竜乗りの語り部

黎鴉

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第1番 アーベント

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 「母上母上っ! 魔法、魔法見せてください!!」




「はいはい、分かったから。落ち着きなさいな、アル」




 とある街に建てられた領主邸の執務室で、書類にサインをしている母親に窘められた幼い少年。艶やかな夜空色の髪と、透き通るように深い紫水晶アメジストの瞳。母親譲りの整った顔立ちは大人しそうな印象を与えている。




 しかし、年はまだ7歳。落ち着いてと言われたところで落ち着くような子供──特にこの年頃の男の子はいない。この少年も例外ではあるまいと思われたが────




「…………はい。分かりました、母上」




 驚くことに、少年は少し不貞腐れた顔をしながらも母親の邪魔をしないように少し離れた。




 しばらくして母親は、最後の1枚に丁寧にサインをしてからようやく少年に向き直る。




「それで、どうしたの? 一口に魔法とはいっても、私は大した魔法を授かっているわけじゃないわよ?」




 聞く人が聞けば殺意さえ抱くであろうほどの謙遜である。実はこの女性、一昔前には美貌の魔法剣士として名を馳せていたのだから。




 しかし子供はそんなことは知らず、純粋に母の言うことを信じる──はずがなかった。




なにせ、外見はよく不正などに関しては潔癖の癖に腹黒な領主である父の知謀と美しき牝狐とまで呼ばれた母の美貌と狡猾さを受け継いでいるのだ。




 純粋な子に育つ要素がない。




「母上、騙されませんよ? この僕が裏をとっていないわけないでしょう」




 ちゃんと下調べしているらしいが目一杯胸を張る姿は、可愛らしい容姿と相まって微笑ましいものにしか見えなかった。だが──




「ちゃんと知ってます。母上が昔戦場で暴れまわって付いた二つ名が確か──[戦女神ミネルヴァ]でしたっけ」




「ちょっ!? アル、どこでそんなことを……っ!?」




「……い、いひゃいれす、ふぁふぁうえ……!?」




 口にしたその瞬間、少年のぷにぷにとした柔らかい頬は、母親の餌食となる。




「ふふふ……さぁ、アーベント。白状なさい? 一体誰からそんなことを聞いたのかしら?」




 アーベントは、母親の鋭い目付きと目が笑っていない微笑みを見て、慌てて自白した。




「ひひうえ父上、ひひうえでしゅ!! ひひうえがおひえてくれまひた……っ!!」




 どう見てもやり取りが母親と子供ではなく悪人と被害者のものだ。アーベントの母親のすぐ傍に控えていた高齢の侍女は少し気の毒そうな目をアーベントに向ける。




「そう、あの人が……。ふふふ…………そう、口の軽い領主様にはきっつ~~いお仕置きが必要なようね? そう思わないかしら、アル?」




 母親は、アーベントことアルの頬から手を離すと、アルは涙目で怨めしそうに母親を睨む。




「あら。アル、重くなったわねぇ」




「母上、ちゃんと父上には手加減して下さいね? 父上にも執務がありますし」




「うふふ、無理な相談ね?」




 なんとも言うことができず、アルはそっと般若の形相から目を逸らした。










 用事を終え、アルと母親は領主の執務室を後にする。




「父上、大丈夫でしょうか?」




「大丈夫よ。息はしていたから」




「母上の基準、おかしいです!! 息はしていたから大丈夫って!?」




「アーベント坊っちゃま」




 諦めろ、とばかりに母に長く仕える侍女が首を振り、アルにしか聞こえないほどの音量で囁く。




「差し出がましいようですが、婆やは諦めた方がよろしいかと思いますよ。ずっと昔、同じようなことをした奥様のご兄妹の方々も、今の旦那様と同じような目に遇いましたので」




 恐ろしい方です。と侍女は遠い目をする。




 母上もたまにはいい人の時もありますよ。とアルはフォローになっていないフォローをした。




 年に見合わぬ大人びた様子のアルにも侍女は呆れたような視線を送る。




 しかし、アルはそんなことは気にせず「母上、魔法はいつ見せてくれるのですか!?」と子供らしくおねだりを再開していた。




 珍しく困った様子の母親を見て侍女は目を見開くと、再び呆れたように小さく呟いた。




「アーベント坊っちゃまもアーベント坊っちゃまで恐ろしい方ですね。奥様の美貌と旦那様の悪知恵と強かさの片鱗をこの年で発揮しているのですから。…………あぁ、5年後の〔授魔式〕は一体どうなることでしょうか」
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