可惜夜に浮かれ烏と暁の月

るし

文字の大きさ
31 / 75
第十一節気 小暑

初候――温風至(あつかぜいたる)

しおりを挟む
「なんや、うちのがすっかり世話になってもうたみたいで、すみませんなぁ」

「あぁ、いえいえ」

 玄関先で頭を下げるのは、雨降小次郎の保護者だという初老の女性だ。
 雨師と名乗っているが、本当なら雨の神さまということか。そろそろ梅雨明け時期ということで、梅雨仕舞い支度を兼ねて、門下の小次郎が世話になったこの家に挨拶に来たらしい。暁治には、どんな支度をするのかはさっぱりだが。

「そうそう、全然気にしなくていいよぉ」

「暁治はそれくらい気にしないにゃ!」

 いや、お前らは少しくらい気にしろよと思う。
 暁治は後ろからはやし立てる二人を睨んだが、まったく堪える様子を見せない。なんてずうずうしいやつらだろう。

 猫屋喜一が家の前に現れた日から、「暁治は寂しがりやだからしょうがないにゃぁ」と言って、なぜか家に居ついてしまったのだ。
 半居候どころではない、居候だ。
 そうなると黙っていられないのか、半居候までもが居候宣言したのが先週のこと。
 暁治は謹んでご辞退申し上げるとともに、文字通り家から蹴り出した。

「はるの意地悪っ、差別だ!」

 いや、区別だろ。
 聞けばキイチは普段、野良猫に混じって生活しているとかで、ちゃんと帰る場所のある朱嶺とは違うようだし。もふもふだし。
 変化を解いて猫の姿を見せてもらった暁治は、懐かしい猫の姿に彼のことを信じないわけにはいかなくなった。もふもふだし。

「もふもふの毛皮ではるを誑かしたなっ」

「知らないにゃ」

 つーんっと、キイチは横を向く。ここのところずっとこの調子だ。彼らが大人しくなるのはご飯どきくらいのもの。
 そして飯どきとなると、最近ご近所さんがちょこちょこ現れるようになった。雨降小次郎もその一人で、たまに、いやしょっ中飯を食べに来る。

「ほなら、帰ろうか」

 そんなわけで、雨師が暁治の家に挨拶に来るのも道理であった。

「え、でもお師さん、今日はちょっと」

 雨師が来て喜んでいた小次郎だが、帰ろうと言われて言い淀む。

「どうかしたん?」

「小次郎、雨師さまのお迎えが不満か」

 雨師の両脇に立っていた二人の男の片割れが、重々しい声音で尋ねてくる。確か白南風 《しろはえ》と名乗った方だろうか。もう片方は黒南風 《くろはえ》で、聞いた字面からして風の神さまかもしれない。どちらも背が高く、並んで立つと門柱のようだ。

「いや、そうやないんやけど、今日はたけのこやから」

「たけのこ?」

「今日の晩ご飯だよ!」

 首をひねる雨師たちに、朱嶺が心得たように答える。が、ますます疑問に思ったのか、訝しそうな顔をされた。

「この時期に、ですか?」

「あぁ、それはですね」

 以前ご近所に住む石蕗に、たけのこを貰ったことがあるのだが、たけのこご飯や筑前煮にして色々食べたところ、宮古先生はたけのこが好物という噂がご近所さん中に飛び交ったらしい。気づけばたけのこのお裾分けが山となっていた。
 この地域、プライバシーの垣根はほぼゼロである。

 とはいえ捨てるなんてもったいないと、すべて下茹でして食べきれない分は冷凍保存。かくして宮古家ではここのところ定期的に、たけのこご飯の日が開催されていた。エンドウ豆とたけのこで埋まっていた冷凍庫、突き崩すまであと少し。

「えと、よかったら食べていかれます?」

 なんとなく気まずい雰囲気の中、思わずそう提案してしまう暁治だ。

「でも、ご迷惑やあらしまへんか?」

 おっとりとした風情の雨師は、口元に手を当てると、そっと暁治の方を見る。

「いえ、問題ありませんよ。どうせこいつらの分も作るし、あなた方が増えるくらい大したことないですよ」

 むしろ高校男子の食欲に比べれば、成人が三人増える程度など些細なものだろう。暁治は最近炊飯器を買い替えた。料理屋並みの、一升炊きの大きなジャーだ。
 薄給教師泣かせではあるが、少し前たまたま買った宝くじが当たったので、奮発してしまった。最近、ちょっとツイてる気がする暁治である。その分エンゲル係数がかさんでトントンなのは泣けてくるのだが。

