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第三章 第一節 キトリは興味津々(3)

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 呪術師の店前には布が垂れ下がっており、来客がそれを左右に割いて、入る仕組みになっているようだ。キトリ以外にそう推測した人間がいるかどうかは不明だが、少なくとも先ほど入って、出て来た村長はそうしていた。先人にならって、キトリもそのようにする。……ふわふわとした、手触りのいい布が番犬だ。布による歓迎を受けたキトリは、耳の前にある椅子に座る……前に、あいさつをしておく。

「こんにちは」

 少し、震えてしまった。手をぎゅっと握りしめていたからか、声帯に力が入り、緊張感を持たせてしまった気がする。
 店の奥から、声が聞こえた。それは、男性と形容しても、女性と形容してもいいし、どちらでもないような、もしくはその逆か……ともあれ、とにかくいい声が、キトリの前に座っていた。

「おや、珍しいお客さんだな。口ぶりからすると、ミファースの……まあいい。それで、ここの店の評判を聞いてやってきたのか、それとも列に巻き込まれてやってきたか……そもそも、私に用があって来たんじゃないか?」

 全て当たっている。キトリはとりあえず、回答をする。

「すごいですね。その全てが理由です。実際は、それ以外にも、ちょっと好奇心がお邪魔して……」
「正直でいい。で、用件は……」

 まずは椅子に座れ、その後なら用を聞いてやる、と呪術師に言われ、後がないキトリは椅子に座る。

「私、悩みがあるんです。ちょっと前に、噴火を止めてくださいって、お願いをされたんですけど、どうにも力不足な気がして……私に力がないわけではないんです。あの、巫女さんに褒めていただきましたし……でも、不安なんです。私が、本当に噴火を止めれるだろうかって。あの神話が嘘だったら、取りつく島もないのに。もし、あの神話が嘘で、少女もいなかったら、誰を殺せば噴火が止まるか、わからなくて。そもそも、殺していいのか、実は別の道があるんじゃないかって、ずっと不安なんです」

 とりあえず、今持っているすべての不安を、差し出してみた。すると、呪術師からは、「もっと詳細を教えて欲しい」と、せっつくようにせがまれた。

「えーっと……私は弓を使って、少女を殺す算段でいるのですが、どうにも私には、うまく飛ばせる技量がないのです。もっと言えば、頭の中で思い浮かべた軌道ですら再現できませんし、さらに言えば、同じ方角に、同じ力量で矢を飛ばしたとしても、前と同じようには動かないですから。一体、どうすれば訓練になるのでしょうか? そもそも、私に殺しは向いていないのでしょうか? 困っています……」
「……そうか。悩みをありがとう……ならば、ジェニロクロロムと、マカヤラナリラムを五ファミルずつ、とケルファラグラムを九ニレフム、それからFartaguini、あとは……」
(脚注:既存の物質名がなかったため、仕方なくそれっぽい文字列で置換した。あとは頼む)
(脚注:この際混ぜられた物質名は、現状も把握されていない。おそらく、物理学外の物質と思われる。誰だよこんな史料持ち込んだ奴……)

 それからも、新しい物理学がやってくる疑惑の瞬間は続き、キトリの頭の中は混乱し続けていた。しまいには、「これは現実なのか?それとも夢なのか?」と、すべてを否定するような結論に至ろうとしていた。よくわからない物質たちが読み上げられたあと、実際にそれらが混ざり合う瞬間を、キトリは聞いてしまった。そして、あまりにも不安だったから、キトリは呪術師に対して質問をした。

「あの、今混ぜてるお薬の材料……?って、何に、どう効くんですか?」
「使えばわかる」

 たった一言で返された。よほど、自信があるらしい。それならば何も言うまいと、キトリは黙って、すべての出来事に傍観する。その間も、理解できない呪文の詠唱(そもそも、聞いただけで理解できてしまうならば、呪文ではない)や異世界的なあれそれが組み合わさっていた。時間は結構経った、ように思われた。もしここの時空が歪んでいないならば、今ごろ暴徒でも発生しているだろう。先ほどの村長の例を思うに、何度も通い詰めている客人に対しては、ここまで時間は使わないかもしれない。実際、入ったと思ったらすぐ出て来たし……などと考え事をしていると、キトリの前に花のような何かが差し出されていた。

「これが、お前に適した薬の形だ。花びらから発せられる匂いを、日に二度嗅げばいい。一緒に、きょう作製した薬の材料の一覧も渡しておこう。この周辺にはない物たちだから、探しても手にとれはしないが……また必要になったら、また私の元に来るといい」
「効力が切れる、というか、嗅いでも効かなくなるまで、どのくらいかかりますか?」
「そうだな……ちゃんと、私の言った通りに使えば、一ヶ月は保つだろう。大丈夫、もし今と同じ場所に私がいなくても、村の中の別の場所に私がいるから……」

 一ヶ月なんて、噴火するかしないか、というところだ。しかし、キトリは妙に落ち着いていて、「自分はついているかもしれない」と思い始めた。実のところ、キトリには薬の効果なんてどうでもよくて、ただ持っているだけでよかったかもしれない。その効能こそが『薬』であるかもしれないが。
しかし、これまでの人だかりに比べて、妙に静かだ。振り向きざまに、キトリは呪術師に聞いてみる。

「あの、私がこの店に入って来てから、一体どれだけの時間が経ったでしょうか……?」

 続けて、これまで気になっていた、お代とかは本当に出さなくていいか、聞いておく。

「それと、慈善事業とかじゃないんですよね? ちゃんと、労働の対価は受け取っているんですか? ここまでの道中で、誰一人としてお代とか、取引の話はされてませんでした……私だって、今からお代を出せるかと言われても、約束はできない状態で……本当に、悩みを聞くだけで良かったんですか?」

 呪術師は何も答えない。どちらの疑問に対しても、同様の対応だった。何も言わない、ならば、『気にするな』と一言発するだけでも、客には充分伝わるし、仮にキトリが呪術師の立場だったなら、おそらくそうするだろう。そして、その時の発言が後々になって、いろいろな名目をつけて、人生の助けになってくれるだろう。人生の助けという、この上ない贈り物を受け取る覚悟があるならば……しかし、この呪術師は何も言わなかった。何か、裏があるかもしれない。疑念を抱いて呪術師を後にして、キトリは店を出る。

 しかし、キトリは確かに、言葉を聞いた。紛れもなく、先ほどまで接していた呪術師の声で。まるで、それは発情期の地鳴鳥のように、還る洞穴を探してさまよう男性のように、甘くかすれた声で。

「可愛い……名前まで聞いておけばよかった……はぁ、呑みたい……」

 もしかすると、あのマイトよりも危険な人物かもしれない。漏らされた本音で察し、キトリは薬をすぐ使わずに、そっと懐中ふところに隠した。
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