時ノ糸~絆~

汐野悠翔

文字の大きさ
上 下
225 / 263
第二幕 千紗の章

女達の恋話

しおりを挟む
「あ~。久しぶりに笑ったな。それにお主達とこんな話をするのは、そう言えば初めてだったか」


結局、ヒナの口から想い人が誰なのか、聞き出す事は叶わなかったが、久しぶりに声を上げて笑った千紗は、満足気に言った。


「こんな話とは?」

「ん? 恋話こいばなじゃ、恋話。たまには女同士でこう言う話も楽しいの。……恋……か。人を恋い焦がれる気持ちとは……いったいどんなものなのかの。私には良く分からぬが、一度で良いからしてみたかったの」


「……千紗姫様……」


ポツリと千紗姫が漏らした言葉に、キヨは複雑な思いで千紗姫を見つめた。


「キヨは? キヨは人を好きになった事はあるのか?」


キヨの視線を感じて、千紗は話題を自身から反らすかのようにキヨに話を振る。


「えぇ?! 私ですか? 私は……ありますよ」


突然の質問に一瞬驚いて見せるも、キヨは何かを思い出したようにふっと表情を和らげて言った。


「ほぉ、キヨもあるのか。それは是非聞いてみたいの。キヨの恋話も」


「……対して面白い話でもございませよ」

「よい。聞かせてくれ」

「そうですね。では、私の初恋の話でも……」


主のおねだりに、キヨはゆっくりと語り始める。
遠い昔、初めて人を好きになった時の懐かしくも甘酸っぱい恋話を――


    
「実は私、忠平様の屋敷でお世話になる前、まだ10代半ばのほんの子供だった頃に、内裏に住み込みで働いていた事がありました」

「そうなのか?」

「はい。当時の東宮様の妃、藤原仁善子ふじわらのにぜこ様の侍女として。そこで、今考えれば恥ずかしい話なのですが、仁善子様に会いにくる保明やすあきら様――いえ、当時の東宮様に幼心に憧れておりました」


「当時の東宮――と言う事は、チビす……いや、帝や成明殿の兄君か?」

「保明兄様~?」

「……はい、そうです。お二人の兄君様です。保明様は、それはそれはお優しい方で、私のような身分の低い者にも気さくに声をかけて下さいました。それに当時、私のせいで仁善子様を怒らせてしまった時も、保明様は私ごとき使用人を庇ってくださって……」

「それで好きになったのか?」

「なったのか?」


千紗が尋ねると、姫様の真似をして、キョトンとした顔で成明も尋ねた。

二人からの問いに、キヨは小さく「はい」と答えた。

彼女は今、当時の事を思い出しているのか、ほのかに頬が紅く染まってみえる。

そんなキヨが千紗には可愛いく思えた。
一回り近くも歳の離れた大人のはずの彼女が、恋の前では自分やヒナとたいして歳の変わらない、少女に戻っているのだから。


「……でも、私みたいな者が東宮様に好意を寄せる事自体おこがましい事。それに東宮様は仁善子様をとても……とても愛しておりましたから、私はずっと自分の気持ちに気付かないフリをしておりました。それでも、お二人の姿をお側で見ているのは、どうしても胸が苦しくて……辛くて……私は人目を忍んではよく一人で泣いておりました」

「…………」

「でも、後になって思えば保明様がいらしたあの時間は、たとえ胸が苦しくとも、とても幸せな時間だったのだなと考えさせられます。だって保明様に片思いしていあの時以上に辛かったのは、保明様が病によって亡くなられた時なのですから。もう2度と会えなくなってしまった時、私は心の底から思ったのです。たとえ叶わぬ恋だとしても、ただ苦しいだけの恋だったとしても……保明様の側にいたかった、もっと保明様を見ていたかったと」

「………たとえ叶わぬ恋だったとしても……側で…………?」

「はい。は千紗姫様、恋とはそういうものなのですよ。自分の気持ちに嘘をつけばつく程、胸は苦しくなる。でも、それでも好きだという気持ちは抑えられなくて、その人の側にいたい、側にいて欲しいと願ってしまうものなのです」

「…………」

「恋の前では、誰も嘘はつけません」

「………………そうか。恋とは、そう言うものなのか」

「……はい」

「キヨもさぞや苦しい思いをしたのだな。いや、もしかして今もまだしているのか?」


「………え?」


「今もまだ好きなのか? その様の事が」


千紗の問いに、キヨは一瞬驚いた顔をした。
そして暫く考えた後で、キヨはふわりと優しく笑った。


「……そう……ですね。保明様は今も私にとって特別な方です」


「やっぱり」と千紗もつられて微笑んだ。

しおりを挟む

処理中です...