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第2部 悲劇を越えた先へ
34話
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「これから、どうなさるおつもりなのですか!」
わなわなと唇を震わせた壮年の男がカルロに食ってかかる。傷こそないものの、頬のこけた男の顔は、オズワルドによく似ていた。
——息子の心配よりも、自分の心配か。
彼の背後には顔を青ざめた新興貴族たちが付き従っている。自分たちの行く末に思いを馳せているのだろうか。皆が皆、心ここに在らずといった有様だ。
カルロは机の上に散乱した羊皮紙を隅に追いやり、前のめりになった男の顔を見上げるように頬杖をついた。
「どうもこうもない。当初の予定通りフランチェスカを攻める」
「事は内乱ですよ! アヴァンティーノが蜂起し、他の貴族たちが追従すれば、この国は二つに割れます! 我々とてタダでは済みません!」
「そうだな。全てを知るオズワルドはロドリゴの手の中だ。お前たちの企みが公になった今、貴族たちはお前たちの寝返りを決して許さないだろう」
「何を他人事のように……! 元はといえば、あなたが先王夫妻を殺さなければ、ここまでの事態にはならなかったのですよ! レギリスが王城にあったことは正式な書類に記されている。それが無いとなれば、言い逃れはできません! そうと知っていれば、あなたの企みには乗らなかったのに!」
顔を真っ赤にして激昂する男に、思わず笑みが漏れる。
——お前たちだって、双子が生まれたら殺すじゃないか。
カルロにとって、親を毒殺したことは自分なりの理由があってのことだ。もし殺していなければ、今頃ここにこうして座っていることはなかっただろう。
——親ね。
血の繋がりがなくても愛情深い関係もあれば、血の繋がりがあっても希薄な関係もある。それに振り回されるこちらはたまったものではない。
「盗まれる可能性はゼロではない。証拠品はサミュエルが持って逃げている。あいつらは必ずフランチェスカに戻るはずだ。そこを叩き潰せばいい」
証拠品さえ回収すれば、偽装はいくらでもできる。今までやってきたことと、たいして変わらない。男たちも自分たちの身を守るためなら、カルロに手を貸すだろう。
「わかるだろう? もう道はないんだよ。この騒ぎをおさめるには、フランチェスカとアヴァンティーノを反逆の徒として裁き、全てがあいつらの企みだったとするしかない。首謀者がいなくなれば、造反した貴族たちも大人しくなるだろう。いつだって、勝ったものが正義なんだからな」
口角を上げて微笑むカルロに、男は怯んだように喉をつまらせた。
——臆病者め。こういうところも、息子にそっくりだな。
心の中で嘲るように笑い、カルロは椅子から立ち上がった。そして、男の目をのぞき込むように顔を寄せる。
幼い頃から人形みたいだと言われていたカルロの顔を間近で見て、男はまるで縫い止められたようにその場から動けなくなった。
「今から二週間以内に兵備を調えろ。フランチェスカは辺境だ。どれだけ行軍を急いだとしても、到着するのは十月になる。南部にも早馬を出せ。近衛騎士団や各地の王国軍にも通達を出し、怪しいものは片っ端から捕らえさせろ。ロドリゴの捕獲を最優先するんだ」
いくらロドリゴが人望熱くても、全ての貴族たちが従うわけではない。近衛騎士や兵士たちも同様だ。
これ以上反乱の芽を広げないためにも、どれだけ早く出兵できるかにかかっている。国民たちの声も馬鹿にはできない。彼らはいつだって、数だけは多いのだから。
いいな、と男に囁いて、カルロは執務室を後にした。誰かが追いかけてくる気配はない。それだけの度胸を持ち合わせたものは、あの場にはいないだろう。
シンと静まり返った廊下を進み、自室の扉を開ける。
さっきまで激しく降り注いでいた雨はすっかりと止み、ようやく顔を出した月の明かりが、ガランとした部屋の中を照らしていた。
吸い寄せられるように近づいた机の上には、一振りの剣が置かれている。ロドリゴが愛息子のために特注した業物だ。ソフィアが渡したという、柄頭に埋め込まれたアメジストが月明かりに反射して光っていた。
——どうして、こんなことになったんだ?
