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しおりを挟む約束というものが、いかに脆くあやふやなものであるかという事を、俺はこの年になるまで、知らなかった。
さなぎと会わなくなって、もう二週間が過ぎ、そろそろ三週目に突入しようとしている。
どうやら、あのCM曲が人気を呼び、音楽の仕事が複数舞い込んできたようだ。俺には作曲の仕事がどういうものだか、余り想像はできないけれど、本業にしている調律師の仕事の合間や、寝る時間を惜しんでいるらしいさなぎは、文字通り「働き詰め」ということのようだった。
それを感じているのは、俺だけではないようで、田淵君も「水原さん、最近全然捕まらないンすよ」と愚痴のようなものをこぼしていた。と言っても、その口ぶりは迷惑の色ではなく、心配そのもので、
「結構大きな仕事抱えてるって話は聞いてるんで、分かってるんですけどねー」
と、彼はコーヒーを注ぎながら呟いた。
「水原さんのやりたい事が叶うっていうのは喜ばしいけど」
そう言いながら、紙カップにプラスチックの蓋を丁寧に閉じる。指先で縁を丁寧になぞって、隙間がないように。
「寂しいですよね?」
田淵君の視線には、自分が寂しい、というより、俺が寂しがっていると言うようなニュアンスが含まれており、俺は苦笑いをした。それから「遠からず、近からずかな」という体を装って、肩を竦めてみせた。なんとも脆い楯だと自分でも感じる。
「寂しいというより、心配だよね。さなぎは自分の世話が下手そうだし」
「ああ、それ分かります。あの人、これ好きってなったら、それ以外食べなくなるんですよね。お気に入りのカップラーメン見つけたら、一週間昼はそればっかり」
それは俺の知らないさなぎだった。
さなぎは実に貪欲に、俺の作った食事を満遍なく食べる。次に何が食べたいとか、あちこちつまみ食いをしては、どれが一番好みであるか、興味津々で覗き込み、見つめ、口に運ぶ。その静かに満遍なく平らげていく姿や、料理に対して「美味しい」とか「これはすごく好みだ」とか、感想が簡素なところもいい。舌の上でゆっくりと味わい、嗜む姿は言葉よりも雄弁に、彼の好みを俺に分からせていた。だから、俺たちの口は、料理の評価よりも、お互い話さないと知る事の出来ない、日々の話に使うべきなのだ。
田淵君とそんな会話をしている隙間に滑り込むようにして、ポケットに入れていた院内用のケータイが震えた。
「先生、今よろしいですか?」
俺は珈琲を受け取ると、くちぱくで「ありがとう」と田淵君に告げる。様子を察してくれた彼は穏やかに微笑むと、「また」と手を振ってくれた。俺は看護婦長の彼女と午後の診察の話をしながら、職場へと引き返した。
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