 今まであった三合用の炊飯器はというと、炊飯器レシピの活用をさせてもらっている。最近ますます料理の腕を上げた自覚はあるが、これはたぶんいいことなのだ。暁治は、ポジティブシンキングを信条としていた。



 そんなことがあってから数日。今日は梅雨明けの見事な青い空である。成人男性とはいえ、初老の女性はともかく、大男二人の食欲を甘く見ていた暁治は、あの後追加で米を炊くことになった。
 考えればおかずは味噌汁と、最近色々作るのに凝っているお漬物だけ。ご飯が進むわけである。
 みんな喜んでいたので、いいのだが。

 バスを降り、ガラガラと音が鳴るカートを引く。カートには大きな米袋がふたつ。田中先生の実家が米農家らしく、日々上がるエンゲル係数に弱音を吐いたら、持って帰れと差し入れてくれたのだ。田舎は人の優しさでできている。

 そういえば、ここのところ食材を買った記憶がない。ご近所さんたちが宮古先生どうですか? と、祖父のように呼んで色々差し入れてくれるのだ。

 たまにご近所さんが混ざる夕飯も、一品二品とおもたせが追加されるのでありがたい。昨日は石蕗が桃を持ってきてくれて、桃が懐いて大変だった。そつがない彼は、幼女キラーの素質がありそうだ。そのうちお嬢さんをくださいとか言われたら、受けて立つ準備はできている。

「重い……」

 砂利道でカートはきつい。今日はキイチは委員会、朱嶺は朝から見かけない。肝心なときにいない居候どもめと思いつつ、もう米がないから今日持って帰るのだと無理してしまった。
 やはり車で送って貰えばよかったと、今になって後悔する。バス停から家までそんなにかからないし、カートもあるし大丈夫と、大見得を切るのではなかった。

 ふぅ、と、息をつく。家まであと少しだ。
 足を止めると、流れる汗をハンカチで拭う。じりじりとした夏を感じさせる陽差しとは裏腹に、風はまだひんやりしている。これから暑さも増すだろうけれど、まださやさやと道端の草をなでる風が心地よい。

 バサリ、と、羽音がした。
 目の前を横切った黒い影は、烏だろうか。
 夕方にはまだ早い、夏の陽はまだ斜陽と呼べるほど低くはない。

 そういえば、夕暮れの時刻はたそがれどきともいうのだと、知ったのは祖父の言葉だったろうか。
 会う人の顔がぼんやりとして、相手の顔がよく見えなくなるのだと。誰そ彼と呼びかけるから、たそがれどきというのだと。

「逢う魔がどきともいうんだよ」

 祖父の声が聞こえた気がした。
 確かに魔物や妖怪に出会っても、薄闇の中ではわからないだろう。

 そう思い、顔を上げた暁治は、自分の家の前に人影を見た。
 一瞬キイチか朱嶺かと思ったが、日暮の中に浮かぶのは、漆黒の髪。量が多めのぼさっとした前髪から覗くのは、眼光鋭い切れ長の瞳。
 白い着物の上から黒い上着を羽織り、足元はゆったりとした黒袴を膝下で絞ったもの。足元は脚絆と呼ばれるものだったか。

 胸元には縦にぼんぼりがふたつ。左右についている。頭には黒い小さな丸い帽子のようなものを着け、手には長い杖。先には丸い輪っかがいくつかついていた。
 確かこれは、山伏の服装ではないだろうか。コスプレにしては、田舎町にしっくりと馴染んでいるけれど。

 少々じっと見過ぎてしまったようだ。暁治の視線に気づいた山伏は、こちらに視線を向ける。手にした錫杖が、しゃらりと鳴った。正面から対峙して気づいたのは、まだ幼さの残る少年だということ。

「失礼ながら、はる殿とお見受けする」

「へ?」

 いきなり呼ばれて、間抜けな声が出た。

「貴殿に恨みはござらぬこともないが、お覚悟!!」

 かけ声とともに飛ぶように近づかれ、振り上げられる錫杖。なにがなにやらわからぬままに、暁治の意識はフェードアウトした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

