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季節の幕間6 真夏の夜の夢

スパイシー日和

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 煮物屋さんのある地域でも梅雨が明け、うだる様な本格的な暑い夏がやって来た。

 お昼前に洗濯物を干す佳鳴かなるは、すぐそばの窓からかんかん照りの外を見る。扇木おうぎ家では洗濯物を取り込むタイミングが難しいため、日当たりの良い部屋で室内干しをしているのだ。

「外暑そうだなぁ。いや絶対暑い。買い出し大変そう」

 佳鳴はついうんざりしてしまってひとりごちる。

 日本は年々暑くなっていて、今や日中の屋外活動は生命の危機だと言われるほど。佳鳴と千隼は煮物屋さんの買い出しがあるので、暑かろうが嵐だろうがそんなことを言っていられないが、こっそりと愚痴ぐちるぐらいは許して欲しい。

 しかしこう暑いと、煮物を食べたいと思う気持ちも減ってしまうのでは無いかと思ってしまう。夕飯の時間帯になってもなかなか気温が下がってくれないのだ。幸いにも煮物屋さんの常連さんは変わらず訪れてくださるし、そう売り上げが下がっているわけでは無いのだが。

 でもこう、何か夏らしいメニューができないものかと思ってしまう。夏に食べる冷たい麺類は最高だ。喉越しの良いそれをつるっと食べるのは爽快だ。だが煮物屋さんのルールだと、小鉢にはできるかも知れないが、伸びてしまうの心配がある。

「夏らしくて、煮物屋さんで出せるメイン……あ」

 佳鳴はぱぱっと手早く洗濯物を干し終えると、洗濯かごを片手に「千隼ちはやー」とダイニングに向かった。



「あ~シンプルだけど深いピリ辛! おいし~い!」

 高橋たかはしさん(4章)はスプーンを振り回す勢いで言い、ぐいとハイボールを傾けてふわりと頬を緩める。

「とってもハイカラなのねぇ。いつもお家で作るカレーとか、喫茶店で食べるカレーとも全然違うのねぇ。滅多に食べられないから嬉しいわねぇ」

「そうだねぇ」

 山見やまみさんご夫妻(2章)もにこにこと、今日は珍しくビールを飲まれていた。中瓶1本をおふたりで仲良く分け合っている。

 佳鳴と千隼が用意した夏の煮物。それは夏野菜のスパイスカレー煮込みだ。今日の特売だった鶏もも肉と茄子なす、赤いパプリカ、かぼちゃ、おくらをごろごろとたっぷり入れて、シンプルなカレーソースで煮込んだ。

 普段煮物屋さんのメインになる煮物は和風に仕立てているので、インドのカレーに近いこれは変化球とも言えるのだが、多くの常連さんが「やった! 煮物屋さんのカレー!」と喜んでくださった。

 カレーソースはターメリックとクミン、コリアンダーと3種のスパイスと、すり下ろした生姜とにんにく、みじん切りの玉ねぎとざく切りトマト、ヨーグルトでシンプルに作る。

 スパイスをもっと多くすれば味わいも深くなるしこくも出るが、この煮物屋さんのお客さまには山見さんご夫妻の様な年配の方もおられる。

 やはり煮物屋さんではベーシックないこいを提供したい。できる限りどなたでも美味しく食べていただけるものを作るのが当たり前なのだ。

 水やブイヨンは使わず、たっぷりの玉ねぎとトマト、野菜の水分だけで仕上げる。玉ねぎはオリーブオイルとバター、お塩でほんのりとした飴色あめいろに炒め、水分を残しておく。

 そしてトマトにもたっぷりの水分が含まれている。皮は湯剥ゆむきなどせずそのまま使う。皮には皮の旨味があるのだ。身は酸味を含むが、皮は噛み締めれば甘みが広がる。

 その酸味もお砂糖と後述のヨーグルトで和らげてある。そこにスパイスがふんだんに風味の仕事をするのだ。チリペッパーはお客さまのお好みで加える。

 そこにごろっとお肉とお野菜が入る。鶏もも肉は柔らかくするために、フォークで刺して繊維せんいを適当に断ってからヨーグルトに漬けた。そんなお肉はスプーンでもほろりと崩れるほどに柔らかく、茄子はあらかじめ揚げ焼きしてとろりと、パプリカは色鮮やかながらもしんなりと、かぼちゃはほっくりと、おくらは最後の方に加えてしゃきしゃきに。

 鶏もも肉を漬けたヨーグルトも無駄にしない。そのままカレーに加えているのだ。

 ご飯はサフランライスを炊いた。ご希望の方にはカレーライスでお出しする。

 たくさん召し上がる高橋さんはカレーライスを、山見さんご夫妻はカレー煮込みを楽しまれていた。山見さんご夫妻がいつもの日本酒では無くビールなのは、メインがカレー煮込みだからだ。

 小鉢ももちろん用意している。今日は一品だ。

 カレーに合う様にとザワークラウトにした。しっかりとした歯ごたえが残る様に、きゃべつを太めの千切り、人参は細く千切りにして、ワインビネガーやお砂糖などで味付けをした。こくがありながらも口をさっぱりとさせてくれる一品だ。プチトマトも添えている。

