佐々木小次郎と名乗った男は四度死んだふりをした

迷熊井 泥(Make my day)

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鬼石曼子・グイシーマンズ

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 だが、誰も構えを崩さない。

 小野忠明に、この生涯の相手に一撃食らわせたい…

 島津侍達はその思いでいっぱいだった。
 忠明も構えを崩すわけにはいかない。
 お互い覚悟を決めたからだ。

 「小野殿、備前殿がお呼びでござる」

 忠明は、中段に構えたままゆっくりと戸口へ近づいていった。
 そして丸腰の男もその場の空気を感じ「こちらへ」と、急ぎ足で案内した。
 忠明もそれに習って、木刀を肩に担いで足早についてゆく。
 島津の男達は、思わず忠明を追いかけた。
 丸腰の男が別の部屋へ入ると、忠明はその戸口に意識を向け集中したが差し当たって危険は感じなかった。
 警戒しながら部屋に入った。
 室内を見回すとそこはもうひとつの稽古場だった。
 中央には先ほどの白髪の男が木刀を振って試合の準備をしている。
 忠明は、改めて木刀を左手の持ち替えた。
 そして丸腰の男が戸口を閉めしんばり棒をかけた。
 追ってきた者達を入れないためだ。
 白髪の男が忠明の方を見た。

 「皆、血の気が多くてな。許されよ」

 「瀬戸口備前殿とお見受けしたが…」

 白髪の男は忠明を見てニヤリとした。

 「わしは備前ではない」

 「備前殿ではない?では…」

 「島津義弘じゃ」

 それを聞いて忠明が目を見張った。

 「鬼島津の島津義弘?」

 秀吉、家康に恐れられ、朝鮮出兵の際、たった七千の軍勢で二十万の朝鮮軍を打ち破り、朝鮮軍、明軍にも鬼石曼子(グイシーマンズ)として恐れられ、関ケ原の戦いでは、伊勢街道をたった三百の兵で突破した猛将である。
 その猛将が今、忠明の目の前にいる。

 「わしにも一手相手をしてもらおうかのう」

 そう言って脇構えをとった。
 忠明も中段に構えて「他の者達と、構えが違いますな」

 「わしのは示現流ではない。タイ舎流じゃ」

 「タイ舎流!」

 丸目蔵人が創始した戦国時代の実戦剣術である。
 示現流の元になった剣術ともされている。
 脇構えのまま、義弘はじりじりと寄ってくる。
 忠明は、凄まじい気迫と気配を感じた。
 まるで数千の軍勢を相手にしているような凄まじい気迫だ。

 これが猛将、島津義弘か…

 義弘は、忠明の切っ先のすぐ前まで肩を寄せてきた。
 突けば当たる間合いだ。
 しかし、義弘の眼は気迫に満ちている。
 忠明は、見えないほどの速さで突いた。
 通常なら、間合いが近すぎてよけることなどできない。
 しかし、恐るべき本能と経験で義弘はかわした。
 そして、すかさず義弘は下から逆袈裟に斬り上げてきた。
 忠明はとっさに右手を柄から離し体を開いて義弘の剣をやり過ごした。
 義弘の木刀は宙を斬った。
 忠明は上段を取り、義弘はまた脇構えを取る。
 忠明が振り下ろすと、なんと義弘は体当たりをしてきた。
 忠明は吹っ飛ばされた。
 上から木刀で刺そうと倒れた忠明に片膝を立てて跨り腰板に馬手差しにしておいた脇差の木刀を抜き出し振り上げた。

 なんと組討ちで、しかも脇差でとどめを刺すのか!

 戦国の戦法そのものではないか!

