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幽霊になった日
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視界が、不自然に高い。
僕の身長は172センチだったはずだが、今は天井の隅、ちょうど換気扇のベタついたプロペラと同じ高さから、六畳一間の自分の部屋を見下ろしている。
真下には、僕が転がっている。
正確には、数時間前に自ら息を引き取ったばかりの「僕」だ。
肉体はまだ、生々しい熱を微かに孕んでいる。だが、部屋の四隅に置いた皿の中の「生卵とレバー」は、僕が死ぬのを待ちきれなかったかのように、鼻を突く饐(す)えた死臭を放っていた。
バタン! と、玄関のドアが乱暴に開かれた。
「佐藤くん! お願い、返事して!」
結衣さんの声だ。
管理人が予備鍵で開けたその先へ、彼女は弾かれたように飛び込んできた。
「……ひっ、あ、ああ……っ」
彼女は部屋の中央で立ち尽くし、喉を鳴らした。
無理もない。そこには彼女が知っている「佐藤くん」など一人もいなかった。
壁、天井、床。
数百枚の鏡が貼り巡らされたその中心に、僕は「くの字」の形で固まって転がっていた。
首を吊った衝撃で台から落ちたのか、あるいは最初からそう計算されていたのか。
腰と膝を太い針金できつく縛り上げられた僕の遺体は、膝を胸に引き寄せた歪な姿で、床に敷き詰められた鏡をじっと見下ろしている。
「おい……なんだ、この手は」
後から入ってきた警官が、僕の右手を指差して絶句した。
人差し指から小指まで、すべての関節がペンチのようなもので徹底的に粉砕され、赤黒い肉塊と化している。
「佐藤くん……どうして……嘘、嘘だよ……」
結衣さんは膝をつき、嗚咽(おえつ)を漏らす。
彼女の綺麗な瞳が、鏡に映る無数の「くの字の死体」と、救えなかった自責の念で濁っていく。
その時、僕の遺体の口腔内から、鈍い銀色の光がこぼれた。
警官が震える手で僕の顎(あご)をこじ開けると、そこには彼女の名前を深く刻み込んだ「鉛の板」が詰め込まれていた。
ピコン。
静まり返った部屋に、スマホの通知音が響く。
それは、僕が意識を失う数秒前に、01へ送った
「最後の手紙」だった。
『結衣さんがくれた言葉。それが僕の、最後の鍵になりました。今から、君の中に、僕の場所を作りに行くよ。』
結衣さんは自分のスマホを取り出し、その画面を見た瞬間、魂が抜けたように動かなくなった。
ああ、結衣さん。そんなに泣かないで。
僕は今、君のすぐ後ろ天井の隅にいるんだよ。
視界が、ぐにゃりと歪む。
意識が、強烈な重力に引かれるように、昨日へ、一昨日へ、そしてこの地獄を組み立て始めた「あの日」へと引き戻されていく。
なぜ、僕はこうなったんだっけ。
天井の隅から見下ろす僕の視線が、絶望に染まった結衣さんの瞳と、一瞬だけ重なった。
それを合図に、僕の記憶は逆流を始める。
まだ僕の心臓が動いていて、僕が自分の指を一本ずつ、彼女への愛を形にするために折っていた死の数時間前へ。
【記録:幽霊になった日】終了
現場の状況:遺体は針金で固定。口腔内に被害者知人女性の氏名入り鉛板。
僕の身長は172センチだったはずだが、今は天井の隅、ちょうど換気扇のベタついたプロペラと同じ高さから、六畳一間の自分の部屋を見下ろしている。
真下には、僕が転がっている。
正確には、数時間前に自ら息を引き取ったばかりの「僕」だ。
肉体はまだ、生々しい熱を微かに孕んでいる。だが、部屋の四隅に置いた皿の中の「生卵とレバー」は、僕が死ぬのを待ちきれなかったかのように、鼻を突く饐(す)えた死臭を放っていた。
バタン! と、玄関のドアが乱暴に開かれた。
「佐藤くん! お願い、返事して!」
結衣さんの声だ。
管理人が予備鍵で開けたその先へ、彼女は弾かれたように飛び込んできた。
「……ひっ、あ、ああ……っ」
彼女は部屋の中央で立ち尽くし、喉を鳴らした。
無理もない。そこには彼女が知っている「佐藤くん」など一人もいなかった。
壁、天井、床。
数百枚の鏡が貼り巡らされたその中心に、僕は「くの字」の形で固まって転がっていた。
首を吊った衝撃で台から落ちたのか、あるいは最初からそう計算されていたのか。
腰と膝を太い針金できつく縛り上げられた僕の遺体は、膝を胸に引き寄せた歪な姿で、床に敷き詰められた鏡をじっと見下ろしている。
「おい……なんだ、この手は」
後から入ってきた警官が、僕の右手を指差して絶句した。
人差し指から小指まで、すべての関節がペンチのようなもので徹底的に粉砕され、赤黒い肉塊と化している。
「佐藤くん……どうして……嘘、嘘だよ……」
結衣さんは膝をつき、嗚咽(おえつ)を漏らす。
彼女の綺麗な瞳が、鏡に映る無数の「くの字の死体」と、救えなかった自責の念で濁っていく。
その時、僕の遺体の口腔内から、鈍い銀色の光がこぼれた。
警官が震える手で僕の顎(あご)をこじ開けると、そこには彼女の名前を深く刻み込んだ「鉛の板」が詰め込まれていた。
ピコン。
静まり返った部屋に、スマホの通知音が響く。
それは、僕が意識を失う数秒前に、01へ送った
「最後の手紙」だった。
『結衣さんがくれた言葉。それが僕の、最後の鍵になりました。今から、君の中に、僕の場所を作りに行くよ。』
結衣さんは自分のスマホを取り出し、その画面を見た瞬間、魂が抜けたように動かなくなった。
ああ、結衣さん。そんなに泣かないで。
僕は今、君のすぐ後ろ天井の隅にいるんだよ。
視界が、ぐにゃりと歪む。
意識が、強烈な重力に引かれるように、昨日へ、一昨日へ、そしてこの地獄を組み立て始めた「あの日」へと引き戻されていく。
なぜ、僕はこうなったんだっけ。
天井の隅から見下ろす僕の視線が、絶望に染まった結衣さんの瞳と、一瞬だけ重なった。
それを合図に、僕の記憶は逆流を始める。
まだ僕の心臓が動いていて、僕が自分の指を一本ずつ、彼女への愛を形にするために折っていた死の数時間前へ。
【記録:幽霊になった日】終了
現場の状況:遺体は針金で固定。口腔内に被害者知人女性の氏名入り鉛板。
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