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創世神話
しおりを挟む世界に、無限の食欲を持つ龍がいた。
龍はあらゆる物を飲み込み、巨大になっていった。
やがて、世界すらも喰らい、飲み干してしまう。
それでも食欲は収まらない。
龍は食べ物を探した。
やがて見つけたのは、巨大でどこまでも長い尻尾だった。
龍は当然のように見つけたそれを口にした。
それは硬く、龍の歯ですら噛み砕けなかった。
ならば飲み込んでしまえばいい。これまでそうしてきたように。
龍は口をいっぱいに開いて尻尾を飲み込む。
長く長く、無限に伸びているそれを、胃に収めていく。
そうして、どれだけの時が経っただろうか。
龍はついに尾の本体に辿り着いた。
それは世界を喰らった龍ですら飲み込めないほど巨大に膨らんだ龍の体だった。
ようやく、己の尾を食べ続けてきたのだと龍は知る。
同時に、気づいた。
消化されない尾が胃を満たしていることに。
無限の飢餓感が収まっていることに。
龍の食欲は初めて満たされたのだ。
満腹。
それの何と心地良いことか。
龍は満足して目を閉じると、そのまま眠りについた。
最初にして最後の眠りに。
世界を喰らい、世界を喰らった己を喰らい、丸々と膨れ上がった龍の巨体。
無の空をたゆたうそれはやがて新しい大地となった。
* * *
「――以上です」
<闇姫>が語ったのは、大地が龍でできている、という神話だった。
「興味深いと思いませんか?」
「まあ……な」
「気のない返事ですね」
「いや、だってよ……それ誰が確認したんだ? その神話が正しいなら、世界が一体の龍に食べられたってことだろ。眠った龍しかいない世界で、誰がその話を知って、伝えたんだよ?」
「神託を授かれる天職――<巫女>の誰か、ですよ」
「――…………」
アークは、なるほど、と思ってしまった。だが……。
「木とか動物とか、どっから来たんだ? その意味じゃ人間もだ」
「意外と細かいのですね、アークさん」
「……ほっとけ」
<闇姫>がその神話でもって何を言いたいのかはわかっていたが、『おっ、そうだったのかっ!』とはならない。子供がキャベツ畑から生まれるというシスターの教えを鵜呑みにし、もったいない悪魔さんを夜トイレに行けないほど恐れていた十数年前の純真さなど、アークにはもうないのだ。
物の値段が相場より高ければ相手の良識を疑い、安ければ物の真偽を疑う。今のアークは世間の毒に侵されている。そう易々とは信じられない。
まして、大地そのものが龍という、まさに天地がひっくり返るような概念など。
「創世神様が無限龍を大地として世界を創り直された――そう考えて良いはずです」
「神様ねえ……」
「天職や様々な天与が世界には存在しています。それらは到底、人の手で用意できるような代物ではありません。一対一の決闘システムや<百騎戦>と呼ばれる多対多の決戦システム、魔物を倒せば様々なモノを得られる迷宮もそうです」
「まあ……そう考えれば、神がいてもおかしくはないか……」
アークが思い浮かべていたのは、自身も挑まれて使ったことがある決闘システムだった。
決闘システムは天職を持つ者ならば基本的に誰でも利用できるが、<闇姫>の言うように明らかに人の理解を超えた領分に存在している。
挑んだ者が決闘システムの利用料として寿命を十日支払うこと。挑まれた側が賭けるモノを指定して両者が合意することで決闘は成立するが、決闘が成立した場合、戦いのための空間が形成され、勝敗が決まって賭けたモノのやり取りが正しく履行されるまで当事者の二人はその空間から出られなくなること。
そして、決闘システムが構築した空間内で決闘の当事者が受けた傷は、勝敗が決まった時点でなかったことになること。これには死亡も含まれる。ちなみに、挑んだ側が失う寿命はその回復のために使われているという説が濃厚だ。
アークのときも相手の腕が千切れていたが、決闘が終われば元通りになった。決闘は街中でたびたび行われるため、同様の光景を見たのも一度や二度ではない。
それは最上級ポーション以上の効果が乱発されているに等しく、神なる者の存在を納得するのに十分な説得力がある。
――なお、治るのは人間だけで、壊れた物は直らない。
「けどよ、神様がいても……地面が龍だって証拠にはならないよな? それを言ったら……<巫女>の神託まで疑うことになるが……」
「理論的には龍の実在を信じる必要も、証明する必要もないように思うのです。必要なのは『騎士に対応した乗騎が現実に存在すること』と『騎士が乗騎を認識すること』のはず」
「ああ……その結論は知ってるよ」
思い込みや木彫りの偽物では両方が真にならない。<龍騎士>実験の失敗と、馬などを乗騎とする他の騎士の性質から導き出された結論である。
「……ってことは、だ。地面が龍ってのが事実だとしたら……オレがそれを信じてなくても認識してさえいれば条件を満たす、ってわけだ」
(けど……認識って具体的にどうすればいい?)
