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81.フアンの捌け口
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……次の瞬間、私は身体を飛び起こすと消臭スプレーを手に取り布団目掛けて噴射した。何度も何度も、過去の自分の痕跡を消すかのように。
気が付けば布団一面に小さな水の粒が沢山広がっていて、我に返った私は、"何やってんだろ"と小さく呟いてスプレーを放り投げた。
それから私は壁に寄り掛かって座ったままぼうっと天井を見つめた。これから私はどうなってしまうんだろう。そんな答えの出ることのない未来への不安に今にも押し潰されそうだ。このまま本来の自分を生きていくのか、人生の大半を過ごしてきた男としての自分に戻って生きていくのか……。でもそれは、ただただ葛藤を繰り返しながら自分の将来をも決める事が出来ない現状がある以上考える意味も無くて、……このどうしようもなく不安の捌け口すら見えないこの世界に、"お前の居場所など無いのだ"と言われているような気さえした。
頬を伝うこの涙も、小刻みに震えるこの肩も、誰にも理解してもらえないのだ。もし……、もしも私と同じ運命の人間に出逢えたのなら、私はどんなに救われるだろうか。そう思った時、ふと頭にある人物の顔が浮かんだ。
……稚華さん。稚華さんなら何か知っているかもしれない。
麗美の話から察するに稚華さんは私と同じ病気の人間に関係がありそうに思えた。あんな事があったせいで聞きそびれてしまったけど、こんなにも身近にこの奇病について何か知っているかもしれない人間がいるなんて何という偶然なんだろうか。そんな大事なことを積極的に追求しなかった自分を悔やんだ。そして私はすぐに携帯を手に取ると、莉結のグループ招待を承諾し稚華さんの名前を探した。
麗美……、莉結……、美穂に佳奈……。
"無い"
そこに稚華さんの名前は無かった。
"もしかしたら私みたいにまだグループに入っていないだけかもしれない"
私は莉結に電話を掛け、何故稚華さんの名前が無いのかを訊ねた。すると莉結の口から思いも寄らない言葉が発せられる。
「だって稚華ちゃん携帯持ってないっていうんだもん。私もすぐに同じ事聞いたんだけど麗美ちゃんが言ってたから間違いな……」
莉結の声がすうっと小さくなっていき、私の携帯が床へと落ちる音で我に返る。
"唯一の希望である稚華さんにも、神様は簡単には会わせてくれないのか……"
携帯を拾い上げるとスピーカーから莉結の心配する声が聞こえた。私は"大丈夫だから"と言い、それをまた心の中で何度も自分に言い聞かせた。
そして私は、情緒不安定になってしまっていたせいだろうか、莉結の温かい言葉につい胸の中に膨らんだ不安を口にしてしまう。それを何も言わずに相槌だけ打って聞いてくれた莉結。話している最中に何度も情けない声を上げて泣きそうになってしまったけど、それをぐっと飲み込んで平然を装って胸の内を言葉に変えていった。私が言いたい事を全て吐き出すと、最後に莉結は"ごめんね"と言った。それは私に対して"何もしてあげられなかった"という意味なのか、私が"そんなにも悩んでしまうまで気付け無くて"という意味なのか。どちらにせよ莉結が自責の念に駆られているのが分かった。
「別に莉結は悪くないから、なんも」
私がそう言うと電話の向こう側からふっと微笑むような声が聞こえた。
「優しいね、瑠衣は」
そんな風に言われると何だか恥ずかしくなってしまう。別に私は本当の事を言っただけなのに。
気が付けば私の胸はすっと軽くなっていて、その代わりに何だかモヤモヤとした温かいような気持ちに満ちていた。
