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4章 期間限定の恩恵
第10話 正直者だからこそ
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「ごちそうさまでした!」
たこ焼きとコーラを綺麗に空にした和馬くんは、お行儀良く手を合わせた。渚沙は(ほんまにええ躾してもろてるんやなぁ)と感心する。
高水準の教育、きっちりとした躾。どれも母親の溢れる愛情が見て取れる。だが母親がお仕事でお忙しい分、あまり親子が触れ合える時間が多く無くて、和馬くんが子どもらしく甘えたりできる機会が無いのでは、と想像する。
竹ちゃんも座敷童子も言っていた。和馬くんの自己肯定感が下がっているのだと。母親の愛情が和馬くんに充分に伝わっていないのだろう。
お金を稼がなければ生活ができない。教育も受けられない。大黒柱である母親にとっては当たり前のことでも、子どもの和馬くんにとっては「どうして?」と思うのかも知れない。ましてや和馬くんは私立小学校に通っているのだ。公立小学校ならいざ知らず。余計にというと言葉が悪いが、お金が掛かるのだ。
だが母親のお仕事がお昼間だけになれば、きっと時間もできる。和馬くんと母親の触れ合う時間が増えれば解決するのでは、たくさん可愛がってもらって、いっぱい甘えられたら、と渚沙も思うのだ。
「お姉さん、ごちそうさまでした」
「うん、ありがとう。良かったらまた来たってね」
「はい。ありがとうございました」
和馬くんは丁寧にお礼を言って、満足げな表情で帰って行った。渚沙はそのまだまだ小さな背中を見送りながら(ええ様になったらええけど)と思わずにはいられなかった。
翌日、「さかなし」はいつもの様に開店し、渚沙はお客さまのお相手をしながらたこ焼きを焼く。お昼に差し掛かり、イートインのお客さまも増え始めたころ。
「あの、すいません」
そう渚沙に声を掛けて来たのは、初めて見るひとりの女性だった。長い黒髪を襟足でひとつにまとめ、そのほっそりとした白いお顔には疲れが滲んでいる様に見える。
「はい。いらっしゃいませ。何個しましょうか」
いつもの様にお客さまにする様な対応をする。すると女性は「いえ」と申し訳なさげに首を振られた。
「今日はお礼を申し上げたくて。この子、覚えてらっしゃるでしょうか」
女性は言って目線を下げる。するとそこにいたのは和馬くんだった。気まずい様な表情で、所在なさげに佇んでいる。
ということは、この女性が和馬くんの母親か。確かに座敷童子好みの人の様である。
「ええ、もちろんですよ。昨日も来てくれはりました」
「その昨日、コーラをご馳走になったって聞きまして」
渚沙は目を丸くする。内緒だと約束したのだが、和馬くんは母親に言ってしまったのか。ああ、嘘が吐けない子なのだな、と渚沙は感嘆する。本当に素直な良い子なのだ。
「ほんまにありがとうございました」
母親が深く頭を下げ、和馬くんもそれに倣った。それには渚沙も慌ててしまう。
「とんでも無いです。こちらこそ余計なおせっかいをしてしもて、すいません」
こんなに恐縮させてしまうとは。大阪人は「もらえるもんはもろとけ」精神の人も多いが、この母親はそうでは無いのだ。だからこそ和馬くんが今の様に謙虚に育っていると言えるのだろうが。
「いいえ、ほんまにお世話になりまして。あの、ぜひコーラ代をお支払いしたくて」
母親は言って、左腕に掛けていた小振りな黒いバッグから、茶色い折り畳み財布を取り出した。渚沙はまた慌てて「いえいえ!」と押し留める。
「ほんまにお気になさらんでください。これからはこちらも配慮させてもらいますんで、ここは収めてもらえませんか」
「でも」
「ほんまに。今回だけのおまけでしたから。それは息子さんにも言うてましたんで」
渚沙は本当に軽い気持ちだった。ただジュースを欲しがった小さな子に、自分ができる範囲でご馳走しただけである。それは確かに和馬くんの背景を知っているからこそでもあるのだが、こんなことに発展してしまうとは。自分も浅慮だったなと反省するしか無い。
母親はまだ躊躇していたが、渚沙が畳み掛ける様に「今回だけは、ぜひ」と言うと、「では……」と財布をしまってくれた。渚沙は心底ほっとする。
「ほんまにすいません、ありがとうございます」
母親は言うと、また深くお辞儀した。渚沙は「いえいえ」と笑顔を浮かべた。
「あの、私、仕事の昼休憩に抜けて来たんで……和馬、えっと、この子にまたお昼ごはん食べさしてもろてええですか? 今日はジュース代もお支払いしますんで」
「はい。わかりました。和馬くん、昨日と同じ10個とコーラでええ? 違うジュースにする?」
「……コーラで」
和馬くんは小さく、だがはっきりと応える。渚沙は「うん」と笑みを浮かべた。