アメジストの輝きを覆い隠すように柄頭に触れ、今までの人生を振り返る。確かに多くの罪を犯した。しかし、それ以上にこの国のために働いてきたことも事実だった。
——こんなに簡単に切り捨てられるんだな。
真っ先にアヴァンティーノに追従した古老たちは、先々代の頃からの重鎮たちだ。新興貴族たちを取り立て始めた頃から、彼らはカルロを見限っていたのだろう。
——昔はあれだけ持ち上げてきたくせに。
好々爺ぶった古老たちの顔が脳裏によぎり、唇を噛む。
カルロは幼い頃から自分の立ち位置をよく理解していた。
四百年続いた王族の、ただ一人の直系の男子だ。貴族たちも揃って「あなたは唯一の王位継承者なのですから」と、カルロを将来のふさわしい王にするべく、厳しく接してきた。
そしてカルロも、彼らの期待に応えようと、一心不乱に勉学と鍛錬に励んできた。ときには体を壊し、何日も寝込んだこともある。
しかし、どれだけ努力しても、両親はこちらを振り向いてくれなかった。辛くて泣いた夜も、味気ないひとりぼっちの食事も、彼らは知らず、ただ公務に忙殺されていた。
たまに顔を合わせても気まずそうに目を逸らすだけで、いつだってまっすぐに目を見てくれたことはなかった。
その穴はロドリゴが必死に埋めようとしてくれたが、所詮は他人だ。どれだけ優しくされても、どれだけ遊んでくれても、常にどこか満たされないものを感じていた。
この国を統一したいという夢を抱いたのもその頃だ。名君と謳われたアウグスト一世ですら成し得なかったことを実現すれば、両親もこちらを見てくれるのではと思ったから。
だが、返ってきたのは両親や貴族たちの失望の眼差しだった。
——何がいけないんだ。
この国の始まりについては、授業で嫌というほど教えられていた。様々な民族が、様々な文化を守り生きてきたことも。
しかし、建国して四百年も経っているのだ。最初は自治を選んでいても、豊かさを求めて、王領に組み込まれた土地も多い。だからこそ、南部が未だ頑なに自治を守り続けることが理解できなかった。
——いつか、自分が正しかったと証明してやりたい。
そんな鬱々とした日々を過ごす中、カルロと同じく、金髪青目を持つ男が王都にやってきた。たまにしかこない割に、いつも両親やロドリゴの関心を買っていく男だ。
彼がきたときは、両親も公務を放り出して、まるで子供のように楽しそうに笑っていた。自分にはそんな顔を一度たりとも見せてくれないのに。
エンリコという名の男は、ベアトリーチェという名の大きく腹の膨れた赤毛の女を連れて、常に無愛想な顔に、珍しく満面の笑みをたたえていた。もうすぐ子供が生まれるという。
幸せそうなその姿に、カルロは自分の胸の内に憎悪が芽生えるのを感じた。フランチェスカは自治を持つ公爵領だ。もし後継ぎが生まれたら、カルロの夢はさらに遠のくだろう。両親や貴族たちを見返すこともできなくなる。
ベアトリーチェが亡くなり、エンリコが王都に足を向けなくなってからは、心安らかな日々が続いた。だが、その代わりに、両親の会話の中にエミリオの名が出ることが多くなっていた。
——なんで、顔も見たことのないやつのことを気にかけるんだ。
それなら目の前にいる自分を見てくれと、叫び出したい気持ちだった。しかし、十歳も下の赤ん坊に嫉妬しているという事実を公にできるわけもなく、ただ指を咥えて見ているしかなかった。
——今は我慢だ。成人さえすれば、きっとこっちを見てくれる。
何しろ、唯一の王位継承者だ。成人すれば、将来王位を継ぐときに備え、徐々に公務の引き継ぎも始まるはずだ。そう思って、成人式の日を指折り数えて待っていた。
しかし、カルロが直面したのは、予想もしない現実だった。
「王位を継がせない?」
「そうだ。お前にはこの国の舵取りは荷が重いと思う」
「……俺が、この国を統一したいと言ったからですか」
感情を削ぎ落としたようなカルロの声に、アデルは一瞬怯んだ様子を見せたが、すぐにいつも通りの表情に戻ると、静かに頷いた。
「お前が諦めていないことはわかっている。王位を継いだら、実現しようとしていることも。だが、私はこの国の王として、それだけは認めることはできない。南部は自治を保つことに強い誇りを持っている。それを無理やり統一しようとすれば、無為な争いを生んでしまう」
「わかってちょうだい、カルロ。私たちはあなたが心配なの。人が故郷を愛する気持ちを甘く見ては駄目。彼らは自分の家族を守るためなら、どんなに強大な相手だろうと牙を向くわ」
そう言って、カロリーナはカルロを抱きしめた。温かな体温が身体中に伝わり、染み渡っていく感覚がする。こうして触れられるのは初めてのことだった。予期せぬ展開に、夢を見ているのではと錯覚すら覚えた。
「……きっと、そんな夢を抱いたのは私たちのせいよね。私たちが至らないばっかりに、あなたには随分寂しい思いをさせてしまった。この国という重荷も背負わせて……」
カルロの頭に頬を寄せるカロリーナの柔らかさを感じながら、カルロはエンリコに抱いたのと同じ感情が湧き上がってくるのを感じた。
——何を今さら!
