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12 【全力疾走の代償】
しおりを挟む(……面倒くさい、面倒くさい、面倒くさいっ!!!)
僕は、スラムの汚れた裏路地を、文字通り「全力」で走っていた。
何十年、いや、百年以上生きてきて、こんなに「走った」のは初めてだった。
肺が痛い。足がもつれる。
体力という概念を、ここまで意識させられたのは屈辱ですらあった。
「……ハァッ、ハァッ…!」
背後から追ってくる足音はない。
だが、あのガイゼルの、全てを見透かすような深い青い瞳が、背中に突き刺さっている感覚が消えない。
(……なぜ、あそこにいた!?)
(……僕の陽動は? "デコイ"は? "狩人"たちは、東地区に向かったはずじゃ…!)
思考がまとまらない。
それどころか、『模倣者のアミュレット』を維持するための魔力が、この全力疾走のせいで急速に底を突きかけていた。
(……マズイ、切れる!)
アミュレットが、胸元で「警告」のように熱を持ち始めている。
もし、こんなスラムのど真ん中で変装が解け、「金髪紫瞳」の本来の姿に戻ったら?
それこそ、ガイゼルに「答え」を教えてやるようなものだ。
僕は、意識の片隅でリンクさせていた「ネズミ」の視界を使い、最短で地下水路に逃げ込める入り口を探す。
(……あそこだ!)
角を二つ曲がった先、ゴミの山に隠れた、古い鉄格子の蓋。
僕は、最後の力を振り絞ってそこに滑り込むと、鉄格子を強引に持ち上げ、そのまま暗い穴の中へと転がり落ちた。
ガシャン!と鉄格子が閉まる音が、僕の逃走劇の終わりを告げた。
「……ぜぇっ……はぁっ……」
湿った、カビ臭い地下水路の空気。
冷たい汚水が、僕のローブを濡らす。
だが、地上に比べれば、ここは天国だった。
僕は、壁に背中を預け、ずるずるとその場に座り込んだ。
と、同時に。
ブツン、と糸が切れるように、アミュレットの魔力が尽きた。
僕の体を包んでいた「偽りの姿」の感覚が消え、いつもの「ノア」の体に戻る。
一気に、蓄積されていた疲労が全身を襲った。
「…………最悪だ」
僕は、汚水の中で、膝を抱えた。
「……歩くどころか、走った」
「……アミュレットの魔力も切れた」
「……何より、あいつに『見られた』」
ガイゼルは、僕の変装した顔を見た。
僕が、彼の「手」を振り払った。
彼は、僕を「ネズミの仲間か?」と尋ねた。
(……僕の陽動は、失敗した)
あの男は、僕が東地区で「デコイ」を仕掛けることすら、読んでいた。
だからこそ、部下たちを陽動に向かわせ、自分は「本命」が現れるのを、あの場所で待っていた。
僕の「裏をかいた」つもりが、ガイゼルの「手のひらの上」だったのだ。
「……あー…………」
僕は、頭を抱えた。
あの男は、僕が思っていたよりも、ずっと「厄介」で「合理的」で……そして「執念深い」。
『深淵の情報屋』。
その正体を、彼は本気で「狩る」つもりだ。
「……もう、ダメだ」
僕は、気力も体力も尽き果て、そのまま汚水の中で眠ってしまいそうだった。
(……いや、帰る)
(……帰って、クッションの上で寝る)
僕は、最後の力を振り絞って立ち上がり、重い足取りで、僕の怠惰の城へと、とぼとぼと歩き始めた。
もう、二度と外になど出るものか。
たとえ『時詠石』が目の前にぶら下がっていても、もう絶対に。
____________
ノアが逃げ去った、スラムの裏路地。
ガイゼルは、あのガキが消えた角を、冷たい青い瞳で静かに見つめていた。
「……ボス」
音もなく、側近が背後に現れる。
「逃げられましたが……追いますか?」
「いや、追うな」
ガイゼルは、短く答えた。
「あれは、ただの『手足』だ。深追いしても、また別の穴に逃げられるだけだ」
「……では、東地区の、あの強大な『空間転移の痕跡』は…」
隊長は、先ほど部下たちから報告が上がった「陽動」について尋ねる。
「ハッタリだ」
ガイゼルは、鼻で笑った。
「あのガキが、あの汚い下水溝に投げ込んだ『魔道具』の仕業だ。俺は、この目で見た」
「……! では、やはりあのガキが…!」
「ああ。あれが、俺たちが追っていた『影猫の飼主』……あるいは、その『飼主』の命令で動く、極めて重要な『駒』だ」
ガイゼルは、先ほどノアに振り払われた、自分の「手」を見つめた。
あの、小さな手で、裏社会のトップである自分の手を、本気で拒絶した。
あの時の、フードの奥から見えた琥珀色瞳。
それは、恐怖におびえるガキの目ではなく、「面倒ごと」に巻き込まれたことへの、純粋な「苛立ち」と「焦り」の色をしていた。
(……面白い)
あのガキは、自分が誰だか、おそらく気づいていない。
(いや、待て)
ガイゼルは、思考を修正する。
古書店で会った時、あのガキは、俺の正体を知っているような素振りだった。
もし、あの「本好きのガキ」と、今の「茶髪のガキ」が、繋がっていたとしたら?
「……いずれにせよ」
ガイゼルは、獲物を見つけた狩人の、冷たい笑みを浮かべた。
「ようやく『尻尾』ではなく、『手足』を掴んだ」
「ボス、では、西地区の『パン屋のマンホール』を?」
「ああ。そちらが『本命』の『巣穴』だ」
ガイゼルは、ノアの陽動に、一切惑わされていなかった。
「だが、今すぐに突入するな」
「……は?」
「あの『ガキ』は、俺に顔を見られた。そして、陽動がバレたと気づいている。今、巣穴を叩けば、間違いなく『本体』は逃げる」
「……では、どうします?」
「泳がせる」
ガイゼルは、冷徹に言い放った。
「『パン屋』への監視は続けろ。だが、手を出すな。
『東地区』は、陽動に乗ったフリをして、引き続き『空間転移の痕跡』を調査させろ。本体に、こっちが騙されていると思わせておくんだ」
そして、ガイゼルは、最も重要な命令を下した。
「全ギルドの『目』に、新しい『獲物』の情報を回せ」
「……『影猫』、ですか?」
「いや」
ガイゼルは、あのガキの姿を正確に思い返す。
「くすんだ茶色の髪。琥珀色の瞳。十五、六の小柄な少年。
『模倣者のアミュレット』の類を使っている可能性が高い。
だが、あの『苛立ち』の感情は、本人のものだ」
「人相書きを回し、王都中を探させます」
「探すな」
ガイゼルは、側近の言葉を遮った。
「あのガキは、俺に怯え、二度と地上に出てこないつもりだろう。
……だが、人間は、必ず『同じ失敗』をする」
ガイゼルの青い瞳が、暗い執着の色を帯びる。
「奴は、『退屈』に耐えられない。
『希少な魔導書』や『触媒』を、必ずまた求めに来る。
『霧の古書店』、『闇市場』、『錬金術ギルド』……
全ての『趣味』の場所に、網を張れ。
次に、あの『茶髪のガキ』が姿を現したら――」
「――絶対に、逃がすな。
『生かして』、俺の前に連れてこい」
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