても人の記憶などいじりたくはない。人格にどこまで影響するのかわからないし……。お前たちだって、記憶を消されたら困るだろう?」

 必死な顔のエミリアに、サミュエルは内心ため息をついた。どれだけ虚勢を張っていても、まだまだ甘ちゃんだ。いくらエミリアが記憶と消すと言っても、この場で切り殺して逃げてしまえばそれまでなのに。

 ――でも、テオが人質に取られている以上そうもいかないか。

 いくら仇を取るためだといえ、従者を見殺しにするつもりは毛頭なかった。最初から選択肢など用意されていないのだ。

「わかりました。せっかく見つけた就職先ですからね。ここに残りますよ」

 渋々了承すると、エミリアは心の底から嬉しそうに目を細め、少女らしく無邪気に微笑んだ。

「ありがとう! そう言ってくれて本当に嬉しいよ」

 今は笑っていればいい。どうやってフランチェスカを守るつもりなのかは知らないが、王国に牙を剥こうとしたときが仇を取るときだ。

 ――それまでは見ててやるよ。

 サミュエルの気持ちとは裏腹に、エミリアが生み出した光球が、暗い地下室の中で夜空の星のように瞬いていた。
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