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1章 弘子おばちゃんの憂鬱

第7話 伝わった思い

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 渚沙なぎさたけちゃんの朝ごはんは、炊きたてご飯とご飯のお供、お味噌汁と決まっている。

 お米は前日の晩に仕掛けておくのだ。ご飯のお供は市販の佃煮が多い。海苔だったり昆布だったり。たまには塩辛なんてのも。お味噌汁の具は日によって違うが、渚沙はお豆腐が好きである。

 今朝もふたりはダイニングデーブルを挟み、朝ごはんをいただく。家事は基本竹ちゃんにお任せだが、朝ごはんは渚沙が整える。竹ちゃんは実は朝が苦手なのである。朝ごはんができてから、渚沙が起こすのだ。

弘子ひろこおばちゃん、お手紙書かはるやろか」

 今朝の佃煮は海苔である。ごはんに乗せて口に入れ、ふっくらとしたお米の甘みととろりとした佃煮の甘辛さの融合を楽しむ。渚沙はそれを飲み下し、口を開いた。

「どうだろうカピな。確かに向き不向きはあるかも知れないカピ。でも竹子も、手紙は良い案だと思うカピ」

 竹ちゃんは言って、お味噌汁に手を伸ばす。今朝の具はお揚げとしめじ、浮き実に青ねぎの小口切りだ。

「そうやんねぇ」

葛の葉くずのはにしては良くやったカピ」

「またそんなん言うて~」

 竹ちゃんと葛の葉、仲が良いからこその軽口である。微笑ましい。どちらかと言うと人間の常識を持つ竹ちゃんと、あやかしの常識で生きる葛の葉が巧く関わり合えるから、人間である渚沙も安心して「さかなし」に招き入れられるのである。

 ともあれ、きっと良きにしろ悪しきにしろ何か進展があれば、また弘子おばちゃんが話してくれるだろう。渚沙は待つしか無いのである。



 数日後、いつもの様におやつの時間帯に訪れた弘子おばちゃんは、開口一番笑顔で言った。

「渚沙ちゃん、ありがとうなぁ」

 たこ焼きのご提供以外にお礼を言われる覚えの無かった渚沙は、「え?」と首を傾げる。

「ほら、あれや。息子のお嫁さんへの手紙や」

「ああ!」

 本当に実行してくれたのか。提案した時には気乗りしなさそうだったので驚いた。弘子おばちゃんの表情を見るに、巧く行ったのだろうか。

「とりあえず、たこ焼き6個とドライな。時間ある時に話聞いたって」

「はーい。いつもありがとう」

 弘子おばちゃんが店内に入ると、渚沙は鉄板で保温してあるたこ焼きを舟皿に盛り付け、冷蔵庫から缶ビールのスーパードライを出す。

「弘子おばちゃーん、今日はグラスは?」

 店内に向かって声を掛けると、「いらーん」と返って来る。渚沙はトレイにたこ焼きとスーパードライを乗せて弘子おばちゃんの元に運んだ。

「お待たせ。お話聞くん、焼きながらでええ?」

「もちろんや。あれな、正直な気持ちを手紙に書いてみたんよ」

「うんうん」

 渚沙は聞きながら焼き場に戻る。弘子おばちゃんがいつも座る席は焼き場と近いので、声を少し大きくすれば会話ができるのである。渚沙は鉄板にたこの切り身を落とし、生地を流して行く。

