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閑話休題 名もなき飛行記録──
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執事長オスカーは書斎の扉を静かに閉め、記録帳を手に進み出る。
グラシエル公爵当主のカール・グラシエルは、書類にペンを走らせながら、その報告を聞いた。
「ご報告がございます。お嬢様の今朝の行動について」
「また何かやったか?」と、カールは眉ひとつ動かさずに問う。
「はい。……屋根から、飛びました。正確には、“落ちずに”着地しました」
ペンが止まる。沈黙の数秒。
「──詳細に話せ」
オスカーは出来事を淡々と述べた。屋根の上で構え、空中に飛び出し、旋回しながらゆるやかに降下。使用人たちを吹き飛ばしつつも、本人は無傷。
「見た者の証言では、“魔力によって飛んでいた”と解釈されております。ですが、術式の種類や理論は不明。本人も“うまくいった”としか言っておりません」
「おまえは、何が起きたと見ている?」
「……わかりません。ただ、あの年齢の子供が一人で再現できるような魔術とは、到底思えません」
カールは腕を組み、苦々しい声を漏らす。
「魔導塔の記録には何も残っていないのか?」
「実験記録がございます。魔導具は使っていません。すべて自力のようです」
その瞬間、カールの中で「一線を越えたもの」が何かを告げていた。
──これは、“家の中で叱って終わる騒ぎ”ではない。
──だが、“娘の名を出すべきこと”でもない。
「実験記録を写して王宮魔術院に送れ。“本日、ある実例があった”として。名は伏せろ」
「承知いたしました」
「……返答によっては、あの子の扱いを再考せねばならんな」
オスカーはわずかにうなずいた。
主の“再考”という言葉の裏に、“娘を止めるか、伸ばすか”という葛藤が見えた。
「それまで、我々の監督下に留めておきましょう。少なくとも、本人は“飛べた”ことをまだ“遊び”だと思っております」
「それが一番厄介だ」
カールはゆっくり立ち上がり、窓の外を見た。
「天才とは──理解せぬうちに世界を変えてしまう存在だ」
その数日後
王宮魔術院──飛行術研究部門、記録室第三観測局。
白銀の天蓋と大理石の床に囲まれた静かな一室。
そこに届いた一通の文書が、世界の“常識”を打ち砕こうとしていた。
グラシエル公爵家の極印が押されているその文書には、次のように簡潔に記されていた。
《報告要旨》
本日、王都近郊某邸において、個人による“補助具なし飛行魔術”が実行された。
施術者は単独、年齢不詳、魔導具未使用。
明確な滑空時間・空中滞在・制動制御が確認されている。
本件は、理論上不可能とされてきた“純粋魔力による浮遊飛行”の初実例である可能性がある。
「……誰が、いつ、どこで?」
「グラシエルの印がある。だが名前は伏せてある。場所も明かされていない」
「まさか、実験記録の捏造か?」
「だとしたら、“捏造する理由が見つからない”ほど無駄がない。むしろ怖い」
書類を前に、観測局の筆頭魔術官エイドリックは、静かに眼鏡を持ち上げた。
灰色の瞳が書類を透かすように読み込み、低く唸る。
副官が震えた声で問いかける。
「……先生、つまり、これは……」
「飛んだ。誰かが、“飛んだ”んだよ。術具なしで」
部屋に静寂が落ちる。
何百年と否定されてきた命題が、淡々と書き込まれた一枚の記録で、現実に変わる。
「どうします?公表しますか?」
「まさか」
エイドリックは首を振る。
「“この飛行を行える存在がいる”と広まれば、諸国は震えるだろう。いたずらに混乱を招く必要はない」
副官が眉をひそめる。
「では、この件は──」
「秘匿だ。だが、王直属魔術研究部門には一応報告しよう」
記録が封筒に戻される。
蝋で密封され、黒封筒に収められた。
