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82.理由(ワケ)
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ぼんやりとした意識の中に柔らかな雨音が響く。薄っすらと目を開き静かに吸い込んだ空気には雨の日独特の新鮮で何だか懐かしいような匂い。
"雨か……"
私はゆっくりと身体を起こしてカーテンの隙間へと視線を向ける。そこからはいつものような眩しい陽射しでは無く薄暗い白っぽい光が顔を覗かせていた。
肩に掛かった髪の毛を指の間に滑らせると、弛んだ髪がくるりと緩いカーブを描いた。
"癖毛……なんだな"
毛先を手に取りまじまじと見つめた。これが私の髪の毛なんだ、と今更に気付いたように。男だった頃には当たり前だけどこんな長さまで髪を伸ばした事は無かった。だからこんな雨の日でも鏡に映った"俺"は毛先がほんの少しだけ緩やかなカーブを描いているくらいだったから自分は癖毛とは関係の無い人間だとばかり思っていたのだ。そう考えると今の私になってから数えるくらいしか雨は降ってないんだなって事に気付く。でもそんな雨だった日も、その時の私には髪の毛を眺めている余裕なんて無くてこんな些細な事には気付けなかったんだろう。だから"今の私"が段々と"普通"という日常に馴染み始めているって事なんだろう……。それがなんだか良いような怖いような、足が地面に着き切らない不安定なままの自分を肯定するような気がして、少し複雑な気持ちがまた私にふんわりと浮かび上がった。
そんな気持ちを押し込むように私はいつものように洗面台の鏡の前に足を進めた。そして最近ではすっかり見慣れてしまった櫛を手にとると、聞いたことも無い鼻歌を唄いながら髪を梳かしつつ歯を磨いた。
"でも、もしかしたら今日、何か大きな収穫が得られるかもしれない"
そう思うと目先の期待に気持ちが和らぐ。
"くよくよ考えるのは後でもいいじゃんか"
自分にそう暗示をかけると、"よしっ"と声に出し頬を叩いて気合いを入れた。
そして支度を終えた私は玄関で靴を履こうと自分の黒い傘に手を伸ばして……、その横にあった母さんの傘を手に取った。それは白地に小さな花柄の付いた可愛らしい傘。最近はずっと使われている所を見た事が無いから、だから今日は久しぶりにこの傘にしようと思ったのだ。
「おはよっ」
時間通りに家の前に現れた莉結に声を掛けると、案の定「その傘、お母さんのじゃないっ?」と莉結が驚く。でも私は"別にいいじゃんっ"と莉結の横を通り過ぎ先を進んだ。
「ねぇ何でその傘なのっ?」
後ろから莉結の嬉しそうな声がした。絶対に莉結は私がこういう"女っぽいもの"を使っている事が嬉しいんだろうけど、私にはちゃんとした理由があるのだ。
「たまには使わないと可哀想だからってだけだよっ」
莉結は"ふーん、そっか"とだけ言って私の横へと駆け寄る。そして少し並んで歩いた所で私は早速昨日の件についてどうだったのかを訊ねてみた。
「稚華さんの家は分かったよっ」
莉結はそう言って微笑むと親指をぐっと立てた。が、すぐにその表情が少し曇って視線が足元を向く。
「だけど稚華さん学校は行ってないみたい」
「えっどうして?」
「あんまこういうこと言っちゃダメなのかもしれないけど」
そう言うと莉結は少し気不味そうにその理由を話してくれた。
なんでも稚華さんの家には両親が居なくて金銭面の理由で学校には行けず、その代わりに掛け持ちのバイトをしていてほとんど家を空けているから家に行っても会えないかも、と。そして携帯に関しても同じ理由で持っていないのだと。
私はそんな話を聞いて、あの日の稚華さんに感じた距離感みたいなものの理由が分かった気がした。当たり前のように恵まれた生活をしてきた私たちと、そんな状況で必死に頑張っている稚華さんとじゃ距離感があって当然だ。みんなより大人びて見えたのも、しっかりしているように思えたのもそれが理由だったに違いない。
「でも……、待つんでしょっ?」