「じゃあすいません、あとお願いします。和馬、お母ちゃんお仕事行って来るけど、ええ子にしてるんやで」
母親に言い聞かされ、和馬くんは「うん」と神妙な表情で頷いた。
「じゃあ、お願いします。ありがとうございました」
母親はそう言い、渚沙にお金を払って、忙しなく「さかなし」を離れて行った。それを見送る和馬くんは、心なしか寂しそうに見えた。だがすぐに表情を引き締めて。
「あの、入ってええですか?」
「もちろん。たこ焼きとコーラ、すぐに持って行くからね」
渚沙が朗らかに応えると、和馬くんはほっとした様な表情で「ありがとうございます」とドアに手を掛けた。
渚沙はさっそく舟皿に盛ったたこ焼きとお箸、コーラとグラスをトレイに乗せて、和馬くんの元に運ぶ。
「はい、お待たせしました」
「ありがとうございます。あ、あの」
「ん?」
渚沙が小首を傾げると、和馬くんはもじもじしながら小さな声で「ごめんなさい」と謝った。
「約束、破ってしもうて」
昨日のジュースのことだろう。渚沙は「ううん」と首を振る。
「和馬くんは、ほんまにええ子やねんね。お母さんに嘘とか吐かれへんかったんやね。それはすごいええことやって、お姉ちゃんは思う」
渚沙は和馬くんの行いを決して否定しない。嘘を言わないことは美点のひとつである。和馬くんは安心した様に表情を綻ばせた。
「でも、いっこだけ。昨日のんはそれでええって思う。お母さんかて分かってくれはる。でもね、中には嘘で守られることとか、そういうんもあるんよ。これからいろんなことがあって、いろんな人と関わって行くやろうけど、そういうこともあったりね、するんよ。判断するんは難しいことも多いやろうけど、それで自分とか相手とかの心とかをね、守ったりすんねん。正直ってのはめっちゃええことやねんけど、そういうこともあるんやでってことを、知っといて欲しいな」
和馬くんは真剣な顔で渚沙の話を聞いてくれた。そしてやがて「うん」とこくりと頷く。
「分かる気がします。むずかしいけど、考えてみます」
本当に和馬くんは賢い子だ。まだ小学校低学年なら、思うがままに生きている子も多いだろう。渚沙の言葉は厳しいかも知れない。それでも反抗せず、自分なりに噛み砕いて理解しようとしてくれているのだ。
「ありがとう。ほな、冷めんうちにどうぞ。今日も美味しく食べてくれたら嬉しいわ」
渚沙が笑みを浮かべて言うと、和馬くんは「はい」と表情を緩ませた。
「いただきます」
和馬くんは手を合わせて、お箸を取った。
たこ焼きとコーラを綺麗に空にした和馬くんは、お行儀良く手を合わせた。渚沙は(ほんまにええ躾してもろてるんやなぁ)と感心する。
高水準の教育、きっちりとした躾。どれも母親の溢れる愛情が見て取れる。だが母親がお仕事でお忙しい分、あまり親子が触れ合える時間が多く無くて、和馬くんが子どもらしく甘えたりできる機会が無いのでは、と想像する。
竹ちゃんも座敷童子も言っていた。和馬くんの自己肯定感が下がっているのだと。母親の愛情が和馬くんに充分に伝わっていないのだろう。
お金を稼がなければ生活ができない。教育も受けられない。大黒柱である母親にとっては当たり前のことでも、子どもの和馬くんにとっては「どうして?」と思うのかも知れない。ましてや和馬くんは私立小学校に通っているのだ。公立小学校ならいざ知らず。余計にというと言葉が悪いが、お金が掛かるのだ。
だが母親のお仕事がお昼間だけになれば、きっと時間もできる。和馬くんと母親の触れ合う時間が増えれば解決するのでは、たくさん可愛がってもらって、いっぱい甘えられたら、と渚沙も思うのだ。
「お姉さん、ごちそうさまでした」
「うん、ありがとう。良かったらまた来たってね」
「はい。ありがとうございました」
和馬くんは丁寧にお礼を言って、満足げな表情で帰って行った。渚沙はそのまだまだ小さな背中を見送りながら(ええ様になったらええけど)と思わずにはいられなかった。
翌日、「さかなし」はいつもの様に開店し、渚沙はお客さまのお相手をしながらたこ焼きを焼く。お昼に差し掛かり、イートインのお客さまも増え始めたころ。
「あの、すいません」
そう渚沙に声を掛けて来たのは、初めて見るひとりの女性だった。長い黒髪を襟足でひとつにまとめ、そのほっそりとした白いお顔には疲れが滲んでいる様に見える。
「はい。いらっしゃいませ。何個しましょうか」
いつもの様にお客さまにする様な対応をする。すると女性は「いえ」と申し訳なさげに首を振られた。
「今日はお礼を申し上げたくて。この子、覚えてらっしゃるでしょうか」
女性は言って目線を下げる。するとそこにいたのは和馬くんだった。気まずい様な表情で、所在なさげに佇んでいる。
ということは、この女性が和馬くんの母親か。確かに座敷童子好みの人の様である。
