転生して悪役令嬢な私ですが、ヒロインと協力して何とかハッピーエンドを目指します!

胡椒家-コショーヤ-

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●本編●

21.悪役令嬢のバッド・エンド【壱】

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 王立学園に入学し、一年が経ったある日、耳を疑うような噂を聴く。
『王太子殿下が、聖女様を見初められ、ご成婚も約束された睦まじい仲だ』という、実に下らない、根も葉もない噂を。

わたくし、ライリエル・デ・フォコンペレーラの婚約者である、ディオン・ロワ・フリソスフォス王太子殿下に関する、不敬極まりない噂話。

一体噂の出どころは何処なのか?
第二王子を旗印に、王太子位の簒奪を目論む貴族派の連中かしら?
それとも、王家に恨みを持つ、弾圧された異民達の生き残りかしら?

考えだしたら切りが無い。
何時だって、引きずり降ろそうと手を拱く有象無象は後を絶たない。

噂の出どころは追々、嫌でも判明するだろう。
お父様がこんな下らない噂、野放図にしたりしないのだから、考える時間が無駄だ。

 ーーあの理性的で合理主義の権化のような王太子殿下が、正式に決定し、国王陛下によって承認された婚約者を差し置いて、聖女だからと言って女にうつつを抜かす事など、起こるわけもない。ーー


 そう断じた、私の考えはあっさりと裏切られることとなる。
新学年へと進級するこの良き日に、あろう事か、婚約者の私を差し置いて、聖女をエスコートして学園の正門を潜る2人の姿を目の前にして。

誰の目を憚ること無く。
噂が真実であることを如実に示すように、私の前では数えるほどしか、晒したことのない心からの微笑みを、隣を歩く聖女と目される少女へ、惜しみなく向けている。

私に気付いた殿下は、一瞥して、何も言わず通り過ぎていった。
その後ろを、側近のレスター・デ・オーヴェテルネルがこちらには一瞥もくれず、追従していった。

無言のまま通り過ぎた3つの背中を呆然と見送る。
その場に立ち尽くしてしまう。
驚きすぎて、理解が追いつかない。
学園に入学してから後、こんな醜態を衆目の前で晒したことなど無い。

『ライリエル嬢、そなたを信頼している。 私の伴侶として、君以上に相応しい女性は今後も現れないだろう。 そしてこれは、私の偽りない本心だ、ライラ…君を愛しく思う。 君のこれからの人生を、私に預けて欲しい、私と共に歩んで欲しい…心から、そう希っている。 幸せにすると誓う、私を信じて欲しい。』

つい先日、王太子殿下からもたらされた言葉。
常の理知的で怜悧な瞳を甘く緩ませ、真摯に告げられた求婚の言葉が思い出される。
この時ばかりは造られた表情ではなく、心からのはにかんだ微笑みを浮かべて。

なのに今…無感情に向けられた瞳の冷たさに、身体が凍りついてしまった。
足が云うことを聞かない。
この場に、縫い付けられてしまったかのように、ピクリとも、動いてくれない。

予鈴の鐘の音が鳴り響いても、動き出せる気配は一向になかった。


 入学式は新入生だけで別日で開催が済んでいた。
今日は、全校生徒との顔合わせの名目で、大講堂にて簡易的な式辞がある。
と言っても、代表者のみしか壇上には上がらないが。

在校生代表で祝辞を述べたのは、今年で最終学年を迎えた王太子殿下。
そして、新入生代表で答辞を述べたのは、あの聖女と呼ばれる少女、ルシフェーラ・アンジェロン子爵令嬢だった。

いい噂のない、伯爵位から転げ落ちたアンジェロン子爵家。
その子爵家の令嬢が、洗礼式にて聖女であると判明した。
当時は、この慶事に世間は大いに賑わった。
そして、今日この時も、全校生徒がざわざわと落ち着かず、噂の聖女様の晴れ姿を一目見れる事に興奮し、会場は異様な熱気に包まれていた。

王太子殿下の涼やかな声で、恙無く祝辞が述べられた後、壇上から静かに降り、その場に留まる。
それを確認してから、新入生代表が呼ばれ、透明感のある声が、応えた。
一歩一歩、壇上へと至る階段を登る姿に、会場全ての視線が注がれる。