頭の中が怒りで真っ白になっていく。あれだけ欲しても与えてくれなかったものを、今のこの状況で押し付けてくる神経に腹が立った。
カロリーナの胸を押しやり、挑むように二人を見上げる。息子の冷たい眼差しに、彼らは揃って悲しそうな表情を浮かべた。
「あなたたちの息子は俺だけでしょう。いったい誰に継がせるつもりですか? もし妾の子がいたとしても、正当な血を引くものでなければ、貴族たちが認めるはずがない」
「私はカロリーナを裏切ったことはない。だが……正当な王家の血を引くものだ。それは間違いない」
キッパリとした口調に、カルロの疑念が増す。
——お爺様か?
ファウスティナ公爵であるアレクシウスはカロリーナの父親だ。フランチェスカと同じく、ファウスティナは建国の際にアウグスト一世の弟に譲渡された土地で、歴代の公爵は王家の血を引いている。
唯一の王位継承者であるカルロを継がせないとすると、近い血を持つものを据える可能性は確かにあった。しかし、彼はもう老齢に近い。今さら国政に乗り出してくるとも思えなかった。
——まさか、エンリコ?
妻を連れてきたときの幸せそうな顔を思い出し、全身が燃えたぎるような気がした。
カルロにとって、エンリコは自分にないものを全て持っている男だった。両親やロドリゴ、そして古老からの信頼も厚く、亡くしはしたものの美しい妻を娶り、後継ぎにも恵まれ、辺境だが豊かな土地で領民たちにも愛されている。
——それなのに、俺から全てを奪っていくのか?
今までずっと、この国唯一の王位継承者だという矜持だけで生きてきた。王位を取り上げられてしまったら、自分には何一つ残らないのに。
——許さない。
燃えたぎる体に反比例して、すうっと頭の中が冷えていく。ここにきてカルロは、深すぎる憎しみは人を作り変えてしまうことを知った。
——今までの俺は死んだ。これからは自分の心の赴くままに生きてやる。
「……この話は、ロドリゴも知っているのですか」
「いや、まだだ。まずお前に話してからと……」
「そうですか。父上と母上のご懸念はもっともです。確かに、俺には土地を愛する人間の気持ちはわからない。ですが……明日の成人式が終わるまでは胸にしまっていただけませんか。せめて大人になる瞬間までは、夢を見ていたいのです」
「カルロ……すまない。本当に、本当に……」
「ごめんなさい、カルロ……」
涙を流す両親を冷めた目で見つめながら、カルロは自分が王位に就くためにはどうするかを考えた。
しかし、もはや方法は一つだけだ。
——殺すしかない。
そして、両親が寝静まった深夜、近衛騎士たちの警備の目を掻い潜り、カルロは王城の保管庫からレギリスを取り出した。他の毒を調達するには日が足りない。それに、下手に動けば誰かに勘づかれてしまう恐れもある。
——後を継いでしまえば、ここの管理者は俺だ。
誤魔化そうと思えば、いくらでも誤魔化せる。決断してしまえば、後は早かった。成人式直前に両親を呼び出したカルロは「乾杯しましょう」と言って毒を仕込んだ林檎酒を飲ませた。
まさか息子に毒を盛られるとは思わなかったのだろう。二人とも、最期まで信じられないようなものを見る目でカルロを見ていた。
——人を殺すって、こんな感じなのか。
徐々に冷たくなっていく両親の体を見下ろしても、全ての感情が消えてしまったように平静だった。
そのとき、人払いをしていたはずの扉からガタッと音がした。振り向くと頬のこけた少年が、扉を背にする状態でうずくまり、カタカタと小さく震えていた。
「あ、あの、俺、殿下を呼びにきて、それで」
そこで初めて、扉の鍵をかけ忘れていたことに気づいた。
——俺も一応は人の子だったってことだな。
レギリスが入っていた小瓶を床に落として割り、その破片を手に少年に近づく。そして破片を少年の顔の中心に当てると、力を込め、斜めに走る傷をつけた。
「お前も死にたいか?」
たらたらと赤い血を垂らしながら、少年がふるふると首を横に振る。
「じゃあ、今からお前は私の手足になれ。日も夜もなく私に尽くすんだ。いいな?」