「ええ、もちろんですよ。昨日も来てくれはりました」
「その昨日、コーラをご馳走になったって聞きまして」
渚沙は目を丸くする。内緒だと約束したのだが、和馬くんは母親に言ってしまったのか。ああ、嘘が吐けない子なのだな、と渚沙は感嘆する。本当に素直な良い子なのだ。
「ほんまにありがとうございました」
母親が深く頭を下げ、和馬くんもそれに倣った。それには渚沙も慌ててしまう。
「とんでも無いです。こちらこそ余計なおせっかいをしてしもて、すいません」
こんなに恐縮させてしまうとは。大阪人は「もらえるもんはもろとけ」精神の人も多いが、この母親はそうでは無いのだ。だからこそ和馬くんが今の様に謙虚に育っていると言えるのだろうが。
「いいえ、ほんまにお世話になりまして。あの、ぜひコーラ代をお支払いしたくて」
母親は言って、左腕に掛けていた小振りな黒いバッグから、茶色い折り畳み財布を取り出した。渚沙はまた慌てて「いえいえ!」と押し留める。
「ほんまにお気になさらんでください。これからはこちらも配慮させてもらいますんで、ここは収めてもらえませんか」
「でも」
「ほんまに。今回だけのおまけでしたから。それは息子さんにも言うてましたんで」
渚沙は本当に軽い気持ちだった。ただジュースを欲しがった小さな子に、自分ができる範囲でご馳走しただけである。それは確かに和馬くんの背景を知っているからこそでもあるのだが、こんなことに発展してしまうとは。自分も浅慮だったなと反省するしか無い。
母親はまだ躊躇していたが、渚沙が畳み掛ける様に「今回だけは、ぜひ」と言うと、「では……」と財布をしまってくれた。渚沙は心底ほっとする。
「ほんまにすいません、ありがとうございます」
母親は言うと、また深くお辞儀した。渚沙は「いえいえ」と笑顔を浮かべた。
「あの、私、仕事の昼休憩に抜けて来たんで……和馬、えっと、この子にまたお昼ごはん食べさしてもろてええですか? 今日はジュース代もお支払いしますんで」
「はい。わかりました。和馬くん、昨日と同じ10個とコーラでええ? 違うジュースにする?」
「……コーラで」
和馬くんは小さく、だがはっきりと応える。渚沙は「うん」と笑みを浮かべた。
「じゃあすいません、あとお願いします。和馬、お母ちゃんお仕事行って来るけど、ええ子にしてるんやで」
母親に言い聞かされ、和馬くんは「うん」と神妙な表情で頷いた。
「じゃあ、お願いします。ありがとうございました」
母親はそう言い、渚沙にお金を払って、忙しなく「さかなし」を離れて行った。それを見送る和馬くんは、心なしか寂しそうに見えた。だがすぐに表情を引き締めて。
「あの、入ってええですか?」
「もちろん。たこ焼きとコーラ、すぐに持って行くからね」
渚沙が朗らかに応えると、和馬くんはほっとした様な表情で「ありがとうございます」とドアに手を掛けた。
渚沙はさっそく舟皿に盛ったたこ焼きとお箸、コーラとグラスをトレイに乗せて、和馬くんの元に運ぶ。
「はい、お待たせしました」
「ありがとうございます。あ、あの」
「ん?」
渚沙が小首を傾げると、和馬くんはもじもじしながら小さな声で「ごめんなさい」と謝った。
「約束、破ってしもうて」
昨日のジュースのことだろう。渚沙は「ううん」と首を振る。
「和馬くんは、ほんまにええ子やねんね。お母さんに嘘とか吐かれへんかったんやね。それはすごいええことやって、お姉ちゃんは思う」
渚沙は和馬くんの行いを決して否定しない。嘘を言わないことは美点のひとつである。和馬くんは安心した様に表情を綻ばせた。
「でも、いっこだけ。昨日のんはそれでええって思う。お母さんかて分かってくれはる。でもね、中には嘘で守られることとか、そういうんもあるんよ。これからいろんなことがあって、いろんな人と関わって行くやろうけど、そういうこともあったりね、するんよ。判断するんは難しいことも多いやろうけど、それで自分とか相手とかの心とかをね、守ったりすんねん。正直ってのはめっちゃええことやねんけど、そういうこともあるんやでってことを、知っといて欲しいな」
和馬くんは真剣な顔で渚沙の話を聞いてくれた。そしてやがて「うん」とこくりと頷く。
「分かる気がします。むずかしいけど、考えてみます」
本当に和馬くんは賢い子だ。まだ小学校低学年なら、思うがままに生きている子も多いだろう。渚沙の言葉は厳しいかも知れない。それでも反抗せず、自分なりに噛み砕いて理解しようとしてくれているのだ。
「ありがとう。ほな、冷めんうちにどうぞ。今日も美味しく食べてくれたら嬉しいわ」
渚沙が笑みを浮かべて言うと、和馬くんは「はい」と表情を緩ませた。
「いただきます」
和馬くんは手を合わせて、お箸を取った。
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