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香織の合気

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香織は沙織の技を見てなにかが違和感を感じていた。
蹴り足を出してから肘打ちというプロセスの型。
無論、合気道も相手と型を追う稽古をしている。
崩しをかけて投げに入る。
そのためいくつかの状態、崩すための条件、投げるための条件をひとつひとつクリアしなければ技に至らない。
稽古だから現代ではあまりない状態から始め、その技が行われるまで相手は待ってくれる。
しかし打撃ではどうだろうか。
香織は真紀理のキックボクシングを見たときまったく別世界だと感じた。
真紀理の動きは自由で、ただただ己をガードしながら相手を攻める。
左右のジャブに始まるストレートやフックのパンチ、左右のロー、ミドル、ハイの蹴り、そのどれがいつくるか、そしてそれに反応すること。
真紀理は「マスボクシングをやればだんだん目とか慣れてくるんですよ」という。
ずっと反射神経を鍛えなくてはならないのか?
なにか別の方向性はないのだろうか。
合気道を幼少の頃から習っているが合気道もしょせん運動神経の世界なのか?
女は男に勝てないのだろうか?
そういった疑問をもつのも、香織の叔父さんのせいと言える。
叔父さんは大東合気柔術をやっていてパリで道場を開こうと頑張っている。
最後に会ったのは中学時代。
叔父さんは家の畳の上に大の字で横になり香織に腕を抑えるように言った。
香織は正座をして叔父さんの腕を抑えた。
叔父さんはなにか集中して身体を操作した。
すると突然香織の身体が宙に浮いた。
というより後方に飛ばされた。
正座してる状態から飛ばされるとただ直立で立つことになる。
叔父さんは身体をまったく動かさずに香織を飛ばした。
叔父さんは「これが合気というものだよ」
また叔父さんが大東流の先生に教わってるとき合気道で言う一教で抑えられているとき、不意に合気が使える気がしてそれを放とうとした瞬間、先生の方からそれを察知して慌てて離れたと言う。
合気が使えるようになった叔父もスゴいがそれを感じ取って離れた先生もスゴい、香織はそう思った。
以来、香織の頭には「合気」の二文字が常にあった。
香織は人知れず合気を研究していた。
ひとつわかったことは合気を研究すると動きがよくなるということだ。
そして沙織の詠春拳のおかげで別の身体操作へのアプローチを知ることができた。
開祖植芝盛平先生は弟子達がボクシングや空手、他流派を見て心配すると「われわれはその本質の部分をやってるのだから心配ない」そう言っていた。
香織はそれは合気のことだと思っている。
そして武道の本質が合気ならそれを見つけて体現したいと考えている。

それがわたしの野望かな…

世界征服を目論む沙織を見て香織は心の中でそう呟いた。


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