Dinner

中原涼

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 それは有名な飲料水を販売する大手企業の、スポーツ飲料CMの曲だった。
 海辺に映し出されるセーラー服の女子高生と、青い空と青い海。青春を詰め込んだように、もくもくと湧き上がる綿菓子のような雲。それを背後から支えるようにして流れる、爽やかなピアノの旋律は、さなぎらしい芯の強い優しさが含まれていた。
『今やっとCM見れたよ。すごく良い曲だね!』
 なかなか出会えなかったそれに、半ば興奮気味にメッセージを打ち込んで飛ばす。すると、一分もせずに、さなぎからメッセージが返って来た。
『ありがとう。俺も結構テレビ見張ってるのに全然見れてない』
 しょんぼりした可愛らしいクマのスタンプとともに、送られてきたメッセージに思わず頬をが緩む。
 今何してるの? と送れば、音楽の仕事頼まれたからしてる、と簡素に返って来た。返事を見て一瞬指先が戸惑うように止まってしまうと、返事の一文字目を打つより早く、なぎさから電話が掛かってきた。
「どうしたの?」
 慌てて出ると、
「どうもしないよ」
 なぎさは少しだけ含みのある微笑みを咽喉に宿して、そう言った。どこか揶揄うような音も含まれていて、気を使われたのかと思い閉口すると、
「メールを打つより、こうやって話した方が良い気がしたんだ」
 と笑った。
「だって、もしかしたらしのぶのテレビから、もう一度CMが流れるかもしれないだろう?」
「そうだね、その可能性はあるかもしれない」
 俺はソファから立ち上がると、冷蔵庫へと向かった。ガチャリと中の壜が音を立てると、さなぎが「何飲む?」と聞いてきた。まるで、背後から冷蔵庫を覗き込むような声だと思った。
「この前買ってくれた日本酒を見つけたから、また買ったんだ」
「驚いた。結構酒豪だね、しのぶ」
 少し大袈裟な声音に、俺は何だか揶揄われた気がして、笑って誤魔化してしまう。冷蔵庫からするりと流れ来る冷気に、
「ワインもあるし、ビールもあるよ」
 少し子供っぽい得意気な気持ちで呟く。さなぎはそんな俺に、音を立てずに微笑んだ――そんな気がしただけだけれど。
「でもそろそろ水を飲んだ方が良い」
 まるでずっと隣に居て、俺をじっと観察していたかのような口ぶりだ。これではどちらが医者か分からない。俺はそんなさなぎの言葉に、胸の奥がじんわりと熱を持ち、本当に彼が今ここに居ればいいのにと心から思ってしまう。
「仕事はどう?」
「うん、初めての事ばかりで少し戸惑ってるよ。でもやっぱり、音楽に関われる仕事っていうのは、すごく嬉しい」
 偽りのない言葉なのだと、素直に信じられる声音だった。こなれた感じもなく、飾らない彼の率直な苦笑いが、微かに感じる寂寞に滲み込む。それはすぐに心の縁に滴り落ちて、俺は彼を抱きしめたい衝動に駆られた。
 ――あの日から、俺は少しだけ変だ。
 まるで既に、彼が自分の恋人であるかのような錯覚を感じている。中学生じゃあるまいし、寝たというにはお粗末な性の吐き出しだったのに。あの夜が、何にも代えがたい程の、特別な夜に感じられた。
 あの後、さなぎに何か言われたわけではない。俺たちは無邪気な小動物みたいに、皮膚同士を擦り合わせて、温い幸福を味わった。満足すると少しだけ眠って、さなぎは身なりを整えると、また来るねと、穏やかに微笑みを浮かべて帰宅しただけだ。まるで、名残惜しさを感じているのが、自分だけなのではと思うほどの、紳士的な表情で。
 男同士というのは、ドライなものなのだろうか。それとも、さなぎにとっては取るに足らない行為だったのだろうか。問いかける勇気も持てないまま、悶々と考えている内に、さなぎからいつも通りの連絡があった。
「果物は何が好き?」
 なんてことない、今まで通りのメッセージだった。俺が「桃」と答えると、彼は善処しようとメッセージを残し、週末に百貨店の青果店で探してきたという白桃の缶詰を二つ買って来た。――しかし、俺たちは再び身体を重ねたり、頬同士を擦り合わせたり、唇を重ねたりはしなかった。顔を近づけて、互いの名前を囁き合うこともなかった。
 あれは何だったのか。
 そう考えれば考える程、頭からさなぎが離れなくなっていく。じわじわと蝕む病みたいに指先や、頭の片隅や、触れられた肌の一部に、浸食していく。
「ああ、ウィスキーも見つけた」
「だめだよ、お水にしな。聞き分けのない子どもみたいだよ、センセー」
 可笑しそうにさなぎが笑ってくれることが、素直に嬉しい。彼の笑っている声を聞くことができるなら、俺は三歳児にだってなれる気がした。
「そうだ、今週末は何が食べたい?」
「ああ、それなんだけど、今週はパスでもいいかな。仕事が立て込んでて」
「そっか……」
 俺はミネラルウォーターの入った壜を冷蔵庫から取り出し、先週手に入れたばかりのエメラルドグリーンから深いブルーにグラデーションする琉球グラスを手に取った。表面のおうとつを光に翳すと、波のように表面が揺れる、美しいグラスだ。
「残念だけど、仕方ないね」
「来週は必ず行くよ」
 ごめんね、とさなぎは言わなかった。俺も謝罪が欲しいとは思わなかったし、必要性も感じられなかった。何故だかさなぎとの間に、そう言う言葉は必要ないように感じられる。
 心から傍にいて欲しいと思うからこそ、謝ったりなんてしてほしくない。
「じゃあ今週と、来週分のお土産宜しく」
 俺がそう告げると、さなぎは余裕を感じさせる音で喉を震わせながら笑った。そして、
「勿論、しのぶ様のお気に召すものを」
 と仰々しく、主人にひれ伏す執事のように言った。
「本当? じゃあペトリュスを一本」
「ペトリュス! それは勘弁してください」
 ペトリュスはフランス・ボルドーでも、最も高額なワインの一つで、おおよそ三十万ほどだ。
 俺たちはそんな冗談を、声を潜めて笑い合う。夜がしんしんと降り積もっていくなか、グラスに注ぐ水の音が、とくとくと心臓の音みたいに聞こえていた。
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