1 / 1
頰に触れるひんやりとした感触 春
しおりを挟む
お前は忘れている。
あの日の雪の冷たさも。
私の刃が心ないことも。
あの柔らかい頬に添えられたその刀の感触も。
幼い子供は赤ん坊のときの記憶、腹の中の羊水に沈む感覚すら覚えている場合があるらしい。
私は己がこの世に生を受ける前に、何者だったかを覚えていた。
教科書にある、図書室の本にある、昔の自分の名前をなぞっては噎せ返るような血の臭いを思い出していた。
人々の記憶に残るのは、名前とその最期くらいだろう。
最期の瞬間も、剣豪として名を上げていたその日々も、大して私の記憶には残っていなかった。
ただ、その名を剣豪としてでなく呼ぶ、『彼女』の声だけが強く耳に残っていた。
「佐々木、帰ろうぜー。」
教室の出入口から叫ばれる。
私は席を立つと、まだ机に開かれていた歴史の教科書を鞄に詰めた。
この時代は妖術と呼ばれていたものを、魔法と呼ぶ。
魔法を正しく使える技術と精神を養うために、国で指定された学校に通わされる。
そして、この国の人間として、溶け込めるように飼い慣らされるのだ。
私は何ら強い力があるわけではなかった。
抑えるまでもなく、ただ、何となく、導かれるままに、過ごしていた。
そんな、何でもない日々に慣れ始めた頃。
昇降口への階段を降りきるその瞬間、私は視界の端に映ったものに、動きを止めた。
見紛うことなどない。
私はもう一度、降りた階段を駆け上がった。
「あっ、佐々木!?」
傍にいた友人の声が聞こえたが、どうでもよかった。
私は、『彼女』を人混みに見たのだ。
かつての私が恋い焦がれていた、
己が愛した刀と天秤にかけた、
手に入らないと諦めた、『彼女』を。
こんな運命の巡り合わせを、認めなくはなかった。
思い出の中にあればそれで良かった。
いっそ時とともに忘れてしまいたかった。
私の頬を、冷や汗が伝った。
雪解け水が流れ始めるように
止まった時が動き出す音がした。
春、佐々木春弥
あの日の雪の冷たさも。
私の刃が心ないことも。
あの柔らかい頬に添えられたその刀の感触も。
幼い子供は赤ん坊のときの記憶、腹の中の羊水に沈む感覚すら覚えている場合があるらしい。
私は己がこの世に生を受ける前に、何者だったかを覚えていた。
教科書にある、図書室の本にある、昔の自分の名前をなぞっては噎せ返るような血の臭いを思い出していた。
人々の記憶に残るのは、名前とその最期くらいだろう。
最期の瞬間も、剣豪として名を上げていたその日々も、大して私の記憶には残っていなかった。
ただ、その名を剣豪としてでなく呼ぶ、『彼女』の声だけが強く耳に残っていた。
「佐々木、帰ろうぜー。」
教室の出入口から叫ばれる。
私は席を立つと、まだ机に開かれていた歴史の教科書を鞄に詰めた。
この時代は妖術と呼ばれていたものを、魔法と呼ぶ。
魔法を正しく使える技術と精神を養うために、国で指定された学校に通わされる。
そして、この国の人間として、溶け込めるように飼い慣らされるのだ。
私は何ら強い力があるわけではなかった。
抑えるまでもなく、ただ、何となく、導かれるままに、過ごしていた。
そんな、何でもない日々に慣れ始めた頃。
昇降口への階段を降りきるその瞬間、私は視界の端に映ったものに、動きを止めた。
見紛うことなどない。
私はもう一度、降りた階段を駆け上がった。
「あっ、佐々木!?」
傍にいた友人の声が聞こえたが、どうでもよかった。
私は、『彼女』を人混みに見たのだ。
かつての私が恋い焦がれていた、
己が愛した刀と天秤にかけた、
手に入らないと諦めた、『彼女』を。
こんな運命の巡り合わせを、認めなくはなかった。
思い出の中にあればそれで良かった。
いっそ時とともに忘れてしまいたかった。
私の頬を、冷や汗が伝った。
雪解け水が流れ始めるように
止まった時が動き出す音がした。
春、佐々木春弥
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
ちゃんと忠告をしましたよ?
柚木ゆず
ファンタジー
ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。
「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」
アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。
アゼット様。まだ間に合います。
今なら、引き返せますよ?
※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。
聖女を追放した国は、私が祈らなくなった理由を最後まで知りませんでした
藤原遊
ファンタジー
この国では、人の悪意や欲望、嘘が積み重なると
土地を蝕む邪気となって現れる。
それを祈りによって浄化してきたのが、聖女である私だった。
派手な奇跡は起こらない。
けれど、私が祈るたびに国は荒廃を免れてきた。
――その役目を、誰一人として理解しないまま。
奇跡が少なくなった。
役に立たない聖女はいらない。
そう言われ、私は静かに国を追放された。
もう、祈る理由はない。
邪気を生み出す原因に目を向けず、
後始末だけを押し付ける国を守る理由も。
聖女がいなくなった国で、
少しずつ異変が起こり始める。
けれど彼らは、最後まで気づかなかった。
私がなぜ祈らなくなったのかを。
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる