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4話 恋のから騒ぎ(前編)

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 お食事処は猫たちが入れ替わり立ち替わり、尚も賑わっている。遅くなるにつれてゆっくりされるお客も徐々に増えて来た。

「おい店主、兄ちゃんにあれ出してもらってくれ」

 ぶち猫がカツに言うと、カツは「はいよ」とカウンタから厨房に降りる。

「今手が空いているのは潤さんだね。こっちだよ」

 豚そぼろと小松菜の猫まんまを作って出したばかりの潤は「は~い」とカツに付いて行く。

「冷蔵庫のポケットに透明のボトルが入っているから、あ、それそれ。それを皿に注いでお出ししてあげて」

 潤は冷蔵庫を開けて、カツが手を伸ばした辺りを「これ?」と訊きながらボトルを取り出した。透明だがワインでも入っていそうな形のガラスのボトルだ。ラベルなどは付いていない。

「りょうかぁい。猫まんまと同じお皿で良いの?」

「大丈夫だよ。この時間帯ぐらいから猫まんまもだけど、これを頼まれるお客も増えるから覚えておいてね。薫さんも」

「おう」

「はぁい。これは何?」

 潤が訊くと、カウンタの向こうからぶち猫の「またたび酒だ!」という大きな声が響いた。

「またたび! 猫が大好物なんだよね確か」

「そうだよ。この世界にはまたたび酒をメインに出してる酒場もあるけど、ここでも少し出してるんだ。ここの方が居心地が良いって言ってくれるお客もいるからね」

「俺もそのうちの1匹だな。後で酒場にも行くけどよ」

 ぶち猫は得意げに言って豪快に笑う。

 潤はボトルを開け、またたび酒を皿に注いでぶち猫にお出しした。猫まんまの皿はとうに空いていたのですでに下げている。

「はぁい、またたび酒どうぞ~」

「ありがとうな」

 ぶち猫はさっそくまたたび酒をぺろりと舐めて、満足げに「旨いなぁ」と溜め息を吐いた。酒を飲んだ時の反応は猫も人間も同じなのだろうか。ぶち猫はなんとも嬉しそうだ。

「お、ヤシさんじゃあねぇか」

 その時、そんな声とともにぶち猫の横にどかっと腰を下ろしたのは、ぶち猫の貫禄に負けず劣らずの茶とら猫だった。ぶち猫は「お、キロリか」とご機嫌に返事をする。ぶち猫の名前はヤシと言うらしい。

「なんでいなんでい、今日はいつもの料理人じゃあねぇって表でカガリに聞いてよ。こりゃあ楽しみだってんでよ。おう兄ちゃん、お前さんかい?」

 なかなか威勢の良い茶とら猫である。名はキロリと呼ばれていたか。

「おう。今日はよろしゅうな」

 薫がにっと口角を上げると、キロリは「おうおう、なかなか感心な若者じゃあねぇか」と満足そうに言う。

「そうだなぁ、今日はちとよ、がつんと力を付けたくてよ。兄ちゃん、そういう時は何食ったら良いかねぇ」

「そうやなぁ、力付ける言うたら、俺ら人間は肉食うたりするけどなぁ。牛肉とか」

「よし、じゃあ牛だ。牛とねぎでひとつ頼まぁ」

「はいよ」

 薫は炊飯器からボウルにご飯を入れ、牛そぼろとねぎと白ごまを入れて混ぜて行く。そうしてかつお節とともに盛り付けた猫まんまを「はい、お待ちどうさん」とキロリの前に置いた。