「飛行魔術は──理論上、不可能である。
……この記録は、“矛盾”として収めておけ。今は未だ……な」
グラシエル公爵当主のカール・グラシエルは、書類にペンを走らせながら、その報告を聞いた。
「ご報告がございます。お嬢様の今朝の行動について」
「また何かやったか?」と、カールは眉ひとつ動かさずに問う。
「はい。……屋根から、飛びました。正確には、“落ちずに”着地しました」
ペンが止まる。沈黙の数秒。
「──詳細に話せ」
オスカーは出来事を淡々と述べた。屋根の上で構え、空中に飛び出し、旋回しながらゆるやかに降下。使用人たちを吹き飛ばしつつも、本人は無傷。
「見た者の証言では、“魔力によって飛んでいた”と解釈されております。ですが、術式の種類や理論は不明。本人も“うまくいった”としか言っておりません」
「おまえは、何が起きたと見ている?」
「……わかりません。ただ、あの年齢の子供が一人で再現できるような魔術とは、到底思えません」
カールは腕を組み、苦々しい声を漏らす。
「魔導塔の記録には何も残っていないのか?」
「実験記録がございます。魔導具は使っていません。すべて自力のようです」
その瞬間、カールの中で「一線を越えたもの」が何かを告げていた。
──これは、“家の中で叱って終わる騒ぎ”ではない。
──だが、“娘の名を出すべきこと”でもない。
「実験記録を写して王宮魔術院に送れ。“本日、ある実例があった”として。名は伏せろ」
「承知いたしました」
「……返答によっては、あの子の扱いを再考せねばならんな」
オスカーはわずかにうなずいた。
主の“再考”という言葉の裏に、“娘を止めるか、伸ばすか”という葛藤が見えた。
「それまで、我々の監督下に留めておきましょう。少なくとも、本人は“飛べた”ことをまだ“遊び”だと思っております」
「それが一番厄介だ」
カールはゆっくり立ち上がり、窓の外を見た。
「天才とは──理解せぬうちに世界を変えてしまう存在だ」
その数日後
王宮魔術院──飛行術研究部門、記録室第三観測局。
白銀の天蓋と大理石の床に囲まれた静かな一室。
そこに届いた一通の文書が、世界の“常識”を打ち砕こうとしていた。
グラシエル公爵家の極印が押されているその文書には、次のように簡潔に記されていた。
《報告要旨》
本日、王都近郊某邸において、個人による“補助具なし飛行魔術”が実行された。
施術者は単独、年齢不詳、魔導具未使用。
明確な滑空時間・空中滞在・制動制御が確認されている。
本件は、理論上不可能とされてきた“純粋魔力による浮遊飛行”の初実例である可能性がある。
「……誰が、いつ、どこで?」
「グラシエルの印がある。だが名前は伏せてある。場所も明かされていない」
「まさか、実験記録の捏造か?」
「だとしたら、“捏造する理由が見つからない”ほど無駄がない。むしろ怖い」
書類を前に、観測局の筆頭魔術官エイドリックは、静かに眼鏡を持ち上げた。
灰色の瞳が書類を透かすように読み込み、低く唸る。
副官が震えた声で問いかける。
「……先生、つまり、これは……」
「飛んだ。誰かが、“飛んだ”んだよ。術具なしで」
部屋に静寂が落ちる。
何百年と否定されてきた命題が、淡々と書き込まれた一枚の記録で、現実に変わる。
「どうします?公表しますか?」
「まさか」
エイドリックは首を振る。
「“この飛行を行える存在がいる”と広まれば、諸国は震えるだろう。いたずらに混乱を招く必要はない」
副官が眉をひそめる。
「では、この件は──」
「秘匿だ。だが、王直属魔術研究部門には一応報告しよう」
記録が封筒に戻される。
蝋で密封され、黒封筒に収められた。
「飛行魔術は──理論上、不可能である。
……この記録は、“矛盾”として収めておけ。今は未だ……な」
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