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1章 電撃結婚の真実

第1話 神頼みこそすれ

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「せやから、あんたはいつになったら結婚するん」

 耳元、受話器越しに聞こえる母親の圧のある声に、浮田真琴うきたまことはうんざりする。ついスマートフォンを耳から離したくなった。

 通話時間はさほどの長さでも無いのに手が疲れて来た気がして、真琴はハンズフリーにしてスマートフォンを目の前のテーブルにそっと置いた。

 季節は冬に移り変わろうとしていた。コートやジャケットはまだそこまで厚く無いが、首元に何か欲しいなと思うころ。風も冷たくなっていた。

 大阪は天王寺てんのうじ割烹かっぽうで料理人の修行中である真琴の休みは週に1日。今日はその貴重な休日である。ランチタイムを設けていることもあって、仕事はなかなか過酷である。拘束時間が長いのだ。

 それでも真琴はいっぱしの料理人になりたくて、日々精進している。幸いまだ25歳と若いから、体力は問題無い。

 高校を出たあと調理の専門学校に通い、座学に実習にと励んだ。そして在学中に今勤めている割烹への就職内定をもぎ取ったのだ。

 母親はそれを良しとしなかった。調理学校に行くことは賛成したのにどういうことかと思ったら、どうやら母親は、調理学校に通うのを花嫁授業に一環だと思っていたそうなのだ。

「花嫁修行やったらもっとお気楽なお料理学校に通うわ」

 真琴は反射的にそう突っ込み、母親の苦言を無視して今の割烹で働き始めた。

 母親は、この令和の時代にいて、大昔の価値観に凝り固まった人なのだ。母親にとって女性の幸せとは、結婚と出産なのである。

 価値観は人それぞれなので、真琴は母親がそうであることは、正直どうでも良い。勝手にやっててくれと思っている。だがそれを押し付けられるのだけは勘弁である。そう言うところも時代錯誤なのだ。

 真琴の実家は大阪府の北の方、池田いけだ市なのだが、就職が大阪市の天王寺となり、これ幸いと家を出た。

 通えない距離では無いのだが、片道1時間ほどの距離なので、毎日の通勤となるとなかなか大変だ。大阪梅田おおさかうめだ駅での乗り換えもある。そこで天王寺駅が通る大阪メトロ御堂筋みどうすじ線のあびこ駅を最寄りに、物件を見つけたのである。

 あびこは飲食店が多く集まる商店街があり、スーパーも数件、お買い得価格の八百屋さんに業務スーパーもあって、料理人としては理想の街と言えた。土地勘の無かった真琴だが、親切な不動産屋さんでおすすめしてもらったのだ。

 大阪市内ではあるのだが、物価が低めで暮らしやすい街だ。治安も悪く無い。下町然としていて、それは実家の池田にも共通する。空気感が違うので馴染めるか心配だったが、杞憂きゆうだった。

 どちらにしても、その気も無いのに、日常的に結婚をせっつかれる状況よりはよっぽど良かった。

 お給料がそう良いわけでは無いので、収入に見合う1Kのキッチンは料理人には手狭だが、ガスコンロひとつあれば簡単なものは作れるし、何よりひとり暮らしというものが快適なのだった。

「早よ仕事なんか辞めてこっち帰って、さっさと結婚しぃや!」

 母親は言いたいことを言ってひとまず気が済んだのか、そんな言葉を投げ付けて通話を切った。

 真琴は長い溜め息を吐く。今に始まったことでは無いが、やはり聞いていて良い気はしない。専業主婦である母親にとってはそれが正しく、真琴にもそうあれと望んでいる。

 それは自分が否定されている様な気がしてしまう。真琴にとって今の幸せは、一人前の料理人になることなのだ。母親の言葉はそれを諦めろと言っているのと同意である。

 だが、母親が真琴のことを思って言っていることは解るのだ。だから真琴はせめて小言を聞く様にしている。正確には聞く振りをしている。電話越しでも真琴の生返事はばれているだろうが、母親はとりあえず心に溜まっていることを吐き出せば満足するらしい。