声もなく必死に頷く少年に、カルロは薄い唇を釣り上げて笑った。
「手始めに侍医を呼んでこい。流行り病と言って隔離し、貴族たちを寄せ付けないようにするんだ。そして成人式が終わった後に、治療の甲斐なく亡くなったと言わせろ。わかったな? 後始末もお前がやるんだ」
後にオズワルドと名乗った少年は、カルロの言いつけ通りに動き、両親の死を流行り病で片付けさせることに成功した。
ただ一つ、後始末の不首尾を除いて。
——まさか、侍医が生きていたとはな。
心の中でオズワルドに舌打ちをする。
——まあ、いい。こちらが勝てば、全ては歴史の闇の中に消える。
ふう、と息をつき、両親亡き後の日々に思いを馳せる。まるで荒波に飲まれたような怒涛の日々だったが、その中においても、カルロはエンリコへの憎しみを忘れてはいなかった。
エンリコ、そしてエミリオを生かしておいては、両親と同じことを考える貴族たちが出てくるかもしれない。だからオズワルドを使ってエンリコを追いつめることにしたのだ。
フランチェスカを悪役に仕立て上げれば、公爵領に攻め入る大義名分が立ち、国の統一に一歩近づく。エンリコへの憎しみを晴らすこともできる。
——もう、振り向かない背中を追いかける必要はない。
両親の関心を買いたくて、エンリコのように伸ばしていた髪に鋏を入れたときの感情を、カルロは決して忘れることはないだろう。
——俺は十分苦しんだ。だからお前も苦しめ、エンリコ。
高潔な精神を持つ男が共犯者に堕ち、もがく様を見るのはこの上ない愉悦だった。
ヨシュナンを落とすまで五年も空いたのは、エミリオが成人するのを待っていたからだ。エンリコのことだから、後継ぎが育ち切れば、偽装の証拠を抑えるために戦場に姿を現すだろうと思っていた。
早馬でエンリコの死の知らせを聞いたときは、思わず喜びを隠し切れなかった。自分の夢を阻む最大の障壁は消えた。後は残されたエミリオに狙いを定めるだけでよかった。
憎いエンリコの血を引く息子、そして自分の地位を脅かすかもしれない存在だ。到底許すことなどできなかった。
——お前たちから全てを奪ってやる。
とても了承できない要求を突きつけて開戦を決意させ、親子ともども、国を乱した大罪人だと歴史に刻む。それがカルロの復讐だった。
しかし、それは叶わなかった。一人のサリカ人の男のせいで。
——サミュエル。
血の繋がりもないくせに、ロドリゴとソフィアの愛情を一身に受けて育った男。崩壊したサリカで拾ったと聞いたときから、ずっと気に食わなかった。
両親を殺したカルロにとって、頼りにできるのはロドリゴだけだ。だから、その愛情を横取りするサミュエルは目障りな存在だった。
サミュエルを暗殺者として向かわせたのは、反戦派のロドリゴを抑えるためでもあったが、何より、もしエミリオに殺されてしまえば、ロドリゴは自分だけを見てくれるようになると思ったからだ。
サミュエルはロドリゴに似て甘い男だ。いくら仇だと思う男の息子だといえ、殺せないだろうとは思っていた。だから正直なところ、任務の成否はどうでもよかった。
もしエミリオを殺してしまっても、開戦しようとした証拠はこの手の中にある。サミュエルたち親子の関係にヒビを入れることもできる。それぐらいの気持ちだった。
——なのに。
ギリ、と唇を噛み締める。エミリオを罠に嵌めたいとロドリゴが話を持ちかけてきたとき、怪しいとは思った。
エミリオが何かを企んでいるのは間違いない。しかし、サミュエルを殺されたと慟哭するロドリゴの姿は、とても演技には見えなかった。
だから結局、カルロはロドリゴを信じ、そして裏切られたのだ。
「くそっ……」
まさかエミリオが双子で、妹が成り代わっていたと誰が予想できただろう。挙句に、サミュエルと恋仲になって歯向かってくるとは夢にも思わなかった。
そして、ロドリゴがカルロの犯した罪を承知の上で、自分を罠に嵌めたなどと。
——ロドリゴは、俺よりもサミュエルを選んだ。
それは覆しようもない現実だった。
「お前も、俺を見限るのか、ロドリゴ……」