足を一歩前に踏み出す度に、腰まで届く豊かなロゼブロンドが艶やかに光を反射して、動きに合わせて揺れ動く。
その美しい髪は毛先に向かって癖を強くして、縦巻になっている。

しっかりとした足取りで、胸を張り、壇上に登る。
ロードクロサイトの瞳は自信に溢れ、口元には微かな笑みを湛えて、万人を包み込むような慈愛に溢れた声音で、淀みなく答辞を読み上げる。
少女は見事、大役を果たしてみせた。

たかが新入生の挨拶で、ここまでの拍手喝采が起こることなど二度とは無いだろう。
学園史に残る瞬間であり、居合わせた人々の記憶にも刻まれた記念すべき瞬間となったに違いない、私以外の人間にとっては。


 興奮冷めやらぬ、といった雰囲気のまま、教室へと移動する生徒の群れの中、自然と人が左右に避けてできた道を当然のように歩く。
その視界の端に、王太子殿下の人影が映り込んだ。

思わず確かめるように、顔を向けて見てしまって、後悔した。
王太子殿下の隣には、当然のようにエスコートを受ける聖女の姿があったからだ。

遠目でも、解る。
2人が、噂通り想い合い、仲睦まじいであろう事が。
そんな2人を見守る周囲の目は、限りなく温かい。

胸が痛む。
鋭い針で悪戯につつかれ続けているかのように、執拗に苛んでくる。

その周囲の中に、よく見知った顔を見つけて愕然とする。
実兄の1人、私のお兄様、アルヴェイン・デ・フォコンペレーラ、その人を。
昨年から、お父様の命で臨時教諭として学園で教鞭をとっている。
そんなお兄様は、道理に反することを毛嫌いする傾向がある、実直で真面目、絵に描いたような堅物だった、はずで…、私はそう思っていた。
この、15年間、ずっと。

お兄様は、王太子殿下の正式な婚約者が誰であるか、知っている。
当たり前だ、兄妹なのだから、7歳、離れているからといって、妹の婚約者を忘れたりはしていない、はずである。

なのに、何故…?
その2人に向かって、祝福するように、認めるように、笑顔を向けているの……?

可怪しい。
こんな事、間違っている。
私という婚約者を蔑ろにして、何故あんな幸せそうに笑っていられるのか。

この日、私の中に思い描いてあった、公爵家の令嬢として今日まで、今の今まで、強固で揺らぐはずもないと信じて疑わなかった、約束された未来が罅割れる。

自身の立つ足場の遥か遠くから、カラカラと小さな音が響く。
今まで、血の滲むような努力で積み重ねてきた自信までもが、足場とともに脆く崩壊し始めた、そんな音を聞いた気がした。

昏い感情に引き寄せられたのか。
私の足元に、黒い靄が群がるように纏わりついてくる。
その現象を、この時はまだ、気が付いていなかった。


 そんな衝撃的な事象が連続した新学期初日は、午前の式典のみで、そのまま各自帰宅することとなった。
公爵家の馬車が止まる停車区画で、1人待っていると、艷やかに濡れ光る黒髪の人物が通り過ぎた。

今年で、学園に在籍する王族は3人に増えた。
歴史上でも最多だろう。
学園に在籍する王族の2人目、リオクール・ロワ・フリソスフォス第二王子殿下だった。

目を引く髪色でなかったら、気付かなかっただろう。
それ程までに、この第二王子は存在感が無く、影が希薄だった。
それは入学当初から変わらない。
いや、もしかしたら、幼少期からそうであったのだろう。

必要以上に他人と関わろうとしない、人見知りとは違う。
人間関係を築くことを、忌避している。
彼の出生が理由であろうことは、明白だった。
所謂、妾腹の産まれ、なのだ。
しがない、王城勤めのメイド、下級貴族の娘が王の御手付きになった、という醜聞の産物。
しかも、母親は気が狂れて、自害したそうだ。
この第二王子がまだ幼かった頃、その目の前で。

昨年も今年も同じクラスにいても、話したことなど一度もない。
王太子の婚約者として、親しくするのは難しく、かと言って自ら行動を起こす事も憚られ、挨拶も交わしたことすらない。

