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③
しおりを挟む「かーー、まいったな」
国中を歩き回り草花を集める薬師が使う安価な宿で大の字になる。本来なら薬師ばかりを相手にする宿だが、俺は顔見知りの大将に信用されてるのか特別に部屋を借りられた。
「他ってなると厳しいぞ……」
金の問題もあるが、ここは薬師専用宿として国から補助金が出ているため長居はできない。
どうやらお偉方がわざわざ来たのは、貿易に需要の高い岩砂糖や花酒を製造加工しているアーネシアへの往復増便が決まり、それに伴いこじんまりとした古い事務所兼営業所を大きくする計画が俺らの知らないうちに決定していたからだとか。
雨漏りも台風で崩れた箇所の修繕も素人の俺がしていたのだから、建て替えなくてもそのうち崩れていたかもしれない。それはいいのだが、そこに住んでる配達員がいると知った上が「規則的に許可はしてないし良くないから出てもらってきて」と言ったらしい。
そらそうだけど家賃払ってたしな……。安かったけど。
十四から働きづめだが俺には金がない。妹を外の高等部へ進学させたからだ。ただ、俺はそのために働いていたのだから、それについて後悔はない。
ただちょっと借りるところを失敗して利子を払い続けてるってだけだ。学がないとこういうことになる。恥ずかしくて妹には言えないし、義弟に用立ててもらうのも嫌だった。
つまり変なプライドのせいで俺はこれまで貯蓄がないのだ。
たまに女を買える程度の生活は出来ると言い聞かせて目を背けていたが、宿暮らしだと家賃がこれまでの倍以上かかる。
はぁー…と息を吐いて、慣れ親しんだ小汚ないベッドよりキレイで薬草くさいシーツに顔を埋めた。
男ひとりどうにかなる!で生きてきたが、こりゃどうにかなるのか?
「……ねよう」
少ない着替えに作業着、少しの財産に花酒一本。これが俺のすべてになった。
───────···
「ジルさん、しばらく妹さんのところにお世話になったらどうです?」
キレイさっぱり取り壊されて、別の空き地に仮のテントを張り荷物を置いている事務所兼営業所。
「これどうぞ」
「おお、すまんな」
休みのはずだが俺を気にして出勤しては伝票を整理するクリス。ピーナッツサンドを差し入れてくれた。
「妹んとこなんかうるさくてしかたねぇだろ。休まるもんも休まんねぇしラル坊の世話させられるだけだ」
「まぁ……そうでしょうけど」
心配そうにしている。俺が金貸しに利子を毎月払ってんのを知ってるのはクリスだけだ。雇い主にバレたらクビ切られるってバレないようなところから借りたらこれなんだから笑える。
「野郎ひとり、どーにでもなんだよ」
だったらいいがなぁ。
宿暮らしに今後の金の不安があって、よほど疲れてる時だけ宿に泊まることにした。休みの前だとか体力のある日なんかは、ばーさんとこで買った酒を持って誰かのうちに飲みに向かっているふりして暗くなるまで適当に歩き、人目が無くなったら森に入って野宿する。情けなくて恥ずかしい生き物だ。
明るくなる前にわき水で身体を拭いて洗濯物を済ます。寒さが和らいできた時期でよかった。一ヶ月はやかったら俺はとっくに山で死んでたな。
花酒のばーさんとこで鏡を借りてたまに髭を剃り、ランプを確認して草むしりをしてやる。それで渡してくる小遣いを今までは酒で還元してたが、最近中年太りで我慢してるんだと安酒さえ買ってやれなくなった。
「またくっから生きてろよばーさん」
「はぁいよ」
その日の夜、はじめて泣いた。
深夜の山中でおうおうと泣く大男は獣と何が違うのか。
ばーさんからの小遣いで頭を丸めた。
「強面が更に強調されるからやめな!」と露店のじじいに笑われたので「怖ぇくれぇがモテんのよ!」なんて急いでる振りをして串の一本も買わなかった。情けなさにも慣れるもんだ。
馴染みの女も会わないうちに辞めてるかもしれない。自分で抜く気にもならんのでどうでもいいことだ。
妹と会う気分には更々なれず、義弟家族への荷物はわざと翌日のクリスの荷物に忍ばせた。
クリスがたまに差し入れてくれるパンやスープで凌ぐ日々。俺の最近のまともな飯はそれ一食だ。夜にたらふく山水を飲み、食べれそうな実は片っ端から口にいれた。何がダメだったのか一度地獄を見て宿にいた薬師にかかったので懐が厳しい。
