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ep.001
酒屋のオヤジさん
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「ふぅ…」
深めの溜息を一つつき、口に飴玉を一つ放り込む。原稿を書き上げた瞬間のルーティンワークだ。
エッセイやコラムを書きながら、細々と小説も書く、いわゆる"モノ書き"になって早四半世紀…作文や読書感想文が苦手だった割には何とかかんとか飯を食えてるのだから人生なんてわかったもんじゃない。もちろん若い頃は今ほど世渡りも上手くなかったし自我が強かったから下手を打ったり干された事もあるけど、それでも気がつけばよくできた嫁さんもいるし国産とはいえ車も持っている。子宝だけは縁がなかったが、こればっかりは授かり物だから仕方ない。何はともあれ、一人前にモノ書きとして低空飛行とは言え巡航してるんだから有難い話だ。
椅子にもたれて口中で飴玉をゴロゴロと遊びながら、書き上げた原稿データを眺める。昔なら原稿用紙を片手に眉間に皺を寄せて…という絵面になるんだろうが、今は輝度を少し落としたディスプレイを見つめている。絵にならない姿である。それでもよくしたもので、誤字や脱字があると原稿全体のイメージから何となく間違った箇所が浮かんで見えてくるようになった。とはいえ編集や担当さんからはちょくちょく指摘されるんだが。
一通り目を通してデータを担当者にメールで送り、この仕事はひと段落。時間もそろそろ夕方四時過ぎだし、今日はもう店仕舞いとしようか、さて…という事でデスク脇の棚に並ぶ何本かのバーボンから、常飲しているアーリータイムスを手にすると、何とも心許ない量しか入ってない。やっと一杯飲めるか飲めないか…仕方ない、買ってこよう。
我が家の隣は長年懇意にしている酒屋である。祖父の代から世話になってるから、かれこれ50年ではきかないお付き合いだ。とはいえまさか毛玉だらけのトレーナーというワケにもいかないので、ジーンズとシャツに着替えて酒屋に向かう。玄関を出て僅か15歩ほどで酒屋の自動ドアが空く。
「お、いらっしゃい」
夕刊を読みながらオヤジさんが愛想なく声をかけてきた。俺が産まれた日にも祝い酒を持って来てくれたようなオヤジさんに今更愛想振りまかれても気持ち悪いが。
「いつものアーリーちょうだい。」
「相変わらずだね。はいよ。」
まるでそこにストッカーがあるように、レジ下の棚から"いつものアーリー"が出てきた。
「たまには他のバーボンに浮気してみたらどうだい?」
「ちょくちょく浮気はしてるよ。今だってメーカーズとオールドクロウ、それにハーパーがいらっしゃいますよ。」
「メーカーズは去年うちで買ってったやつかい?物持ちいいんだかケチなんだか…」
「その分アーリー買ってるんだから文句言うない。何だか知らんけどアーリーに手が出ちまうんだよなぁ」
「ま、それはそれでバーボンの楽しみ方だ。」
バーボン好きになったのは、このオヤジさんの影響が大きい。都心から1時間ほど離れた地方の街で、常時50種類からのバーボンを置いてる店なんてそうそう見ない。スコッチなんてせいぜい10種類しかないのに。
うちの親父とも仲の良いオヤジさんが遊びに来ると、決まってバーボンをぶら下げてきた。たいがいは既に封が切られた飲みかけのボトルだが、それを挟んで男が二人、台所のテーブルで安いスナック菓子や冷蔵庫にあるもので飲んでいたのが何故か格好良く見えた。
三年前、親父が死んだ時には目を真っ赤に腫らして「仏前にカラスじゃ縁起悪いけど、アンタも松田優作も好きだった酒だ、許せよ。」と声を震わせながら一本のオールドクロウを供えてくれた。
いつものアーリーを抱え、たまにはバーボン棚を一通り見回ってみた。
「最近はジムビームがよく出るな。ま、気軽に飲めるしどこでも目にするし、安パイなんだろうね」
「このご時世、潰れたり吸収されちまうディスティラリーはあっても新規は出来ないだろうからなぁ…ラベルは減る一方だよ。」
「やめたやめた、難しい事を抜きに飲めるのがバーボンのいいところだ。小難しい話は終わり!」
そう言うとオヤジさんはレジカウンターの下から半分ほど空いたフォアローゼズを引っ張り出した。
「酒屋にとっちゃ試飲も立派な業務だからな。付き合うかい?」
今更フォアローゼズのレギュラーボトルを試飲もないモノであるが、折角なので御相伴に預かることにした。
足がカタカタする丸椅子に腰掛け、小さなプラスチックのコップに注がれたフォアローゼズを口元へ運ぶと、鼻先を甘い香りがすうっと通っていく。舐めるように少しだけ口に含むと、さらに甘さと香りが広がる。
「やっぱり美味いね。 バーボンらしい味だよ。」
「バーボン飲んで"あちー!しびれるー!うひゃー!"って大騒ぎしてた小僧が一人前の事言いやがって」
40年も昔の事を持ち出されてムッとしたが、何故か笑いが込み上げてくる。
どのくらい経っただろうか…半分ほどあったボトルは、その中身を更に半分ほど減らしていた。空の色も青から濃紺へと移っていた。
「長居しちゃってすいませんね。また。」