見るともなしに、通り過ぎた背中を見ていた。
その人物が、何の前触れもなく振り向いた。
そして、初めてその声を聞くこととなった。

「君は、悔しくないの…? あんな、格下の、『聖女』なんて持て囃されるだけしか能がないような小娘に、出し抜かれて。 黙って、見てるだけ? それで、良いの?」

瞬間、体の内側から沸き起こった黒い感情。
判別も不可能なくらい、混ざりに混ざって、黒しか残らなかった、体内で燻る真っ黒な感情。

その負の感情に引き寄せられたのか。
ザワザワと、黒い靄が、色を濃くしながら、少女の身体めがけて群がってくる。

「……貴方に言われずとも、このまま黙ってなど、おりませんとも。 我が公爵家の威信にかけて、事の真偽を詳らかにし、噂の小娘など、即刻排除してみせますので。 どうぞご心配なく? リオクール第二王子殿下…!」

アメジストの瞳が眇められた。
初めて直視したその瞳の澄んだ強い輝きに、目を奪われそうになる。
私の真意を確かめようとしてか、真っ直ぐに見つめてくる。
少しして、興味をなくしたように元の進行方向に体を向け、無言のままに歩き出した第二王子。

呆気ない終わり方に拍子抜けしてその背を見送りながら、震える呼気を吐き出す。
何とか声を震わせずに言い切ることができたが、私の体は情けなくも、小刻みに震えていた。
まるで何かに操られたかのように、考えてもいない言葉が口から滑り出た。
自分の身に起きた、この不可思議な現象を、どう説明すれば良いのか…。
迎えの馬車がやってくるまで、動きの鈍い頭で考えるが、考えが纏まることはなかった。

黒く濃く、立ち籠めた靄は、今はどこにも見当たらない。
その行方を正しく理解するのはまだもう少し、先の事だった。


 王都にあるフォコンペレーラ公爵家のタウンハウスに帰り着いても、心は波立ったまま。
一向に落ち着く気配もなく、その心持ちのまま夕食の時間を迎えた。
我が家では極力、家族全員が顔を合わせての食事を心がけている。
この日は、アルヴェインお兄様の姿はなかったが、他は全員揃っていた。

「ライラ、今日は噂の聖女様が殿下のエスコートで登校してきたとかぁ、災難だったねぇ~。 大丈夫だったかい?」

お父様がいつもの調子は少し控え目にして話しかけてきた。

「驚きましたが、別段気にしておりません。 王家は聖女を擁護する姿勢を示したいのだと、私はそう捉えておりますから。 巷に流れる根も葉もない噂など、気にかける価値すらありませんもの。 お父様、私は大丈夫ですわ。」

にっこり微笑んで一息に言い切る。
もっともらしい言い分を口にして、ともすれば不安に呑まれてしまいそうな心を隠した。
高い矜持がそうさせたのか、ただ単純に、家族にいらぬ心配をさせたくなくてか。

「そうかい~? ライラがそう言うなら、仕方ないねぇ~。 でも、国王陛下へは明日、私からきっちり文句を言っておくからねぇ~~!! ここはビシッと言っておかないとねぇ~、あちらから婚約を申し出ておいて、相談もなく、この仕打ちなのだからねぇ! ローデリヒも焼きが回ったかなぁ~~?? それともぉ、私が大人しくしすぎてて、忘れてしまったのかなぁ~~?」

国王陛下の御名を気安く呼び捨てにする。
公の場では決して許されないが、お父様は時々、このように呼び捨てにしては文句を言っている。
幼少期から親交があり、気心知れている仲だからこその振る舞いではあるが…聞いているこちらは気が気ではない。
明日どんな文句を言うつもりなのか。
俄に剣呑さを滲ませだしたお父様に、すかさず窘めの言葉をかけるお母様。

「コーネリアス、駄目よ? 暴れたりしては、ライラちゃんのお嫁に行く先が減ってしまうわ。」

どちらの意味で心配しているのか、判別し難い。
嫁の貰い手が比喩的に減る事なのか。
嫁に行く先が物理的に消滅する事なのか。
微笑みながら、真意は言葉の裏に隠して、夫に言い含める。

「だぁ~~いじょうぶさぁ~、アヴィ~! 勿論、無闇矢鱈と暴れまわることなどしないともぉ~~!! それもこれも、ローデリヒ次第だが、ねぇ~?」

最愛の妻に弁解しながらも、返答次第では実力行使も辞さない心持ちであることは主張する。
そんな夫の生来からの気性の荒さは折り紙付きで、仕方のないことと諦めている夫人は、嘆息一つで夫を許容してしまう。