苦しげにぽつりと漏らした呟きは、静寂の中にただ消えていった。
わなわなと唇を震わせた壮年の男がカルロに食ってかかる。傷こそないものの、頬のこけた男の顔は、オズワルドによく似ていた。
——息子の心配よりも、自分の心配か。
彼の背後には顔を青ざめた新興貴族たちが付き従っている。自分たちの行く末に思いを馳せているのだろうか。皆が皆、心ここに在らずといった有様だ。
カルロは机の上に散乱した羊皮紙を隅に追いやり、前のめりになった男の顔を見上げるように頬杖をついた。
「どうもこうもない。当初の予定通りフランチェスカを攻める」
「事は内乱ですよ! アヴァンティーノが蜂起し、他の貴族たちが追従すれば、この国は二つに割れます! 我々とてタダでは済みません!」
「そうだな。全てを知るオズワルドはロドリゴの手の中だ。お前たちの企みが公になった今、貴族たちはお前たちの寝返りを決して許さないだろう」
「何を他人事のように……! 元はといえば、あなたが先王夫妻を殺さなければ、ここまでの事態にはならなかったのですよ! レギリスが王城にあったことは正式な書類に記されている。それが無いとなれば、言い逃れはできません! そうと知っていれば、あなたの企みには乗らなかったのに!」
顔を真っ赤にして激昂する男に、思わず笑みが漏れる。
——お前たちだって、双子が生まれたら殺すじゃないか。
カルロにとって、親を毒殺したことは自分なりの理由があってのことだ。もし殺していなければ、今頃ここにこうして座っていることはなかっただろう。
——親ね。
血の繋がりがなくても愛情深い関係もあれば、血の繋がりがあっても希薄な関係もある。それに振り回されるこちらはたまったものではない。
「盗まれる可能性はゼロではない。証拠品はサミュエルが持って逃げている。あいつらは必ずフランチェスカに戻るはずだ。そこを叩き潰せばいい」
証拠品さえ回収すれば、偽装はいくらでもできる。今までやってきたことと、たいして変わらない。男たちも自分たちの身を守るためなら、カルロに手を貸すだろう。
「わかるだろう? もう道はないんだよ。この騒ぎをおさめるには、フランチェスカとアヴァンティーノを反逆の徒として裁き、全てがあいつらの企みだったとするしかない。首謀者がいなくなれば、造反した貴族たちも大人しくなるだろう。いつだって、勝ったものが正義なんだからな」
口角を上げて微笑むカルロに、男は怯んだように喉をつまらせた。
——臆病者め。こういうところも、息子にそっくりだな。
心の中で嘲るように笑い、カルロは椅子から立ち上がった。そして、男の目をのぞき込むように顔を寄せる。
幼い頃から人形みたいだと言われていたカルロの顔を間近で見て、男はまるで縫い止められたようにその場から動けなくなった。
「今から二週間以内に兵備を調えろ。フランチェスカは辺境だ。どれだけ行軍を急いだとしても、到着するのは十月になる。南部にも早馬を出せ。近衛騎士団や各地の王国軍にも通達を出し、怪しいものは片っ端から捕らえさせろ。ロドリゴの捕獲を最優先するんだ」
いくらロドリゴが人望熱くても、全ての貴族たちが従うわけではない。近衛騎士や兵士たちも同様だ。
これ以上反乱の芽を広げないためにも、どれだけ早く出兵できるかにかかっている。国民たちの声も馬鹿にはできない。彼らはいつだって、数だけは多いのだから。
いいな、と男に囁いて、カルロは執務室を後にした。誰かが追いかけてくる気配はない。それだけの度胸を持ち合わせたものは、あの場にはいないだろう。
シンと静まり返った廊下を進み、自室の扉を開ける。
さっきまで激しく降り注いでいた雨はすっかりと止み、ようやく顔を出した月の明かりが、ガランとした部屋の中を照らしていた。
吸い寄せられるように近づいた机の上には、一振りの剣が置かれている。ロドリゴが愛息子のために特注した業物だ。ソフィアが渡したという、柄頭に埋め込まれたアメジストが月明かりに反射して光っていた。
——どうして、こんなことになったんだ?
