惑星の止血〜私が、噴火を止めるんですか!?〜

仁川路朱鳥

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第三章 第三節 健康診断(2)

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「ここに身体を預けて、楽にしているといい。私の言葉に正直になっていれば、特に何もなく終わるからな」

 言葉の選び方に引っ掛かりを感じつつも、キトリは差し出された椅子に軽く座る。軽く、とした理由はやはり『怖い』からであり、いざというときにすぐに立って、逃げられるようにしたかったからである。しかし許されず、後ろから優しく絡みとられ、強制的に椅子にくくり付けられた。そしてその絡みで、キトリの胸元は布の包みを剥がされ、少々大きくなって動きづらかったのでさらしで巻いた乳房も楽になって、キトリの心臓のちょうど真上の位置に、瓶のような何かが置かれた。感触の冷たさに、キトリも思わず声を上げてしまう。

「ひゃっ!? 冷たい……びっくりするじゃないですか、いきなり冷たい物体を押し付けないでください!」
 キトリが言葉を発すると、呪術師の口元が確かに少しだけ下がった。何を考えているか悟らせないための、ふだんの口角の上がりが今確かに、下がった。何か、気に障るような話でもしてしまっただろうか? 無事に帰れない可能性を考えて、キトリは恐怖した。次に発される言葉を待つ。口が開かれる。
「お前はいい子だな、キトリ……その反応が嘘でないように、私は祈るが。そうそう、何か思ったり、感じたりしたら、言葉にしてくれていいからな?そうしてくれた方が、私としても助かる」
 呪術師のその言葉に、キトリは安心を得た。しかし依然として、この用件の全体的な目的がわからない。キトリは疑念と恐怖を相変わらず抱きつつ、椅子に縛り付けられて自由の効かないキトリ自身の肉体にいらだちを隠せないでいた。そんなキトリをうとましく思ったのか、呪術師は質問をしてきた。

「そういえば、キトリに聞いておきたい質問があってな。『せいり』はもう来たか?」
「せいり? ってなんですか? 人間? そんな名前の人、この村にはいなかったはず……私はいつも、家と家の周りと、泊まっている部屋の整理はしてますけど、そっちじゃないん、ですね?」
「あっ……質問が悪かったな。なら、月に一度くらい、足と足の間が血に染まるような経験はしたか? 大人の女性なら起こりうるし、キトリのその胸の大きさなら、すでにあっておかしくはないが……」
「私はまだ、その経験はしてないです……よく姉から聞かされるんですけど、確かその時期ってとんでもなく面倒なんですよね? それが大人になるって証明なら、私は嫌だなぁ……」

 ここまで、キトリも読者の皆様におかれましても、失念していた事実が一つある。呪術師は明確に『男性』である。(疑わしい方は、彼の声に関する描写を思い出してほしい。『人を狂わす重低音』、そんな声を女性が出せるであろうか?)そしてキトリはあからさまに女性である。つまり、この質問群に関しては、現状の法で取り締まられる可能性がある。少なくとも、時代が古すぎて、『男性が女性の身体について調べる』件については違法扱いされていなかった。
 ともあれ、呪術師はキトリへの質問で満足な回答を得られたらしく、「そうだよな……まだ十八に達していないし……まだ可能性は……」とぶつくさ呟きながら、次の準備をしていた。対してキトリはあまり落ち着けない様子で、椅子の拘束をうっとおしく思っている。胸の上に置かれた瓶もいまだに撤去されていない。キトリはある疑念を抱いた。疑念自体なら、この物語が始まる前から持ち続けていたが、まったく新しい疑念だった。

(呪術師のナヤリフスさんは、私を警戒しているのかな?)

 その疑念は瞬間的に消えた。柔らかく果実的な花の匂いが、たちどころに現れたからだ。キトリはこの匂いの主を知っている。確か、火山の中腹ぐらいに咲いている、螺旋牛のなきがら━━肉体を動かす主を喪った、現世への忘れ形見━━を土壌として根を張り、悩ましげな若い女性を思わせるような美しい匂いを放つ、常世の物質とは思えない花、『天上華』の匂いだ。死体の上に咲くという生態さえ除けば、数ある花の中でもキトリが好きな部類の花だ。これは素直に反応した方が良さそうと考え、キトリは言葉を紡ぐ。

「この匂いは好きですよ。確か、天上華って種類のお花でしたよね? 風の強い日なんかに、ふわりといい匂いがするんですけど、もしかして実物ですか? こんなに近くても、嫌な匂いにならないんだ……」

 キトリの反応を聞いた呪術師は、まるで自分を褒められたように嬉しくなって、

「そうか! キトリは天上華が好きなのか……可愛い……この花のいい群生地が火山の中にあるから、来るときはぜひ休憩場所に使ってほしい。血が出ていなければ、彼らはキトリを受け入れるだろう━━ただ、きょう一杯と、様子次第だがあすは行かない方がいい」