本当の意味で、夫を止める気は更々無いのだ。
愛娘をぞんざいに扱う者に、容赦など必要ない。
アヴィゲイルもまた、王家の仕打ちに静かに怒りを滾らせていたのだから。

両親が自分の味方である、それがこんなに心強い。
学園では孤軍奮闘となろうとも、社交界では両親の後ろ盾は、強固で揺るぐはずもない。

この時には、まだ信じられていたのだ。
家族は自分の味方で、何が起こっても決して見放さないと。
無償の愛が目に見えずとも、ここに確かに存在すると、信じて疑わなかった。


 明くる日、未だに聖女の存在に浮足立った学園では、今日も今日とて、王太子殿下と聖女が仲睦まじさをこれでもかと晒しながら、暇さえあれば寄り添っていた。

それを容認する学園の教諭連中と、生徒たち。
100歩譲って、それは仕方ないと断じる。
王太子の行動を、生徒だからと制限できるものは実質この学園には存在しないのだから。
長いものに巻かれる輩は論外だ。

しかし、ここで問題なのは、側近の存在だ。
あの腰巾着は、何のために四六時中側に侍っているのだろうか。
このような愚行を諫めることも、側近の勤めであるはずなのに、諫言を奏上するどころか、擁護して見守ってしまっている。
この事態を静観する理由は何なのか、直接本人に問い糾すとこにする。

学園に入学したばかりの頃、案内を買って出た彼の人物と連れ立って歩いた時に、話の中でいくつか知れたことがある。

その一つが、この場所。
生徒たちが授業を受ける教室棟とは離れた場所にある、実技を主に行うための部屋が集まる棟。
そこに向かう路の途中、ひっそりと建つ四阿屋が彼の人物の憩いの場となっている。
一人になりたいときには、そこで過ごすと言っていた。
だから、待ち伏せてみたのだ。
王太子殿下は誰かの元に足繁く通っているために、放置された私は自由に時間を使えるのだから。

「ご機嫌よう、レスター様。 今お時間頂いても宜しいでしょうか?」

四阿屋で寛いでいる目当ての人物に控え目に声をかける。
警戒させないよう、注意してのことだ。

「ご機嫌よう、フォコンペレーラ公爵令嬢。 構いませんよ、手短にしていただければ、ですが。」

以前、王太子殿下を介して挨拶を交わした際、ファーストネームで呼ぶことをお互いに容認したはず。
なのに、今の呼び方は、何を意味しているのか。

「随分とお急ぎなのねぇ、てっきり、側近の勤めはお休みされているものとばかり、思っておりましたのに。 変わらず王太子殿下のお側に侍っているようで、安心致しましたわ。 そうであるならば、単刀直入に伺います。 貴方は何をなさっているのですか? 何を考えて、王太子殿下の醜聞となる愚行を看過しているのですか?!」

相手の目を見て、迷いなく問い糾す言葉を叩きつける。
サファイヤの瞳は、今は陰の中にいるせいか暗く沈んだ深い色味で、光も差していない。

「愚行、ですか…? 貴女には、そう映るのですね。 お2人の立ち居振舞いの真意が伝わらないとは、嘆かわしい。 貴女は所詮、その程度の人間だったということですね。 早い段階で良かった。 時間が経てば経つほど、取り返しがつきませんからね。」

暗い瞳で、昏く嗤う。
私の発言を嗤いながら、その男は独り言ちる。

「どういう意味でしょう? 私が、どんな真意を読み取れていないとおっしゃるのです? このような行いを、国王陛下が見過ごされるとお思いですか?! 貴方も主人の為を考えるなら、軽はずみな行動を即刻止めるよう奏上すべきです!!」

クスリ…。
今度は目に見えて、嗤う。
クスクスと、不快な声を立てて嗤いながら、宣う。

「行動を改めるのは、貴女の方では? フォコンペレーラ公爵家のご令嬢。 貴女にはもう、殿下の行動にも、陛下のお考えにも、口を挟む権利は無いのですから。 おっと、失敬? 口が滑りました。 まだ少し、早かったですね。 ですがいずれ、理解されるでしょう。 では私はもう行かなくては、ご機嫌よう。 良い一日を、ご令嬢。」

ゾッとするような、冷ややかな敵意に満ちた笑顔でニコリとキレイに笑んで見せられた。
見知っていたはずの人物が、得体のしれない、未知の生物に変貌した瞬間を見てしまったかのような恐怖が襲う。
向けられた強い感情に呑まれ、この場から動けなくなってしまった。