いつものアーリータイムスと、真新しいフォアローゼズをぶら下げて、家までの短い短い帰路に着いた。
深めの溜息を一つつき、口に飴玉を一つ放り込む。原稿を書き上げた瞬間のルーティンワークだ。
エッセイやコラムを書きながら、細々と小説も書く、いわゆる"モノ書き"になって早四半世紀…作文や読書感想文が苦手だった割には何とかかんとか飯を食えてるのだから人生なんてわかったもんじゃない。もちろん若い頃は今ほど世渡りも上手くなかったし自我が強かったから下手を打ったり干された事もあるけど、それでも気がつけばよくできた嫁さんもいるし国産とはいえ車も持っている。子宝だけは縁がなかったが、こればっかりは授かり物だから仕方ない。何はともあれ、一人前にモノ書きとして低空飛行とは言え巡航してるんだから有難い話だ。
椅子にもたれて口中で飴玉をゴロゴロと遊びながら、書き上げた原稿データを眺める。昔なら原稿用紙を片手に眉間に皺を寄せて…という絵面になるんだろうが、今は輝度を少し落としたディスプレイを見つめている。絵にならない姿である。それでもよくしたもので、誤字や脱字があると原稿全体のイメージから何となく間違った箇所が浮かんで見えてくるようになった。とはいえ編集や担当さんからはちょくちょく指摘されるんだが。
一通り目を通してデータを担当者にメールで送り、この仕事はひと段落。時間もそろそろ夕方四時過ぎだし、今日はもう店仕舞いとしようか、さて…という事でデスク脇の棚に並ぶ何本かのバーボンから、常飲しているアーリータイムスを手にすると、何とも心許ない量しか入ってない。やっと一杯飲めるか飲めないか…仕方ない、買ってこよう。
我が家の隣は長年懇意にしている酒屋である。祖父の代から世話になってるから、かれこれ50年ではきかないお付き合いだ。とはいえまさか毛玉だらけのトレーナーというワケにもいかないので、ジーンズとシャツに着替えて酒屋に向かう。玄関を出て僅か15歩ほどで酒屋の自動ドアが空く。
「お、いらっしゃい」
夕刊を読みながらオヤジさんが愛想なく声をかけてきた。俺が産まれた日にも祝い酒を持って来てくれたようなオヤジさんに今更愛想振りまかれても気持ち悪いが。
「いつものアーリーちょうだい。」
「相変わらずだね。はいよ。」
まるでそこにストッカーがあるように、レジ下の棚から"いつものアーリー"が出てきた。
「たまには他のバーボンに浮気してみたらどうだい?」
「ちょくちょく浮気はしてるよ。今だってメーカーズとオールドクロウ、それにハーパーがいらっしゃいますよ。」
「メーカーズは去年うちで買ってったやつかい?物持ちいいんだかケチなんだか…」
「その分アーリー買ってるんだから文句言うない。何だか知らんけどアーリーに手が出ちまうんだよなぁ」
「ま、それはそれでバーボンの楽しみ方だ。」
バーボン好きになったのは、このオヤジさんの影響が大きい。都心から1時間ほど離れた地方の街で、常時50種類からのバーボンを置いてる店なんてそうそう見ない。スコッチなんてせいぜい10種類しかないのに。
うちの親父とも仲の良いオヤジさんが遊びに来ると、決まってバーボンをぶら下げてきた。たいがいは既に封が切られた飲みかけのボトルだが、それを挟んで男が二人、台所のテーブルで安いスナック菓子や冷蔵庫にあるもので飲んでいたのが何故か格好良く見えた。
三年前、親父が死んだ時には目を真っ赤に腫らして「仏前にカラスじゃ縁起悪いけど、アンタも松田優作も好きだった酒だ、許せよ。」と声を震わせながら一本のオールドクロウを供えてくれた。
いつものアーリーを抱え、たまにはバーボン棚を一通り見回ってみた。
「最近はジムビームがよく出るな。ま、気軽に飲めるしどこでも目にするし、安パイなんだろうね」
「このご時世、潰れたり吸収されちまうディスティラリーはあっても新規は出来ないだろうからなぁ…ラベルは減る一方だよ。」
「やめたやめた、難しい事を抜きに飲めるのがバーボンのいいところだ。小難しい話は終わり!」
そう言うとオヤジさんはレジカウンターの下から半分ほど空いたフォアローゼズを引っ張り出した。
「酒屋にとっちゃ試飲も立派な業務だからな。付き合うかい?」
今更フォアローゼズのレギュラーボトルを試飲もないモノであるが、折角なので御相伴に預かることにした。
足がカタカタする丸椅子に腰掛け、小さなプラスチックのコップに注がれたフォアローゼズを口元へ運ぶと、鼻先を甘い香りがすうっと通っていく。舐めるように少しだけ口に含むと、さらに甘さと香りが広がる。
「やっぱり美味いね。 バーボンらしい味だよ。」
「バーボン飲んで"あちー!しびれるー!うひゃー!"って大騒ぎしてた小僧が一人前の事言いやがって」
40年も昔の事を持ち出されてムッとしたが、何故か笑いが込み上げてくる。
どのくらい経っただろうか…半分ほどあったボトルは、その中身を更に半分ほど減らしていた。空の色も青から濃紺へと移っていた。
「長居しちゃってすいませんね。また。」
いつものアーリータイムスと、真新しいフォアローゼズをぶら下げて、家までの短い短い帰路に着いた。
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