支配者は深淵の扉をこじ開ける

舞米

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1【地下の目】

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じめ、と湿った空気が肌にまとわりつく。

僕の拠点――王都の地下、そのまた深くに広がる、忘れられた古い遺跡の一室。ここには埃っぽい古書と、カビと、微かな獣の匂いだけが満ちている。
天井のシミをぼんやりと眺めながら、僕はクッションの山に深く身を埋めていた。手足が鉛のように重い。無気力、というよりは、もはやそれが僕の平常運転だった。 

エルフと人間のハーフ。中途半端な寿命は、ただ退屈を持て余すには長すぎた。とうの昔に人生には飽いていて、喜怒哀楽の振れ幅も、乾いた川底のようになって久しい。


(……うるさい)


意識の端で、無数の「声」がざわめいている。
僕の足元で、小さな黒ネズミが「チチッ」と焦れたように鳴いた。僕は億劫そうに片手を持ち上げ、その小さな頭に人差し指を乗せる。

途端に、思考が流れ込んできた。
――王城の食糧庫。今夜の晩餐会は鹿肉のロースト。ああ、西の塔の衛兵、アランがまた当直中に居眠りを。昨夜、酒場で聞いた貴族の密談。西の門、今夜の警備交代は夜三時、月のない夜、交代の瞬間に三分の隙あり。


このスキルは、僕の退屈な生計の柱だ。
動物や虫、およそ知性なき生き物を操り、使役する。王都の至る所に配置した僕の「目」や「耳」が、こうしてひっきりなしに情報を運んでくる。
一般的な「テイマー」が一体の相棒と契約するのがやっとの世界で、僕のこの力は「異質」らしい。どうでもいいことだが。

僕は指を離し、ベッド脇の羊皮紙に、インクが掠れた羽根ペンで走り書きする。

『西門・夜三時・警備交代の隙・三分』

これを、僕の使役するカラスにでも届けさせれば、依頼主…どこかの盗賊ギルドから、指定の場所に金が支払われる。

僕は情報屋だ。
裏社会では大層らしく『深淵の情報屋』なんて呼ばれているらしい。
その実態は、この薄暗い地下室から一歩も出ず、ネズミや虫けらの視界を借りて情報を集め、売るだけの、ダラダラした男だ。
楽に稼げる。それ以上に望むものもなかった。

(あー…)
ごろん、と寝返りを打つ。
視界の端に、昨日届いた「報酬」の包みが映った。使役動物に運ばせたそれには、ずしりと重い金袋と、いくつかの保存食。

そして――僕が唯一、対価として「指名」した一冊の本。
『古代ルーン魔術体系・第三巻』
これだ。
これのせいで、僕は今日、数ヶ月ぶりに「地上」に出なくてはならない。
心の底から、面倒くさい。
この第三巻は、なぜか僕のスキル動物たちでは中身を読み取れなかった。

おそらく、古代エルフの血――つまり、僕の血に直接反応するタイプの強力な防護術式がかけられている。
おまけに、この地下室遺跡の魔術的な干渉を嫌うのか、この拠点に持ち込むことすら叶わなかった。

外は嫌いだ。
太陽は眩しすぎるし、人は無駄に多いし、何より、自分の足で二本も使って「歩く」という行為が、途方もない重労働に思える。
だが、この本だけは、僕の長すぎる退屈を唯一紛らわせてくれる「趣味」だった。
知らない知識が脳を満たす瞬間だけは、ほんの少しだけ、生きていることを思い出せる。 

「……さっさと済ませて、帰ろう」

僕はのそりと起き上がった。
床に散らばった本を踏まないように、ゆっくりと立ち上がる。
壁にかけられた、埃をかぶったローブを羽織った。金色の髪は、背中で無造作に一つに束ねてある。
そして、この忌々しい紫の瞳を隠すために、フードを深く、深く被った。
この髪と瞳は、ただでさえ目立つ。目立つのは、面倒ごとの始まりだ。 



王都の空気は、地下とは比べ物にならないほど乾いていて、埃っぽく、そして騒がしかった。  

「活気がある」と人は言うのだろうが、僕にとってはただの騒音だ。
馬車の車輪が石畳を削る音、商人たちの怒鳴り声、香辛料と下水の入り混じった匂い。
そのすべてが、僕の神経を微かに苛立たせる。
僕は人波を避け、慣れた様子で猫のように裏路地を選んで進む。
日の光が届かない路地裏こそが、僕の知る地上の姿だ。

目当ての「霧の古書店」は、そんな裏路地の一つに、まるで周囲の闇に溶け込むように佇んでいた。
ここは、いわゆる「ワケあり」の本を扱う、僕の情報屋としての取引窓口の一つだ。