「……疲れた」

 静けさを取り戻した部屋に、真琴の呟きが小さく響く。精神的にぐったりしてしまい、それが身体にも影響していた。

「気分転換でもしよか」

 真琴は活動的な方である。すっくと立ち上がり、着ていたチャコールグレイの地味な部屋着を脱ぎ捨てると、適当に出したカーキの薄手ニットとブルーデニムのボトムを着込み、ミニショルダーに財布とスマートフォンを突っ込んで、それを手に家を出た。

 どこに行こうかととりあえず歩き始める。真琴の家はあびこ駅から見て東側にある。アーケードの無い商店街が伸びている。家はその商店街から少し外れたところにあった。それでも充分駅から近く、利便性が良い。

 真琴は商店街に入り、その通りを駅に向かって歩く。良い天気だ。気温は低くなって来ているが、暖かなお日さまが気持ち良い。

 やがて駅前、あびこ筋と呼ばれる、4車線の大きな道路に出る。この下にはメトロの御堂筋線が走っている。真琴は青になった信号を渡り、駅の西側に向かう。

 あびこ観音寺に行こうと思っていた。あびこ観音は観音さまの総本山である。正式名称は「観音宗本山あびこ山大聖観音寺だいしょうかんのんじ」と言うらしい。聖徳太子しょうとくたいしによって建立こんりゅうされた、日本最古の観音霊場なのだそうだ。

 正門で一礼して境内に足を踏み入れた真琴は、漂う静謐せいひつさに少しばかり気を引き締めてしまう。静かに石造の参道の右側を歩き、途中の井戸屋形いどやかたと呼ばれる水場で手を清める。

 念のために口の清めは控えた。万が一食中毒でも起こしてしまえば、飲食店勤務をしている者としては致命的である。

 本堂にたどり着いたら、お賽銭さいせんを落として手を合わせた。

 願い事は何にしようか。やはりお仕事のことだろうか。いや、母親の手前、良縁でも願っておこうか。そうしたら自分も一応それなりの努力をしていると見せかけられるかも知れない。なんとも消極的ではあるが。

 ええ人に巡り会えます様に。

 頭を上げ、本堂の前を離れる。そして来た道を戻る。途中のご神木と思しき、大阪市の保存樹に指定されている大楠おおくすにも手を合わせた。

 正門を出てまた一礼。そしてまた駅に向かって歩き出した。

 とは言え、これからどうしようか。まだ晩ごはんには早い時間帯である。冷蔵庫にはろくなものが入っていないはずだから、業務スーパーで買い物をして、お家で簡単なものでも作ろうか。

 ぼんやりとそんなことを思いながら歩いていると、1枚の看板が目に付いた。

 日本家屋の様な建物の門柱のところに、「結婚相談所」と毛筆で書かれた木の板が貼られている。

 こんなとこに、こんなんあったっけ?

 あびこに引っ越しして来てから、あびこ観音には何度か足を運んでいる。だがこの様なものを見たのは初めてだった。

 胡散臭うさんくささは不思議と感じなかったが、なんとも入りづらいたたずまいである。決して盛況そうには見えない。それとも知る人ぞ知る、な紹介所なのだろうか。

 こういうところの話でも聞けば、母親にうるさく言われない様になるだろうか。電話のたび、帰省のたびにうるさく言われるものだから、いい加減辟易へきえきしてしまっている。

 他に話すこと無いんかい、と思うのだが、無いのかも知れないし、真琴の顔を見たら、それしか出て来ないのかも知れない。

 真琴は相談所の開き戸を引いた。抵抗無くからからと軽く開いてしまう。すると中は明るかった。たたきがあって、棚状の下駄箱にいくつか靴が入れられている。広い室内は畳敷きで、コの字型に並べられた木製の座卓に、大勢の人がいて、わぁわぁと騒がしい。奥にはふすまがあった。

