時ノ糸~絆~

汐野悠翔

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第一幕 京•帰還編

信じてくれる人がいるから

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「心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん」

「………え?」


千紗の質問に、突然和歌を詠み出した小次郎。
千紗はポカンと呆け顔。


「兄上、今の和歌うたはどのような意味なのですか?」


秋成もまた、不思議そうに小次郎が詠んだ和歌の意味を訪ねた。


「心さえやましくなければ、ことさら神に祈らなくても、自然に神の加護があるであろう。昔な、順子様が俺に詠ってくれた和歌だ。そして、俺の大好きな和歌」

「……母上が?」

「あぁ。お前には話した事なかったか? 俺が京に来た理由」


ブンブンと首を小さく横に振る千紗。


「俺が京に来たのはな、坂東で言われのない罪を責められたからなんだ。俺の言い分など殆ど聞いて貰えないままに、半ば追い出される形で俺は京へ来た。あの時の俺は、今のお前みたいに悔しくて、悲しくて……心のどこかで世の中を憎んでいた。そんな荒んでた時、順子様がこの和歌を俺に贈ってくれた。心にやましい事がないのならば堂々と胸を張れ。正直に一生懸命生きていれば、それを見ていて必ず分かってくれる人はいるはずだって。そう、今の千紗や秋成みたいにな」

「……小次郎……」

「さっきの質問の答え。正直に言えば、裁判の結果がどうなるのか、全く怖くないと言えば嘘になる。本当は俺だって怖いさ。けどな、お前達が俺の事を信じてくれている。俺の為にこうして怒ったり、悩んだり、悔しんだりしてくれる。その事実が怖いと思う以上に嬉しいんだ。お前達の存在がな、俺に勇気をくれるんだよ」


そこまで言って、小次郎は千紗と秋成、二人を優しく抱きしめた。


「だからな千紗、何も不安がる事なんてないんだ。胸を張って堂々としていよう。だって、俺は、俺達は何もやましい事などしてはいないのだから。大丈夫。きっと大丈夫だから」

「…………大丈夫……?」

「あぁ」

「……そうか……そうだな。きっと大丈夫。小次郎は何も悪い事などしていないのだから。それは他の誰でもない私が証人だ。きっと……いや、絶対大丈夫!」


すっかり自信を取り戻した千紗から不安と表情は消え、屈託のない笑顔を浮かべていた。

そんな彼女の頭を、小次郎は三度みたび撫でてやった。


「ありがとな千紗。俺なんかの事を心配してくれて。俺なんかの為に一生懸命になってくれて、ありがとう」


互いに照れ笑いを浮かべながら、平安京一番の大通りで、仲良く抱き合っていた千紗達三人。

道行く者達のクスクス笑い合う声に、やっと今自分達が周囲から奇異の目で見られている事に気付いた。

気付いた事で、千紗はキュロキョロと辺りを見回した。


「所で今日は何だか、人の往来が賑やかではないか?」

「あ? あぁ、そう言えば今日は確か、東市が開く日だったか」

「何、市とな?!」


小次郎から返ってきた言葉に、千紗は目をキラキラと輝かせながら小次郎と秋成、二人を見る。


「………」

「……………」


千紗の反応に、二人は急いで千紗から顔を反らした。

反らした先で互いの視線がぶつかって、二人は思わず苦笑いを浮かべる。


「市など久方ぶりだな。そもそも、こうして京の街をゆっくり歩くのも久しぶりじゃ」

「…………そう……だな」
「…………そうです……ね」

「どうだ。久しぶりに、三人で市へ行かぬか? いや、行こう! 私を市へ連れて行け!!」


予想通りの展開に、小次郎も秋成も大きな大きな溜め息を吐く。


「元気がなかったらなかったで調子が狂うが……」

「いつも通りに戻ったら戻ったで……」

「何だ? 何が言いたい?」

「いいや。それでこそお転婆で我儘な千紗姫様だよ。……はぁ、仕方ない。ここは観念して、行くか秋成」

「……はい。観念して」

「ほら行くぞ、千紗」

「行きますよ千紗姫様」


小次郎と秋成は二人揃って千紗に向かって手を差し出した。晴れやかな笑顔を浮かべて先を行く二人に、千紗は嬉しそうに二人の腕に飛び付いた。

右に小次郎、左に秋成、隣に並ぶ二人の腕に自分の腕を絡めながら、千紗は満面の笑顔を浮かべて市を目指し歩き出す。

まるで幼い頃の、いつも3人一緒に過ごしたあの懐かしい#時間ときが戻って来たようで――

千紗は願った。こんな時間がずっと続けばいいのにと。
心の中でそう、小さく願った。


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