白鬼

藤田 秋

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第XX章 名前を忘れた怪物は幸せな夢を見る

XX-2 生きる理由

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***

 うちの神社には変わった桜がある。
 普段は枯れ木のようだが、一晩だけ花を咲かせ、そして散ってしまうのだ。
 昼には絶対に咲かず、夜にひっそりと咲き誇る。

 三歳くらいの頃、目が覚めて夜風に当たりに来たとき、偶然見つけたのが始まりだ。
 その翌年から、ふと目が覚めて出歩くと、桜の開花に出くわしていた。

 今年も何となく目が覚め、ふらりと渡り廊下に来たところだ。春の夜はひんやりとして肌寒い。

 夜風に吹かれ、枯れ木のような大木を眺める。あいつはいつも独りだ。一番華やかな時さえ、誰も見てくれない。

 それを望んでいるのかはわからんが、俺は他人事に思えず、あいつを見守っていた。

 俺には華やかな時期は訪れないし、最後は独りでひっそりと消えてしまうかもしれない。
 だから、見られる時はあいつの晴れ舞台を見てやろうと思った。

 最近、手の震えは益々酷くなり、水差しすらよく落としてしまう。足も更に不自由になった。
 筋力の著しい低下と手足の痺れ。この意味は——。

 ——リーン……リーン……——

「かずまーっ、そんなところにいたら風邪ひくよ?」
 ふわりと肩が暖かくなる。これは珀弥の羽織だ。

「ありがと……」
「どーいたしまして、何してるの?」
 珀弥は俺の隣に腰を降ろした。今年は珍しく、独りじゃないみたいだ。

 俺はあの桜について掻い摘んで説明した。だが、珀弥は半信半疑で首を捻る。
 確かに、普段開花した姿を見たことが無い上、一夜しか咲かないなんて俄かに信じがたいだろう。

 しかし、その疑念はすぐに晴れることになる。
 月が桜色に染まったからだ。突風と共に桜が開花し、激しい花吹雪が俺たちを囲む。

 俺がそれを見るように促すと、珀弥は目を丸くして口をポッカリと開けた。

「はぁ……ちさなにも見せたいなぁ」
 こんな時でもあいつのことか。よほど気に入っているらしい。

 あんな赤ん坊みたいなやつ、起きていられるわけがない。無理だろうと返すと、珀弥は『そっか!』とあっさり認めた。

「じゃあ、大きくなったら一緒に見られるかな?」
「多分な」
「その時は、かずまも一緒に見ようね」
 答えられなかった。

 その『大きくなったら』まで、俺が傍に居られるかわからなかったからだ。
 あまり珀弥に嘘はつきたくない。だから、守れるかわからない約束もしたくなかった。

 俺は桜を眺めて誤魔化していたが、珀弥は不安そうにしていた。

 ——言い知れぬ悪い予感が当たったのは、それから随分経ってからのこと。それまでは、穏やかな日々が続いていた。

 嵐の前の静けさ、というものだろうか。これといった不調も無く、むしろ身体が軽くなったような気がしていた。

 相変わらず珀弥は俺を日記にするし、千真は構わず遊びに来た。

『かずまー、今日はね——』
『かずまっ! これやってー!』
『かずま! 今日は凄いことがあったんだよ!』
『かずまーっ! おもしろいものめっけたー!』
 こいつらは俺の名前をよく呼ぶ。他愛ないことを話し、能天気で、無邪気に笑うのだ。

