時ノ糸~絆~

汐野悠翔

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第一幕 板東編

出陣の朝

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――936年6月27日

昨晩小次郎の元へともたらされた、伯父良兼出陣の報せを受け、小次郎率いる百余名の兵は、まだ日も登りかけの早朝、豊田を出立すべく小次郎の館の門前に集まっていた。


「小次郎様、小次郎様、 お待ちくだせぇ。是非ともおら達も連れて行ってくだせぇませ!」

「やっと決意さ固まりました。おいら達も小次郎様と戦うって。なぁ皆!!」

「「「おぉぉ~~!!!」」」


そこに豊田に住まう民人達が、群れを為して騒ぎ立てている。小次郎と共に良兼と戦うべく、自分達も戦地へ連れて行って欲しいと。 

豊田に住まう民人達も、ついに小次郎と供に戦う覚悟を固めたようだ。


「すまないが、皆を連れて行くわけにはいかない」


だが小次郎は、民人達の申し出をきっぱりと断った。


「な、何故ですじゃ小次郎様?! 儂等では足手まといか? 鍬ばかり握っている儂等では小次郎様の役には立てねぇですか?」

「俺達だって必ずお役に立ってみせます。お願いします小次郎様、是非俺達も連れて行ってください」

「すまないが、その気持ちだけ貰って行くよ。ありがとう。前にも話したと思うが、今回の作戦は小回りが利いたほうが勝算があるんだ」

「それは理解してるつもりだけどよぉ、いてもたってもいられねぇんだよ。おら達だって、何か出来る事がしたいんだ。おら達みんな、小次郎様を信じて付いて行くって、そう決めたんだから」

「皆の気持ちは十分分かった。だが俺にも決めた覚悟があるんだ。この身内同士の争いに皆を巻き込むまいとな。俺を信じてついて来てくれるのであれば、尚更ここで待っていて欲しい。俺を信じて、皆は皆の仕事をしてこの豊田の地で待っていてくれ」

「「「…………」」」


ニッコリ微笑む小次郎に、皆それ以上小次郎を説得する言葉を失った。

小次郎の笑顔は自信に満ちていたから。
この人ならば、本当に何とかしてしまうのではないか――そんな予感すら感じられたから。

故に皆、小次郎の勝利を信じて、大人しく戦に赴く小次郎と彼の率いる精鋭部隊を見送る事にした。


「「「御武運を、お祈り申し上げております」」」
「……あぁ、行って来る。皆留守を頼んだぞ」
「「「はいっ!」」」


小次郎を見送る人垣。そこから少し進んだ先、塀の陰に隠れるようにポツポツと疎らな人影があった。

大勢の民人達に見送られながら、屋敷を囲う土壁沿いに馬を進ませ始めた小次郎だったが、「小次郎」と呼び掛ける声と供にその人影に気付いて、再び歩みを止める。


「……千紗」


小次郎は小さく声の主の名を呼び、視線を向けた。

何か言いたげに口を開きかけた千紗の後ろから、もう一人ぴょこんと顔を覗かせる人物がいたかと思うと、その人物は千紗の言葉を遮り無邪気な声を上げた。


「四郎の兄貴、兄貴もいっちまうのか?」

「ん? おう、誰かと思えば清太じゃないか。それに春太郎とヒナも。姿が見えないと思ったら、お前等揃ってこんな所に居たのか。何だ何だ、こんな所で隠れてどうした?」


小次郎のすぐ後ろを、馬でついて歩いていた四郎。彼に名を呼ばれた清太と、それから春太郎の二人は、小次郎と四郎が乗る馬の元へと無邪気に駆け寄って行く。


「ちげ~やいちげ~やい!おいら達も連れて行ってもらおうと思って、兄貴達を待ってたんだよ」


はしゃぐ清太に、小次郎は静かに千紗を睨む。まるで牽制するかのように。

小次郎から向けられる静かな怒りに、一瞬怯んだように視線を逸らすも、千紗は一歩前へと歩み出て、馬上の小次郎へ真っ直ぐな視線を向けた。


「小次郎……」

「……」

「……やはり行くのか?」

「あぁ……」

「そうか……。ならば――」

「悪いが千紗、お前は連れては行けないぞ」


千紗が言いかけた言葉を遮って、小次郎は千紗が言うより先に釘を刺す。

――千紗も連れて行け。彼女ならばきっと、そう言うと思って。

だが、千紗から返ってきた言葉は、小次郎の予想とは違うものだった。

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