 弘子おばちゃんはスーパードライのプルタブを開け、勢い良く喉に流し込み「はぁ~」と豪快な溜め息を吐いた。

「あ~ビール美味しいわ。うん、そしたらお嫁さんなぁ、私と息子がそんなに心配しとるて思わへんかったらしいてなぁ。えらい恐縮きょうしゅくさせてしもた」

「それやったらちゃんと気持ちは伝わったんですね。良かった」

 渚沙は安堵して、笑みを浮かべる。

「ほんまにな。ほら、お嫁さん思い込み強いとこあるて言うてたやろ。完全に一点集中、子ども作ることだけしか見えてへんかったみたいでなぁ」

 それはもちろん、お嫁さんにとっては弘子おばちゃんとその息子さん、旦那さんのためなのだと、以前弘子おばちゃんに聞いた。お嫁さんは単に突っ走ってしまったのだ。

「言葉だけやったら伝わらんかったかも知れん。そやから手紙はどうやて言うてくれたん、ほんまに助かったわ。私のがらに合わんて思ってたけど、そんなん関係あらへんな。大事なんは手段やなくて、ちゃんと伝えることやな。お嫁さんはやっぱりせっかちなんやろうなぁ、言葉で言うても被せ気味で「大丈夫」やて応えるんよ。じっくり話をすることもできひんでなぁ。多分息子もそうやったんちゃうやろか。でも手紙やったらちゃんと読んでもらえたから」

「うん」

 渚沙は火が通りつつあるたこ焼きをピックで傾けて行く。こんがりとした焼き目がちょこんと顔を出した。

 誰かと言葉を交わすことは、とても大事なことだと渚沙は思っている。意思疎通いしそつうができるいちばん身近で簡単な方法だ。そして言葉ひとつ届くたびに感情は動き、心が動かされ、次の言葉が思いをまとって生み出される。

 お嫁さんももしかしたら、弘子おばちゃんや旦那さんが心配していることに気付いていたのかも知れない。だがそこまで深刻とは思わず、掛けられる言葉を流してしまっていたのだろう。自分は大丈夫だからと、そう自信を持つことで。

 だが落ち着いてお手紙を読んで、お嫁さんは自分の想像以上に弘子おばちゃんと旦那さんに心痛を与えてしまっていることを知ったのだ。

 それから弘子おばちゃんと息子さん、お嫁さんとあらためて話し合い、少し不妊治療はお休みしようということになったのだそうだ。

「それやったら良かったわぁ」

 渚沙は安心して、焼き上がりつつあるたこ焼きをくるくると返しながら言った。

「大変なことやもん。こん詰めてしもたら、何よりお嫁さんがしんどいやろうからねぇ」

「ほんまになぁ。何や嫁入り前の渚沙ちゃんにこんな愚痴ぐち言うんもなんやけど、結婚とか出産とか、なんや女ばかりが痛い目見てる様な気がしてしもうてなぁ」

 子どもを産む喜びを味わえるのは女性だけだから、一概には言えないのだろうが、弘子おばちゃんにはそう思ってしまうできごとが過去にあったのかも知れない。渚沙には何も言わないが。

 子を産む産まないは、渚沙も将来直面する問題なのかも知れない。今の渚沙には相手がいないし、いつのことになるのかは分からないし、もしかしたら一生訪れない可能性だって無きにしも非ず。

 だがそういう場面になった時に、ともに暮らす家族との話し合い、すり合わせは大事だとしみじみ思う。自分の思いだけを主張するのでは無く、相手の気持ちだって尊重されるものだと、知っておかなければならない。それは家庭という小さな社会を円満に継続するためにも、きっと必要なことなのだ。

「もちろん息子産んで良かったて思うこともぎょうさんあるんやで。子育ては落ち着くまでほんま大変やけどな。ま、年寄りのたわごとや。気にせんとって」

 弘子おばちゃんは吹っ切れた様に笑うと、手付かずだったたこ焼きを丸まま口に放り込んだ。

「ん、今日も上手に焼けとるわ」

「冷めたでしょ。熱々のんに取り替えようか?」

「ううん、これぐらいの方が食べやすいわ。何でたこ焼きって熱いやつはいらんぐらい熱いんやろうなぁ」

「ほんまやねぇ」

 解決して良かったと、渚沙は心の底から思う。今夜葛の葉にお礼を言わなくては。葛の葉には興味が無いかもしれないが。

 あ、葛の葉が好きなモッツァレラチーズ入りのたこ焼きを焼いてあげることにしようか。きっと喜んでくれるだろう。
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