莉結が私に無邪気な笑顔を向ける。それに私は「もちろんっ」と答えると、それからはお互いに自然とその話題には触れなかった。そして私たちは遠くに響いた予鈴の音に道路の水溜りを駆けていったのだった。
"雨か……"
私はゆっくりと身体を起こしてカーテンの隙間へと視線を向ける。そこからはいつものような眩しい陽射しでは無く薄暗い白っぽい光が顔を覗かせていた。
肩に掛かった髪の毛を指の間に滑らせると、弛んだ髪がくるりと緩いカーブを描いた。
"癖毛……なんだな"
毛先を手に取りまじまじと見つめた。これが私の髪の毛なんだ、と今更に気付いたように。男だった頃には当たり前だけどこんな長さまで髪を伸ばした事は無かった。だからこんな雨の日でも鏡に映った"俺"は毛先がほんの少しだけ緩やかなカーブを描いているくらいだったから自分は癖毛とは関係の無い人間だとばかり思っていたのだ。そう考えると今の私になってから数えるくらいしか雨は降ってないんだなって事に気付く。でもそんな雨だった日も、その時の私には髪の毛を眺めている余裕なんて無くてこんな些細な事には気付けなかったんだろう。だから"今の私"が段々と"普通"という日常に馴染み始めているって事なんだろう……。それがなんだか良いような怖いような、足が地面に着き切らない不安定なままの自分を肯定するような気がして、少し複雑な気持ちがまた私にふんわりと浮かび上がった。
そんな気持ちを押し込むように私はいつものように洗面台の鏡の前に足を進めた。そして最近ではすっかり見慣れてしまった櫛を手にとると、聞いたことも無い鼻歌を唄いながら髪を梳かしつつ歯を磨いた。
"でも、もしかしたら今日、何か大きな収穫が得られるかもしれない"
そう思うと目先の期待に気持ちが和らぐ。
"くよくよ考えるのは後でもいいじゃんか"
自分にそう暗示をかけると、"よしっ"と声に出し頬を叩いて気合いを入れた。
そして支度を終えた私は玄関で靴を履こうと自分の黒い傘に手を伸ばして……、その横にあった母さんの傘を手に取った。それは白地に小さな花柄の付いた可愛らしい傘。最近はずっと使われている所を見た事が無いから、だから今日は久しぶりにこの傘にしようと思ったのだ。
「おはよっ」
時間通りに家の前に現れた莉結に声を掛けると、案の定「その傘、お母さんのじゃないっ?」と莉結が驚く。でも私は"別にいいじゃんっ"と莉結の横を通り過ぎ先を進んだ。
「ねぇ何でその傘なのっ?」
後ろから莉結の嬉しそうな声がした。絶対に莉結は私がこういう"女っぽいもの"を使っている事が嬉しいんだろうけど、私にはちゃんとした理由があるのだ。
「たまには使わないと可哀想だからってだけだよっ」
莉結は"ふーん、そっか"とだけ言って私の横へと駆け寄る。そして少し並んで歩いた所で私は早速昨日の件についてどうだったのかを訊ねてみた。
「稚華さんの家は分かったよっ」
莉結はそう言って微笑むと親指をぐっと立てた。が、すぐにその表情が少し曇って視線が足元を向く。
「だけど稚華さん学校は行ってないみたい」
「えっどうして?」
「あんまこういうこと言っちゃダメなのかもしれないけど」
そう言うと莉結は少し気不味そうにその理由を話してくれた。
なんでも稚華さんの家には両親が居なくて金銭面の理由で学校には行けず、その代わりに掛け持ちのバイトをしていてほとんど家を空けているから家に行っても会えないかも、と。そして携帯に関しても同じ理由で持っていないのだと。
私はそんな話を聞いて、あの日の稚華さんに感じた距離感みたいなものの理由が分かった気がした。当たり前のように恵まれた生活をしてきた私たちと、そんな状況で必死に頑張っている稚華さんとじゃ距離感があって当然だ。みんなより大人びて見えたのも、しっかりしているように思えたのもそれが理由だったに違いない。
「でも……、待つんでしょっ?」
莉結が私に無邪気な笑顔を向ける。それに私は「もちろんっ」と答えると、それからはお互いに自然とその話題には触れなかった。そして私たちは遠くに響いた予鈴の音に道路の水溜りを駆けていったのだった。
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