しかしこの奇妙な出来事は単なる前触れに過ぎなかったのだ。
これから訪れる、地獄のような日々の訪れを告げる、可愛い恐怖であった。


 その日の夕食の時間に、それは前触れ無くもたらされた。
お父様の口から、信じられない言葉とともに告げられる。

「ライラにとっても、良い知らせだよぉ~~! な、なぁ~~んとっ! 聖女様が我が家の養女になって下さるんだよぉ~~~!? どうだい、凄いだろぉ~~?? 良いお話だっただろぉ~~~??!」

頭がまわらない。
お父様の言葉を、理解したくない。
私の身体から、血の気が引いていく音が確かに聴こえた。
熱を急激に失った身体が、震えだす。

「………? 何を、おっしゃっているの、お父様…? 誰が、養女、に? …そんなまさかっ、ご冗談でしょうっっ!!?」

最後の方は悲鳴のように高く響いた。
おかしい、こんな事、あるわけ無い、こんな馬鹿な話、受け入れただなんて、そんな事っ!!
お父様に限って、昨日の今日で、こんな提案を承諾するはずなど無いのにっっ!!!

「そうだよぉ~? 冗談では無く、本当の事なんだぁ~~!! 今日王城に上がったら、丁度聖女様・・・もいらしてねぇ、少し話してみたら、中々どうして、とても感じの良いお嬢さんでねぇ~~? 色々と話していったら、子爵家では問題があるから…と云うのでねぇ、よかったら公爵家うちの子にならないかぃ~? って持ちかけたら、二つ返事で決まってねぇ~~!!! いやはや、実に良い日だったなぁ~、今から待ち遠しいよぉ~~!!!」

流石のお母様もこれまで以上に困惑を隠しきれていない。
夫の可怪しい言動には慣れている筈のお母様が、微笑みを忘れて、ぽかんと口を開けて、声をかけあぐねいている。
昨日と180度様変わりしたお父様の態度に、いま目の前で起きている事態の異常さが浮き彫りになる。

一体何が起きているのか。

私達がお父様に、何処か具合でも悪いのかと、心配して口々に問いかける。
本人はというと、なぜそんなことを言うのか?とまったく質問の意図に心当たりがない様子。
お父様は、自分の発言と態度の異常にまったく気が付いていないのだ。
勿論本人が言うように身体に不調はなく、健康そのものではある。
聖女に関する事柄以外は、まったくの普段通りだった。

今日の夕食の時間は、気が重く苦痛の伴うものとなった。
出された食事をやっとの思いで飲み下し、なんとか皿を空にした。
席を立った際に、お母様が慰めと励ましの言葉をかけてくださる。
その言葉に、私は力なく微笑むことで答え、食堂を後にした。

お父様は、まるで洗脳でもされたみたいだった。
無条件で聖女の存在を受け入れ、急速に傾倒している。
これが誰の仕業で、何を目的としてるのか、理解わからない。
一つだけ確かなのは、聖女がなにかしら関係しているという事。
無関係であるはずが無い。

しかも、その疑惑の尽きない聖女が我が家の一員に為るために近々やって来る。
既に決定事項として、手続きが済まされている。
私にその決定を覆す術は無い。

新学期が始まって2日目。
事態は急速に動き出す。

突如巨大な水流が押し寄せ、小さな私をのみ込んで押し流していく。
足場はその激しい水流に容赦なく削られていく。
少しずつ、しかし着実に。
終着点もわからないまま、私は大きな奔流に漂い流されているだけ。

でも心の何処かで本当は、理解してしまっていた。
私にとっての良い結末など、もう決して訪れないと。
この先には闇しか広がっていない。
辛く苦しい結末が、手ぐすね引いて待ち受けるのみであることを。