 しかし齢七十である。
 忠明は、義弘の立てた膝の裏側に腕を差し込み、体を半転させ義弘をひっくり返した。

 これが島津義弘…剣だからと言って剣の技にこだわらず、体当たりでくるとは…。

 義弘はまた脇構えを取り、忠明は中段の構えを取った。
 義弘はまた忠明の切っ先に肩を近づける。
 が、やや遠い位置だ。
 忠明はまた同じ展開を警戒するが、義弘が今度は忠明の剣を払おうと木刀を当ててきた。
 だが忠明はすかさず八相に構えなおして外し、義弘の木刀を叩き落とした。
 義弘の木刀の切っ先は素直に落とされた。
 だがすかさず義弘は、木刀を忠明の腕の中に差し込み絡めて投げようとした。
 だが忠明は手を柄から離し投げ技を外した。
 またしても義弘は、体当たりをしてきた。
 が、忠明は同じ技は食らわない。
 接近した義弘の顔面に、思い切り頭突きを食らわした。

 「ぐっ!」

 鬼島津はよろけた。
 忠明ほどの達人が頭突きを食らわしたのだ。
 普通なら意識を失うだろう。
 義弘はよろめいただけですぐに剣を構えようとしたが、カーンッと忠明に木刀を打ち落とされた。
 鼻と口を血だらけにし、義弘は「う~む、まいった。わしの技は通用しなかったな。わっはっはっはっはっは」と、豪快に笑った。
 忠明は己の頭突きを食らって、笑って立っている七十歳の義弘に驚いた。  

 「これが島津義弘…うわさにたがわぬ男…」

 そして思った。

 俺もこんな年のとり方をしたいものだ…

 義弘が合図をすると、丸腰侍が戸口のしんばり棒を外した。
 一斉に島津侍達が入って来た。

 「殿!」

 「ご無事で?」

 「その血はいかがされたのですか?」

 「大事ない。大丈夫じゃ!」

 全員が忠明に対し、置きトンボの構えを取ろうとする。
 義弘は全員に言い放った。

 「やめよ!みなの者。わしはこの小野忠明殿から剣を学ぶことにしたぞ。みなも学
 ぶがよい」  

 島津の男達は、きょとん顔になった。
 義弘は忠明に向き直った。

 「小野忠明殿…正直わしらの剣は…どうじゃった?少々泥くさかったかね?」
 
 義弘の言葉で男達は一斉になにを言うのかと忠明を見た。
 忠明は静かに答えた。

 「腕を折られても向かってくる者。頭を打たれても向かってくる者。どれも凄まじ
 い気迫でござった」

 「そうか…この者達は関ヶ原の戦いで、わしと一緒に伊勢街道を戻って来た者達じゃ。
 あのとき死んでいった者達への弔いの意味も込めてな。徳川剣技指南役小野忠明殿と剣
 を交えたかったのじゃ」

 「伊勢街道…もしや、あの島津の抜刀隊でござるか?」

 たった三百で徳川軍を突破した島津の抜刀隊である。

 「そうとも呼ばれているようじゃな」

 忠明は、感慨深く島津の剣士達を見回した。
 そして思わず笑みがこぼれた。

 「どおりで…まことの武士ならではの気迫。実に心地よい打ち合いでございました」

 一瞬、その場の全員が言葉を失った。
 義弘は思わず聞き直した。

 「今、わしらの気迫が心地よいと申したか?」

 「はい」

 その場にいた全員がもう忠明のその言葉に心を掴まれた。

 「…わっはっはっはっはっは!これは面白い。聞いたか?小野忠明には、我らの気
 迫が心地よかったそうだ。わっはっはっはっはっは!」

 照れ笑いする者、素直に笑い出す者、島津侍達の表情が緩んだ。
 義弘は血だらけの口で楽しげに言った。

 「誰ぞ酒を持てぃ!これは飲まねばなるまい!」

 「おおおお!」

 一斉に島津剣士達は声を上げた。
 その夜、忠明と義弘そして島津の侍達は酒を飲みかわした。
 互いに酒を注ぎ合い剣の話で翌朝まで大いに盛り上がった。

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