軋む扉を押し開ける。
カラン、と乾いたベルの音が鳴った。
店内は薄暗く、埃と古いインクの匂いが充満している。僕にとっては、地上のどの場所よりも落ち着く匂いだ。

「……店主、いるか」 

「おお、坊主。珍しいな、お出ましとは」

奥のカウンターで、分厚い帳簿をつけていた老店主が、ギョロリとした目をこちらに向ける。
彼は僕の「顔」を知る数少ない人間だが、僕が「深淵の情報屋」本人だとは知らない。ただの「変わった趣味を持つ、使いっ走りのガキ」だと思っている。

それでいい。
僕は無言で頷き、カウンターに無造作に置かれた例の本を手に取った。
『古代ルーン魔術体系・第三巻』
革張りの重厚な装丁。これだ。

僕はそのまま、店の隅にある、かろうじて光が届く閲覧用の長椅子に陣取った。
どさりと腰を下ろし、早速ページをめくり始める。
……なるほど。これは確かに、動物には読み取れない。古代エルフの血に呼応して、文字が淡く浮かび上がる。
面白い。
夢中、というほどではない。
ただ、乾いたスポンジが水を吸うように、知らない知識が流れ込んでくる感覚は、悪くない。
退屈な日常に落ちた、ほんの小さなインクのシミ。
どれくらいそうしていただろうか。時の感覚など、とうに失っている。


不意に、ある特定のページをめくろうとした僕の手と、別の誰かの手が、本の上で重なった。

「……ん?」

反射的に顔を上げる。
そこには、いつの間にか、一人の男が立っていた。
息を呑むほどの「圧」があった。
影を背負って立っているせいで表情はよく見えない。
だが、とてつもなく背が高い。僕が座っているせいもあるが、見上げるような長身だ。


そして――目が合った。
深い、深い青い瞳。
夜の湖の底を思わせる、静かだが、すべてを見透かすような瞳だった。
短く刈り揃えられた黒髪が、その整いすぎた顔立ちをより一層、冷徹な印象に引き締めている。
まるで精巧な彫刻のようだ。
男は、僕が読んでいる本の「隣」に無造作に積まれていた、別の専門書魔術防御陣関連に手を伸ばそうとしていたらしい。 

僕が本に覆いかぶさるように読んでいたせいで、僕の手が邪魔になった、というわけか。

「……失礼」

男は小さく、低い声でそう呟くと、僕の手を避けるようにして、目当ての本を抜き取った。
その指は、節くれだっているが、しなやかで力強い。

一瞬、男の体から、鉄と、血と、そして何か得体の知れない「力」そのもののような匂いがした。

(……面倒くさいタイプだ)
僕の本能が、最大級の警報を鳴らしている。
関わってはいけない人間。僕のダラダラした日常を、根こそぎ破壊するタイプの人間だ。
僕はすぐに興味を失い、再び古書に視線を落とす。

(早くどこかへ行け)
だが、男はすぐには立ち去らなかった。
値踏みするような、それでいて何かを探るような視線が、僕のフードの奥――その奥の、僕の顔に注がれている。

「……何か?」

思わず、苛立ちを隠せない声が出た。

「いや」

男は短く答えると、興味を失ったかのように踵を返し、カウンターの方へ歩いて行った。
僕はさっさと帰ってくれと願いながら、その背中を盗み見る。

上等だが、華美な装飾の一切ない、実用的な黒いコート。腰には剣を帯びていないが、服の上からでも、鍛え抜かれた肉体だとわかった。その広い背中には、まるで幾多の戦場を潜り抜けてきたかのような、尋常じゃない凄みがあった。

(……ああ、そうか)
僕は、その男の正体に思い至る。
短く刈り揃えられた黒髪。深い青い瞳。圧倒的な威圧感。
僕の使役するネズミたちが、王都の裏社会で最も恐れられ、最も危険な男の姿を、そう報告していた。


闇ギルドのボス。『ガイゼル』
まさか、こんな場所で出くわすとは。
裏社会のトップが、こんな埃っぽい古書店で、魔術書を漁っている?
情報屋として、わずかに好奇心が刺激されたが、それ以上に「面倒くさい」という感情が勝った。
幸い、向こうは僕の正体など知る由もない。
このフードとローブで、僕の金髪も紫瞳も隠せている。

今の僕は、ガイゼルにとって「本屋にいた、態度の悪い、本好きのガキ」くらいにしか映っていないはずだ。
ガイゼルは店主と一言二言交わし(声は聞こえなかったが、店主が恐怖で強張っているのが空気でわかった)、本を数冊抱えて店を出て行った。



扉が閉まり、あの重苦しい「圧」が消え去る。
僕は、今日一番深いため息をついた。

本を読む「趣味」の時間すら邪魔されたことに、そして、裏社会の頂点とニアミスしてしまったことに、心からの気だるさを感じていた。
これが、僕と奴の、最初の出会い。

お互いの素性を何も知らない――いや、僕だけが一方的に正体を知っている、最悪の邂逅だった。

(……早く帰って、寝よう)
僕は読みかけの本を閉じ、再び地下の拠点へと足を向けた。






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