それでも、無様に立ち竦むことなど出来ない。
私のこれまで培ってきた矜持が、逃げることを許さなかった。


 明くる日は、人生最悪の日を更新した。
これ程の悪夢があるだろうか。
事もあろうに聖女様は、衆人環視もどこ吹く風、ひと目も憚らずに堂々と非常識に話しかけてきた。

「ライラお義姉様、今日からこう呼ばせていただいて、構いませんか?」

開口一番、聞きたくもない呼び方が私の逆鱗を逆撫でる。
公爵家令嬢としての矜持でもって、なんとか笑みらしきものを口元に浮かべる。

「アンジェロン子爵令嬢、どうか落ち着いて下さいませ。 気が早いと、申しましょうか…、無理に呼ぼうとなさらないで、気を遣わないで下さいませ。」

心のままに、『気安く呼びかけるな』と言ってやれたら、どれだけ気が晴れるだろうか…!
こんな衆目に晒された場で、出来るはずもないが。

私の言葉をキョトンとした顔でしばし反芻し、結局出した答えは先程のままだった。

「気を遣うだなんて、そんなっ! 私が呼びたくて、呼んでいるんですから、無理もしてません! 私ずっと、姉がいたらとなぁ~、と憧れていたので!! 嬉しいんです、こんなに素敵なお義姉様が、私の新しい家族だなんて…!!! 嬉しすぎてっ、泣いてしまいます、ふふっ、スミマセン、お見苦しいところを…。 ぐすん、見せてしまって!」

「ライリエル嬢、ルーフェは家族に恵まれなかったのだ。 心中を察してやって欲しい。 これからは義理とはいえ姉妹となるのだから、よしなに頼むよ?」

傷付けたら容赦しないと、脅された気分だった。
当たり前のように愛称呼びが定着しているらしい。
どちらが王太子殿下の婚約者か、分からない扱いだった。

ホワイトブロンドの癖のない艷やかな髪、イエローダイヤモンドの、王族特有の不思議な煌めきが宿った瞳が収まったアーモンド形の目、高くすっと通った鼻梁に、白皙の美貌と言って過言ない整いすぎた顔立ち。
その薄い唇には常に僅かな微笑みが浮かぶ、一見したら優しげな風貌の美し過ぎる王太子殿下。

今も聖女の後ろに当然のごとく居る、彼の王太子殿下は、私を冷ややかな眼差しで、目を眇めつつ見やってくる。
蔑みさえ、透けて見える。
こんなに分かりやすく感情を晒すなど、らしくない。
常日頃から、自身の振る舞いには細心の注意を払っていらしたのに、異常だ。
王太子殿下も、何らかの方法で懐柔されてしまったのか…。

俄に信じ難い。
相手に一切気取らせずに、まんまと罠に嵌める様を何度も見てきただけに、この王太子が逆に罠に嵌められるなど……信じられない。

精神に働きかける魔法でも使ったのだろうか…?
けれどこの王太子殿下は近年稀に見る程、マナ保有量が尋常でない膨大さだった。
筆頭魔導師のゼクウ翁でも、マナ保有量は王太子殿下の半分程度でしかない。
そして、マナ保有量が多い人物は、魔法への抵抗が強い傾向があり、そんな高度な魔法を施すなど、魔導師が複数人がかりでないと不可能だ。

とは言え、この仮説は、仮説でしかない。
そもそもの現実問題として、国に仕える魔導師が王族に害意を持って魔法を行使すること自体、不可能だ。
王国魔術師団に名を連ねるものは皆、誓約と制約を交わす。
国に貢献することにのみ、その力を行使することを誓約する。
王族に反意を抱き、害意を持って、魔法を行使する事が出来ぬよう制約を施されている。
よって、王太子殿下が魔導師・・・に害される事はありえないのだ。

お父様には、何人かの魔導師で魔法をかければ成功するかもしれないが、それを持続させるのも、並大抵のことではない。
良くて1週間、持続させられたなら立派なものだ。
その魔導師達は健常のままでは居られないだろうが。
自分にも生命の危険が及ぶ方法を犯してまで、魔法を行使する魔導師は居ない。

結局答えは出ないまま、考えに没頭していた私は、聖女のよくわからない戯言をキレイに聞き流していた。
その場を上手くやり過ごせば、今日は開放される。
そう思い込んていた私が、浅はかだったとでも言うのだろうか…?

下校の際に、教室まで押しかけてきた聖女が、さも当然であるかのように、同じ公爵家からの迎えの馬車に乗り込み、同じ屋敷に帰り着く、異常な状況に思考停止に陥った。

お父様は昨日、聖女が一緒に暮らし始めるのはいつからかは言及していなかった。
だから考えもしなかった。
まさか翌日から、1つ屋根の下で寝食を共にする事になるなど、夢にも思っていなかった。
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