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32.一触即発

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「ぶ……無事か……?」

 ある程度覚悟はしていたが、想定以上の惨事を引き起こしてしまったらしい。
 昔、バラエティー番組で見たことがある、透明で巨大なガシャポン容器に入れさせれれて、芸人が坂道を転がるアレ。
 まさにそれを実行する格好となったが、安全管理万全なそんなアクティビティより、命がけで、そして危険を伴った。

 落石は牢を歪ませ、土砂が馬車を押し潰した。ナツのプロテクションによって、中にいた俺たちは潰されることはなかったが、球体に張られた障壁により、まるでボールのように崖を転げ落ちていった。
 もちろん生き埋めになる可能性もあったが、ひとつの賭けであった。
 本物の勇者なら、こんなところで命を落とすはずがないだろう。

「だ、大丈夫……おうぉぇぇろろろ……」
「だーっ!! 吐くな!!」
「プロテクション解除しますぅっ!」
 分厚く張られていた光の壁が解除され、俺たちは歪んだ鉄格子から這い出た。が、その外の風景は一変していた。
 ついさきほどまで草木が生い茂り、竹が群生し、木々が揺れていた。鳥はさえずり、虫のざわめきが感じられていたが、今やそれらは、全て失われた。

 掘り返された赤土、むき出しの岩。
 砕け、折れた大木、腐った根。
 流れる濁水。

「……」
「……」
「……」
 誰もが、絶句した。

「……ひっ!」
 ファンダが足元になにかを見つけた。それは人間の腕だった。
 筋骨粒々だったそれは、肩からネジ切れていた。土砂災害に巻き込まれた、人攫いのものだろうと推測された。

「……」
 またしてもしばらく沈黙が続いた。
 この沈黙の長さは、全員が現状を把握するためのインターバルか。それとも、あえて理解を遅らせ現実逃避をするためか。

 ……でもさ。
 いろいろ被害はあるけど……なんとかなったろ? 

「……あっ!」
「……まじかよ」

 そんなことを思っていると、少し離れたところに動くものが目に入った。そして俺とナツは同時に声をあげた。

「ふざけやがって、クソガキどもっ!!!」
 赤髪の暗殺者だ。あの崖崩れに、生身で巻き込まれながらも、奴は生きていた。
 しかしさすがに無傷とは言いがたく、仮面は剥げ、素顔が晒されていた。身体中は擦り傷だらけで、左手はだらりと垂れていた。おそらく、折れているのだろう。

「もう容赦しねぇ、全員殺してやる!」
 重傷を負いながらも、物騒なことを口走る。右手にはしっかりと、曲刀が握られていた。

「ランジェ様、私の後ろに」
 ナツが、俺の前に出た。
「ファンダも、下がって」
 先ほどまでファンダの肩を借りていたクウも、前に歩みでた。

 じわりじわりと、殺意に満ちた暗殺者が距離を詰めてきた。
「ナツ」
「大丈夫です、皆さんは、私が守りますぅ!」
 しかし、俺はわかっていた。全力プロテクションを使ったため、彼女の魔力は尽きている。
「クウ、まだ足が……」
「なんとか動くから大丈夫」
 そんな事をいうが、クウの足は赤紫色に腫れ上がっていた。完治していないことは明らかだ。

 しかし、あの暗殺者に対抗できうる戦力は、彼女たちしか無かった。力不足の俺とファンダは、大人しく彼女たちの後ろに回った。

 攻撃が届く範囲まで、もう少し。息が詰まるほどの緊張感。
 剣を交えれば、一触即発。一瞬にして勝負は決するだろう。

 あと、5歩。

 4。

 3……ん? 

 そのとき、遠くから何かがやってきた。
 リズミカルに地面を蹴り、赤土を派手に撒き散らしながら近寄ってきたそれが、馬に騎乗した男性であることに気づくのに時間がかかった。

「はあっ!!!」
 その刹那、その男が馬から飛んできた。
 そして、あろうことか俺たちと暗殺者の間に立ちはだかったのだ。

「なっ……」
「なんですかぁっ?」
「……誰?」

 命のやり取りを行う前提で身構えていた3人から同時に声が漏れた。
 フードを被った男は、すると、両手を双方に向け、手のひらを向けた。つまり、『止まれ』のハンドサインだ。

「この争い、双方、鞘を収めて貰おう」
「……邪魔だぁっ!!」
 その行動はどうやら、暗殺者の琴線に触れたようだ。ケガ人とは思えないほどの速度で刀を振り抜き、その男の首に剣を突き立てた。
 はずだった。

「二言はない。剣を収めよ」
「なん……だと……」
 女の手には刀はなかった。はるか後方に弾かれ、地面に突き刺さっていた。
 逆に、フードの男には長剣が握られていた。マントの下にでも隠し持っていたのだろうが、それを抜刀したタイミングなど全く見えなかった。

「くっ! なんだんだ、あんた!」
 捨て台詞を吐きながら、女は一気に距離を取った。見せつけるように行った抜刀術は、彼の実力を十分に見せつけた。

「……そうだな、自己紹介したほうが、話が早い」
 すると、そのフード男は外套を翻し、素顔を晒した。

 動きやすそうな服。しかし、どこかしこに細やかな模様を呈しており、かなり高貴な服にも見えた。
 携えた剣は、よく見ると柄部分に繊細な彫り物──よく知った紋章──が備えてあった。
 なにより、フードの下から現れた顔は、ランジェのよく知った人物だった。

「え……うそだろ」
「……ヴァリヤーズ公爵家の……紋だと?」

 全員が全員、目を見開き驚愕しているさなか、彼は自己紹介を始めたのだった。

「オレは、キスト=ヴァリヤーズ。ヴァリヤーズ公爵家の次兄で、そこにいるランジェ=ヴァリヤーズの実弟だ」



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