 俺の周りにいるのは、本当、変なやつばかり。だが、それも悪くない。
 不思議と自分もこいつらみたいに元気になった。ような気がした。

***

 その日は天気が悪かった。
 まだ梅雨で湿気が多く、服が肌にベタついて気持ち悪い。いつもより怠くて、起き上がることさえ億劫だった。

 今は珀弥が居ないし、千真も来ていない。珀弥はもうすぐ帰ってくるだろうけど。
 暇だ。暇だが、何もやる気が起きない。

 傍に置いてある水差しが二重に見える。今日は、寝てしまおう。下手に体力を使わない方が良い。

「……っ!!」
 喉の奥から何かが込み上げる。息が苦しい。空気を吸おうとすると逆効果で、咳き込んでしまう。

 口を押さえた手に、生暖かいものが飛んだ。口の中は鉄の味がする。
 嫌な予感。そっと手を口から剥がす。

 手の平に視線を移すと、べっとりと赤いものが付いていた。

「……血」
 頭がクラクラする。何で血が出たのかわからない。

 でも、この息苦しさと怠さに関係していることは確かだ。人を呼ぶ気力さえ無い。
 ぐったりと横になって、苦しみが収まるのを待った。

 暫く経った頃、戸の外から珀弥の声が聞こえてきた。
 マズい。血さえ拭いていない。こんなところ、あいつには見せられない。

 来るな。と言葉をぶつけてみたが、血が詰まり、上手く声が出せなかった。
 珀弥は異変に気付いたのか、慌てて戸に手を掛けた。

「入るな!」
 声が出せた。途端、喉の奥からまた込み上げ、激しく咳き込んでしまう。手で押さえても、止まらない。

 血は飛び散り、白い布団や着物に赤い染みを作った。

「かずま……?」
 見上げると、酷くショックを受けた様子の珀弥が立っていた。
 しまった、見られてしまった。弱っているところを見られるなんて……恥ずべき失態だ。

「ねえ、それ」
「入るなって言っただろ!」
 完全な逆ギレ。俺は枕を掴んで珀弥に投げつけるが、届かずにポトリと落ちてしまった。

 こんなところで非力さを見せつけるなんて、情けない。

 それ以上に、心配してくれている珀弥に当たるなんて、どうかしていた。俺は自分自身に苛立ち、舌打ちをする。

「……悪い」
 珀弥を見ないように下を向く。自分の手が二重に見えた。
 くらくらと、視点がズレる。ボーッとして、何も考えられない。

「かずま!?」
 珀弥は俺を呼ぶが、応えることすらままならなかった。

***

 気付いた時には白い部屋にいた。

 ピッ……ピッ……と規則的に音を刻む心電計。口を覆う酸素マスク。
 腕に繋がれている点滴。横で祈るように手を合わせている母の姿。

 ここには見覚えがある。病院の一室だ。

「……母、さん」
 くぐもった声で母を呼ぶと、俺を見て驚いた顔をする。目元が赤く、少し目が潤んでいるようだ。

「一真……? 一真!」
 母は涙声で俺の名を呼び、肩に顔を埋めてきた。

 珀弥は母に似ている。つまり、母も明るくていつも笑顔を絶やさない人だ。それなのに、泣いている。

 今回はこの人を泣かせてしまうくらい、深刻だったのだろう。と、他人事のように思った。



 医者が来て俺を診たが、暫く安静にしていればもう大丈夫とのこと。
 酸素マスクが外され、解放された気分になる。病室は俺と母の二人だけに戻り、心電計の規則的な音だけが響いていた。

「……あ」
 母は話を切り出そうとして、口を噤む。

「……なに」
 言いかけて止まるのは気持ち悪い。続きを促すと、母はまた口を開いた。

「怖かったわ……このまま一真が起きなかったらどうしようって……」
「……そう」
 俺は素っ気ない返事しか出来ないし、それ以上会話を広げることもしない。
 だから何だとしか思えないからだ。心配してくれている親に対しても。

「あなたは余計なお世話だと思うかもしれないけれど……本当に心配したわ」
「……へえ」
 会話が途切れた。特に話すことは無いし、どうすれば良いかもわからない。

「……一真、お母さんを見て欲しいな」
 暫く経って、母はまた語りかけてくる。母に視線を移すと、困ったように微笑んでいた。

「お母さんね、あなたのことがわからないの。ごめんなさい……」
 そして、申し訳なさそうに頭を下げるのだ。何だ、そんなことか。

「……謝らなくて、良いよ」
「え?」

「……母さん、が……悪い、わけ、じゃ、ないし……謝られ、ても、迷惑、だし……」
 俺が悪いんだし、謝られたところでどうしようもない。母は目を丸くして、口を覆う。

「一真の声をこんなに沢山聞いたの、初めてかもしれないわ」
 迷惑だと言ったのに、逆に喜んでいるような、そうでないような。
 喜んでいるのだとしたら、こんな会話で喜ぶなんて気の毒になるが。

「……珀弥、は」
「え?」
「珀弥……どう、してる……?」
 何となく気まずくなって、話題を変えた。実際、珀弥ことも気になるし。

「珀弥は家で留守番をしているわ。あなたが倒れた時、血相を変えて呼びに来たのよ? びっくりしちゃった」
 それは随分と世話をかけたようだ。

「そう……」
 珀弥の感情が伝わってくる。不安定で、崩れてしまいそうな。

 家で留守番をしている間も、我慢しているだろうか。あんな姿を見せてしまって、不安にさせてしまっただろうか。

「……珀弥、は……ほんと、は、泣き、虫……で……我慢、する、の、悪い、癖……」
 たどたどしい言葉が、次々と口から出てくる。何故だろう。普段なら絶対、一言以上は話さないのに。

 母さんには伝えておかなければと思った。
 俺のことを理解しているのが珀弥であるように、珀弥の弱い部分を見ているのが俺だから。

 もし、また今回のようなことがあったら。この後の経過で更に悪化したら。
 俺がいなくなったら……その時、あいつの弱さを知っている人がいなくなるかもしれないから。

「大人の、前、では……良い子、だけど……無理、してる……から……ちゃん、と……見て、あげて……」
 情けなくなる程つっかえるが、母は黙って聞いていてくれた。
 こんなに長く話したのは初めてのことだった。やはり、話すのは疲れる。

「わかったわ。教えてくれてありがとうね」
 母はふわりと笑い、俺の頭を優しく撫でた。普段なら振り払うところだが、今日はおとなしくしていようと思った。

「一真、長生きしてね……」
「……ん……頑張、る……あいつ、置いて、いったら……泣くし……」

「ふふ、本当に……弟思いね」
 母さんは涙声でそう言った。
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