アメジストの輝きを覆い隠すように柄頭に触れ、今までの人生を振り返る。確かに多くの罪を犯した。しかし、それ以上にこの国のために働いてきたことも事実だった。
——こんなに簡単に切り捨てられるんだな。
真っ先にアヴァンティーノに追従した古老たちは、先々代の頃からの重鎮たちだ。新興貴族たちを取り立て始めた頃から、彼らはカルロを見限っていたのだろう。
——昔はあれだけ持ち上げてきたくせに。
好々爺ぶった古老たちの顔が脳裏によぎり、唇を噛む。
カルロは幼い頃から自分の立ち位置をよく理解していた。
四百年続いた王族の、ただ一人の直系の男子だ。貴族たちも揃って「あなたは唯一の王位継承者なのですから」と、カルロを将来のふさわしい王にするべく、厳しく接してきた。
そしてカルロも、彼らの期待に応えようと、一心不乱に勉学と鍛錬に励んできた。ときには体を壊し、何日も寝込んだこともある。
しかし、どれだけ努力しても、両親はこちらを振り向いてくれなかった。辛くて泣いた夜も、味気ないひとりぼっちの食事も、彼らは知らず、ただ公務に忙殺されていた。
たまに顔を合わせても気まずそうに目を逸らすだけで、いつだってまっすぐに目を見てくれたことはなかった。
その穴はロドリゴが必死に埋めようとしてくれたが、所詮は他人だ。どれだけ優しくされても、どれだけ遊んでくれても、常にどこか満たされないものを感じていた。
この国を統一したいという夢を抱いたのもその頃だ。名君と謳われたアウグスト一世ですら成し得なかったことを実現すれば、両親もこちらを見てくれるのではと思ったから。
だが、返ってきたのは両親や貴族たちの失望の眼差しだった。
——何がいけないんだ。
この国の始まりについては、授業で嫌というほど教えられていた。様々な民族が、様々な文化を守り生きてきたことも。
しかし、建国して四百年も経っているのだ。最初は自治を選んでいても、豊かさを求めて、王領に組み込まれた土地も多い。だからこそ、南部が未だ頑なに自治を守り続けることが理解できなかった。
——いつか、自分が正しかったと証明してやりたい。
そんな鬱々とした日々を過ごす中、カルロと同じく、金髪青目を持つ男が王都にやってきた。たまにしかこない割に、いつも両親やロドリゴの関心を買っていく男だ。
彼がきたときは、両親も公務を放り出して、まるで子供のように楽しそうに笑っていた。自分にはそんな顔を一度たりとも見せてくれないのに。
エンリコという名の男は、ベアトリーチェという名の大きく腹の膨れた赤毛の女を連れて、常に無愛想な顔に、珍しく満面の笑みをたたえていた。もうすぐ子供が生まれるという。
幸せそうなその姿に、カルロは自分の胸の内に憎悪が芽生えるのを感じた。フランチェスカは自治を持つ公爵領だ。もし後継ぎが生まれたら、カルロの夢はさらに遠のくだろう。両親や貴族たちを見返すこともできなくなる。
ベアトリーチェが亡くなり、エンリコが王都に足を向けなくなってからは、心安らかな日々が続いた。だが、その代わりに、両親の会話の中にエミリオの名が出ることが多くなっていた。
——なんで、顔も見たことのないやつのことを気にかけるんだ。
それなら目の前にいる自分を見てくれと、叫び出したい気持ちだった。しかし、十歳も下の赤ん坊に嫉妬しているという事実を公にできるわけもなく、ただ指を咥えて見ているしかなかった。
——今は我慢だ。成人さえすれば、きっとこっちを見てくれる。
何しろ、唯一の王位継承者だ。成人すれば、将来王位を継ぐときに備え、徐々に公務の引き継ぎも始まるはずだ。そう思って、成人式の日を指折り数えて待っていた。
しかし、カルロが直面したのは、予想もしない現実だった。
「王位を継がせない?」
「そうだ。お前にはこの国の舵取りは荷が重いと思う」
「……俺が、この国を統一したいと言ったからですか」
感情を削ぎ落としたようなカルロの声に、アデルは一瞬怯んだ様子を見せたが、すぐにいつも通りの表情に戻ると、静かに頷いた。
「お前が諦めていないことはわかっている。王位を継いだら、実現しようとしていることも。だが、私はこの国の王として、それだけは認めることはできない。南部は自治を保つことに強い誇りを持っている。それを無理やり統一しようとすれば、無為な争いを生んでしまう」
「わかってちょうだい、カルロ。私たちはあなたが心配なの。人が故郷を愛する気持ちを甘く見ては駄目。彼らは自分の家族を守るためなら、どんなに強大な相手だろうと牙を向くわ」
そう言って、カロリーナはカルロを抱きしめた。温かな体温が身体中に伝わり、染み渡っていく感覚がする。こうして触れられるのは初めてのことだった。予期せぬ展開に、夢を見ているのではと錯覚すら覚えた。
「……きっと、そんな夢を抱いたのは私たちのせいよね。私たちが至らないばっかりに、あなたには随分寂しい思いをさせてしまった。この国という重荷も背負わせて……」
カルロの頭に頬を寄せるカロリーナの柔らかさを感じながら、カルロはエンリコに抱いたのと同じ感情が湧き上がってくるのを感じた。
——何を今さら!
