解剖令嬢

井戸 正善

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6.怨恨

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 アルミオは思う。
 野犬の類が人を殺すことと、人が人を殺すことの間には、同じ死という結果でも与える印象には雲泥の差があると。
「犯罪組織の報復、でしょうか」
 拷問という方法を選択する理由は限られる。可能な限り苦しめて殺害することを目的とするか、何らかの情報を引き出したかったのか。

 戦争では前者がしばしばみられる。兵士たちや民衆の恨みをぶつけて留飲を下げることを目的としたり、為政者が恨みを晴らしたりするために行う。
 対して、後者も戦争で行われるが内々で処理されるものであり、後ろ暗い組織もまた同じようなことを行う。
 故に、アルミオは後者であると考えた。

 しかし、クレーリアは首をかしげる。
「ベルトルドさん。彼が発見された時の状況は?」
 彼女が声をかけたのは、先ほどアルミオに声をかけた中年の捜査官だった。彼は懐から紙を取り出して、老眼が始まったのであろうしかめ面をした。
「……発見したのは被害者の奥さんで、発見時にはすでに何の反応も示さなかったそうです」

 拷問の場合は、止めを刺さずに放置することも多々ある。また、報復の場合でも長く苦しめるために失血死などを狙って傷つけた状態で放置することもある。
「奥さんは近所の息子さんの家で夕方から家事の手伝いをしていて、深夜に息子さんに送られて帰ってきたそうです。その時には、もう」
「わかりました。奥さんのことはお任せします」

 この判断について、アルミオは後にパメラから聞いた。
 冷たいようだが、クレーリアのような高位貴族に慰められても命令としか受け取られない可能性がある。
 だから同じ平民である捜査官が、情報収集も兼ねて落ち着かせる方が良いのだそうだ。
 もちろん、クレーリアの指示によるものである。

「拷問ではありませんね」
「えっ?」
「血が少なすぎます。血液の凝固具合から見て、眼球の摘出や指の切断は死後に行われたものですね。切断面に生活反応が見られません」
 アルミオはクレーリアの言葉がいまいち理解できなかったのだが、とりあえずは頷いておく。クレーリアの隣から飛ばされる双子の視線が痛い。

「アルミオさん。手伝ってもらえますか。ご遺体を椅子から下ろして、服を脱がせてください」
「わ、わかりました」
「よし、おれも手伝おう」
 中年太りした男性の身体は重く、線の細いクレーリアと双子には難しい。アルミオはこれも自分の仕事、と引き受け、ベルトルド捜査官も手伝ってくれた。

「……血が、少ないですね」。
 アルミオは素直な感想を口にした。
 衣服を脱がすのは一苦労だったが、シャツやズボンに付着した血液は少なくするりと脱がせることができた。
 怪我をした人物の服を脱がした経験があるアルミオには、そこに違和感がある。

「変ですね。身体に傷があんまりない。傷があるところも、服が貼りついていません。血と布が貼りついているのが普通じゃ……」
 言いながら顔を上げたアルミオの目の前には、エレナの顔があった。
「うっ!?」
「……チッ」
「舌打ち!?」

 離れる動きでついでのようにアルミオの足を踏んづけたエレナは、手早く被害者の男性の姿をスケッチしていく。
 身長や身体の幅などをイルダが計測し、それもスケッチへと描き足していく。その速度と正確さはアルミオが舌を巻くほどだ。
「絵描きで食っていけるよな」

 ベルトルド捜査官が呟くと、エレナの代わりにイルダが答える。
「何度も言っていますが、わたしたちはクレーリアお嬢様のために働くと決めているのです。そのような戯言はもう結構です」
 肩をすくめるベルトルドとエレナの頷き。
 それはいつもの光景なのだろう。クレーリアは毛ほども気にした様子が無い。

 もしかすると、検視に集中しているせいかも知れない。
「身体に付いた傷も全て、死後につけられたものです。出血がほとんど見られないあたり、死後しばらく経ってからのことですね。イルダ、体温計を」
 イルダが手渡したのは先端が尖った細いガラス棒であり、中に水銀が詰まった原始的な水銀温度計なのだが、この世界では他に類を見ないものだ。