雪解けを待つ森で ―スヴェル森の鎮魂歌(レクイエム)―

なの
BL
百年に一度、森の魔物へ生贄を捧げる村。 その年の供物に選ばれたのは、誰にも必要とされなかった孤児のアシェルだった。 死を覚悟して踏み入れた森の奥で、彼は古の守護者である獣人・ヴァルと出会う。 かつて人に裏切られ、心を閉ざしたヴァル。 そして、孤独だったアシェル。 凍てつく森での暮らしは、二人の運命を少しずつ溶かしていく。 だが、古い呪いは再び動き出し、燃え盛る炎が森と二人を飲み込もうとしていた。 生贄の少年と孤独な獣が紡ぐ、絶望の果てにある再生と愛のファンタジー

龍の無垢、狼の執心~跡取り美少年は侠客の愛を知らない〜

中岡 始
BL
「辰巳会の次期跡取りは、俺の息子――辰巳悠真や」 大阪を拠点とする巨大極道組織・辰巳会。その跡取りとして名を告げられたのは、一見するとただの天然ボンボンにしか見えない、超絶美貌の若き御曹司だった。 しかも、現役大学生である。 「え、あの子で大丈夫なんか……?」 幹部たちの不安をよそに、悠真は「ふわふわ天然」な言動を繰り返しながらも、確実に辰巳会を掌握していく。 ――誰もが気づかないうちに。 専属護衛として選ばれたのは、寡黙な武闘派No.1・久我陣。 「命に代えても、お守りします」 そう誓った陣だったが、悠真の"ただの跡取り"とは思えない鋭さに次第に気づき始める。 そして辰巳会の跡目争いが激化する中、敵対組織・六波羅会が悠真の命を狙い、抗争の火種が燻り始める―― 「僕、舐められるの得意やねん」 敵の思惑をすべて見透かし、逆に追い詰める悠真の冷徹な手腕。 その圧倒的な"跡取り"としての覚醒を、誰よりも近くで見届けた陣は、次第に自分の心が揺れ動くのを感じていた。 それは忠誠か、それとも―― そして、悠真自身もまた「陣の存在が自分にとって何なのか」を考え始める。 「僕、陣さんおらんと困る。それって、好きってことちゃう?」 最強の天然跡取り × 一途な忠誠心を貫く武闘派護衛。 極道の世界で交差する、戦いと策謀、そして"特別"な感情。 これは、跡取りが"覚醒"し、そして"恋を知る"物語。

【完結】抱っこからはじまる恋

  *  ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。 ふたりの動画をつくりました! インスタ @yuruyu0 絵もあがります。 YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。 プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら! 完結しました! おまけのお話を時々更新しています。 BLoveさまのコンテストに応募しているお話を倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

人気アイドルグループのリーダーは、気苦労が絶えない

タタミ
BL
大人気5人組アイドルグループ・JETのリーダーである矢代頼は、気苦労が絶えない。 対メンバー、対事務所、対仕事の全てにおいて潤滑剤役を果たす日々を送る最中、矢代は人気2トップの御厨と立花が『仲が良い』では片付けられない距離感になっていることが気にかかり──

【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】

古森きり
BL
【書籍化決定しました!】 詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります! たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました! アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。 政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。 男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。 自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。 行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。 冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。 カクヨムに書き溜め。 小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。

猫カフェの溺愛契約〜獣人の甘い約束〜

なの
BL
人見知りの悠月――ゆづきにとって、叔父が営む保護猫カフェ「ニャンコの隠れ家」だけが心の居場所だった。 そんな悠月には昔から猫の言葉がわかる――という特殊な能力があった。 しかし経営難で閉店の危機に……
愛する猫たちとの別れが迫る中、運命を変える男が現れた。 猫のような美しい瞳を持つ謎の客・玲音――れお。 
彼が差し出したのは「店を救う代わりに、お前と契約したい」という甘い誘惑。 契約のはずが、いつしか年の差を超えた溺愛に包まれて――
甘々すぎる生活に、だんだんと心が溶けていく悠月。 だけど玲音には秘密があった。
満月の夜に現れる獣の姿。猫たちだけが知る彼の正体、そして命をかけた契約の真実 「君を守るためなら、俺は何でもする」 これは愛なのか契約だけなのか……
すべてを賭けた禁断の恋の行方は? 猫たちが見守る小さなカフェで紡がれる、奇跡のハッピーエンド。

異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる

七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。 だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。 そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。 唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。 優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。 穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。 ――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。

処理中です...