でもそんなときにだって「酒飲んで酔っぱらって何か悪いもんを食っちまった」と言い訳がスラスラと出てくる自分に感心した。
「じゃあジルさん、お世話になりました!」
「おう!嫁の尻に敷かれてこい!」
なんとかクリスを送り出し、手をふる。俺の生命線に手をふった。
入れ替わりで金髪のにーちゃん、キースという十八の優男がやってきた。やることは俺でもやれている単純なことなのでさっさと教えてしまう。狭い町だし近所同士はみんな知人だから間違えたって勝手にそいつらの間で処理してくれる。それに最初のうちは少しくらい間違えたらいい。仕事なんてそうやって覚えていくもんだ。
伝票の処理も、数と料金を確認して中心地区へ送ればいいだけ。あとは自分の努力と体力次第でその日の仕事終わりが決まる。都会の方だと時間がしっかり決まってるんだろうが、うちは俺がこの仕事を始めた頃からこのやり方だ。その方がダラダラせずいい。仕事を片付ければ帰れる。単純明快。
「重くて無理そうなもんは置いとけ」
瓶の詰まった箱なんか持てそうにない優男に声をかけておく。割られると困る。
「えっ、でも」
「あーいい、いい」
どうせ俺は深夜になるまで暇だ。それに給金にならなくても仕事をしているだけ心の安定になる。
「……確かに。おつかれさん」
手慣れた動作で懐に金をしまう男。
毎月飽きもせず支給された薄い給金袋を持って、いつ無くなるのかわからん借金を返す。受け取りにくる男とはもう何年の付き合いになるやら。向こうは呆れているが、これも自分の役割だと何も言わず持っていく。
人気のない大衆食堂の裏で白髪の増えたその男を見送り、飯の匂いのする場所から足早に離れようとした。
「エヴァンズさん」
キースだった。
「んだよ」
「あの、いまのは」
「子供がうまれたってんで手持ちの金渡したんだよ」
我ながらうまいこと嘘がでる。
「おめぇこんな時間に出歩くな」
キースはここいらでは見かけない美形ってやつで、しかも金髪だ。女子供に混じり、気色の悪い趣味の野郎に狙われるのは決まってこういうやつだった。
「表まで送る。いくぞ」
どこに住んでるのか知らないが、とにかく肩を叩いて連れ出す。
その次の瞬間
「おーーーい!山が崩れたぞ~!!!」
「南門だ!」
「野郎は来いっ!!」
町中に響く轟音と叫び声。
咄嗟に二人で走った。
着いた頃には粗方避難が済んだ後で、南門は土砂で埋まっていた。南門は王都へのトンネルの入り口だ。
土砂の山になった場所を呆然と見上げる。
「あ……僕が借りていた宿が…」
隣にいたキースが震えだす。視線の先には土砂の雪崩に巻き込まれ半壊している宿屋。
南門の向かいにある、立地のいい高い宿屋だった。
俺はすぐに営業所へ戻り王都へ光信号で事態を伝えると、すぐに軍を派遣すると返ってきた。門番からすでに連絡が行っていたのだろう。
それでも開通に時間がかかりそうだとアーネシアを抜けた先のダンデ地区から連絡が来た。
荷が届かないならしばらく配達所も廃業だ。ついさっき有り金を男に渡したばかりの俺にとって、それは終わりを意味している。
ふっ、と何か緊張が溶けてなぜか心が軽くなった。
「どうしよう…」
不安そうな声にキースの存在を思い出す。突然走り出した俺について来ていたようだ。
「僕は南門前の宿と契約して部屋をとっていて……」
聞いちゃいないが勝手に喋る。
あんな高級宿の一室を自室として月極めで借りているとか、どんな坊っちゃんなんだか。仕事なんかしなくていいんだろうな本当は。なにかしら社会見学みたいな感覚で本社のお偉方の息子が気楽にやってるんだろう。
笑えてくる。
「金はあんだろ?」
「あ、はい……色々買おうと思って持ち歩いていたので」
「ならなんも問題ねぇ。ほかの宿に移れよ」
「あの、ジルさんは改装前は事務所の上に住んでらしたんですよね?今はどうされて…」
なんだこいつ俺ん家に転がり込むつもりか?まぁそんなもんないんだがな。
「俺も宿暮らしよ」
「あっ!なら僕も同じ宿に」
当たり前だが今日はとってないし泊まるつもりも金もない。これからさらに仕事が途絶えるとなると、もっとない。