 体温を測るものだとはアルミオにも会話から理解できたが、どういう仕組みなのかはわからない。
 この世界の医師が熱を測るのは接触による体感でしかなく、一般的に数値として表示される温度計は広まっていない。
 クレーリアの執務室にずらりと並んでいたガラス器を見ても、アルミオにはこの侯爵領がどれほどガラス加工技術に長けているかが恐ろしい程だ。

 さらに驚くべきは、クレーリアが遺体の腹部に戸惑うことなく体温計を突き刺したことだった。
「……ベルトルドさん、発見は昨夜でしたね?」
「そうです」
「彼が亡くなったのは、少なくとも昨日の昼以前です」

 肝臓で体温を測る。死亡時からゆっくりと下がっていく体温の中で、室温に影響されにくく、一定のラインを経て温度が下がるのが肝臓なのだ。
「参ったな」
 頭を振ってため息を吐いたベルトルドは、近くにいた部下を呼んで何やら指示を出すと、クレーリアに一礼した。

「お嬢様。至急やることがありますので、失礼いたします」
「ええ、ご苦労様です。それと、切断面からみて指は裁ちばさみのようなもので切断されています。……なるべく、穏便に」
「裁ちばさみ、ですか。畏まりました」
 神妙な面持ちで出ていくベルトルドを、双子も静かに見送っていた。それぞれに沈鬱な表情を見せている。

「出ましょう、アルミオさん」
「もう、よろしいのですか?」
「死亡診断書は書けました。あとの処理は兵たちがやってくれます」
 現場検証はまだ続くが、遺体に関する部分以外は捜査チームの仕事になる。
 遺体は丁寧に整えられ、詳細に記録されたのちに親族が引き取るか、検体としてクレーリアが引き取ることになる。

 馬車に乗り込んだクレーリアは、汗一つかいていない。
 双子はやや疲れた様子を見せていて、パメラは何やら神経質な顔をしている。
「パメラ、どうしたの?」
「ん? いや、ちょっと気になることがあっただけさ。お嬢は気にしなくて大丈夫。これからどうするんだ?」

 予定通りです、とクレーリアはアルミオへと視線を向けた。
「これからご案内する場所は、私の研究の中心となる場所です。私の許可なく立ち入ることはできません。たとえお父様でも」
「侯爵閣下でも、ですか」
「知識の無い人が入って勝手をされると困りますので。ですから、土地は私の個人所有としておりますし、そこで働いているスタッフは全て私の直属の使用人です。パメラと同じですね」

「わたしたちも、お嬢様の直属でございます」
 イルダが言うと、エレナもうなずく。
「そうね。でもあなたたちは私の使用人というよりは、同じ研究を続ける仲間のように思っているのですよ。悪く思わないでね」
「仲間……! 勿体無い、お言葉でございます」

 紅潮する頬を押さえて小さくなってしまったイルダとエレナ。同じような動きをするあたり双子なんだな、と思いつつも、アルミオは両脇の二人の体温が上がっているのを感じて居心地が悪かった。
「そこに俺も入ってよろしいので?」
「もちろんです。あなたは私の護衛でしょう。パメラと同様、その場所でも警護をお願いします」

 馬車は町中を通り抜け、侯爵邸を通り過ぎて町の外延部へと向かう。
 侯爵邸に近づいたときに「疲れたでしょう」とクレーリアは双子に屋敷へ戻ることを勧めたが、双子は断った。クレーリアと共にいたいという思いと、アルミオを監視せねばという思いがあるのだろう。
 そういえば、とアルミオは先ほどの現場検証での話を思い出す。

「あの男性は、拷問で殺害されたのではなかったのですね」
「頭蓋に殴打による傷があり、脳まで到達するダメージを確認しました。殴られたか高所から落ちて何かに頭をぶつけたことによる即死と考えれます」
「では……」
「あまり考えたくないことですが、発見したという奥さんか、他の誰かが拷問で殺されたかのように偽装したのでしょう」