「お、確かにいつもと違うか? やけに良い匂いがしやがるぜ。じゃあいただくなっ」

 そうしてまずはひと口。じっくりと味わう様に口を動かして「おお!」と驚いた声を上げた。

「こりゃあうめぇじゃあねぇか! やるな兄ちゃん!」

「ありがとうな」

「うんうん、なんだこりゃあ、こくって言うのかい? 深みって言うのかい? そんなのがありやがる。いやぁいつもの飯も旨ぇんだがよ、こりゃあ別格だな!」

 そこまで褒められて薫も悪い気はしない。また「そら嬉しいわ」と笑みを浮かべた。

「こりゃあ力も付くってもんよ」

「キロリよ、力付けたいってよ、何かあるのか?」

 ヤシが訊くと、キロリは「おうよ!」と威勢よく答える。

「俺よ、リンダにプロポーズしようと思うんだ」

 キロリが言うと、ヤシは「は?」とかすかに顔をしかめた。

 リンダとは名前からして雌猫なのだろうか。プロポーズということは恋人ということか? それはぜひ成功して欲しいものだ。薫がほのぼのした気持ちになったところで。

「キロリ、お前さんリンダと付き合っていたのか?」

「いいや、まだだ。だから結婚を前提とした付き合いってやつと一緒に申し込むって魂胆よ。どうだい、絶対巧く行くと思うぜ」

「キロリよ……」

 ヤシは呆れた様に溜め息を吐く。薫も「あー」と声が漏れそうになるのを堪えた。

「水を差すようだが、それは難しいと俺は思うぜ。まずは付き合ってからだろう」

「俺は最終的に結婚まで行きてぇ訳よ。じゃあよ、もう最初っからそう言った方が早いからよう」

 キロリはそう自信満々に言う。しかしヤシは渋面を崩さない。

「それはどうかと俺は思うぜ。付き合っても無い男からいきなり結婚なんて言われても、リンダも困ると思うぜ」

 薫も心の中で「うんうん」と頷く。そのリンダという雌猫がどういう猫なのかは分からないが、大抵の猫、のみならず人間でも戸惑うと思う。リンダがすでにキロリに思いを寄せているのならともかく、そうで無ければ難しいだろう。すると。

「それ以前の問題ですとも!」

 ヤシとキロリの背後からそんなハスキーな声が掛かった。2匹が弾かれた様に振り返ると、そこに足を組んで格好を付けて立っていたのは灰猫だった。

「おうトム」

「ごきげんようヤシさん。今日もお元気そうで何よりです」

 トムと呼ばれた灰猫はヤシに向かって恭しく頭を下げる。また濃いキャラクターが出て来たなと薫は苦笑し、潤は目を瞬かせる。

「キロリさん、聞いたところによりますと、あなたリンダさんに求婚されるとか?」

「おう。なんでいなんでい、なんか文句でもあるってのかい」

「文句と言いますか。ふふっ」

 トムは鼻で笑う。

「敢えてこういう物言いをさせていただきますよキロリさん。ちゃんちゃらおかしいってものですよ」

 軽く笑みを浮かべながら言うトムに、キロリは毛を逆立てて「な、なんだとう!?」と怒号を上げた。

「リンダさんにはあなたの様な乱暴な強面では無く、スマートな猫がお似合いですよ。すなわち、リンダさんに求婚をする権利があるのはこの僕と言うことですよ!」

 トムは高らかに言い放つ。それには薫も潤も、そしてヤシとキロリも呆然となった。

 「何言うとるんやこいつ」という突っ込みが薫の頭に流れる。その横で潤もぽかんと首を傾げている。

 するとヤシが「わはははは!」とさもおかしそうに笑い声を上げた。

「あっはっは、トムお前さん面白いことを言うなぁ!」

「おやヤシさん、面白いでしょうか?」

 トムが心外だと言う様に目を丸くする。

「そりゃ面白いさ。そんなことを言い切るなんてなぁ。いやぁおかしいもんだ」

 ヤシはなおもくっくっくっと声を漏らす。トムは気を害する風も無く「それはおかしいですねぇ」と首を傾げた。

 ここまで来ると薫と潤にも笑いが込み上げて来る。このトムは相当の自信家なのか、それとも天然なのか。しかしふたりの今の立場で大っぴらに笑うことはできないので、口を固く結んで耐えた。しかし副作用として唇が細かく震える。

 まだぽかんとしていたキロリが、ここでようやく我に返る。

「おいおいおいトムよ、そいつぁ聞き捨てならねぇな。ふざけたこと言ってんじゃねぇぞてめぇよぅ」

 キロリは尻尾をぴんと立ててトムに凄んだ。
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