「薬師の使う安宿だ。おめぇには合わなそうだが?」
「かまいません!そこで!」
「案内してやるが俺は今日オンナんとこ行くぞ」
うまく交わしてキースを宿に案内する。野郎のクセにもじもじして面倒だったから宿屋の店主に話をつけて前金を払わせてから別れた。
何か連絡が来ているかもしれないので事務所のテントへ寄る。すると本社から「建築用資材も滞るためしばらくそのままで」という連絡と共に、正規の本社採用ではない俺には仕事がない期間の給金が出ないことが簡単に説明された。まぁ予想通り。
ということは配属されて数日のキースは特に何もせずとも金がもらえるわけか。人生ってのはうまくできてる。
金貸し屋もこの災害でこちらへ渡れないだろう。もし取り立てられてもしばらくは勘弁してもらうしかない。
「ふぅ……」
なんのために俺は生きてるんだろうな、まったく。
高ぶって眠気もこず、朝まで北の山中で暇を潰してからばーさんの様子を見に行く。
「生きてっかぁ」
「ほれ、こりゃ!」
声をかけると豆を入れた子供の拳くらいの布袋を三つ、順繰りに投げて見せてくる。うまいもんだ。
「そんだけできりゃあ当分死なねぇなあ!」
よかったよかった。
腹は減りすぎてもう逆に空腹がわからん。とりあえず水さえ飲んでりゃすぐには死なねぇはずだと行き慣れた山に入る。
「そりゃないぜ」
今まで世話になっていた湧き水が、土砂崩れの影響で濁って泥水になっていた。
あはははと笑う。
「あの、エヴァンズさん……?」
「なんだまたおめぇか」
どこから現れるんだかキースが山の入り口からこちらを見ていた。
慣れた道をガサガサおりる。他人に見られたら野生の獣と間違われそうだ。
「どうしたよ」
「王都と連絡をとったら、しばらく休業だといわれたので……」
それで宿でひとり暇だからと、土砂崩れの現場で手伝えることがないか聞きに行く途中だという。
寝てても給金が貰えるのだから黙って寝てりゃいいもんを。
「エヴァンズさんはここでなにを?」
「ここいらのうまい湧水が土砂崩れでダメになってねぇか確認してただけだ」
アーネシアは水がいい。地元の人間は各々気に入った場所で湧き水を汲んで酒を割るのに使う程だ。
「俺は帰る。ここに馴染めるようにがんばんな」
これ以上の無給金ボランティアなんぞ御免だ。
利子返済がひとつき飛ぶと願って、久々に宿をとった。今まで使っていた薬師の宿にはキースがいるので、もっと治安の悪い安くて汚い連れ込み宿だ。
こんなに汚い寝床でもいまの俺には天国よ。
久々に床より高い位置で眠った。
雨に怯えず、獣に怯えず、人間にも怯えずにすんだ。
翌朝、汚いタイルを平気で歩き、熱い湯を浴びて歌う。シャワーを浴びながらご機嫌に歌う……なんていうのは生まれて初めてのことで、楽しくなってきた。
腹も減った。久々に露店へ行こうか。花酒でも飲もうか。
気分よく部屋に戻ると、財産をまるごと持ってかれていた。
「こりゃすげえ!」
転げ回って笑っていると店主がきて外に投げ捨てられたのだが、それでも面白くて面白くて、間抜けで面白くて、笑い終えた頃にはスッキリと憑き物が落ちた心地になっていた。
悲劇だか喜劇だか。
むくりと無駄肉のそげおちた足でしっかり立つ。
伸びた髭を剃りたいが、ばーさんのとこに行く気分でもないのだ。うんうんと考えていると
「おにーさん、ねぇ」
知らない男の声。
「なんだ?知らん顔だな」
親戚にもいない、不思議な色の目をした若い男だ。
「ここってそういうとこだよね?」
仕事で来ていたが土砂崩れで帰れなくなって暇してるという男。
「そうなんじゃねぇか?しらんが」
「えー、おにーさんは客とってない?」
「あ?」
こいつソッチの野郎か。女にモテそうな綺麗な面をしておいてなぁ。
「俺のケツは土砂で埋まってんだよ」
他当たれと手を振る。こんな野郎にケツ狙われるのか……とうとうって感じだ。
「ちがうちがう、ぼく開通させてほしいほう」
「あっ、あ、あぁ♡すごいっ、♡」
「………声でけぇよ」
「あぁっ♡だってぇ…すごいぃ~ッ♡♡♡」
悲劇か。
応援ありがとうございます!
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