 汁物はオニオンスープを作った。たっぷりの玉ねぎを繊維に逆らって薄切りにし、オリーブオイルとバターとお塩でしんなりときつね色になるまで炒め、ブイヨンを入れてことことと煮上げたシンプルなものだ。調味はお塩と胡椒で。玉ねぎの甘みがふんだんに味わえる一品である。

 ちなみに普段煮物屋さんであまり使われないスプーンとフォークはレンタルした。いつも買い出しに行く市場にレンタル店があるのだ。

 夏といえばカレー、というのは、カレーメーカーのCM戦略に刷り込まれたイメージではある。だが食欲が落ち気味になってしまう夏に、食欲増進をうながすスパイスのものを食べるのは理にかなっているとも思う。

 夏バテになってしまえば食べることが辛くなってしまうものだが、食べなければますます体力が落ちてしまい、結局解消されないものでもある。無理はしていただきたく無いが、悪循環を止めるためにも食事は重要なものなのだ。

「カレーライスのご飯、黄色いのねぇ」

 山見さんの奥さんが珍しげに隣の高橋さんのお皿を眺める。

「はい。サフランライスですよね? 店長さん」

「はい。サフランライスをご用意しました。サフランというスパイスを使って炊いているんです。スパイスのカレーにとても合うんですよ。山見さん、よろしければ少し召し上がってみます?」

「あら、良いのかしら」

「大丈夫ですよ。少しだけお盛りさせていただきますね」

 佳鳴はにっこりと微笑むと小皿を出し、お腹の負担にならない程度の量のサフランライスをふんわりと盛った。

「はい、どうぞ。ぜひカレーと一緒に食べてみてください」

「ありがとう」

「ありがとうねぇ」

 山見さんご夫妻は揃ってお礼を言い、スプーンにサフランライスを乗せて、カレーをくぐらせ口に運んだ。じっくりと味わう様にみ締めて。

「あらぁ、なんだか不思議な味。ほんのり甘い様な? でもカレーにとても合うわねぇ。美味しいわぁ」

「本当だねぇ。ええと、さふ、サフランライス? なんて、こんな洒落たもの私は初めていただいたよ。美味しいねぇ」

 山見さんご夫妻はにこにこと嬉しそうに小さなカレーライスを味わわれた。お口に合った様で佳鳴はほっとする。

 サフランライスはそうくせの強いものでは無い。だが好き嫌いが分かれるものでもあると佳鳴と千隼は思っている。なので白米も用意してある。

 だがやはりスパイスカレーにおすすめしたいのはサフランライスなのだった。普段はお酒を飲まれてご飯を食べないお客さまも、今日はサフランライスでカレーを注文される方が多かった。

 ライスの量は普通とハーフを設定した。普段お酒のお客さまの多くはハーフをご所望される。

 高橋さんはハイボールを飲みつつ、普通量のサフランライスのカレーをもりもりと食べ進めていた。

「煮物屋さんのカレーが食べられるなんて本当に嬉しいです。私は初めてなんですけど、今までもあったんですか?」

「いいえ、初めてなんです。夏らしいメニューは何かって考えたら、どうしてもカレーに行き着いてしまって。小鉢にカレー粉を使うことはありますけども、メインにすることは今まで無かったですねぇ」

「確かにカレーって夏って感じがしますよねぇ。他の季節に食べても美味しいんですけど、なんで夏のイメージなのかしら」

「もしかしたらCMの影響でしょうか」

「ああ! なるほど」

 高橋さんは夏に良く流れるカレーのCMを思い出したのか、「ふんふん」と頷いた。

「でも暑い夏にエアコンの効いたお店で食べるカレーは贅沢ぜいたくな気がします。夏野菜もたっぷり入って。お茄子とろっとろだしおくらはしゃきしゃきして。かぼちゃもほくほくで美味しいです。パプリカも甘くて。鶏肉が柔らかいのも嬉しいです。ほろっほろですね」

 そう言いながらまたぱくりとカレーを口に含み、「んふー」と熱い息を吐いた。

「お陰さまでご好評の様ですし、カレーは夏限定でお出しするのに良いかも知れませんね」

 佳鳴が何気無く言うと、高橋さんは「ぜひぜひ!」と破顔した。

「これってインドのカレーに近いんですよね? 専門店もたくさんありますけど、煮物屋さんでゆっくり食べられたらその方が嬉しいです」

 すると山見さんご夫妻も「そうねぇ」と頷く。

「専門店なんて、私たちみたいな年寄りには敷居が高くて。このカレーとても美味しいから、また食べられたら嬉しいわぁ」

「そうだねぇ」

「では夏の間、月に1、2度ほどお作りしてみましょうか。特別メニューと言うほどでは無いですけども」

「とっても特別ですよ! 次も絶対に食べたいです。逃さない様にしなきゃ」

「私たちもまたいただきたいから、あなた、煮物屋さんの前を通る時にはまめに確認しなきゃいけないわね」

「そうだね」

 山見さんの旦那さんは「うんうん」と頷いた。

 こんな風に言っていただけて、喜んでいただけるのなら、ぜひまた作りたい。次はどの夏野菜を使おうか。とうもろこしや枝豆をたっぷり入れるのも良いかも知れない。そしたら挽き肉を使ってキーマ風にしようか。

 気が早いだろうか。だがもう次のカレーのことを考えてしまう佳鳴だった。
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