海の声

ある

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161.前夜

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「分かったよ、ごめん」

そう言って俺がゆっくりと腰を下ろすと、どすん、という音と共に美雨が再び布団へと仰向けに倒れる。

『ボクだって海美ねぇ見たいしさ、直接喋りたい、声が聞きたい。海美ねぇの体温だって、匂いだって…』

するとベッドの上に伸ばされた美雨の左腕がすっと曲がると、真っ直ぐに天井を見つめていた二つの目をそっと覆った。
バレバレだっつうの。

俺の心配を他所に、笑顔で海美が戻って来た時には部屋は夕陽に紅く染まり、ヒグラシの悲しげな鳴き声が様々な蝉の鳴き声の中際立っていた。
俺は何食わぬ顔で「どこ行ってたの?」と尋ねる。あくまでも気にする素振りを見せないよう、本を片手にパラパラとめくりながら。
その答えが"自分の家"と聞き、何故か俺はホッとしてしまう。そしてふと、"何で自分の家に行ったのか"という疑問が浮かび、それを聞いていいものかどうか葛藤していると、海美の口からその"答え"が語られた。

『お母さんに手紙…書いて来ちゃった。』

ふーん、なんて簡単に答えようとした瞬間にその重要さに気付いてしまった。

「ちょっ…て、手紙?!」

それはアウトでしょ。
開いた口が塞がらないとはこの事だろう。文字通り口を開けたまま海美を見つめてから「で、何て書いたの?」と尋ねる。
"それは内緒だよぉ"と内容までは教えてくれなかったが、すぐには分からない所に感謝の気持ちを綴った紙を置いて来たそうだ。
俺たちはだんだんと暗くなっていく空の下、ぼぅっと蛍のように点々と連なる提灯の灯りを窓から眺めた。
祭りは明日だと言うのに法被姿の大人が何人か歩くのが見えたが、それは前夜祭と言う名の飲み会を役員さんの家々でやっているからだそうだ。



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