頭の中が怒りで真っ白になっていく。あれだけ欲しても与えてくれなかったものを、今のこの状況で押し付けてくる神経に腹が立った。
カロリーナの胸を押しやり、挑むように二人を見上げる。息子の冷たい眼差しに、彼らは揃って悲しそうな表情を浮かべた。
「あなたたちの息子は俺だけでしょう。いったい誰に継がせるつもりですか? もし妾の子がいたとしても、正当な血を引くものでなければ、貴族たちが認めるはずがない」
「私はカロリーナを裏切ったことはない。だが……正当な王家の血を引くものだ。それは間違いない」
キッパリとした口調に、カルロの疑念が増す。
——お爺様か?
ファウスティナ公爵であるアレクシウスはカロリーナの父親だ。フランチェスカと同じく、ファウスティナは建国の際にアウグスト一世の弟に譲渡された土地で、歴代の公爵は王家の血を引いている。
唯一の王位継承者であるカルロを継がせないとすると、近い血を持つものを据える可能性は確かにあった。しかし、彼はもう老齢に近い。今さら国政に乗り出してくるとも思えなかった。
——まさか、エンリコ?
妻を連れてきたときの幸せそうな顔を思い出し、全身が燃えたぎるような気がした。
カルロにとって、エンリコは自分にないものを全て持っている男だった。両親やロドリゴ、そして古老からの信頼も厚く、亡くしはしたものの美しい妻を娶り、後継ぎにも恵まれ、辺境だが豊かな土地で領民たちにも愛されている。
——それなのに、俺から全てを奪っていくのか?
今までずっと、この国唯一の王位継承者だという矜持だけで生きてきた。王位を取り上げられてしまったら、自分には何一つ残らないのに。
——許さない。
燃えたぎる体に反比例して、すうっと頭の中が冷えていく。ここにきてカルロは、深すぎる憎しみは人を作り変えてしまうことを知った。
——今までの俺は死んだ。これからは自分の心の赴くままに生きてやる。
「……この話は、ロドリゴも知っているのですか」
「いや、まだだ。まずお前に話してからと……」
「そうですか。父上と母上のご懸念はもっともです。確かに、俺には土地を愛する人間の気持ちはわからない。ですが……明日の成人式が終わるまでは胸にしまっていただけませんか。せめて大人になる瞬間までは、夢を見ていたいのです」
「カルロ……すまない。本当に、本当に……」
「ごめんなさい、カルロ……」
涙を流す両親を冷めた目で見つめながら、カルロは自分が王位に就くためにはどうするかを考えた。
しかし、もはや方法は一つだけだ。
——殺すしかない。
そして、両親が寝静まった深夜、近衛騎士たちの警備の目を掻い潜り、カルロは王城の保管庫からレギリスを取り出した。他の毒を調達するには日が足りない。それに、下手に動けば誰かに勘づかれてしまう恐れもある。
——後を継いでしまえば、ここの管理者は俺だ。
誤魔化そうと思えば、いくらでも誤魔化せる。決断してしまえば、後は早かった。成人式直前に両親を呼び出したカルロは「乾杯しましょう」と言って毒を仕込んだ林檎酒を飲ませた。
まさか息子に毒を盛られるとは思わなかったのだろう。二人とも、最期まで信じられないようなものを見る目でカルロを見ていた。
——人を殺すって、こんな感じなのか。
徐々に冷たくなっていく両親の体を見下ろしても、全ての感情が消えてしまったように平静だった。
そのとき、人払いをしていたはずの扉からガタッと音がした。振り向くと頬のこけた少年が、扉を背にする状態でうずくまり、カタカタと小さく震えていた。
「あ、あの、俺、殿下を呼びにきて、それで」
そこで初めて、扉の鍵をかけ忘れていたことに気づいた。
——俺も一応は人の子だったってことだな。
レギリスが入っていた小瓶を床に落として割り、その破片を手に少年に近づく。そして破片を少年の顔の中心に当てると、力を込め、斜めに走る傷をつけた。
「お前も死にたいか?」
たらたらと赤い血を垂らしながら、少年がふるふると首を横に振る。
「じゃあ、今からお前は私の手足になれ。日も夜もなく私に尽くすんだ。いいな?」
声もなく必死に頷く少年に、カルロは薄い唇を釣り上げて笑った。