それから莉結は、麗美さんに稚華さんの自宅や居そうな場所を聞いてみると言った。そして"もしそれが分かれば明日の放課後にでも探しに行こう"と。最後に莉結は"これからは私に何でも言えばいいから"なんてドラマとかで聞くようなセリフを付け足すと、"じゃっ"と吐き捨て電話を切った。
「恥ずかしいならそんな事言うなっての」
私は携帯にそう呟いて画面を閉じる。……黒色に変わった画面には柔らかな表情で微笑む私の姿が映っていた。
アスファルトと草木のほのかな香りがする…
久しぶりに嗅ぐいい匂いだ。
私は肺を潤す湿気と、絶えず鼓膜を振動させている激しい雨音で目が覚めた。
重い身体を起こす。
ついこの前までは随分と軽く感じていた身体も、だいぶ慣れてしまったようだ。
カーテンを開け窓の外を見る。
雨か…
湿気で寝癖のついた髪を櫛でとかす。
この作業にも随分慣れてきたものだ。
初めは面倒極まりなかったが、最近では生活の一部となり何も気にならなくなった。
長く伸びた自分の髪も好き。
気がつくと指でクルクルと毛先を絡めていることが多々ある。
そんな時、私はやっぱり"元の身体"に戻っただけなんだなぁと実感する。
言葉で表現しにくいが、兎に角そんな感じなのだ。
っとまぁそんな事はいいんだ。
今日は彩ちゃんに話をしようと決めたんだ。
一通り身支度を終えると、携帯を手に取り深呼吸をした。
"天堂 彩"の名前をタッチする。
"発信中"と表示され、しばらく呼び出し音が鳴った後"電話に出ることができません"のアナウンス。
迷惑かもしれないけど直接家に行くしかないか…
玄関を開くと想像以上の豪雨だった。
辺りは雨音に支配され他の音の介入を拒むようだった。
一瞬躊躇したが、小さく深呼吸をする。
そして傘を開いて一歩踏み出した。
その瞬間、傘がドラムの演奏を始める。
道路には薄く水が溜まっていて、歩くたびにチャピチャピと美しい音色を奏でている。
何度か車の津波攻撃を受けたが、スカートを履いてきたお陰で、なんとか被害は靴下のみで済んでいる。
こんな日は外に出ちゃダメだったかな…
グジョグジョになってしまった靴下に不快感を感じつつ、天堂さんの家の前に到着した。
気が付けば布団一面に小さな水の粒が沢山広がっていて、我に返った私は、"何やってんだろ"と小さく呟いてスプレーを放り投げた。
それから私は壁に寄り掛かって座ったままぼうっと天井を見つめた。これから私はどうなってしまうんだろう。そんな答えの出ることのない未来への不安に今にも押し潰されそうだ。このまま本来の自分を生きていくのか、人生の大半を過ごしてきた男としての自分に戻って生きていくのか……。でもそれは、ただただ葛藤を繰り返しながら自分の将来をも決める事が出来ない現状がある以上考える意味も無くて、……このどうしようもなく不安の捌け口すら見えないこの世界に、"お前の居場所など無いのだ"と言われているような気さえした。
頬を伝うこの涙も、小刻みに震えるこの肩も、誰にも理解してもらえないのだ。もし……、もしも私と同じ運命の人間に出逢えたのなら、私はどんなに救われるだろうか。そう思った時、ふと頭にある人物の顔が浮かんだ。
……稚華さん。稚華さんなら何か知っているかもしれない。
麗美の話から察するに稚華さんは私と同じ病気の人間に関係がありそうに思えた。あんな事があったせいで聞きそびれてしまったけど、こんなにも身近にこの奇病について何か知っているかもしれない人間がいるなんて何という偶然なんだろうか。そんな大事なことを積極的に追求しなかった自分を悔やんだ。そして私はすぐに携帯を手に取ると、莉結のグループ招待を承諾し稚華さんの名前を探した。
麗美……、莉結……、美穂に佳奈……。
"無い"
そこに稚華さんの名前は無かった。
"もしかしたら私みたいにまだグループに入っていないだけかもしれない"
私は莉結に電話を掛け、何故稚華さんの名前が無いのかを訊ねた。すると莉結の口から思いも寄らない言葉が発せられる。