 真琴は結婚相談所なるものに足を踏み入れるのは初めてなのだが、こうしたレイアウトの紹介状は珍しいのでは無いだろうか。

 座卓の内側にいる職員さんらしき人は、誰もが忙しそうである。真琴が声を掛けようかどうかためらっていると、内側の若い女性職員さんが気付いてくれた。ストレートの黒髪が美しい人である。

「あ、いらっしゃいませ。お伺いしますよ」

 それまでその女性が相手をしていたのは頭が薄くなりかけているおじさんで、その人は真琴をちらりと見ると、場所を譲ってくれる。そのまま横にずれ、別の若い男性職員さんを捕まえた。その職員さんは同時にふたりを相手にすることになって、大慌てである。

 ふたり一緒に? そんなんありなん? 真琴は驚くが、さっと見渡してみると、それはそこだけでは無かった。圧倒的にお客の方が多い。しかし誰もおとなしく待っておらず、職員さんに詰め寄る勢いである。これは大丈夫なのだろうか。

「お客さまー?」

 髪の綺麗な職員さんが呼んでくれる。真琴は「は、はい」と慌ててその方の元に向かった。

 膝を曲げて腰を下ろし正座をすると、職員さんはにっこり顔のままで、バインダに挟まれた紙を差し出す。

「初めての方ですよね? お手数ですが、こちらお書きくださいねー」

「はい」

 受け取ってざっと見ると、名前や住所に性別など、基本的な情報を書く欄がある。こういう紹介所では必要なものだろう。だがそれらの中で真琴の目に付いたのは、「種族」と言う欄だった。

「……種族?」

 真琴が疑問に思ってぽつりと漏らすと、職員さんは「はいー」と明るく応える。

「種族をお書きくださいねー」

「種族?」

 種族とはどういうことだ。種族、種族? いくら考えてもピンと来ない。真琴は若干混乱しつつ、職員さんに聞いた。

「種族って、何ですか?」

「種族は種族ですよー。鬼とか天狗とか狼とか。お客さまは何ですか? 人型の変化がとてもお上手ですけど、ということは妖力が高いってことでしょうから、白狐とかでしょうか」

「……は?」

 あまりにも思いもよらぬことを言われ、真琴の頭は完全に固まってしまう。すると職員さんはぴくりと眉を潜め、「もしかして」と低い声を出した。

「お客さま、人間さまですか?」

「そりゃあそうでしょう。人間以外に何が」

 戸惑う真琴が言い終わらぬまま、職員さんは大きく息を吸い、続けざまに口を開いた。

雅玖がくさまぁー!! 人間さまの女性がお越しになられましたぁー!」

 すると、途端に室内は静まり返る。やがて「人間さま?」「人間さまが?」と囁き声が耳に届く様になる。

 どういうことだ。なんだこれは。もしかして、自分は今とても危ない状況にあるのでは無いだろうか。

 それは直感だった。真琴は肩に掛けたままのミニショルダーの紐をぎゅっと握る。早く逃げなければ。幸いここは出入り口から近い。走って外に出て、人通りの多い商店街まで行けばどうにかなるか。いや、あびこ筋にある交番に逃げ込むか?

 そんな算段を立てていると、奥の襖が開かれた。ばんっと大きな音がし、真琴はとっさに目を向けてしまう。

 するとそこに立っていたのは、長い銀髪をたたえ、あい色の着物をまとった、何とも美麗な若い男性だった。真琴は呆然とその尊顔を見てしまう。白い肌にすっと鼻筋が通り、目は金色だった。

 真琴はこんな綺麗な男性を見たのは初めてだった。テレビなどで容姿の整った芸能人を見ることはあるが、浮世離れした様な、まるでこの世のものでは無い様な美しさ。大阪風でいうところの「えげつない美形」だ。

 真琴は思わず逃げることを忘れ、目を見開いてしまう。

 すると男性はせかせかと真琴の元に駆け寄り、ひざまずくと真琴の両手を取って、言った。

「そうですか。あなたが私の花嫁なのですね?」

「……は?」

 真琴はまた、その日何度目か分からないフリーズをした。
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