「手始めに侍医を呼んでこい。流行り病と言って隔離し、貴族たちを寄せ付けないようにするんだ。そして成人式が終わった後に、治療の甲斐なく亡くなったと言わせろ。わかったな? 後始末もお前がやるんだ」
後にオズワルドと名乗った少年は、カルロの言いつけ通りに動き、両親の死を流行り病で片付けさせることに成功した。
ただ一つ、後始末の不首尾を除いて。
——まさか、侍医が生きていたとはな。
心の中でオズワルドに舌打ちをする。
——まあ、いい。こちらが勝てば、全ては歴史の闇の中に消える。
ふう、と息をつき、両親亡き後の日々に思いを馳せる。まるで荒波に飲まれたような怒涛の日々だったが、その中においても、カルロはエンリコへの憎しみを忘れてはいなかった。
エンリコ、そしてエミリオを生かしておいては、両親と同じことを考える貴族たちが出てくるかもしれない。だからオズワルドを使ってエンリコを追いつめることにしたのだ。
フランチェスカを悪役に仕立て上げれば、公爵領に攻め入る大義名分が立ち、国の統一に一歩近づく。エンリコへの憎しみを晴らすこともできる。
——もう、振り向かない背中を追いかける必要はない。
両親の関心を買いたくて、エンリコのように伸ばしていた髪に鋏を入れたときの感情を、カルロは決して忘れることはないだろう。
——俺は十分苦しんだ。だからお前も苦しめ、エンリコ。
高潔な精神を持つ男が共犯者に堕ち、もがく様を見るのはこの上ない愉悦だった。
ヨシュナンを落とすまで五年も空いたのは、エミリオが成人するのを待っていたからだ。エンリコのことだから、後継ぎが育ち切れば、偽装の証拠を抑えるために戦場に姿を現すだろうと思っていた。
早馬でエンリコの死の知らせを聞いたときは、思わず喜びを隠し切れなかった。自分の夢を阻む最大の障壁は消えた。後は残されたエミリオに狙いを定めるだけでよかった。
憎いエンリコの血を引く息子、そして自分の地位を脅かすかもしれない存在だ。到底許すことなどできなかった。
——お前たちから全てを奪ってやる。
とても了承できない要求を突きつけて開戦を決意させ、親子ともども、国を乱した大罪人だと歴史に刻む。それがカルロの復讐だった。
しかし、それは叶わなかった。一人のサリカ人の男のせいで。
——サミュエル。
血の繋がりもないくせに、ロドリゴとソフィアの愛情を一身に受けて育った男。崩壊したサリカで拾ったと聞いたときから、ずっと気に食わなかった。
両親を殺したカルロにとって、頼りにできるのはロドリゴだけだ。だから、その愛情を横取りするサミュエルは目障りな存在だった。
サミュエルを暗殺者として向かわせたのは、反戦派のロドリゴを抑えるためでもあったが、何より、もしエミリオに殺されてしまえば、ロドリゴは自分だけを見てくれるようになると思ったからだ。
サミュエルはロドリゴに似て甘い男だ。いくら仇だと思う男の息子だといえ、殺せないだろうとは思っていた。だから正直なところ、任務の成否はどうでもよかった。
もしエミリオを殺してしまっても、開戦しようとした証拠はこの手の中にある。サミュエルたち親子の関係にヒビを入れることもできる。それぐらいの気持ちだった。
——なのに。
ギリ、と唇を噛み締める。エミリオを罠に嵌めたいとロドリゴが話を持ちかけてきたとき、怪しいとは思った。
エミリオが何かを企んでいるのは間違いない。しかし、サミュエルを殺されたと慟哭するロドリゴの姿は、とても演技には見えなかった。
だから結局、カルロはロドリゴを信じ、そして裏切られたのだ。
「くそっ……」
まさかエミリオが双子で、妹が成り代わっていたと誰が予想できただろう。挙句に、サミュエルと恋仲になって歯向かってくるとは夢にも思わなかった。
そして、ロドリゴがカルロの犯した罪を承知の上で、自分を罠に嵌めたなどと。
——ロドリゴは、俺よりもサミュエルを選んだ。
それは覆しようもない現実だった。
「お前も、俺を見限るのか、ロドリゴ……」
苦しげにぽつりと漏らした呟きは、静寂の中にただ消えていった。
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