「だって稚華ちゃん携帯持ってないっていうんだもん。私もすぐに同じ事聞いたんだけど麗美ちゃんが言ってたから間違いな……」
莉結の声がすうっと小さくなっていき、私の携帯が床へと落ちる音で我に返る。
"唯一の希望である稚華さんにも、神様は簡単には会わせてくれないのか……"
携帯を拾い上げるとスピーカーから莉結の心配する声が聞こえた。私は"大丈夫だから"と言い、それをまた心の中で何度も自分に言い聞かせた。
そして私は、情緒不安定になってしまっていたせいだろうか、莉結の温かい言葉につい胸の中に膨らんだ不安を口にしてしまう。それを何も言わずに相槌だけ打って聞いてくれた莉結。話している最中に何度も情けない声を上げて泣きそうになってしまったけど、それをぐっと飲み込んで平然を装って胸の内を言葉に変えていった。私が言いたい事を全て吐き出すと、最後に莉結は"ごめんね"と言った。それは私に対して"何もしてあげられなかった"という意味なのか、私が"そんなにも悩んでしまうまで気付け無くて"という意味なのか。どちらにせよ莉結が自責の念に駆られているのが分かった。
「別に莉結は悪くないから、なんも」
私がそう言うと電話の向こう側からふっと微笑むような声が聞こえた。
「優しいね、瑠衣は」
そんな風に言われると何だか恥ずかしくなってしまう。別に私は本当の事を言っただけなのに。
気が付けば私の胸はすっと軽くなっていて、その代わりに何だかモヤモヤとした温かいような気持ちに満ちていた。
それから莉結は、麗美さんに稚華さんの自宅や居そうな場所を聞いてみると言った。そして"もしそれが分かれば明日の放課後にでも探しに行こう"と。最後に莉結は"これからは私に何でも言えばいいから"なんてドラマとかで聞くようなセリフを付け足すと、"じゃっ"と吐き捨て電話を切った。
「恥ずかしいならそんな事言うなっての」
私は携帯にそう呟いて画面を閉じる。……黒色に変わった画面には柔らかな表情で微笑む私の姿が映っていた。
アスファルトと草木のほのかな香りがする…
久しぶりに嗅ぐいい匂いだ。
私は肺を潤す湿気と、絶えず鼓膜を振動させている激しい雨音で目が覚めた。
重い身体を起こす。
ついこの前までは随分と軽く感じていた身体も、だいぶ慣れてしまったようだ。
カーテンを開け窓の外を見る。
雨か…
湿気で寝癖のついた髪を櫛でとかす。
この作業にも随分慣れてきたものだ。
初めは面倒極まりなかったが、最近では生活の一部となり何も気にならなくなった。
長く伸びた自分の髪も好き。
気がつくと指でクルクルと毛先を絡めていることが多々ある。
そんな時、私はやっぱり"元の身体"に戻っただけなんだなぁと実感する。
言葉で表現しにくいが、兎に角そんな感じなのだ。
っとまぁそんな事はいいんだ。
今日は彩ちゃんに話をしようと決めたんだ。
一通り身支度を終えると、携帯を手に取り深呼吸をした。
"天堂 彩"の名前をタッチする。
"発信中"と表示され、しばらく呼び出し音が鳴った後"電話に出ることができません"のアナウンス。
迷惑かもしれないけど直接家に行くしかないか…
玄関を開くと想像以上の豪雨だった。
辺りは雨音に支配され他の音の介入を拒むようだった。
一瞬躊躇したが、小さく深呼吸をする。
そして傘を開いて一歩踏み出した。
その瞬間、傘がドラムの演奏を始める。
道路には薄く水が溜まっていて、歩くたびにチャピチャピと美しい音色を奏でている。
何度か車の津波攻撃を受けたが、スカートを履いてきたお陰で、なんとか被害は靴下のみで済んでいる。
こんな日は外に出ちゃダメだったかな…
グジョグジョになってしまった靴下に不快感を感じつつ、天堂さんの家の前に到着した。
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