 呪術師さんにも喜ぶ言葉があるんだ、とキトリははじめて彼を『人間』と認識したが、その思いは無残にも次の言葉で覆された。キトリ自身、まだ火山討伐に行けるほどの実力はないと思っているし、そこまで心の準備はしていないので行くつもりもないが、一応登る山の様子ぐらいは聞いている。天候が大荒れするだとか、そんな話は一切聞いていない。先ほどの花の匂いでずいぶん、警戒心は薄らいだ方だが、それでもどこかしらに引っ掛かりは持っている。
 ふと、キトリは自分の左腕の袖がめくられ、生の腕が触られている事実に気がつく。触れる主は一人しかいない。呪術師が、キトリの左腕から何かを探すように熱心に触り続けている。目的地にたどり着いたからか、彼は口角を少し上げて、キトリの左の二の腕だけをさらに拘束した。

「なっ……何を、するつもり、なんですか!?」

 問いかけに答えず、ただ淡々となんらかの準備が進められる。キトリは『こんな恐ろしい思いをするなら、嘘を突き通してついていかないようにするか、もしくは最初から依頼なんて受けずに、静かに暮らしていればよかった』と思いはじめ、体から冷えた汗を流して、呼吸が不確かになっていった。鮮明でない未来のために、恐怖を抑えられない肉体が脱出しようとして、暴れようとするも、頑丈な拘束がそれを許さない。体中がこわばり、つい自然と両腕に握り拳を作ってしまう。そんなキトリの様子を察し、なだめるように……ふつう、この状況に陥れた本人がやる行動ではないが……呪術師は男性らしく大きな手で、キトリの頭を撫でて、言う。

「自然に手を握るなんて……まだ指示もしていないのに。本当にいい子だよ、お前は。怖がらなくていいんだからな? 大丈夫、ただの人間には何もしないから……」

 ひとしきり撫でまわされた後、呪術師の関心はキトリの左腕に戻る。用意された、ふわふわとした物体に酒のような液体が染み込まされ、幼い子どもを褒めるようにねっとり、優しくキトリの左腕が拭かれる。それは、ひんやりとした感覚を伴っていて、いきなりでキトリもびっくりしてしまい、声を上げてしまった。対して呪術師はキトリの声を聞かなかったように振る舞う。互いの関心がキトリの左腕に移り━━刺される。

「いっ……! 痛い、痛い、いたいです、やめて、早く、はやく抜いて!! 私が、ただの人間だって、さんざん証明してきたのに! どうして、どうしてこんな……」
「なんだ、ただの人間だな。疑って悪かった。だが、ここまで来たんだ、少しくらい血をもらったって悪くないだろう?」

 左腕を構成するなにかが明確に引き裂かれ、キトリは悲鳴を上げた。恐ろしい現実に対して、ついに彼女は涙を流してしまった。そしてキトリは、若干もうろうとしている自分の頭の中で、呪術師の言葉を繰り返して、理解しようとしていた。
(少しくらいって、どのくらい?)
 痛みはわりかし一瞬でなくなり、キトリは身を委ねるように椅子に寄り掛かり、力を抜いた。これ幸いとキトリの脳内に全てを注ぎ込むように、呪術師が話し始める。

「入ってくる瞬間は痛いと思うが、意外と入った後はなんともないだろう? 人間っていう生き物は、いつまでも痛みを感じるようには作られていないからな……その証拠に、少し体が熱を帯びてないか? お前の体が新しい血を作ろうとしているんだ」

(もっと早くに言って欲しかったなあ)
 と思いながら、キトリは全ての問いかけに適当にうなずいた。全て事実だったらしく、キトリの無音の、空気の動きだけの返事を呪術師は感じ、嬉しそうにしていた。
 キトリの若干狂った体感時間では、この時間がいやに長く続いていると認識していたが、実際は二分も経っていなかった。少しだけ名残惜しく、左腕に刺された針は抜かれ、後には止血用と思われる巻紙をされ、「しばらく安静にするように」とだけ言い渡された。針の後始末をされてから、キトリの胸の上に置かれた瓶も取り除かれ、椅子の拘束以外は自由になった。木製の水差しを手渡されたので、キトリは無意識に、なにも気を使わずに内容物を飲む。ふつうによく冷えた、おいしい水だ。さしずめ、川から採ってきた新鮮な水だろう。キトリの住む家のあたりには川がないから、いつも雨水を溜め置きして備えているが……店の地下とか近くに、水を冷やして置いておける場所があっただろうか? そこまでの機能を持った建物が、ほぼ一日で建てられるような時代ではないはずだ(当然、現代もそうだ)。

 血を抜かれてから、ぽやぽやした時間を過ごした。頭が、出勤を拒否している。先ほどの水のおかげで多少はマシになったが……キトリはあまりもの疲労感に、いっそ寝てしまいたいぐらいになっていた。店の主は水差しを渡してから、どこかへ行ってしまった。なら、少しだけ寝てしまっても許されるだろう。血だって抜かれたんだから。

「キトリ? 逃げてない……逃げてないな。眠くなってしまうくらい、気持ちよかったか? これからもっと、気持ちいい経験をさせてやるというのに」
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