 死体を椅子に座らせて縛り上げ、指を切断したり目を抉ったりと遺体の損壊を行う。
 いずれ尋常の精神状態ではできないだろうことだが、クレーリアは淡々と語る。
「死亡推定時刻が証言とずれがありました。もしお昼に亡くなっていたとしたら奥さんはもっと早く気づいていたはずです。奥さんが夕刻に出かけたというのが嘘か、遺体の発見が深夜だというのが嘘か。いずれにせよ何かを隠しているようです」

 それでベルトルド捜査官は奥さんと息子さんたちに改めて話を聞き、場合によっては逮捕するために部下と共に急ぎ退出したのだ。
「あとは彼の仕事ですから。きっと真相を突き止めてくれるでしょう」
 もしかすると、遺体の損壊は奥さんが犯人かも知れない。誰も言葉にはしなかったが、アルミオにもその可能性は容易に想像ができた。もしかすると、何か強い恨みがあったのかも知れない。

「真実を紐解くことは、必ずしも幸運へつながることではないのです。死は平等に訪れますが、その結果は生きている人たちに何らの影響も与えないということはありません」
 血縁の者だけでなく、捜査に関わった者、第一発見者、周囲で話を聞いたものや捜査で容疑者にされる者など。その中で幸福を感じるものはいるだろうか。
「真実を知って、遺族は救われることはあります。でも、失った人が帰ってくることはありません」

 だからこそ、クレーリアは真実を求める技術を磨いている。先ほど使用したガラス棒の水銀体温計などは彼女の指示によって作られたものである。毒物扱いの水銀を使用することや、非常に繊細な技術を要することから他領には出していないらしい。
「国王陛下には求められて献上しましたが、使用はされていないようです」
「王様に……」

 王が認めるような物品を作り上げるだけでも一生の快事であるはずだが、クレーリアにとってはあくまでついでのようなものらしい。
「さあ、到着しました」
「アルミオ。今回はあたしが先に出る」
 返事を待たず、パメラが先に馬車を降りた。ほどなくノックが聞こえてくる。安全確認ができたらしい。

「アルミオ。今日はさっきの現場からずっと嫌な予感がする。この場所には巡回もいるが、念のためだ。油断するなよ」
「承知した」
「万が一の場合は、どちらか先に接敵した方が戦闘している間に、もう片方がお嬢を連れて退避だ」

 パメラと簡単な打ち合わせを終えたアルミオを、クレーリアが手招きした。
「ご覧ください。ここが私の研究場、通称『死体試験場』です」
 満面の笑みを見せるクレーリアの視線の先をアルミオが追うと、そこには広々とした農場のような平坦な場所から奥の丘までが広く見え、さらにその先は木々が生い茂る森のようになっている。

 沼地や乾燥した砂地、川が流れる場所もあれば、市街地を模したような小屋が並ぶ場所もあった。
 小さな農村をそのまま持ってきたような場所だ。
「し、死体試験場、ですか」
「ここには寄付された死体があらゆる環境でどのような変化をするのか、腐敗の進行状況や虫や鳥による遺体の損壊具合などを観察、記録するための場所です」

 さっきの現場で遺体の肝臓温度から死亡推定時刻を割り出したのも、ここで取れたデータを基にしているらしい。
「おお……」
 広い農場は王都の近くにもあるし、もちろん実家の男爵領にもある。多くの作物を生み出し、家畜を育てるその場所は人々の胃袋を支える生命の礎と言ってもいいだろう。

 ここはその逆だ。
 死後の人々が死とは何かをリアルに見せつける場所である。
 アルミオは思わず唾を飲み込んだ。墓地とは違う意味で、死がここに集まっている。
「まず、事務所に向かいましょう。新しいデータを確認します」
 軽やかに踏み出したクレーリアに対して、アルミオは自分の足がひどく重く感じていた。
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