地面を掘って龍の体が見つかったなどという話はない。つまり、龍の姿を見ることはできない。
聴覚・嗅覚・触覚でもその存在を認識することは不可能だ。
馬を乗騎とする騎士の場合、五感のどれかで乗騎の存在を感じ取れていればいいわけだが……。
とりあえず今の時点でアークがはっきり言えるのは、地面が龍であると『思ってみる』くらいでは己に変化がないことだ。
それは、どこかが間違っているか、何かが足りていないことの証明でもあるだろう。
「駄目、ですか」
「オレの認識が足りてないのか――……それか」
神話を聞いたときに感じた疑問が一つあった。
「龍がもう死んでるか、だな」
「その点は私も不安があります」
神話では、死んだとは言っていないが生きているとも言っていない。
眠るという曖昧な表現でどちらとも取れるのである。
「それと、このやり方……まだ試されてないのか?」
「五分五分かなと。この神託は流布することを禁じられています。聖教会が語る世界の姿とは全く異なる世界の有り様なので」
「ま、ぞっとしない話だしなぁ……」
龍が目覚めて動いたら世界が崩壊してしまう。
神が創り直したのならそのへんは対処されているのかもしれないが、それにしたって生物の背中の上で暮らしているというのは不安が残る。
「んで? これで終わり、ってわけじゃないんだろ?」
五分五分で既知ならば続きを用意しているはずだ、と。
「ここまでは前提となる知識を得てもらうためのもの。本命の実験はここからです」
返ってきた肯定の言葉に、<龍騎士>は笑みを浮かべる。
「聞かせてくれよ。その本命の実験を」
「条件を加えます。『乗騎が騎士を主として認識すること』……と」
「……特殊騎士の乗騎の条件だな。<龍騎士>も当てはまると言われてる」
龍に跨った<龍騎士>がいないため、条件が確定していないだけだ。
「……って、おい……絶望が濃くなった気がするんだが?」
この乗騎の意志が必要か必要でないか。
騎士の九割の乗騎となっている馬の場合だと、背に乗った騎士を振り落とすような暴れ馬でも問題ないため、馬の意思は必要ないとされている。
一方で、天馬や鷲獅子や翼竜などの場合、騎士が振り落とされるようだと条件を満たさない。
彼らは人間に捕まって調教されていようとプライドが高いのだ。
龍もまたそうであるとされる。
それはまあいいのだが、大地となった巨大な龍が生きていて意識があったとしても、果たしてその背中にいる人間を認識できるのか。岩やら土やらで隔てられているのだからなおさら難しく思える。
「成功する確率はどうしても低くなります。ですが、私の考える困難はアークさんが想像しているものとは異なるはず」
「……どういう意味だ?」
「紹介します。私の天与を」
<闇姫>がそう言ったとき――アークが纏っていた紫黒の鎧が、ずるりと動いた。
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